5. 紅-2
静謐な空気が漂う礼拝堂の中、階下を見下ろす吹き抜けの回廊を二人の人物が行く。情緒溢れる景観に反するスーツ姿には、甘い匂いなど微塵も感じられない。
一人は淡いブロンドのボブカット。均整の取れたプロポーションをパンツルックのスーツに身を包み、随分と上機嫌な年齢不詳の女性。
もう一人は、隣を歩く女性よりやや背の高い、ブラウンの髪を短かく纏めた若い男性。
得体の知れない礼拝堂を本部とするE.C.U.S.T.A.D.フォンティアナ局。その管理室長ナロニー・ユマスと、管理室の新人職員レリオ・ベニーニだった。
「今日はどうしたんですか? 室長。妙に上機嫌ですね」
「ん~? いや~昔のチームメイト達と連絡が付いてさ~、年甲斐もなく舞い上がっちゃたよ。もう、イヤッホーって感じだね~」
レリオの言葉に、ナロニーは中々に伝わり難い感覚的な表現で返した。それが一番適切な表現であった気がしたからだ。公文書でもないのだ、構わないだろう。ただ少し、何となく胃が痛む気がしたが。
併せてレイロードからオートマタ搭載車両の話も出て来だが、警察に問い合わせた所、ここ数日、市内の監視カメラに不審車両が映った記録はなかったとの事。アイオ・ロクツィオ市内で大型トレーラーなど悪目立ちする。居れば直ぐに何らかの報せが入ってきたであろうから、こちらに関しては任せてしまって大丈夫だろう。
「あ~はは、それって、ルーデルヴォルフ時代のご友人の事ですか?」
「そそ、しっかも二人共エレニアナなんてご近所だったのよね~。飛ばせば1時間くらいだよ。ま~ホントビックリだよね~」
苦笑しながら確認を取るレリオにナロニーは答えながら、何とはなしに吹き抜けの階下を見渡した。
E.C.U.S.T.A.D.フォンティアナ局に使われてる礼拝堂は、ホール部分を中心に右翼と左翼に通路が伸びる2階層型だ。通路はL字型に曲がり、左翼側にはその先にも六つの通路とホールが存在する。建築当時は右翼側も同様の構造であったとされているが、再建を開始した時点で消失されていた。現在の建造物は殆どがレプリカだ。
「オフシーズンは暇だね~」
「まぁ、忙し過ぎるよりいいですよ」
ホールに人影は疎らで、それを見たナロニーの呟きにレリオが答えた。結局の所、ここが何であるかと言えば、観光地も兼ねているのである。右翼最奥は元々崩壊しており、修復された後E.C.U.S.T.A.D.及びルーデルヴォルフ関係者用のスペースになっているが。
元々案件の少ないフォンティアナではPDで済まされる事が多く、所属員達の姿は見えない。今も季節外れの観光客がチラホラ、と言った所だ。人の入りが多い時はガイドのマネまでやらせる事があるため、それを考えれば人は少ない方がいい。
「あ、れ……?」
そんな少ない人影の中、ナロニーは想定外の人物を見出し、呆然とした声を漏らした。
「室長? どうしました?」
突如固まった事に訝しんだレリオの声も耳に入らず、ナロニーの視線はその人物に縫い付けられる。
丸天井の天板に嵌められたステンドグラスの光が差し込む中央ホール。一種神聖な空気を漂わせるその中心。
そこに立つは、銀髪を撫で付けた紅いロングコートの男。初老に入っているかと思われるが、老いを感じさせない体躯は真っ直ぐに伸ばされ、その全身から威厳を漂わせている。柔和に微笑むその表情はしかし、機械じみた感情の無さと、虚ろな空気を纏っていた。
「ん~、レ~リオ、ダニロさん呼んできて~。ついでに、今居る使えそうな己顕士押さえといて」
嫌な焦燥感を振り払い、思考を切り替えレリオに指示を出すと、PDを取り出しながら足早に階下に向かう。
「え? な、何ですか急に?」
「い~から早く」
「は、はいっ!」
背から掛けられた戸惑いの声に、やや苛つきながらも、そんな事はお首にも出さず、軽く手を打ち合わせて促す。慌てて去るレリオを一瞥しすると、PDからレイロードのアドレスに向けて発信を行うが、不通。桜花も試してみるものの、やはり不通。仕方がないと階段を下りつつ、無関係ながらも頼りになりそうな、昨夜連絡先を交換したばかりの戦友に掛ける。が、これも不通。舌打ちし、繋がらない以上仕方がないと、せめてメールだけでも出しておく。通信可能領域に入れば届く筈だ。
送信を確認すると1階ホールへ踏み出し、可能な限りに明るく、そして慇懃に声を掛け、深々と腰を折った。
「お初にお目にかかります教皇猊下。
当イクスタッドフォンティアナ局管理室長ナロニー・ユマスと申します。
猊下にあらせられましては、ご壮健のこと麗しく。ご来訪に際しましてはお聞きおよび致しておらず、ご不便をお掛け致します。また、局長に代わりご案内承る旨ご容赦願います」
「はっはっはっ、これはご丁寧に申し訳ない。
然しながらこの通り、今はプライベートなのでね。ただの一市民でしかないのだよ。それ程畏まられるとこちらが恐縮してしまう。普段通りの対応を頂ければ、私も心休まるのだがね?」
ナロニーの対応に、男は、聖導教皇は気さくに返した。しかし、そのよく通る低い声は、穏やかながらも圧倒的な威厳と威圧感を含んでいた。ナロニー自身は、所謂庶民階級であり、他国の国家元首に直接的な応対をする事など今までなく、気後れするには十分であった。これならば銃口を突き付けられた方が遥かに気楽だ。
何とか折った腰を戻し、背筋を正すと、多少言葉を崩してナロニーは続ける。
「流石にそう言う訳には……失礼ながら、SPの方々の姿もお見受けできませんが、本日は当局へどのようなご用件で?」
「なに、これでも私はカテゴリーBの己顕士なのでね。そうそう護衛など必要ないのだよ。何せ、我がエレニアナは己顕士に敗れた国家だ。騎士団も持ってはいるが、そうそういい使い手を取り立てなくてね。お陰で民間に皺寄せが行ってしまっている。はははっ、困ったものだよ。」
教皇の語った内容にナロニーは背筋が凍った。己顕士、しかもカテゴリーBの、などとは聞いていなかったからだ。姫ちゃ~ん、そこ重要だったから、と心中で悪態をつくが、時既に遅しだ。
そもそも、己顕士は政治家にはなれない。直接的な武力による権力の接収を阻むためだ。
要は今のナロニーが陥っている状態を阻止するためである。何せ、教皇の言う事が事実であれば、ナロニーは死んだ事すら気付かず首を飛ばされているだろう。
エレニアナ法国は聖導教会と言う宗教組織が政庁を兼ねている。そのために、己顕士でありながら政治の頂点に立つと言う、他国では不可能な事も可能だったのかもしれない。
「ああ、すまんね。用件だったか。歳を取ると物忘れが酷くていかんな。ああ、ははっ、また忘れる所だった。
目的は、ただの観光だよ」
「は? んん、……失礼しました。観光、ですか?」
硬直するナロニーを尻目に、教皇は実に当り障りのない内容で返して来た。何が来るかと、心中身構えていたナロニーは、その余りにも在り来りな理由に素っ頓狂な声を出してしまい慌てて姿勢を正した。
「君も知ってはいると思うが、ここ、アイオ・ロクツィオはエレニアナ発足の地だ」
「無論、存じ上げております。それが如何なされましたか?」
イグノーツェ大陸に住まう者ならば、大抵は授業で習う内容だ。1000年前の戦争で、エレニアナはその地を失い南へと下った。終戦後も幾度となく返還の申し立てをロマーニに行っていたらしいが、ここ100年では既に沈静化していたと聞く。それを今更どうしようというのか。
「ああ、別に今更返還を要求する、などと言う事はないよ。まぁ、聖地奪回を夢に見る者も居るようだが。先代猊下はそのような大望を胸に秘めておられたらしいな。それで少々ごたつきがあったが……ああ、そちらにも迷惑を掛けていたかな? なに、少なくても私は違う」
「そう、でしたか」
知らずと険しくなったナロニーを察してか、教皇が柔和にそれを否定する。政治の話など持ちだされよう物なら堪った物ではない。丸々信じられる謂われはないが、信じておいた方が気が楽かと、ナロニーは一先ず胸を撫で下した。
「ただね、私としては、始まりの地を見ておきたかった。場所までは判明していなかったのだよ。何せフォンティアナは旧世代の遺跡が多いからね。割り出すのには随分と苦労した」
「まさか……」
しかし、続けざまに語られる内容に、何か良くない気配を感じ息を飲む。例えそうであっても、ここがそうなでけであり、それ以上ではない筈だ。であるのに、どうにも嫌な予感しかしないのだ。
「ああ、そうだ、この礼拝堂こそが始まりの地。
……イグノーツェ大聖堂だよ……」
詠嘆とも、悲哀とも、歓喜とも取れるその声に、ナロニーは見たのだ。嘗て戦場で見た瞳、静かなる狂気を、その薄紫色の瞳の中に。
「くぅ!」
その色に気が付いた瞬間、鼓膜を圧迫するような不快感を覚え、ナロニーは咄嗟に耳を塞ぐ。密閉した空間の中で、外から急激に圧力が掛かった際に感じた事がある。そして直ぐに記憶にある状況を思い出し、叫びながら床へと身を投げた。
「伏せてっ!」
その声を掻き消すように爆音が轟き、ホール左手側の床の一部が盛大に吹き飛んだ。