5. 紅-1
朝の日差しにほんのりと頭が痛む。ナロニーからのメールに目を通しながら、経口タブレットを口に放り込む。メールの内容に関しては、ディメンティカトイオで発掘許可申請が受理されていた事。申請元はリーネアレガーレ。大型トレーラーの通行許可も併せて申請されていた、と言う物だった。
繋がった、のだろうかと頭を抑えながら、レイロードはユラユラと階段を下る。それ程呑んだつもりはないのだが、万全と言う訳ではないらしい。
そして、最後の一歩を踏み出した時、アズライトの怒声が頭を叩いた。
「はー!? んなこたぁ知らねーよ! そっちでどうにかしてくれや。
大体な、昨日だって下手すりゃ死んでたぜ? 正直、面倒事は勘弁してくれ。それとな、俺は今はイクスタッドなんだよ。直で仕事を回してくんなっ、つってんの。
はー!? だーから、体面がどうとか知らねっつってんの。あー、もう切るからな。じゃーな」
捲し立てたアズライトが溜息を吐いてPDを仕舞う。昨夜呑んだ量は変わらない筈だが、これが人種の差なのだろうか。それはそれとしてレイロードはアズライトに声を掛ける。出された声は普段より低く、無駄に威圧感が出てしまった。昨日喋り過ぎた所為かもしれないが、であれば情けないにも程がある。
「どうした? 何か問題か?」
「んー? あー、何だろねー。つか、喉大丈夫か?」
アズライトが誤魔化しにもならない誤魔化し方で凌ごうとしているが、どうにも歯切れが悪過ぎる。どうやら声の所為ではないようだが。
喉は問題無いと手で応じ、レイロードは不快感の残る頭を抑える。その手で頭を押すように、ソファーでフォルに抱き付き新手のクリーチャーと化していた桜花に話を振った。内容が聞こえていなくとも、桜花ならばカマを掛けて眼で識る事も可能だろう。
「桜花、どうだ?」
「リーネアレガーレのオートマタ開発部署から、戦術オートマタの何体かと人員が消失していた、らしいですね」
声がフォルの後から発せられる所為で、フォルが喋ってるように見え、少し和んだ。
それにしても、とレイロードはほくそ笑む。色々と手間が省けた。ここに来て運が回って来たのかもしれないと。
「ちょ、聞こえ、ってか居たのかよ!?」
「ふふっ、慎ましさを体現したようなこの私にとっては、造作も無い事ですね」
アズライトが目を見張り、フォルが微笑む。レイロードにはそう見えて、やはり和んだ。ただ、頭の痛みは少し増した気がしたが。問題はそこではない。
レイロードは僅かに浮かんだ笑みを消すとアズライトに向き直る。
「紛失した戦術オートマタの機種と数は分かるか?」
暫しアズライトの視線が宙を彷徨う。だが、やがて観念したように項垂れると、頭を掻きながら呟いた。
「あー、CP9が3機と、プルチェが12機消えたらしい」
恐らく、当たりだ。予感が確信に近ずきレイロードは喜色を顕す。CP9はスタンバイモードでも全長3メートル、全高2メートルはある。整備と兵装用機材を含めればそれなりのサイズが必要だ。始めからバックアッププランが存在した、そう言う事なのだろう。
「アズライト。その話だが、そっちで受けないなら、フォンティアナ局経由で俺に廻すよう連絡してくれ。こっちの仕事ついでに片付ける」
E.C.U.S.T.A.D.は個人に対して依頼の発注がシステム上、出来ない。ただ、依頼主からE.C.U.S.T.A.D.支局、支局の管理室から指定の所属員、と言う経路で、実質的には個人的に依頼を受けられる。レイロードが指定した経路であれば問題なく廻って来る筈だ。
「そっか、わりーな……でも、いいのかよ?」
話を振られたアズライトは少々バツの悪そうな顔だ。しかし、レイロードからすれば、今回は金にならなそうであった所に急遽舞い込んだ収入源だ。寧ろ有難い。
「ふふっ、行き掛けの駄賃と言う事ですからね。お構いなく」
構わんと言い掛けたレイロードを遮って、桜花がしたり顔で言い放つ。さも当然とでも言うようなその顔に、アズライトも苦笑気味だった。
「あら? 出るの? 進展でもあったのかしら?」
「確認と言った所だ」
丁度キッチンから顔を出した黒龍に素っ気なく答える。実際には確信に近いが言葉を濁した。大人しく話したのならば着いて来かねない。正直な所、戦力ならばレイロードと桜花で十二分に過ぎる。そこに届かないのであれば、寧ろ邪魔なだけだ。嘗て自身がそうであったように……ならば、家族と共に居ればいい。その方が、きっといい。
「そう。いいわ。で、朝食は?」
「無論、いただきます」
黒龍は何処となく訝しんだ面持ちだったが、言及して来る事はなかった。そして今回も、問い掛けに答えたのは桜花だった。
軽い朝食を取った後、レイロードは出立のため、騎馬にある程度の荷物を詰め込み、騎乗を終えていた。その際、玄関先で子供達と戯れている黒龍に目が留まる。出勤時は大学内の託児所に預けているそうだ。フォルも大学に連れて行っているとの事を聞いていた。
「はいはい、二人共、忘れ物はないわね?」
子供達の目線に屈み込み、優しく頭を撫でる姿は正しく母親のそれだろう。そこには、嘗てレイロード達を散々に振り回してくれていた面影は、まるで見えない。
「りーな、だいじょうぶ、だよ!」
「…………ん」
コルナリーナが今日も元気よく手を上げて答え、オニキスは小さく頷いている。フォルにしても、大型犬らしい低音を響かせワンッと一声吠えると、嬉しそうに尻尾を振っていた。
そこへ一人、如何にもロマーニ系と言ったような、恰幅のいい中年女性が通り掛かる。
「あら~、ロッソ家は今日も仲良しね~」
「おはよう、マーサ。何時も悪いわね。悪いついでなのだけれども、近日中にこの子達、また預かってもらうかも知れないわ」
「あら、遠出? いいわよ気にしなくたって」
「あー、ワリィねー」
大らかに微笑み、パタパタと手を振る婦人に、アズライトが子供達の頭を撫でながら礼を告げる。
目と鼻の先の光景が、随分と遠く感じた。ナロニーの娘を見た時も、そう言えばそんな感じがしていたなと、レイロードは思い出す。
別に羨んでいるでも、妬んでいるでもない。それぞれが別の道を、それぞれの幸せを歩いている。その事をただ感じていただけだ。この先も彼らに、彼女らに、そんな日々が続けばいい。そう、切に願う。
「レイロード……私は、私のために剣を振るう。私を求めて。きっと、これからも。
ねぇ、レイロード……あなたは、何を求めて剣を振るうんですか?」
一瞬、幻かと思う程に希薄な桜花の声が、背後から耳を打った。桜花の視線の先は、レイロード同じモノに向けられている。桜花が振るう剣の先に、あの光景は見えなかったのだろう。
「昔は……天を求めた。何もなかった、だから、何処にでもある天を求めた。
死んでも届かないだろうと、手を伸ばし続けた……。
だと言うのに……ハッ、届いてしまったからな」
届いた物が紛い物だとしても。幼いみぎりに求めた物は、その紛い物だったのだから。無理矢理に貼り付けた、空虚で空々しい自嘲の笑みは、レイロード・ピースメイカーと言う男を顕すには打って付けなのかも知れない。
「故に、ま、精々もっと届かない物でも求めてみるさ」
何を、とは言わなかった。そして、桜花も聞きはしなかった。ただ一言告げるだけ。
「ねぇ、レイロード。言葉にしなければ、届かない物もありますよ?」
「だろうな」
言葉に乗って、桜花を初めて見た時の儚さが垣間見えた。そこにどんな想いが込められているのかは分からない。桜花の放った言葉こそが、届かぬ物がある事を、そう如実に顕していた。
哀愁、郷愁、寂寥、そんな物が漂う胸中を抑え、レイロードは機馬のアクセルを踏み込む。駆動音が奏でる嘶きも、何処か空々しいモノだった。
機馬が木々を掻き分け草花を舞い散らし山中をひた走る。
道などない悪路でも、電子制御された四肢は物ともせずに走破して行く。この圧倒的な走破性能こそが機馬の真骨頂だった。道なりに進んでは時間を食うが、山中を走れば短縮出来る。象圏をもってすれば、視界の悪い山中でも時速300キロ程まで出す事が可能だった。
「ああ、そう言えば、何でディメンティカトイオなんですか?」
その中で、沈黙を保っていた桜花が行き先について疑問を投げ掛けてきた。行き先は告げていたが、根拠は告げていなかった事を思い出す。そして、普段通りのやや横柄な声色に安堵した。
「国境付近で3日前からヨアケオオカミが目撃されていた。この辺りの生息地ではディメンティカトイオ周辺くらいだ。で、その辺りで何かないかナロニーに確認を取った。
リーネアレガーレ名義で発掘許可が受理されていた、と。大型トレーラーの通行許可も併せてな。そこに今朝の一件だ。まぁ、当たりだろう」
不規則に迫り来る木々を縫って駆け、枝葉から注ぐ陽光の下を行く中で、レイロードは事の経緯を軽く説明した。
「なる程……瓢箪から駒と」
レイロードが示した根拠に、桜花が得心が行ったと言うように何度も頷いている。だが、どうにも純粋に肯定をしている訳ではない気がしてレイロードは眉根を寄せる。その懸念を後押しするように、半目の眼差しが差し向けられた。
「つまり……呑んだくれていたら十も年下の小娘が奔走してたので居心地が悪くなり、自分も何かしようとイクスタッドの情報を確認していたら、お気入りの狼さんが困っていたので、どうにかしたいと確認を取ってみた所、本来追っていた件に行き着いた、と」
一言で言ってしまえば、実に困った事では有るが、そう、図星である。故に、レイロードはそっと視線を逸らした。
「あの、前向いて下さい」
走行中に視線を逸らしたレイロードに、桜花の尤もな提言が突き刺さる。象圏があるとは言え、物体を完全に透過する訳ではないため、視認も十分に有用だ。現にレイロードは機馬の行き先に大きな段差を確認していたが、それがどれ程までかは認識していなかった。
「あっ」
そして、レイロードの間の抜けた声と共に、木々の暗幕を抜け光の中に飛び込んだ機馬は――宙を舞っていた。
急激な光量の変化に一瞬視野が飛んだ後、眼下に広がっていたのは、無数の荒廃した建造物が散見される遺跡群。今も尚、哀惜を漂わせるディメンティカトイオの姿だった。
その地に辿り着くまで50メートル程。前に、ではなく、下に、だが。それでも然程問題はない。
「ぶっ! ちょ、マントが凄く邪魔なんですが!」
桜花にしても風に運ばれるレイロードのマントに文句を言う程度だ。
「お前の髪も何故か俺の顔を叩いてきて割と鬱陶しいんだが」
「ふっ、この髪は何時か私を庇って感動的に散って逝くのです。我慢して下さい」
「やかましいわッ」
落下の間の僅かな時間に下らない会話を差し込んで、機馬は大地へと帰還した。鈍い重低音の轟音を響かせ、駆動系があらん限りのパワーで自重を支え、制御系が自壊を防ぐために微妙なバランスを調整する。土煙と共に焦げ臭い匂いが漂い、レイロードは機馬の四肢を覗き込んだ。
「流石に負荷がきつかったか……」
「垂直落下でしたからね。私、途中で降りた方が……」
桜花が全てを言い終えず言葉を止め、その瞳は殊更巨大な門の方向へと注がれていた。何だとレイロードも釣られてそちらを見やれば、そこにはトレーラー2台と点在する人影が10。全身をプロテクターで固め、アサルトライフルを携行する兵士達と思われる姿の。
「あっ……」
その一言は誰のものか分からなかった。だが、二人とヘルメットの奥にあるであろう兵士達の瞳が、見事に交差していたのだった。
レイロードは今にも飛び出さんとした桜花を手で制し、空いた片手を兵士達に向ける。怪しい者ではないと、レイロードが口を開くより早く、兵士達は再起動を果たしていた。
「て、敵襲ぅうううううううう!」
「撃て撃て撃て撃てェエエエエエエエエ!」
「GO! GO! GO! GO!」
兵士達が叫びながら応戦体制を整え、銃口を向けトリガーを引き絞る。乾いた発砲音が連続的に奏でられ、静寂に包まれていた廃墟が戦場へと様変わりした。
しかし、それも一瞬。兵士達が打ち出した無数の弾丸は、1発足りとて二人に届く事はなかったからだ。或いは水面に撃ち込まれたかの如く緩やかに空中で静止し、或いは波紋のように波打つ大気に拒まれ地に落ちて。
「弾薬費の無駄だ。止めておけ」
レイロードが使用したのは憧憬の己顕法。戦闘には向かないが演出には向く。銃弾程度の軽量な物体であれば、準備をしていれば掴める。兵士達が動き出す前に、翳した手で前面に力場を発生させ、撃ち込まれた弾丸を捕らえていたのだった。桜花もしれっと歪曲空間でフォロー中。レイロードの後ろで澄まし顔を晒している。
腕を振り払うと同時に、数十の銃弾が横へと流れて飛んで行く。彼我の戦力差を示すデモンストレーションとしては上々だろうか。その様子に肩を震わせる兵士達を一瞥すると、予め取り出しておいたPDに身分証明用の画面を表示させ突き出した。これ以上相手を刺激しないよう、落ち着いた声色でレイロードは話し掛ける。
「まずは落ち着け。俺はイクスタッドだ。ここでの発掘作業に少々不可解な点があり確認しに来た」
彼らがE.C.U.S.T.A.D.やルーデルヴォルフを介して、正式に仕事を斡旋されたのであれば、事を構える必要はないからだ。
「す、すまない。クライアントからは、この辺り1帯は一時的に封鎖してあると伝えられていた。だから、てっきり賊だと……
……なぁ、そっちは何か知っているのか? この仕事は本当に大丈夫なのか? いや、ルーデルヴォルフから斡旋されたが、その……クライアントがCP9を持ち出していたんだ。自衛にしたって大仰過ぎるだろ?」
レイロードの身元が保証された事に安堵したのか、兵士の一人が堰を切ったように話し出す。その内容からすれば当たりだろう。
「全く……大手に対して杜撰なのは相変わらずか……」
レイロードは溜息混じりに瞑目すると、艶のなくなった黒髪を掻き上げる。ガントレットは引っ掛らない。やはりワザと、と言う桜花の恨みがましい呟きは、聞こえなかった事にした。
「貴殿らが警護に当たっていたリーネアレガーレの車両、及び人員はテロリストの嫌疑が掛けられている。
関わりがないのであれば、以後イクスタッドの指示に従って頂きたい」
「んなッ! 冗談じゃないぞ!」
「わ、分かった! そちらの指示に従う!」
「ど、どうすればいい!」
多少色を付け、業務対応に切り替えたレイロードの発言に、その場に居た兵士達は口々に投降の意思を示す。無駄に処理の時間を使う事なく済み、レイロードは胸を撫で下ろした。こう言う時はE.C.U.S.T.A.D.である事が有難い。桜花もホッと息を吐いている。その光景を横目に収め、レイロードは先を続けた。
「先ずはオートマタの機種と機数、人員と所属を確認したいのだが?」
「あ、ああ、オートマタはCP9が3機とプルチェが12機だ。それ以外は確認していない。
人員はここに居るのは10名。オートマタを連れ立って遺跡に入ったのが13名になる。あのでかい門だ。3日程前から入出を繰り返している状態だ。
遺跡に入った内の3名を除けば、他はルーデルヴォルフの所属になる」
「了解した。ここに居る人員は速やかに武装解除し、トレーラーごとアイオ・ロクツィオに移動して貰いたい。その後、今回の件での事情聴取が行われる可能性があるため、以後待機を」
何時、事が起きてもおかしくないのかもしれない状態に内心冷や汗を流す。黒龍は精々亜龍種の召喚程度と言っていたが、それでも被害はバカにならない。この辺りとて貴重な文化遺産が散見するのだ。
「では、私は先行して内部を確認します」
「わかった。先ずは入り口周辺でいい。こちらもそれ程時間は掛からんだろう」
背から掛けられた桜花の声に、気を引き締めた表情で短く告げると、桜花が一足先に門へと駆ける。その姿を見送りながら、レイロードは事務的に処理を進めた。
一通り方向性を決めた後、兵士達を集めPDで実情報を確認。全て問題ない事を確認すると、レイロードはトレーラーの移動を指示した。イグニッションキーを抜かれている可能性もあったが、そこまでの心配は要らなかったようだ。残留物からは残念ながら情報を得る事は出来なかった。
「すまなかったな」
トレーラーが去り際に、傭兵の一人が声を掛けて来る。それに対し、レイロードは普段の口調に戻して答えた。要はオフレコと言う事だ。
「ハッ、俺も昔はルーデルヴォルフだ。杜撰な斡旋でいい迷惑を被った事もある。気にするな。
ただ、ま、美味い話には気をつけろと言う事だろうさ。互いにな」
「ははっ、縁があったらまた会おう。中は迷路って話だ。気をつけろよ」
軽く手を上げて答え、トレーラーを背にすると、目的の門へと騎馬を駆ける。ただでさえ遠くない距離は機馬でなら更に近ずく。
目的の場所では桜花が手を振ってその居場所を教えていた。門の中は奈落のように先が見えず、否が応にも不安を引きずり出すようだ。機馬を横に着けながらレイロードは桜花へと話を振る。
「どうだ?」
「正直何とも。かなり奥まで進んでいるようです。足跡は追えるので、追跡に労はないでしょう。
ただ、明かりは設置しておいてくれなかったようなので、走るより遅くなりますが機馬を使いましょう。ヘッドライトが役立ちそうです」
軽く状況を説明しながら、桜花が機首に取り付けられた大型ヘッドライトを軽く擦る。生きた動物に対するような優しい手つきに頬が緩む。が、直ぐに引き締め直す。
「分かった。後ろに」
「いえ、先行します。あなたはライトを」
「往くか」
一言で返し、機馬のヘッドライトを入れる。奈落のように先が見えなかった門の奥に、昼間のように明るく光が射す。それが光明となる事を祈って、レイロードはアクセルを踏み込んだ。