4. 夜に馳せる-5
「で、お前の方はどうなんだ?」
グラスにウィスキーを注ぎながらアズライトに尋ねる。先程から自分の話ばかりだったと気が付いた。
「んー? 俺は大して何もねーなー。ロマーニ内で活動してっし」
話を振られたアズライトは、と言えば、グラスをあおり、眠たげな瞳で天井を見上げている。
「俺とヒメナは、解散した後も付かず離れずって感じでちょくちょく行動してたな。
6年くらい前だったか。ヒメナがイクスタッドの仕事で興味のある内容を見つけたから、ルーデルヴォルフから転向するって話を聞いてさ、んじゃ最後にちょっと大物でも討ってくっか、なんて冗談で言ったんだよ」
当時を思い出してか、アズライトの口角が上がる。グレーの瞳は追懐に寂寥が混ざり合い、何とも言えぬ深みを見せていた。
グラスを軽く回すと、氷と氷が打ち鳴らした鈴鳴りが心地よく響く。
「そうしたらだ、ケーフラッハとの国境付近でオーガの狂種らしきクイントが発見された。んじゃーやってみっかと、行ってみたらだ、予想以上に手こずっちまって中々決められない。
不運ってのは続くもんでよ。丁度その時、近くの山村でクイントの大量発生が観測されてよ、カテゴリーAレベルのエマージェンシーが入った訳だ」
言葉を切ったアズライトに、レイロードはふと天を仰いだ。その話の内容に聞き覚えがあった。カテゴリーAレベルのエマージェンシーとなれば致命的。即座に対処が必要とされるレベルだ。何であったかと、アルコールで働くなってきた頭から情報をたぐり寄せる。
「ああ……あれか。俺の記憶にもあるな。山岳地帯の農村だったか。
名前は……ミラ、ミゼ? ……駄目だ。忘れた」
まぁ、村の住人達には悪いが、今、名前は重要ではない。ただ、そうであれば結末は……。
その結末を思い描きながら、空いたグラスにウィスキーを注ぎ、アズライトを待つ。
「あーそそ、多分それだな。ま、そんでもって目の前のオーガも見過ごせない。村の方も見過ごせない。どうしようかって時に、ヒメナがこっちは任せて助けに行けとさ。足止めをしなけりゃ捕まっちまうからな。
んだもんで、俺は村へと向かった。向かったんだが、アイツの事がどうしても頭から離れなかった。一人じゃ無理だと分かっていたからな。
んで、結局俺はヒメナを取った。その後、何故戻って来たのかと泣かれたよ」
レイロードの記憶にある黒龍は、あれでいて責任感は強い女だった。それが自身の所為で目的を達せられなかったとなれば、自責の念に駆られた事は想像に難くない。ただ……。
「大分時間が経っちまったが、村には向かった。せめてこの目で天末くらいは焼き付けようってな。
あー、気が重かったな、あん時ゃ。
所が、着いたてみたらビックリ。住宅への被害こそあれど、人的被害はゼロ! 農作物も少しはやられたが、致命的って程でもない。
何と、偶々シュバレ共和国騎士団が通り掛かったって話じゃねぇか」
「そして、天窮騎士マクシミリアン・エペシエルが一人で片付けたと……」
アズライトの語った話をレイロードが引き継いだ。そう、偶々ロマーニ騎士団との合同演習の帰路であったシュバレ共和国騎士団が通り掛かり、マクシミリアン・エペシエルが片付けて行ったと言う。それ故に記憶に残っていたのだ。
その後、天窮騎士に救われた村として、それだけで観光地になったと聞く。天窮騎士が護った、それだけで価値が付く。天窮騎士とはそう言う者だと知った。ただ……。
「そーそー。ま、結果論だが、俺は必要じゃーなかった。もしそん時、俺がヒメナを助けに戻らなきゃ、アイツは無駄死にだった訳だ。そう考えたら背筋が凍ったよ。
そしたらもう、正義の味方はやっていられなくなっちまった。
それから俺は、俺と、ヒメナのために生きようと思った……んでまぁ、今の状態って訳だわ」
グラスを空けながら、アズライトが照れくさそうに笑う。グラスで音を立てる氷は祝福の鐘のようだ。ただ……。
「何だクソつまらん、ただの惚気かッ」
そう、それは統括すればアズライトと黒龍の馴れ初め話であり、詰まる所単なる惚気話であった。未だ独身貴族のレイロードからすれば煩わしい事この上ない。吐き出す声も普段より低くなって然りである。
「だー、うっせー! ナロニー捕まえられなかったお前がわりーんだよ!」
「ほざけ、アレとは元々何もないわッ」
何ともなアズライトの言い草に、レイロードは悲しい事実を唸りながら憧憬の己顕法でグラスとボトルを引っこ抜く。
「ちょっ、意外と力あんなそれ!」
手からもぎ取られ宙に浮くグラスとボトルにアズライトが手を伸ばし、フォルが元気よく尻尾を振ると低く響く吠え声を上げる。
「だー! 置け! フォル! 静かにー! だー! ならば必殺、位相波ガン!」
目を輝かせ尻尾を振るフォルに、アズライトがテーブルに置いてあった小型の拡声器らしき物を向ける。すると、突如として響いていた吠え声が室内から掻き消える。フォルが未だに元気よく尻尾を振って口を開閉している所を見る限り、一生懸命吠えているのであろう。
「どうよ? この威力」
「ほぅ、面妖な……」
その様にアズライトが腰に手をやり勝ち誇った笑みを上げ、レイロードは興味深げに眉間を寄せた。尚、グラスとボトルは絶賛宙を漂い続けている。そして……。
「いい歳した大人が、何やってるんですか……」
四肢を露出させた戦闘服姿の桜花が、空中のグラスとボトルを掴み、定番の半目でその宴を見つめていた。
しかし、アルコールと言う促進剤を投与された男二人は止まらない。
「ははっ、一つ良い事を教えといてやるぜ?
いい歳してるからって……いい大人とは限らないんだぜぇ!?」
「ほぅ、至言だな……」
どうしようもない事を口走ったアズライトが見事なキレのサムズアップを決め、感嘆の声を上げたレイロードは顎に手を当て仕切りに頷いている。足元では相手にしてもらえなかったフォルが、哀しげに耳と顔を下げていた。
「何て駄目な大人達なんだ……」
そんな桜花の呟きを、誰が否定出来ようか。
「はい、桜花ちゃんアウトー」
駄目な大人の位相波ガンが、グラスとボトルをテーブルへと置いた桜花に向けられ、その口から漏れているであろう声を封じる。
陸に上がった魚のように口を開閉させ、身振り手振りで文句を伝えんとする桜花を眺めながら、レイロードはアズライトに尋ねた。
「あの状態からはどうやっても声は聞こえんのか?」
「あー? あれだ、顔くっつけてー、あー? あ、骨伝導なら聞こえんぞ?」
酔っぱらい特有の上気した、だらしない笑顔でアズライトが答え、ほう、と呟いたレイロードは、ノソリと桜花に近づいた。体を引き警戒体制を取る桜花を気にも留めず、その肩を引き寄せ頬と頬をくっつける。
『むっ!、ちょ、お酒臭いですよ! 寄らないで下さい!』
『ほう、確かに聞こえるな』
『だったら! 早く! 離、して、下、さい!』
ややくぐもった音声が体に響くように伝わってくる。だからどうしたと言った感じだが、酔っぱらいの思考にそんな事は関係無かった。
ヘラヘラとアズライトが笑い、桜花がレイロードの腕を引き剥がそうと四苦八苦する中、それを止めたのは、何処からともなく飛んできたクションだった。
間の抜けた柔らかい音を立て、クッションはレイロードの頭に直撃する。
「全く! 何をしているのよ貴方達は……」
投擲された軌跡を辿れば、そこには呆れ顔で腕を組む黒龍の姿があった。
「何を……? 何だったか?」
「あー、何だったっけ?」
焦点の定まらない真鍮の瞳を泳がせレイロードは思い悩む。そして、アズライトも天井を見上げ何やら思い悩んでいる。
そんな酔っぱらい二人を、黒龍が一喝した。
「寝、な、さい!」
黒龍がアズライトの背中を押して、寝室に運んで行くのを見送っていると、面倒臭気な桜花の声が耳に届く。
「は~もう、レイロード、聞いていないかもしれませんが、少し出て来ます。2時間程で帰って来ますから」
「ん? あぁ、車に気を付けろよ」
少し乱れたマフラーを直す桜花に、レイロードは気の抜けた返事で応えた。
リビングを去り際に鼻息を鳴らしながら寄越した桜花の半目が、残念なモノを見る目をしていた気がするのは、きっと気のせいだ。
「寝るか……」
言うが早いか、レイロードはソファーに向けてその身を投げ出した。部屋まで戻るのも面倒であったし、ここなら桜花も気が付くだろう、と言う思考も、なくはなかった。
ふと、脇腹に違和感を覚え、レイロードは微睡みから目を開いた。丁度桜花の蹴りが2度決まった箇所だ。昨日の時点では、人間の肌の色とは完全に別物になる程、周囲がゴッソリと変色していた。薬は使ったが即座に治る訳でもない。考えてみれば今夜は酒を呑んで薬も忘れた。問題になる程ではないが少々迂闊だった。
短く呻いて体を起こす。全身から軋んだ音がした。
「おや、起こしてしましましたか?」
「いや。何かあったか?」
ソファー付近から聞こえた桜花の声へ簡潔に答える。フォルを撫でているのは目が覚めた時に象圏で捉えていた。驚きはしない。
ただ……寝転んだフォルの背中側から手を伸ばしベッタリと密着している。長い黒髪がフォルの白い被毛の上に被さり新手のクリーチャーたる様相を醸し出しているのは如何なものか。今宵の醜態を思えば強く言う事など出来ないが、少々鬱陶しい。
「いえ、特に何も。全く何もありませんでした」
「そう、か……」
今回も空振りと言う事か。つくづく運に見放されているらしい。
「教皇庁も平常通り。"教皇猊下が襲撃された事すら誰も知らず"、故に何もありませんでした」
「……何?」
桜花からもたらされた不可解な事実にレイロードは眉根を寄せる。少なくとも、国の、そして宗教組織トップへの襲撃となれば上役が知らない筈はない。
「まさか、治癒関連の己顕法でも持っていたと言うのか?」
「その可能性は高いかもしれません。起源が破滅と妄執であった事で油断していました」
顎に手をやり難しい顔をするレイロードに、フォルから離れた桜花も神妙な顔で追従した。治癒関連の己顕法など早々聞きはしない。桜花の瞳並、それ以上に希少ではないだろうか。
しかしそうなると、教皇自身、襲撃が聖導教会に知られるのは得策ではないと言う事になる。つまりは……。
「単独犯が濃厚か……いや、リーネアレガーレの一部とは結託している、のか?」
「今の所それが妥当な線でしょうね。唆したにしては材料もありませんし」
「まぁいい。リーネア・レガーレには、アズライトから探りを入れられるか聞いておく」
分かりましたと桜花が返し、レイロードは軽く手を上げて応えた。どの道アズライトは夢の中だろう。明日になってしまうのは仕方がない。
問題はリミットが大幅に短縮された可能性がある事。余り悠長な時間はないかもしれない。動機も不明なままだ。聖導教会とは無縁で、リーネアレガーレとは関係があり、世界を恨む理由。そんな物は分かりようがなかった。そもそも、この前提条件が合っているのかも怪しい。
ならば……。
「寝るか……」
「まぁ、そうですね……。
はっ!? わ、私と寝る、とか言う意味じゃないですよね!?」
自身の体を抱き抱え後退る桜花に、レイロードは冷笑を浮かべ鼻で笑った。しかし、
「ふふっ、レイロード、それで勝ったつもりですか? 何時もの事ですから、全く堪えませんね」
そこには、とても残念な内容を口にしながら、勝ち誇った笑みを浮かべる桜花が居た。レイロードは沈痛な面持ちでその姿を見つめ、PDを取り出しながら自身の部屋へと足を向ける。
途中、PDに映るコルソ・シレナE.C.U.S.T.A.D.のインフォメーションで、気になる内容を見つけ眉を顰めた。
「ヨアケオオカミの保護? ここらに居たか? 国境付近で二日前から目撃……?」
ドアを開けながら、疑問に思った内容が口を衝いて出た。アルコールの抜け切らない頭で記憶を辿るが、最寄りではフォンティアナ西部の遺跡群ディメンティカトイオ周辺くらいだ。それとも、そこで何かあったのだろうか? 二日前と言えば、桜花と遭遇した前日だ。何か関係があるのだろうか?
ナロニーに確認のメールを出しながら、レイロードはベッドの中へと倒れ込んだ。