4. 夜に馳せる-2
桜花と黒龍がキッチンで夕食の準備を準備している間、レイロードは充てがわれた部屋へ荷物を運び込んだ。客室が丁度二つであったのは、恐らく何時かレイロードとナロニーを迎える事を願ってなのだろう。そう思うと頬が緩んだ。初めて訪れた筈であるのに、帰って来たと感じるようで。
部屋へ荷物を運んだ際に鎧も外しておく。PDから即座に外せるために手間もない。今日はこのまま厄介になるならば流石に不要だろうと。
今、食卓に就く姿はTシャツとズボンだけのラフな格好だ。とは言え、鍛え抜かれた肉体が単なる一般人とは思わせない。桜花もマフラーと胸当てを外していたが、露出が増えた所為でか普通の装いとは言い難い。特に誰も気にしていないようだが。フォルは興味が無いのか部屋の隅でンフーと鼻息を吐いて寝そべっている。
食卓には既に料理が並べられ、各々が手を付けていた。
白身魚のトマトあえムニエル、鶏肉のオリーブ煮込み、ブイヤベースに海鮮リゾット。そして何故か味噌汁が添えてある。アレスでは見た事はあったが、エレニアナでも売っているのだろうか。そもそも、何故スープ類を二つも用意したのか分からないが。
何にせよ、絶品、とまでは行かないが、どれも非常に美味である。苦手な物は特にないと言い切るだけの腕はあるようだ。
「成る程、美味いな」
態々声に出すつもりもなかったのだが、レイロードは知らずと呟いていた。
「あら、確かに美味しいわね」
「おう、そーだな。なんつーか、割りと良いレストランで食べてる感じかね?」
黒龍とアズライトも賛同し、子供達も夢中になっている。
「ふふっ、まぁ当然ですね。何せこの私が作ったのですから」
皆の反応に桜花はご満悦の様子だ。またも、それなりに慎ましい胸元にそっと指を乗せている。
「でもねぇ、何だか家で食べてる感じはしないわよね」
そんな余韻に浸る桜花に、水を掛けるが如き呟きが黒龍から漏れた。レイロードにも聞き取れる程度の声量、それは当然桜花に届いていたのであろう。眉尻を下げ、目に見えて落ち込んでいる。
「ハッ、負け惜しみにしか聞こえんな」
レイロードはその呟きを鼻で笑い口角を釣り上げる。昔は数日間、野外で活動する事も多く、食事当番は持ち回りだった。黒龍の料理は可も無く不可も無く、と言った感じであり、10年経ったとは言え桜花の料理より美味いだろうとは思えなかった。
「ハッ、貴方が何を知った口を利くのかしらねぇ?」
黒龍も負けじと口角を釣り上げ威嚇の構え。その様子に子供達も萎縮してしまい、和やかだった食卓を剣呑な空気が包んで行く。
「だぁー! はい、終了! この話ここで終了! だーいじょうぶだって桜花ちゃん。いや、ホント美味いからさ」
その空気を打破したのはアズライトだった。屈託ない笑顔を桜花に向け励まさんとしている。昔はそれが妙に空虚だったのだが、今はそんな事はない。やはり時の流れと変化を、レイロードにしみじみと感じさせた。
「ふぅ、そうね、御免なさい。思慮が足りなかったわ」
「ああ、いえ、構いませんよ。何故かよく言われるので。何だか私こそ子供みたいでしたね」
黒龍も素直に頭を下げ、桜花が少し翳りを湛えた笑顔で返す。初めて桜花を目にした時の貌を、レイロードはそこに見ていた。ただ、それは今この場では不要な筈だ。そう思えばレイロードは口を開いていた。
「別に構わんだろ。子供でいられる時は子供でいて」
「……そう、ですね。そうかもしれません……では、レイロード、お茶淹れて下さい」
一息付くと、しおらしい態度から一転し、桜花がふてぶてしくカップを差し出してくる。早速実践に取り掛かったと言う事か。
「ハッ、全く……」
厳しい表情で笑うと言う中々に器用な態度で答え、ティーポッドから紅茶を注ぐ。その様子に動いた人物が二人。
「あ、んじゃ俺も」
「では、私もお願いしようかしら」
アズライトと、黒龍がカップを差し出していた。
「りーなもー!」
「……ぼく、も……」
そして、それに釣られたのか、コルナリーナが元気よく、オニキスが少し俯いてカップを差し出していた。駄目な大人達は兎も角、子供達を無碍なく払うのは流石に気が引ける。大きく溜息を吐くと、レイロードは4人のカップに紅茶を注いでいった。
「おやおや、レイロード、モテモテですね」
その様子を桜花が柔らかに目を細め、カップを片手に黒髪を梳き流し、無駄に優雅な所作で眺めている。先程のしおらしさは何処へ行ったのかと思ったが、まぁ、これはこれで、きっと良かったのだろうと、レイロードは無理矢理に自身を納得させた。
紅茶を注ぎ終わったレイロードはそう言えばと思い出す。食事当番の順はナロニーの次にレイロードであった筈と。ナロニーが居ない代わりに桜花が居るのであれば次はレイロードだ。
「良いだろう、明日の朝食は俺が作ろう」
なればとレイロードは意気揚々と宣言する。昔を振り返るのも、それはそれで乙なものだ。
「や、お前は良いわ。お前のは料理じゃねー、調理でもねー」
「絶対にしないでちょうだい。貴方のは単なる加工でしょ」
だが、その宣言は、死んだ魚の目をする嘗ての戦友二人に素気無く斬り落とされた。
「あなた、何をしたんですか……」
断固拒否を貫く二人の亡者の如き視線を受けて、相も変わらず桜花が冷たい視線を投げ掛けてくる。焼いただけである。調味料なしで。とは流石に言えず、レイロードは視線を逸らして口を噤んだ。
レイロードとて昔とは違う。今であれば必ず唸らせる物が作れる。無論いい意味でだ。
だと言うのに、レイロードの発言をなかった事にして、再び和やか雰囲気を取り戻した食卓にアズライトの安堵の声が響いた。
「あーどうかなるかと思ったぜ。こう思うとナロニーは大変だったんだなー」
「そうねぇ、あの人、今何処に居るのかしらね……」
憮然とするレイロードの事は気にも止めず、感慨深気に嘗ての戦友を思うアズライトに黒龍も頷いていた。
そんな二人の様子にレイロードと桜花は顔を見合わせる。隣の国に居るんだがな、と。とは言え、一度音信不通となった人間一人を探し出すのは至難の業だ。隣国とは言え300キロ近く離れている。偶然に会う事も早々無いだろう。当時名乗っていた名前とは違うのであれば検索も難しい。
何度目になるか分からない溜息を一つ吐き、レイロードはPDから目的のアドレスを呼び出す。色褪せない青春の思い出に浸る夫婦を横目にPDを耳へと運ぶ。数度のコール音が鳴った後、通信が繋がった。
「レイロードだ。今、替わる」
PDに向かいそれだけ告げると、レイロードはアズライトに向かってPDを放り投げた。弧を描いて宙を舞うPDから、何やら騒がしい声が響いている。
「え? おい、ちょっ!」
慌てながらも正確な動作でアズライトがPDを受取り、位置が定まったPDから明確に声が聞き取れた。
『ちょ~と!? 何、何なの!? お~い、レダく~ん!? ひ~めちゃ~ん!? お~い誰か~!』
突如降って湧いた懐かしいであろうその声にアズライトと黒龍の目が見開かれ、そのまま二人は1周間ぶりの食事に有り付く狼が如くPDに向かって齧り付いた。
「おい! ナロニー! ナロニーなのか? 俺だ! アズライトだ!」
「何? 本当にナロニーなの? だったら分かるでしょう?」
アズライトは兎も角、黒龍は何のかと、レイロードと桜花が苦笑する中、PDの向こう側から声が届く。絶叫にも似た喜色を表す叫び声が。
『え~~~~~!? あ、アズくん!? 黒龍もいるの!? え~~~~~!? 何それ!?』
「うはっはっはっはっぁ! ホントにナロニーかよ! ひっさしぶりじゃねーか!」
「何よ、貴女、今何処に居るの?」
突如としてPDに向かい叫びだした両親に、子供達が不思議そうな眼差しを送っている。今日嵌められた分のささやかな意趣返しとしては可愛いものだろう。目の前とPDの向こう側で騒ぐ3人の戦友に、レイロードは穏やかに苦笑した。そして気付く。
「おい何だ。何故そんな目で見る」
桜花が半目で生暖かい視線を送ってきている事を。
「いえ、何だか子供っぽいな~と思っただけですよ。別にあなたも子供になる必要はないんじゃないですかね~」
「ハッ、旧交を温めるに大人も子供もなかろうが」
暫し生暖かい視線を向けていた桜花の表情が崩れ、柔らかさを湛えた微笑みが向けられる。
「ふふっ、まぁそうですね。あなた達がどのような関係だったかは知りませんが、アレを見る限り、きっと良い関係だったんでしょうね。
願わくば私も、何時か時が過ぎた彼岸の先で、そうありたいものです」
「そう、だな。そうであれば僥倖か」
桜花が見せた眺望の眼差し。誰かとは言わなかったその言葉に、レイロードもまた、誰かとは言わずに静かに呟いた。