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カテゴリーエラー  作者: あごひげいぬ
1章 王と名もなき小人
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3. 黒と青-5

 ビルの左手側から回り込み、死角を保ったまま相手へと向かう。コンクリートと窓ガラスが凄まじい勢いで後方に流れて行く。桜花の足で目標までは凡そ8秒。

 本来、己顕士(リゼナー)は閉所や屋内での戦闘機動を苦手とする。最大速度に建築物が保たず、必然的に速度を落とさざるを得ないからだ。しかし、桜花は歪曲空間を足場に出来るため、速度を落とす必要がない。


「先に行きますよ」


 風が靡き、髪とマフラーを激しく掻き乱して行く。レイロードの舌打ちを置き去り、高度を上げつつビルの切れ間から飛び出す。その僅かな瞬間で目標地点に居る人影を捉えた。まだこちらに気付いてはいないようだ。

 有る筈のない足場を蹴り抜き直角に曲がると、再びビルとビルの間を縫って駆ける。その間に後ろ腰に佩いた刀を抜き、両手で構える。

 目標ビルの後部、5メートル程高いビルの屋上へと一息に跳ぶ。そこからはっきりとその人物、その背中を認識する。無造作に切られたグレーの頭髪、夏場に関わらず着込まれた黒いショートコートとベージュのグローブ。装備からして男性の己顕士(リゼナー)だ。マルチスコープを覗き込んだその姿には得物は見えず、その代わり右腰に巨大でメカニカルな十字架が見て取れる。

 彼我の差、20メートル。早々象圏で捉えられる距離ではない。行ける、一直線に対象へ突撃。唐竹に振り下ろさんとした瞬間、男が振り向きながら十字架の下側、二又に分かれたそれを、捻りつつ叩き上げた。


「ッ!? マジかよ!? 速過ぎっだろ!?」


 桜花は瞬時に挟まれ捻られた自らの刃を軽く回して抜き出すと、遊びの生まれた男の右腕を切り上げる。


「ふざッ!」


 男がその一撃を十字架で逸らしながら後方へ跳ぶ。2度目、マグレではない。相応、いや、最上位の使い手だ。

 半月を描く桜花の黒い瞳と、男の少しタレ目気味な灰色の瞳が絡み合う。軽薄そうだが十分にハンサムと言って良い顔立ちだ。それにしても大きい。桜花とて小柄な訳ではないのだが、頭一つは差があるだろうか。

 尤も、見た目はそれ程の問題ではない。その内を視る。カメラのピントが合うように、徐々に水面が視え始める。何処までも広がる凪いだ夜の水面。その中心から静かに二つの波紋が広がって行く。

 もう直に全貌が識れるかと言う時に、絡み合った糸を引き千切るように男の左腕が動いた。霞んだ腕は、その一瞬で懐から銀色の物体を取り出し握り込んでいる。何の事はない。銃、分類としてはハンドガンだ。但し、己顕士(リゼナー)が銃を使う事は極めて稀だ。それを抜くと言う事は飾りではない筈と、起源の観測を一旦留める。


「けんなッ!」


 3発、見事な精度と速度で弾丸が撃ち出され、同時に男は跳躍した。桜花はそれを捌きながら突き抜けようとし、寸前で身を躱した。青い閃光が肩先を駆け抜け、乾いた発砲音が遅れて耳に届く。


「また器用な……」


 先の攻撃を見て桜花は素直に感嘆した。己顕(ロゼナ)を物体に纏わせる、デュラビスコートと言う技法だ。天窮騎士(アージェンタル)"剣聖"イル・バーンシュタインの象徴としてよく知られている。本来は剣に纏わせるそれを、弾丸に行い撃ち出して来たのだ。


「残念ですが」


 屋上を蹴り隣のビルへと逃げ込んだ男に対し、桜花は姿を大気に溶け込ませる。自己の否定と存在の認識を抹消する事から生まれた、桜花の歪みの一端を顕す己顕法(オータル)。視覚と象圏と気配を断つ隠形を以って男の背へと回り込む。


「バケモンがッ!」


 朧気な意識の中で、私などまだまだ足りない、とその言葉を嘲笑い刀を振り下ろす――事は能わず。地を蹴って距離を取った眼前を、アズライトブルーの閃光が斬り裂いていた。

 己顕法(オータル)を解除し姿を表すと、それに伴い急速に桜花の意識が引き戻される。

 閃光は男が右手に持った巨大な十字架から伸びていていた。軽く1メートルを超える己顕(ロゼナ)の刃。身幅は広く、何処までもその刃は薄い。レイロードのアウトスパーダ並か、それ以上に斬れるだろう。

 それを見れば、男が手にしていた物が、十字架ではなかった事が嫌でも分かる。実際には剣だ。柄は数枚のフィンが束ねられた物。その鍔を更に金色のリングが繋いでいる。柄の先端から伸びた金色の二重螺旋が、数枚のフィンを束ねた十字架を保持している。


「アーティファクト、いえ、イレギュラーナンバーですかね?」

「で? だったらどうすんだい?」


 桜花の口から出た言葉に、男がニヤついた笑みを浮かべる。やはり、イレギュラーナンバー。だが、その実余裕はないようだ。如何にして窮地を脱するかを画策しているのが識れる。

  マナサーキット内蔵型兵装、即ちアーティファクト。そして、素粒子の世界にまで足を踏み入れんとする現代科学を以ってして尚、解析不明のオーパーツ郡、イレギュラーナンバー。

 アルト・ダルジェントの"シルヴィア・テスタロッサ"、歴代剣聖の"ゾンネ・フォン・オブシビアン"、マクシミリアン・エペシエルの"エアール・デ・テッラ"、持ち込んではいないが、桜花の"天ノ空断ち(あめのからたち)"も、こちらではイレギュラーナンバーになるだろう。どれも貴重な品だ。桜花が男の問に答えるならば、それは非常に単純なもの。


「いえ、壊してしまうのも勿体ないかと。大人しく斬られてくれませんか? 手加減は苦手なんですよ」

「ははっ、言ってろ」


 軽く吐息を漏らす桜花に、男が軽薄そうな笑みを浮かべて応えた。交渉決裂、なれば仕方がないだろう。全力で拳を振るわば辺り一帯を廃墟にしかねないため、刀頼りになるが問題はなさそうだ。


「俺には家族が居るんで、ねっ!」


 男が一気呵成に叫び、右手を大きく引いて踏み込んで来る。その衝撃でコンクリトートをひび割れさせながら、左薙ぎの一撃。しかし、これはフェイント。本命は左手のハンドガン。桜花の瞳は克明にそれを教えてくれる。男の胸元で銀のリングが揺れていた。


「私にも居ますよ」


 軽く口にし、地を蹴り青の刃を掌で叩き、錐揉み回転しつつ刀でハンドガンを斬り上げる。念のため歪曲空間は展開しておく。しかし、片手で振るった分初動が遅れた。男に合わせられ、相手の左腕を跳ね上げたものの、ハンドガンのフレームを浅く削っただけで終わる。特に気にせず、回転の勢いのまま男の右肩から斬り落とさんと刀を打ち下ろす。


「クソがッ! ニンジャかよ!」


 男の悲痛な叫びに、またそれかと呆れるも、男が手首も返さず引っ掛けるように光剣を戻すのが見え、宙を蹴り頭上へ跳ぶ。


「……ふむ」


 "仕方がない"ので、ハンドガンの無力化に意識を向ける。撃ち出された弾丸をジグザグに下降しながら避け、一息に接地。両手で握り込んだ刀を左に引き込みながら右足を滑らせる。

 余りにも大きく晒した隙に、男が困惑しているが、突きつけられた銃口には、振り上げられた光剣には、ブレも戸惑いも感じられない。


「チッ!」


 舌打ち一つ男が鳴らす。その舌打ちが、相手の思惑を見抜けない事から来た事を、桜花の瞳が告げていた。

 男が斬り込まんと動いた瞬間、見計らったように、いや、確実に見計らって"何か"が日の光に踊る。険しく顔を歪めた男の斬撃は止まらない。それを無視して桜花はハンドガンへと斬り上げる。

 激しくも涼やかな金属音を鳴り響かせ、桜花の刀がハンドガンの銃身を斬り飛ばした。がら空きになった桜花の左脇へ、体を崩され若干速さを失いつつも光剣が迫る。その軌道に、真鍮色の羽刃が6振り、風を切って舞い踊り、その刃を完全に止めていた。

 斬り落とされた銃身がコンクリートの大地に散りばめられ、甲高い音を虚しく響かせる。


「マジかよ……」


 絶望的な隙を晒す事になった男が呆然と、それでいて皮肉げな笑みを浮かべて呟いた。桜花の頭上左手には、はためく夜色のマント、大きく広げられた真鍮の片翼、そして、今にも抜刀せんと構えるレイロード・ピースメイカーの姿が存在した。

 眼前の男は全く諦めてなどいない。しかし、あの男の剣速なら問題なく男の腕くらい落とせるだろう。美味しい所を持っていかれるのは少々面白くないが仕方ない。連携の精度はハッキリ言って怪しかったが、一合程度とは言え上々だろう。今一度、客観的にあの夢想剣を見れるのかと思えば、少々心が踊るのも仕方ない。あれは、実に美しかった。

 桜花はその様子を見つめ……レイロードが何事も無く着地するのを見届けた。


 暫しの沈黙の後、桜花とレイロードが発した声は、先の連携が嘘であるかのように見事に重なった。


「あの……斬って下さいよ……」

「おい……何故斬らない……」


 奇しくも、二人の問い掛けは同質のものだった。黒真珠の瞳と真鍮の瞳がゆっくりと視線を交わす。


「あなたの剣速なら斬れたでしょうが」

「お前の剣速なら斬れただろうが」


 次いで発せれた言葉も見事に重なり、そして見事に同じ内容だった。


「あなたにはアウトスパーダもあったでしょう」

「お前が行けば邪魔になるだろうが。自戒した」

「いえ、そこは羽ばたきましょうよ……」

「ハッ、付け焼き刃ですらない連携など、害悪にしかならんと言う事か……」


 目を逸らし、再びの沈黙が辺りを包む中、今が好機とばかりに男が動かんとする。が、振り向いた二人の視線に、軽薄そうな笑みを浮かべて硬直した。ただ、何故かレイロードも目を見開いて硬直していたが。


「つーかよ、天窮騎士(アージェンタル)の刃ってのは、善良なイクスタッドを斬るためにあんのかい? なぁ?」


 ヘラヘラとした声とは裏腹に、何時でも隙を見つけ出さんと伺う意思を、桜花はその瞳に写し取る。腕は立つ。胆力もある。冷静さも兼ねている。良い己顕士(リゼナー)である事は間違いない。そして、E.C.U.S.T.A.D.である事も事実のようだ。

 しかし、そんな事はどうでも良さげに、桜花の隣で肩を落とす者が一人。


「アズライト、お前もか……」


 歴史の教科書に載っていそうな言葉で一言嘆き、掌で顔を覆ったレイロードが、天を仰いだ。

 三度の沈黙の後、レイロードにアズライトと呼ばれた男が破顔一笑して声を上げた。


「おま、お前! レイロードか!? ……ぶっ、アッハハハハ! そーかよ! マジでお前かよ! 天窮騎士(アージェンタル)ってお前! いやーっはははは……。

 いやーそうかー生きてやがったか……そっれどころか、まーじで天窮騎士(アージェンタル)かよ……。

 てかよー、見た目殆ど別人じゃねーか。どう言う事だよ、ったく。ぱっと見全然分からなかったぜ?」


 アズライトは一頻り笑った後、糸が切れたようにその場にへたり込んだ。天窮騎士(アージェンタル)クラス二人を相手にしながら、それで済むのは最早異常と言っても過言ではない。流石にレイロードの故知だけはあるのだろう。

 戦闘の緊張感がその場から霧散し、緩やかな日常へと戻って行く。再び蚊帳の外に放り出された桜花は、どうしていいものかとレイロードに視線を送る。そして、ゴクリと唾を飲み込むと、先ほど生まれた疑問を問い掛けた。


「も、もしかして……顔、整えちゃったんですか?」

「しとらんわ阿呆が。気が付けば今の顔だ」


 ほんの少しの勇気を奮って発した言葉は、厳しい顔つきで無常にも打ち捨てられた。どうでも良いと言った感じで桜花を払い、レイロードがアズライトに向かう。


「所でお前、俺を監視していたのか? それともとこいつか?」

「おいおい、バーカ言うな。依頼の内容は流石に漏らせねーよ。昔の相棒でもな」


 ぞんざいな仕草で桜花を指さすレイロードに対し怜悧な瞳で答える姿は、成る程一角の己顕士(リゼナー)だ、と思わせるものだった。


「ハッ、だろうな」


 それに対し、レイロードが口角を上げ、男も不遜な笑みで答える。たが、二人の間に剣呑な雰囲気は感じられない。少なくとも、桜花が並べる隙間は見つからなかった。ただ……。


「両方、みたいですね」


 無理矢理入る事は可能だ。レイロードが質問を区切って言ったのはこれを狙っての事だろう。


「俺もか? どう言う事だ?」


 桜花の言を完全に事実だと捉えたレイロードが眉根を寄せて訝しがる。一方で、その様子を見たアズライトが慌てふためき頬を引き攣らせた。


「ちょっ! 待て! 仕事なくなったらどーしてくれんだだよ! どーなってんだよ、そこの嬢ちゃん……。

 ……あー、お前暇か? 再会を祝してウチで一杯やんねーか?」


 顔を伏せ落胆の様相を呈し嘆くアズライトだったが、直ぐ様イタズラっぽく口角を釣り上げレイロードを誘う。詰まりはそう言う事だろう。然しながら先約もある。どうしようかとレイロードを見やれば、


「ああ、問題ない。少し待て。メールを送る」


 嬉々として先約を反故にしていた。

 いい歳した、しかも相応の責任ある立場の大人がそれで良いのかと、半目で呆れた視線を送ってしまう。


「ん? 何だ? 手掛かりになりそうな事が出来たんだ。仕方がない。おい止めろ。そんな目で見るな」


 妙にハツラツと返すレイロードに、桜花は返す言葉もない。ねっとりと半目で冷たい視線を送るだけだ。

 しかし、レイロードの故知であるならば、アズライトと黒龍も故知かもしれない。ただ、それは彼らの問題であり、自身が言及する事でもないだろうと、桜花は口を噤んだ。


「速いな……と、別件か」


 冷たい視線を送り続けるも、直ぐに順応したレイロードがPDを覗き込み眉をひそめた。その様子を怪訝に思い桜花は姿勢を正す。


「どうしました?」

「ん? いや、昨日の件だが……教皇庁からは当該内容は感知していない、との事だ……」

「え? まさか、単独で?」

「分からん」


 二人の釈然としない表情は、アズライトに向けられていた。少なくとも、主犯たる教皇との直接的な繋がりがないのであれば、監視の依頼はエレニアナの全E.C.U.S.T.A.D.に公開されている筈なのだ。


「教皇庁? お前ら、あそこと何か関わりあんのか?」


 思案顔で届けられたアズライトの声に、二人は困惑を滲ませる。


「え? 何を……」

「お前、一体どこ……」

「だー! はいはい! 兎に角こっから降りようぜ」


 桜花の漏れた声とレイロードの問いを、アズライトが強引に打ち止める。その指先を遥か階下へと向け、軽薄そうな笑みと供に尚も続ける。


「ま、積もり積もった話は我が家でな。あいつと子供達も戻ってねーだろうし」

「子供達……お前、結婚していたのか……」


 アズライトの言葉に、レイロードがまたも大きく目を見開き、ついさっき聞いたような台詞を吐いている。


「あー、お前とは連絡付かなかったからな。ま、そんな感じだわ」


 はにかむアズライトに対し、レイロードが目を細め、感慨深気に腕を組んで呟いた。


「まさか、お前の妻になってくれるような女が居るとはな……」

「よし、テメェ、ちょっとそこに座れや」


 余りにも余りな物言いに、アズライトが大気を震わせる程にドスを利かせた声を響かせる。レイロードのアズライトに向ける人物評が透けて見えた気がした。


「あの、降りましょうよ……」


 微妙にうるさいビルの屋上で、肩を落とした桜花の声が虚しく木霊した。

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