3. 黒と青-2
「ふっ、ふふふふふふっ……そう、何処の誰だか知らないけれど、知っているのね……その名を……・ならば話は早いわぁ」
手を腰と口元に運び、クツクツと陰惨な笑みを浮かべる女を前に、レイロードと桜花は固まっていた。特に桜花が。
何せ目の前に居るのは、30歳前後と思わしき、ゴシックロリータファッションに身を包んだ180センチ近くありそうな女だ。ヒールを抜いても170はあるだろうか。
そこにレイロードは故知の面影を見出し、ついその名を呼んだ結果がこれである。隣では桜花がポカンと口を開ていた。
そんな二人を捨て置き、女は自分の世界へ埋没してしまったようだ。
「そう! 私は!」
叫び、女は一歩後方へとその身を退けた!
右足をつま先立ちに上げ、両手を天に掲げて頭上で打ち鳴らす! その数、3! そこから左足を大きく開く! スカートを両手の指先でつまみ上げ、右手を背側、左手を腹側へと捻った! そして! 更に両足を華麗に交差させつつ、右手を天へと跳ね上げ、左手を地へと投げ出す! スカートが翻り見事な円を描く中、その名を叫んだ!
「黒! 龍!」
一切の恥ずかしげも感じさせる事なく不敵に黒龍が笑う。その姿を前にして、魂が抜け落ちたような声で桜花が呟いた。視線は逸らさず直立体制で。
「大変ですレイロード、早くレスキューを」
「諦めろ、最早手遅れだ」
レイロードは軽く目頭を抑えながらそれに答えた。だが、これで確定した。間違いなくレイロードの故知たる人物、主に精神的な宿敵、黒龍だと。
「レイロード、一体何の話が早かったのでしょう?」
「言葉は不要、と言う事だろう」
変わらず視線を逸らさず直立不動のまま桜花が問い、やはり軽く目頭を抑えながらレイロードが答えた。
沈痛な面持ちの二人に対し、ポーズを解いた黒龍が爽やかな笑顔で額の汗を拭っている。
「ふぅ……スッキリしたわ。名乗りはやはりこうでなくてはね」
何がやはりか分からないその様子を、桜花が大きな瞳を更に見開き、完全に未確認生物を観察するように凝視していた。名乗りにご満悦な黒龍にこちらの声は届いていないらしい。
置物、と言うか観測機と言うか、居た堪れないその様子に、レイロードは幾分優しく声を掛ける。
「安心しろ、昔よりは幾分マシだ」
「恐ろしい話ですね。でも、ちょっとこの人の心の強さが眩しいです」
「やめておけ。その眩しさはやがて身を焼くぞ」
淡々と、努めて真面目な表情で実にどうでも良い会話を繰り出す二人に、口元に軽く手を添えて黒龍が悠々と迫り来る。
「ふっ、月が太陽に焦がれてしまうのは、何時の世とて変わりはしないのよ。まぁ、そんな事はどうでもいいわ。で、ご用件は何かしら? "アージェンタァ~ル"」
不遜な微笑みを崩さないその双眸に宿るアメジストの瞳がレイロードに向けられた。天窮騎士、という言葉に載せられた、悪意とも、嘲笑とも、哀れみとも取れる感情にレイロードの眉が僅かに釣り上がる。
――愚弄するかッ!――
「レイロード? どうしました?」
普段では口にしないだろう言葉が吐き出されそうになる。それを留めたのは、小首を傾げた桜花の不思議そうに尋ねる声だった。
レイロードは一呼吸入れ自身を諌める。口喧嘩をしに来た訳ではない。話を聞くために来たのだ。過去の遺恨は必要ないと。
「すまない。イクスタッドから連絡が行っている通り、とある事件に於ける瞳術、若しくは魔眼と呼ばれる物の信憑性を証明出来るかが知りたい。可能か?」
レイロードは桜花の頭に手を乗せようとし、昨日の事が思い出され一瞬躊躇した。虚空を彷徨ったその手は結局、やや低い位置にあった桜花の肩へと落とされ、ブルータルフィンガーの悲劇は回避された。
可能な限り友好的にレイロードは振る舞ったつもりであったが、腕組みをし斜に構えた黒龍から放ったれた言葉は、とても友好的とは言えない物だった。
「ふ~ん、そう。でもね、だったらその空虚で不快なモノを、今直ぐ引っ込めて貰えないかしら? あー、じぇん、たぁ~る?」
再び天窮騎士に込められた悪感情に、レイロードが一歩踏み出そうとした所で、横から桜花が肘で軽く小突いて来る。そこに顔を向ければ、桜花の半目が、ほらまた殺気のせいで面倒になっているじゃないですか、と告げていた。
自身に呆れながらも再び自戒する。黒龍に目を向け、やはりこの女とは相性が悪いな、と思いつつも口を開いた。
「殺気は勝手に出ているだけだ、気にするな。それと、天窮騎士はやめろ。昔通り、ピースメイカーでいい」
「ハッ、何を……」
言い訳にもならないレイロードの言葉を鼻で笑い、何かを言い掛けた黒龍が途中で詰まり眉を顰めた。その眉を一瞬更に顰め、目を細めた黒龍の顔が氷解すると、今度は徐々に困惑へと彩られて行く。
「えっ……? 何? 貴方、ピースメイカーなの? 本当に? あのキリングドール? だって、顔つきも全然……瞳の色からして違うじゃ……そう、アウトスパーダ……そうなのね? それは己顕の色なのね……真鍮色のアウトスパーダ……」
合点が行ったと、黒龍の眼が見開かれたかと思えば、その口からは端を切って盛大な笑い声が溢れだしていた。そして、肩を揺らしながら窓側へと歩いて行く。
「アッハハハハハハッ! あの!? ピースメイカーが!? アージェンタルゥ!? アッハハハハハハッ! 何よそれ! アッハハハハハハっあぁ~可笑しい……」
黒龍の嘲笑の矛先は、誰が聞こうがレイロードへと思われるだろう。事実、本質を識る瞳を持つ筈の桜花がその表情を険しいものにさせていた。自身を討ち負かしたレイロード・ピースメイカーと言う存在が天窮騎士に能わない、と取れる言い草に我慢出来なかったのだろう。立場が逆であれば、レイロードとて同じ感情を抱いた筈だ。だが、レイロードはそれを苦笑しながら片手で制した。
レイロードを見つめる桜花の瞳は、何故? と言う困惑がありありと見て取れた。が、ヨロヨロと机へ腰掛けた黒龍が目元の涙を拭い、続け様に吐き出した言葉に依って掻き消される。
「でも、それが分かれば不思議な物ね。さっきまで感じていた不快感が、スッと胸に落ちたわ。
あぁ~成る程、嘗ての宿敵と同じ殺気を、私が知らない赤の他人が発していたと思っていたから、郷愁を踏み躙られた気がして不快に感じたのね。
自分でも驚きだわ。こんなセンチメンタリズムが私の中に眠っているだなんてね。
あぁ、ごめんなさい、貴方には不愉快だったわよね? でも昔は、何時もこんな感じだった気がするわ、私達って……」
「別にいい。昔通り、なんだろうさ。が、まさか気付いていないとはな……」
レイロードは、相も変わらず渋面を貼りつけたまま素っ気なく吐き捨てる。
考えてみれば黒龍が呟いた通り、チームを抜けた時に比べれば顔つきは違っている。瞳の色も違えば体格も違う。大して才能があった訳でもないのだ。同姓同名の別人と思われても無理は無い。レイロード自身、殺気の実在を知らず、桜花と一戦交える事になった事を思えば、余り強くは言えない所だ。
「だって、貴方……アッハハハハハハッはぁ……ねぇ、ピースメイカー? 信じられる? 私なんて、客員とは言え、大学で教鞭を執っているのよ? この私が誰かに教えているの。しかも、結構人気があるのよ? 信じられる? 貴方が天窮騎士と言う事より、今の私の方がよっぽど場違いよね? フフフッ、貴方が変わって、私が変わって、それでも変わらない物もある。
ねぇ、それって何だか嬉しい事ね。それがどんなに下らない事だったとしても」
「ハッ、5年近く組んでいてこのザマだ。これこそが下らない」
「ええ、そうね、そうよね。そう言う事よね」
レイロードはまたも吐き捨て、一しきり笑った黒龍が大きく息をしながら背もたれに身を投げ出し、見える筈もない空へと視線を投げ出した。
ようやくまともに話が出来そうだと、この場で何度目かになる苦笑を浮かべ隣へと眼を向ける。が、そこには、眉尻を下げ気の抜けた表情で佇む桜花の姿があった。
「むぅ、波乱もなく丸く収まってしまいましたね。しかも何だかいい話っぽく」
その姿に、黒龍が苦笑しながら柔らかく声を掛ける。
「別にいい話じゃないわ、下らない話よ? ほんの少し懐かしくて、下らない話……ああ、そう言えば貴方の眼に関してだったわね。いいわ、いらっしゃいな」
「分かりそうなのか?」
「多分ね。だからよく見せてちょうだい」
「あ、はい、分かりました」
レイロードが黒龍に問い掛け、返された言葉に桜花が頷き、窓際へと歩いて行く。入り口で待つ事もないかと、レイロードも後に続く。チラチラと蔵書に目が行くが、流石に何かは分からない。取り敢えず1冊手に取ってみる。内容に関しては全く分からなかった。
部屋の雰囲気はクラシカルで中々落ち着くのが癪ではある。レイロード個人としては、もう少しモダンな雰囲気があった方が良いのだが。部屋の主と合わせれば、これで正解なのかもしれない。
「ふふっ、さぁ、よく見せて御覧なさい……あぁ、そうだったわ。ニンジャ娘、貴方、名前は?」
「え? 忍者? あの、はあ……桜花ですが……」
インテリアに気を取られていたレイロードは、桜花と黒龍の声で現実に引き戻された。忍者娘とは桜花の事であろうが、ナロニーにしろ、忍んでいない桜花の格好から忍者を導き出すのは何故なのだろうか。
レイロードが益体もない思考を走らせている内に、窓から差し込む陽光の中、机に腰掛けた黒龍が桜花の顎に手を当て、その瞳を不遜な笑みを浮かべて覗き込んでいる。
陽光に照らされているにも関わらず、二人の姿は何処か妖艶な、それでいて神秘的な雰囲気を漂わせていた。
桜花が落ち着かない様子で瞳を揺らしている。照れている、と言うよりも、苦手な物を見る感じに近い。どうやら桜花も、既に黒龍が苦手になったようだ。
「凡そ分かったわ」
そんな事など何処吹く風と、黒龍が桜花の顎から手を離す。開放されるやいなや、桜花はレイロードの背後に回り込むとマントを掴み、脇からヒョイと無駄に凛々しい表情の顔を出す。その仕草にどこか見覚えを感じたが、黒龍の声がその思考を中断させる。
「瞳孔に向かって放射状に収束する己顕光……物自体は"プリミティブ・レイ"じゃないかしら? この魔眼は人物や物事の本質を識る事が出来ると"言われている"わ」
「言われている?」
黒龍が示す見解、その部分において、"言われている"、と言う曖昧な表現に、レイロードは目にしていた書物から顔を上げた。
「そう、って、いつの間に……ちゃんと戻しておきなさいよ。
で、この瞳を持つ人間は、人の心や交わされる言葉の本質を識ってしまうため、その殆どは心を病んでしまい、結果交流を絶ってしまうとか。周囲の人間もね。その所為で碌な記述が存在していないのよ。詰まり、ネタが割れた所で信憑性は得られないと言う事ね。
それにしても、よく貴方は平然としていられるわね」
レイロードが蔵書を漁った事を目聡く発見しながら、黒龍が桜花の瞳に対する情報を提示した。その折にどうやら湧いたらしい疑問を桜花に尋ねている。
「まぁ、私は生れつきなので。人間とはそう言う生き物だと思っていますし。ですから、貴方のように裏表がない人間は寧ろ苦手ですね」
「あら、それは残念」
レイロードを盾にしながら、はっきりと切って落とす桜花に、黒龍が軽く肩を竦める。そこへ、レイロードは桜花へのフォローなのか、黒龍への追い打ちなのか分からない内容と共に先を促す。
「まぁ、動物にすら裏表はあるからな。そんな事より、何か証明する方法はないのか?」
「そんなもの、事例が少ないだけだから、適当にどんどん当てていけばいいんじゃない? 信頼足りえると思われる程にね」
少なくとも、黒龍にとっては追い打ちではなかったらしく、桜花から視線を外しレイロードに答えた。が、少し考える素振りを見せると、レイロードと桜花に視線を送った後、再び口を開く。
「でも、ねぇ……ちょっといいかしら?」
黒龍が腰掛けていた机から降り、グローブをはめると指先を擦り合わせ、空中にマナサーキットを描く。そこから炎が生み出されると桜花に尋ねた。
「これは何?」
「炎、ですね」
訝しみながら桜花が答えると、その炎を消し、再び魔術で炎を生み出す。
「じゃぁ、これは?」
「それも炎ですね」
訝しむ桜花を置き去り炎を消すと、今度は己顕法で鉛丹色の炎を生み出した。
「次はこれ」
「情熱ですね」
諦めたのか、桜花は表情に出さず淡々と答える。黒龍がその答えに頷きながら、再び己顕法で炎を生み出す。
「ふむ、ではこれは?」
「憎悪ですね」
それが誰に向けられた物かは分からなかったが、鉛丹色の炎は、嫌に黒ずんだ輝きを感じさせた。しかし、それも束の間の事。炎を消した黒龍が、腕組みをしてレイロードに向き直る。
「と、言う訳よ」
「成る程……過程は認識出来ない、のか」
「あぁ、魔術2種は、発動原理が異なるんですか」
肩を竦めながら話す黒龍に、レイロードは自身が読み取った概要を答え、桜花が追従した。
己顕法は己顕に依って象られた有り様を世界に引き出す業だ。故に、炎に見えたとしても、それは内に秘めた有り様がその形をしているだけであって、炎その物ではない。
逆に、魔術は純粋に物理現象だ。そこに炎があれば、どんな過程を辿っても炎なのだ。
「そうみたいね。だから、証明しなければならない内容に依って、結果が大きく異なるんじゃないかしら? ただ……それよりも、何故、炎に見えたかの方が問題かもね」
「どう言う事だ?」
「え、と?」
続けて投げ掛けられた黒龍の疑念に、レイロードも桜花も今度は理解が追いつかなかった。それを知ってか知らずか、顔を下げ口元に手を置くと黒龍は尚も続ける。
「本質を識れるのであれば、炎ではなく、もっと突っ込んだ表現になるのではないかしら? 燃焼だとか、酸化の化合現象だとか。いえ、もっと言えば、素粒子の世界にまで入り込んだりするのかしら……いえ、もっとその先まで……それを纏めて炎としているならば……」
ブツブツと呟く黒龍の姿を見守りながら、レイロードは書物を戻すと、未だ背から出て来ない桜花を見下ろす。
あざとい、のだろうか。確かに顔立ちは整っており、所謂美少女と言う枠に収めても良いのだろう。が、どうにも違和感が拭えず首を傾げ、その様子を上目遣いで見つめる桜花と目が合った。と、そこで気が付く。犬だ。野生の動物にも言える事だが、それらが警戒心を見せている時、こうして物陰から顔を覗かせる行為によく似ている。あの上目遣いもだ。確かにあれは可愛いものだ。それらに比べて桜花はどうか。
足りなていない。全く足りなていない。そもそも、動物の愛らしさに人間が挑もうなど、おこがましい事この上ない。
そう思うが速いか、レイロードは背後に手を回すと、桜花の襟首を掴み上げて引き剥がした。特に抵抗する事なく体を弛緩させ、眉尻を落としてしょぼくれた表情を作る桜花を、そのまま自身の手前に立たせる。と、今まで黙々と何やら考え込んでいた黒龍が、それに釣られた訳ではないだろうがフイに顔を上げた。
「人間の知識……意識に影響される?」
「おい、何だ?」
レイロードは、顔を上げても自問を繰り返す黒龍に堪りかね声を掛けるが、当の本人はそれ所ではないらしく、引き剥がされたばかりの桜花に詰め寄りその肩を両手で掴む。
「え? え?」
「ちょっといいかしら? 今から言う事の真意を見抜きなさい」
「わ、分かりました」
目を白黒させながらも、鼻息荒く迫る黒龍に気負され、コクコクと桜花が頷いている。言質を取った黒龍は、その手を離すと一歩下がり目を瞑った。
そして……はち切れんばかりにその目が見開かれると、右手を天へと掲げ、心の底からと思われる程に叫び上げる。
「私は! ジェトドラゴンの生まれ変わり! 黒! 龍!」
「おい待て」
レイロードは、その惨状にコメカミを抑え、思わず声を漏らしていた。それは黒龍と初めて会った時にもたらされた悲劇の言葉。悲劇のポーズを取らなかっただけマシではあったが、全く頭の痛い事だ。
件の龍は1体しか存在しないとされ、先日には悠々と飛行する姿を目撃している。当然死んでなどいないため、生まれ変わりもないのだが。
桜花を見やれば、目を何度か瞬かせ、更に手で擦った後また見開くと言う挙動不審な状態に陥っている。
「どうした?」
その様子を訝しがり、レイロードは声を掛けたのだが、桜花は暫く黒龍を見つめていた。かと思えば、壊れたゼンマイ仕掛けの人形よろしく、軋んだ音すら聞こえてきそうな挙動で、自称黒龍に指を向けながら顔をレイロードに向けてくる。
「だ、そうです……」
固く乾いた声で呟いた桜花の顔を見て、レイロードは困惑せざる負えなかった。今、桜花の顔には、困惑、驚愕、戸惑い、様々な感情が見て取れたが、それは黒龍に対してではないように見受けられる。恐らくは桜花自身に対しての。
桜花が浮かべる感情に気づいた時、レイロードは弾かれたように頭を黒龍へと向けていた。
「馬鹿なッ、本気だったのかッ!?」
「なによ? 私は常々そうであると信じていたわ。だって、その方が面白いもの」
そこには悠然と、そして不敵に笑う、先程までと同じ、記憶の中と変わらぬ黒龍がいるだけだ。そこへ、硬直を振り払った桜花が頭を抑えながらも問う。
「うっ、つぅ……と、言う事は、何ですか? この眼は、激しい思い込みも、事実であると判断してしまうと?」
凡そ今までの価値観を崩させれてしまいそうな発言にも、桜花は己を保っていられるように見える。それが強靭な精神力の賜物なのか、それとも自己否定の果てにある歪みなのか、レイロードには判断出来なかった。
「さぁ? 本当に私が"ジェット"の生まれ変わりかもしれないわよ? 本当に"ジェット"が1体しかいないかなんて、私達には分からないもの」
「そんなオカルトな……」
黒龍の言葉に、納得が行かないと言った様子の桜花に対し黒龍が詰め寄る。だが、黒龍の説は所謂悪魔の証明だ。そして、故にレイロードには、それを証明する手立てなど存在しなかった。
「そう? それを己顕士が言うのかしら? 己顕って何なの? あれが、オカルトでないと? それに限った事ではないわ。身の回りについても言えるのよ。
光って何? 何故火が灯ると光は生まれるの? それは何処からやって来たの? 突如として生まれた? 何故突如として生まれるの? これは何? この構造物は何? どう結合されているの? 何故結合出来たの? クーロン力は何処からやって来たの?
そもそも物質とは何? 素粒子とは何? 何処から発生したの?
何故? 何故? 何故? 何故?
ねぇ? 分かる? ほら、今、私達を取り囲む空気が! 差し込む光が! 本の香りが! この部屋を構成する全ての物質が! 風が! 海が! 空が! 雲が! 草木が! 道端に落ちる小石でさえ!
ほら! こんなにも! 世界は神秘で満ち溢れている!」
盛大に両手を広げ、凄惨とも言える喜悦を表す黒龍に、桜花が愕然と立ち竦んでいる。その視線、焦点は定まっているようには見えない。ただ、レイロードの目には、桜花が黒龍の言葉に衝撃を受けて、と言うようには映らなかった。今まで見えていなかった物が突如見えた、そんな感覚を受ける。
「何か見えたのか? 桜花?」
「何? どうかしたの?」
声を掛けてみるものの、まるで反応を示さない桜花に、黒龍も訝しんで寄って来る。心配そうな表情が透けて見えていた。この女が他人の心配とは、とレイロードは思い、そこに時の流れと変化を感じ、目を細める。そんな知己とは裏腹に、桜花は何の変化も見せなかった。