2. 示す先には-1 (イラスト:機馬)
ロマーニ帝国傘下の小国家、フォンティアナ公国の首都アイオ・ロクツィオには現代建築が存在していない。建てられた建造物の殆どが石造りとレンガで構成され、中世に迷い込んだような錯覚さえ醸し出す。
イグノーツェ大陸に存在する国家は、未だ旧世代の趣きを色濃く残す建築物が散見される。代表的な物として、シュトキ共和国の首都イェゼルが上げられ、古、中、近、現代と混在した、時間の流れを失わせる街並みはロマンチシズムに溢れ人気を博している。が、征帝歴発足前後の雰囲気をこれ程までに残す都市は、このアイオ・ロクツィオくらいであろう。
事、朝焼け、夕焼け時に、茜色の太陽が照らし出す街並みは、黄金の都、黄昏の都、などと揶揄され、叙事的な眩さと哀愁と幻想を訪れる人々に与えている。
その都市に於いて、郊外に当る箇所は都心より東側の丘にある。観光業が余り手を入れていない地域でもあり、嘗ての姿が色濃く残り、時代に取り残された哀愁と永劫の趣きを漂わせていた。
幻想に彩られたその峠を登る石畳の上を、1機の機馬がアクティブ・キャンター・モードで3節の軽快なリズムを立てて駆けて行く。
その背にて手綱を握るのは、鍛え上げられた肉体を誇る一人の騎士。その身に纏う鎧を夕陽が照らし、街と同じ黄金色に染めている。藍色のサーコートと夜色のマントが風を張らみ音を立てていた。怜悧な機械の如き鋭さを宿す真鍮色に輝くその瞳は、厳しく前方を睨み付けている。
騎士の後に据えられたタンデムシートでは、機馬の横へと淑やかに両足を揃え、少女が一人座している。磁器の如く滑らかな白い四肢を惜しげもなく晒し出し、初夏の風を全身で感じるように。風に流れる長い長い黒髪の横で、肩に羽織った朱色のマフラーが気持ち良さそうに揺れている。マフラーに施されたスプリッター迷彩は、周囲の光を集めているかのように鮮やかだ。登り出た下弦を描く双眸に宿された黒真珠の瞳は、柔らかく細めらている。
仕草と衣服がまるで噛み合わないが、その姿は深窓の令嬢とも、異国の姫君とも取れ、機馬を駆る騎士と合わさればこの街の風情が実によく似合う。
悠々と過ぎ去る景色の中、暫し沈黙が優しく流れて行く。
少女は手綱を握る騎士の背中を見つめると、後腰に佩く削がれた愛刀を優しく撫で、先の出来事に思いを馳せた。
最初は見てくれだけの冴えない男かと思っていた。自身の実力も弁えていないような。だが、よくよく見えれば、とある天窮騎士の特徴と一致していた。正直な所、こんな人物がその称を得られる筈がないと思ったのだが。
ほぼ、全力で戦ったと思って良いだろう。最後の一撃にはもっと大技を仕込めたが、大地に突き刺さっていたアウトスパーダが再利用出来た事を考えれば、その隙を狙われていた。その後は泥沼だったろう。
敗北が心地いい。まだ先がある事を教えてくれる。ただ、性能を求める果てには、もしかしたら、目指す結果はないのかもしれないが。
何処まで弱くなれるのか。それを追い求めるのも面白いのかもしれない。これもまた難しそうではあるのだが。やはり、少女の心は踊った。
機馬のアクティブ・キャンター・モードが、騎乗者達へ心地よい揺れを与える。少女は自身の黒髪を軽く押さえ、目を細めると沈黙を破りたおやかに声を紡ぐ。
「お腹空きません?」
「言うに事欠いてそれか」
口調とは凡そ結び付かない内容にか、レイロードの眉間に更に皺が寄っている。が、お構いなしに、たおやかな声色で桜花は続けた。
「お夕飯の時間が近づいていますからね」
「自分の分は自分で出せ」
桜花としては、単に自身の現状をちょっと面白可笑しく伝えようとしただけだったが、レイロードには暗に奢れ、と言っているように伝わったらしい。それに対して桜花は多少ムッとした様子の半目で返す。
「流石にそこまで無遠慮ではないのですが……」
「なら良い」
金を払わずに済んだのと、元に戻った横柄さが見え隠れする声色に満足したのか、レイロードが胸を撫で下ろしていた。だがその様子は、他人に乞われて払う金は1エツェ足りとて持ち合わせていない、とでも言っているようだ。ケチ臭い男である。
そうは思ってみたものの、先に於いて桜花を排除した所で、金銭が絡む事はない筈だ。現状、桜花は賞金が掛けられている訳でもないからだ。そう考えると、ただケチ臭いだけ、と言う事でもないのだろう。
何にしろ、今はどうでもいい事だった。
暫くはこのまま流れに身を任せてみるのもいいだろう。桜花はそう考えると、再び視線を景観へと向けた。折角なのだから観光はしておこうと。
「それにしても……」
一旦言葉を区切り、桜花は視線を巡らせる。
騎馬の左手側には、疎らに背の低い家屋が立ち並び、街路樹と草木が柔らかに踊っていた。
機馬の右手側を見やれば、街路から下には木々の頭越しに市街が顔を覗かせている。眩き黄昏の都が。
「ここから見える街並みは、殊更綺麗ですね……何故、態々遠回りしたのかと思っていましたが」
ほぅと感嘆の溜息を吐いて紡がれた桜花の声は、先とは違い自然な淑やかさを纏っていた。だが、柔らかく微笑む桜花の姿とは対照的に、レイロードが呟いた声は苦々しい物だった。
「道を間違えた」
「…………」
二人の会話が途切れ、樹木が景観をも遮った。
考えてみれば、先程出会ったばかりの桜花の嗜好を理解出来るような特殊能力など、レイロードは持ち合わせていないだろう。ジットリと絡みつくような視線をレイロードの背へと送るが、だからとてどうにもならない。態々も何もあった物ではなかったようだ。
「はぁ……そこで、君の方が綺麗だよ、とかで誤魔化してみる気概はなかったんですか?」
「ない。俺はお前の生き方を知らん。比べようもない」
冗談じみた、と言うよりも、冗談で言い放たれた桜花の言葉に対し、レイロードが率直に返して来た。何故その方向に持って来たのかは知らないが、何はともあれ、気の利いた言い回しなど思い付かなかいようだ。木々の影が生んだ暗がりが、気分まで暗くさせたような錯覚に陥る。
「つまらない人ですね、あなたは」
「だろうな」
淡々と語った桜花に、レイロードが素っ気なく返しながら街路を曲がる。一時は景観を覆い隠した樹木のカーテンが途切れ、山吹色に輝く陽の光が瞳に広がり視力を奪う。一拍の眩さが晴れたその先には、このタイミングを狙ったかのように、眼下に黄昏の都、アイオ・ロクツィオが一面に広がっていた。
「でも、面白い。態々私の人生と比べる事もないでしょうに。そこは……ええ、そこはとても面白いですね」
「それは僥倖だ」
その絶景を眼下に収め、桜花の表情が綻び詠嘆する。暖かな笑みを浮かべる桜花に対し、レイロードが再び素っ気なく返した。何か含む物があったようだが、無粋と思ったのだろう。そう言う所も中々に面白い。無粋なようでいて、粋や風情と言う物も考えているようだった。
手綱を緩めず、機馬が駆ける。峠道が造り出したヘアピンカーブを左右へ切り返す毎に、眼下に広がる街並みが様々な色を変えて見せて行く。その度に、桜花は器用に座り直し感嘆の声を上げていた。
俯瞰して眺めていた景色はその位置を下げ続け、並木道を駆け抜ける頃には、峠を下り切り市街地へと足を踏み入れていた。
レイロードが右の足先を上げクラッチを切り、左の足先でギアを落とすと、機馬がキャンターからトロットへと移行した。刻むリズムも3節から2節へと切り替わる。機馬の機首付け根にあるコンソールを操作し、走行モードをアクティブからクルーズへ。アクティブ走行に伴っていた軽快な揺れが収まり、景観が緩やかに流れて行った。
並木道を抜ければ環状線へと繋がり、道なりに進めば都心に辿り着くとの事だ。郊外付近のためか、未だに人の姿は疎らなようだが。
「こうやって横から眺める街並みも、上からとは違った風情がありますね」
環状線が住宅街に入り、桜花は周囲の建築物を見渡す。市内観光のシーズンではないが、人通りが一気に増え活気が伝わってくる。街路にも機馬や馬車の姿が溢れて来た。尤も、馬車と言ってもやはり機馬が引く物であるし、車輪自体のないホバー型も見受けられるが。
「ライトアップはまだですかね?」
「夏だからな。まだ時間があるだろう」
桜花は街路の端に添え付けられた街灯を見上げレイロードに尋ねるも、相も変わらず愛想の欠片も見せずに返される。
市街地の住居は2階建て程度。当時の雰囲気を壊さぬよう、現代になっても階層はそのままにされていた。当時の雰囲気を壊さぬよう、とは言え、流石に街灯がないのは危険であるため、ガス灯を模した淡い光を放つ街灯が備えられている。
夜になると、この街灯と月明かりが照らし出す街並みは、日中とはまた違った趣きを見せてくれる。石造りなどのツヤのある光と、レンガなどのツヤの少ない光が交じり合い、夢の中にいるような不思議な感覚を与えてくれるのだが、日没までもう少し掛かりそうだ。
数日前に訪れた時は、一晩夜の街を廻った物だ。一人でだったが。エスコート役が居ないのは何時もの事。悲しくなんてないのだ。
いっそレイロードに頼んでみようかと桜花は思案する。この男は何だかんだで付き合ってくれそうだ。金銭の要求はされそうだが。
「はぁ……」
桜花の溜息は、感嘆と消沈が入り混じった、何とも言えない物になっていた。
賑わう町中を大通りに進めば、店先や広く取られた歩道で路上パフォーマンスが行われている。先程からそれらに集まる人々や道行く人々から、何故か視線が飛んできている。
「あの、レイロード。私達、何かのイベントの一部だと思われている節がありませんか……?」
「……まさか……いや、だがしかし……そう、なのか?」
レイロードの背中越しに、桜花はサラリと呼び捨てながら、ヒソヒソと問い掛ける。
レイロードが纏う鎧は、クラシカルスタイルと呼ばれる中世を模したデザインなのだが、この仕様を使う己顕士はまず居ない。精々騎士団位だろう。鎧系ではモダンスタイルが殆どだが、これはプロテクターと呼んだ方がしっくり来る物だ。市街地を主戦場にする己顕士は、通常の衣服と変わらない装備を纏うため、どの道、街中で鎧は目立つ。バロックスタイルと呼ばれる、中世に準拠した鎧よりは幾分かマシだったが。
それに加えて桜花の存在の存在だ。凡そ己顕士らしくない肌を露出した装備に、風に乗って流れる長い黒髪と、肩に羽織った朱のマフラー。それらが合わさり、アイオ・ロクツィオとの相乗効果で何かのイベントに思えなくもない。
機馬の速度は落とされているが、時速40キロ程は出ているため、余り注視して来る者は居ないのだが、それでも視線は飛んでくる。もう少し速度を落とせばちょっとしたパレード気分だ。
「ふふっ、まぁ、私の慎ましくも雅な美しさに、心惹かれてしまうのも仕方のない事だとは思いますが」
「少し飛ばす」
綺麗に伸ばされた指先をそっと、慎ましい桜花を体現したそれなりに慎ましい自身の胸元に当て、桜花は悦に浸る。それを一瞥すらせず、レイロードがアクセルを踏んで速度を上げたのだった。
大通りを駆け、街の中心部へと南下して行った先に、帝国大鉄道アイオ・ロクツィオ駅が存在する。その正門右手に何時の時代に造られどのような目的で建てらたのかも分からない巨大な礼拝堂が今も尚、鎮座している。桜花自身は入った事はないが、その礼拝堂を内部改修した物が、E.C.U.S.T.A.D.フォンティアナ局だと言う。
その礼拝堂の前に、腕を組んだ人影が確認出来る。淡いブロンドのボブカットに青い瞳。均整の取れたスタイルをパンツルックのスーツに包み込み、所在なさ気に辺りを見回していた。
その人物が機馬を見つけるや、腕をブンブンと振りながら叫んできた。
「お~い! レダく~ん! こっちこっち!」
その声へと近づくと、レイロードが騎馬のギアを落としてウォーク・モードへ移行、その人物の眼前に機馬を寄せ声を掛けている。
「ここ以外に行く所があれば教えてくれ」
「ま、そ~だけどね。予定より到着が遅れてるし、何かあったのかと、おねーさんは気を揉んでたんだよ」
屈託のない笑顔で桜花達を、と言うよりもレイロードを出迎えたのは、機上で聞いていたE.C.U.S.T.A.D.フォンティアナ局管理室室長ナロニー・ユマスだろう。
「誰が姉か」
「似たようなもんじゃない」
そのナロニーを軽く手先で追い払うレイロードに、ナロニーは我関せずと動じる素振りを見せずに笑う。レイロードは否定しているが、桜花の目にはナロニーの言う通り、二人は姉弟のように映っていた。どちらが年上かは分からなかったが。
「所で、殺気に付いての科学的な根拠、及び法令適用例はあるか?」
桜花の瞳はレイロードの言葉が演技ではない事を教えていたが、そこまで気にする事でもないのでは、と思っていた。しかし、本人にとっては重要案件だったようだ。
「己顕関連らしいから、根拠はないけど、法的には処理された事例あるよ。それがどったの?」
「いや、問題が一つ解決した」
レイロードの瞳が、一瞬桜花に向けられた。先の1戦は桜花には否がない、と言いたいらしい。そして、レイロードに釣られるように、ナロニーの青い瞳がタンデムシートに移り、大人しく事の成り行きを見守っていた桜花を捉えた。そこから興味津々と言った顔で、からかうようにレイロードに話し掛けている。
「と、こ、ろ、で~? 後ろのお姫様はどしたのかな~?」
「拾い損ねた。姫かどうかは知らん」
「損ねたんですか?……後、そこ反応する部分ではないと思います」
答えながらレイロードは機馬を飛び降り、微妙に釈然としない言い回しに頭を捻りながら、桜花も静かに地に降りた。
夕陽に照らされた桜花の姿を、ナロニーが足先から頭までを見やり声を上げる。
「ふ~ん? 地味だけどキレーな娘ね~」
「そうか?」
一見すれば嫌味にも聞こえそうな内容だが、ナロニーの声には刺や陰湿さなど欠片も感じさせない。本当にただそう思っただけである事を、桜花の瞳は告げていた。レイロードが桜花に顔を向け呟いていたが、それが"地味"に係っているのか、"綺麗"に係っているのかで評価が大きく変わる。"地味"に係っていると信じたい。
母親は儚げで美しい人であり、妹も凛とした涼やかさを纏っていると桜花は感じている。悪意も敵意もないとは言え、母や妹に似た自身の容姿がちょっと物足りない、などと言われては、桜花としては少々納得出来ない物がある。故に、桜花は腰と口元にそれぞれ手を当て、目を細めると口を開いた。
「ふふっ、まぁ、静寂の中に趣き感じ、儚さの中に雅を見出す事の出来ない、残念な人々にはそう映るのかもしれませんね」
「あっはははは! それはそ~かも知れないね~。あたしは、風流だとかは無縁だしね~。レダくんは結構そう言うの好きだけどさ。ま、若者を妬むオバサンの発言だと思って許してよ」
「むぅ……レイロード、私この人ちょっと好きかもしれません」
カラカラとした気持の良い笑い声と大人な対応に、桜花はナロニーを指差しながら、不承不承と言った面持ちでレイロードに告げていた。しかし成る程、レイロード・ピースメイカーは趣きを求める人物のようだ。何処か故郷、和雲の戦人達の薫りを感じさせる。
「まぁ、良いんじゃないか」
レイロードが軽く口元に笑みを浮かべながら一言発し、桜花達に背を向けると礼拝堂へ歩を進めて行った。
「うっわ、レダくんが笑ってるよ! 明日は雪かね~」
ナロニーの驚愕に満ちた声に眉を顰めながら、のようだが。
しかし、桜花は出会って数時間で2度、笑顔らしきものをみている。これは豪雪と言う事なのだろうか。
少々アンニュイな雰囲気を漂わすレイロードその背中に、礼拝堂の入り口付近を指差しナロニーが再び声を掛ける。
「あ、それと、うちのパーキングエリアそこだから、機馬ちょっと移動してね~」
その声にレイロードが足を止め、ナロニーを一瞥すると、無言で来た道を引き返して来た。
「見事なカッコ悪さですね」
口元を抑え細めた目から視線を送る桜花には、気が付かないフリをしているようである。
桜花にしても、本当にこのまま流れに身を任せても大丈夫なのだろうか? と言う自身の気持ちには、気が付かないフリをしておいた。
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レイロードの機馬
機馬のイラストを差し込み忘れていたので入れました。
イメージ、合いましたでしょうか?