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カテゴリーエラー  作者: あごひげいぬ
1章 王と名もなき小人
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1. 桜の花が舞う-4 (イラスト:桜花)

 少女の、桜花の眼が静かに見開かれ、涼やかで柔らかな声が溢れた。


「ふぅ……流石に無理かと思いましたよ……さあ、第三ラウンドと行きましょう。

 ……と、言いたい所ですが……」


 事の成り行きに理解が追いつかず、レイロードがその様子をただ見守る中、桜花が若草の絨毯へと大の字にその身を投げ出していた。実に晴れやかな微笑みを湛えて。


「も~限界です。まともに体を動かす気力もありませんよ」

「十分に、動いているだろう……」


 桜花の笑みを見てか、硬直から復帰したレイロードは素直な感想を呟いていた。桜花がそれに答える。


「そんな事ありませんよ? 自身を一旦分解して、別の場所に移動し再構築する。

 量子テレポート、とでも言いましょうか。

 兎に角、体は無事でも心因的に大変なんですよ。前準備なしだと特に、ですが」

「そう、か……」


 桜花の言葉に、レイロードは苦々しげに答えた。そうは言えども、桜花の理不尽な能力を鑑みれば、体が無事ならば動ける筈だ。それでも敗北を認めたと言うことか。なれば潔しと、せめて苦しまずに一太刀で楽にしてやるのが情けなのだろう。

 どれ程ささやかな想いであろうと、現実は現実。桜花が謂われもなく牙を剥いたのは覆しようがない。桜花の理不尽な能力は、見て見ぬフリなど出来よう筈もない。

 せめて己顕士(リゼナー)でなければ如何様にも出来たのだが。

 戦乱の時代が終わり、イグノーツェ諸国が連合体として民主主義の法治社会へと移り変わって行くに連れ、己顕士(リゼナー)の存在は問題となっていた。常人では到底敵わない彼らは、戦乱の時代に於いては確かに英雄だった。しかし、平時に於いては嘗ての魔術師(メイガス)達同様、ただの恐怖でしかなくなっていったのである。

 己顕(ロゼナ)を抑える事が出来ればまだ良かった。しかし、現実では科学的な解明は遅々として進まず、仮説に留まるしかなかったのだ。

 故に、イグノーツェ諸国連合に於いて、己顕士(リゼナー)は法的に厳しく取り締まられた。己顕士(リゼナー)以外への正当防衛の未適用、事の大小を問わず、犯罪を行った場合に殺傷が許される事などだ。

 理不尽にも思える措置であるが、そも、己顕(ロゼナ)は誰しもが持ち得る物。そして、己顕法(オータル)顕装術(ケーツナイン)は、修練さえすれば誰しもが習得可能であり、逆に習得しようとしなければ持ち得ない。本人が望んで手に入れた力である事を、制約の正当性としたのだ。例え物心付く前から修練を始めなければ、使いこなせなかったとしても。

 しかし、個人に於ける最高戦力たる己顕士(リゼナー)を使わない手はない。人並み以上の権利を待たせる代わりに、実質的に国家に縛るために創られた騎士団の予備組織。それがE.C.U.S.T.A.D.と言う組織の真実であった。

 レイロードは柄に手を掛けると、一歩、また一歩、桜花の元へと足を運ぶ。その様子を桜花が一瞥し、瞳を閉じた。


「今更逃げはしませんよ。まぁ、自業自得ですから。文句も恨みもありません」


 その姿にレイロードは心中で嘆息する。無常だな、と。今生の別れにせめて一言と、桜花に問い掛ける。


「言い残す事は、あるか?」

「そうですね……最後に、貴方の心に傷を残すなら、それはそれで一興ですね」

「振るった刃に、後悔など、ない……」

「そうですか……それもまた由、としましょうか」


 感情を写さぬ渋面で答えるレイロードに、桜花が満ち足りた笑顔で答える。両者の表情はまるで正反対。どちらが勝者で、どちらが敗者か分からない程に。

 鞘を逆手に大上段へと、"禊落し"の構えを取る。試合に勝って勝負に負けた。そんな所だろう。結局、最期まで己の意地を貫き通したこの少女の勝ちなのだと。


「それにしても……貴方の剣は美しかった……あらゆる感情を、意識すら現さず、ただ有りのままに振るわれる……あれが夢想の剣と言うのでしょうね……」


 夢見心地な、恋する乙女とでも言い表せそうな表情で、桜花が天を仰ぎ見て言葉を綴る。


「だから……」

「何だ?」


 最後の言葉を聞いてやるくらいは勤めの内だろうと、レイロードは促した。


「だから、その"殺気"を収めてくれませんか?」

「…………。

 ……さっ、き、だと?」


 全く予想だにしていなかった桜花の一言に、レイロードの体は完全に固まり、頭の中を目まぐるしく思考が駆け巡っていた。普段であれば鼻で笑い飛ばしていたであろう台詞に。

 さっき? 殺気立つ、とか言うあの殺気か? 殺気を飛ばす、とか言うあの殺気か? 殺気が漲る、とか言うあの殺気か? "比喩ではなかった"のか!?

 考えてみれば思い当たる節は、ある。ルーデルヴォルフの斡旋所やら、荒くれ者が集まるバーやら、スラムの街角やらで、敵愾心剥き出しの視線を叩き付けられたものだ。人種から来る差別的な物だと思い気にも留めていなかった。だが、"殺気"と言う物が実在しており、自身がそれを垂れ流していたとしたら? 成る程、睨み付けられる筈である。

 何より、それが原因で殺し合いに発展した事などなかったのだ。幾らルーデルヴォルフに属する己顕士(リゼナー)の血の気が多いと言えども、彼らは無法者ではない。弁えている。そうでなければライセンスは剥奪され追い立てられる。

 いや、直接的な原因ではないが、切っ掛けの一つとして一度だけ……。


――その空虚な殺気こそが証!――


 ふと、数年前に掛けられた言葉が思い浮かんだ。

 それはそれとして、今回はどうか? 落ちてきた所に天窮騎士(アージェンタル)が殺気を飛ばしていた。しかも常に。成る程、殺されると思っても何ら不思議はないだろう。正当防衛としては十分過ぎる。


「まさか……」


 ユラリと、実にゆっくりと桜花の顔がレイロードに向けられる。その瞳は今までの表情から一変し、美しい弧を描く瞳は胡乱げに半目に開かれ、発せられた声も冷ややかだ。


「知らなかったんですか? 天窮騎士(アージェンタル)が?」


 言葉に詰まる。言葉自体は知っていた。感情的な変化としても分かる。だが、実在するとは思わなかった。

「これも、世の無常か……」

「えと……いえ、まぁ……これは才能によりますからね。感知できない人は全く出来ないらしいですから。現に、一般人の皆さんは感じられない人が殆どですし……。

 はぁ~それにしても、ずっと挑発されていると思っていましたよ?」


 音を立てそうな程ギクシャクとした動きで構えを解き、訳の分からぬ台詞を呟くレイロードに対し、大きなため息一つ吐き出し桜花がぼやいていた。


「なる程、そうか……いや、すまない……」


 知らなかったとは言え、恐らくは本来知っていて然りと言う部類であろう。もし、許されるのであれば、此処で自刃して果ててしましたい衝動にすらレイロードは陥っていた。しかし、それを宥めるように桜花から声が掛けられる。


「謝られる覚えはありませんよ。あなたがレイロード・ピースメイカーと承知で挑んだのは私ですから。如何様にされても文句などありません。ありはしませんよ」

「そう、か」


 クスリと微笑む桜花を見て、レイロードは自らの心が軽くなるのを感じていた。レイロードに向けられた言葉が、何処か柔らかくなっていた事も、関係はしていたのかもしれないが。

 "自戒"の影響か今までの経験からか、レイロードは何とか気持ちを切り替え桜花へと向く。


「兎に角、一旦拘束する。先の言が真実だと、俺には証明出来ん……それに、お前には色々と聴きたい事がある……」

「ええ、そうですね。お任せします……あ、航跡雲……」

「ん?」


 レイロードから視線を逸らし、桜花が黒真珠の瞳を蒼穹に向ける。それに釣られてレイロードも空を見上げた。そこに雲海を貫いて、二筋の白い帯が何処までも伸びて行くのを見る。蒼穹を大海原に見立て、船舶が波間を割って進む船跡を模して名付けられた雲の姿を。それを生み出した主を。


「初めて見ましたよ。あれが……"ジェット"ですか……本当に両翼のポッドで推力を得ているんですね……」


 それこそが、全長120メートル、翼長200メートルを誇る黒き蒼穹の主。このクァ・トラコの真なる支配者、その一柱。"フィアース"、"タイダル"、"ジェット"、3体しか確認されていない"ドラゴン"の1体。黒龍・ジェットドラゴンだった。

 その機首たる首が動くのが見え、桜花が声を漏らす。


「こちらを……見た?」

「ハッ、まさか。


 それにしても、今日は随分と低い位置を飛んでいるな……高度4000メートル程か…・…」


 桜花の声をレイロードは鼻で笑った。その巨体はそれだけ離れていても、はっきりと認識できる程ではあったのだが、こちらを見るためとは到底思えない。


「まぁ、そうですよ、ね……あ、翼を畳んだ」

「加速するか。見えなくなる」


 力なく桜花が返したその時、天空の主が翼に付いた円柱状の部位から翼を畳んだ。かと思えば急速に加速した。"ジェット"の推定最高速度は実に秒速10キロメートルを超えるとされる。その速度を以ってすれば、二人の視界から消え去って行くなど、正に一瞬の出来事であった。


「はぁ~アレからすれば、人の悩みなど、実に小さい事なんでしょうね」

「ハッ、どうだか、案外大きやもしれんぞ? アレに悩みなどなさそうだ」

「成る程……そうかも、知れませんね」


 ぼんやりと虚空を見つめて呟く桜花に、レイロードは苦笑しながら答えていた。桜花の言う悩みが、あらゆる人間を指してなのか、それとも桜花自身だったのかは分からなかったが。何か考えがあってではなっく、極自然に口を衝いて出たのだから。

 二人は、暫くその痕跡たる白線が、形を崩し蒼穹に溶け行くまで、静かに空を見上げていた。

 届かなかった。また、届かなかった。確かに手は届かなかったのかもしれない。だが、刃もまた、届かなかった。

 刀を振るった後に、これ程晴れやかな気持ちになるなど、初めての事だった。

 緩やかに何かが回り始める。錆び付いた歯車が潤滑剤でも落されたように。レイロードは、そんな奇妙な感覚を、確かに感じていた。



 航跡雲が崩れ、ただの雲と変わらなくなった頃、レイロードの腰に振動が走った。何の事はない、PDのバイブレーションだ。何時の間にやら通信圏が回復したのだろう。蒼穹の主が、雷雲の主に話しでも付けてくれたのかと、益体もない事を考えながら、PDを抜き出した。

 表示されたのは、E.C.U.S.T.A.D.フォンティアナ局からのフォワードメール。要するにナロニーからだが、プライベートではなく仕事の話と言う事だ。

 メールには、円の四方に、菱型が一つずつ配置された十字架の紋章が威圧感を放っている。


「四方菱輪十字……教皇庁?」


 その紋章が示す依頼主に、レイロードは訝しむ。教皇庁は聖導教会の一部でもあり、エレニアナ法国の行政機関だ。接点など見当たらない。

 考えても仕方がないかと、レイロードは件のメールに目を通し、厳しく眉根に皺を寄せた。

 内容はさる事件の重要参考人の捜索。要約も何もなくそれだけであり、後はその人物の特徴だった。


 10代前半から後半の女性。身長160センチから170センチ。膝近くまで伸ばされたストレートの黒髪。瞳の色も黒。半月のような目は大きく鋭い。肌は白いが黄色人種系だと思われる。

――この身体的特徴を持つ者が今、レイロードの横で寝転び、天を仰いでいる。

 確認当時の服装は四肢を露出した物で、白い上着に簡素な黒の胸当て。胸当てには、トンボ、ススキらしき物、月と思われる物が金色で描かれてる。手足にはライトグラウンのグローブとヒール付きのブーツ。両肩にはマフラー程度の幅の布をマント状に羽織る。色はスプリッター迷彩を施した朱。

――この服装的特徴を持つ者が今、レイロードの横で寝転び、草を毟っている。

 和雲刀と思われる武器を所持。定点攻撃型の炎系己顕法(オータル)を使用、己顕法(オータル)らしき物で全身を黒い靄で覆う他、五感と象圏による認識を阻害すると思われる。

――この闘法的特徴を持つ者が今、レイロードの横で寝転び、草笛を吹いている。

 そして、最後にはこう記されていた。

 生死は問わない。


「お前、エレニアナで何をして来た?」


 レイロードは眉尻を釣り上げ、この総ての条件に合致した特徴を持つ人物、即ち桜花へと向き直り呟いていた。


「いえ、ですから、ちょっと世界を救ってきただけですよ?」

「……そうか」


 若草のベッドに横たわった桜花からは、先と変わらぬ返答があるばかり。然しながら、小首を傾げるその姿に、虚偽や誤魔化しは感じられない。恐らく、エレニアナで何かがあったのだろう、それは確信出来る。桜花と教皇庁、どちらを信用するかの問題だ。

 どうするべきかと考えあぐね、レイロードは一先ずPDからアドレスを呼び出す。数コール後、PDから聞き慣れた声が届いた。


『やっほー、レダくん。サクッと終わったみたいだね~』

「ああ、それはな。先のメール、中身は見たか?」

『それは? まぁいいや。流石に他国政府が出した依頼の内容は確認しないよ。信用問題だしね』

「そうか……」


 聞いた所で解決出来る訳でもないが、情報が多いに越した事はないと訪ねてみたが、返ってきたのは、常識的な答え。ならば通信ではマズいかと、言葉に詰まる。


『なに? なんか問題?』

「いや……。

 ……ナロニー、一つ聞く。お前、俺と教皇庁の言葉、どちらを信じる?」

『え? その2択? 正直どっちも……』

「な、に……?」


 状況判断の足しでもなればとの、問い掛けは、すこぶる反応の悪い物だった。人生の半分以上で付き合いのあった相手からこの反応とは、流石のレイロードとて心を抉られる。


『いやいや、うそうそ。流石にその二つならレダくんを信じるよ。って言うか疑わないでよ? どんだけ肩並べて戦ったのよ? 流石のあたしも傷つくよ? 泣いちゃうよ?』


 尤も、それはナロニーも同じだったらしく、何時もの声に、僅かばかりの焦燥感が感じ取れた。結局はお互い様と言う事かと、安堵の溜息を吐く。肩を並べて戦った、それは確かに重要だった。敵でも、味方でも。


「いや、分かった。詳細はそちらで話す。それではな」

『へ~い、んじゃね~』


 話を打ち切り、未だ大地を満喫している桜花へ向き直ると行き先を告げる。


「一先ずはフォンティアナのイクスタッドに向かう。詳しくはそこで聴く」

「ふむ、徒歩ですか?」

「いや、4キロ程先に俺の機馬がある」


 レイロードは桜花の問いに素っ気なく返す。大した距離ではない。疲弊していようが問題ではない筈だ。

 その声を受けて桜花が僅かに黙考した。かと思うと、仰向けのままその両腕がグイッと上空へ、即ちレイロードへと掲げられた。


「……分かりました。では、連れて行って下さい。お姫様抱っこで」


 淡々と無表情で繰り出された桜花の声に、心の曇りを晴らした声に、そして、やはり面倒事を引き寄せてきた声に、レイロードは仄かに口角を釣り上げる。


「で、幾ら出す?」

「…………」


 行き交う風と草花が騒がしく叫ぶ中、返って来たのは、無言の沈黙だった。





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挿絵(By みてみん)

桜花

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