1. 桜の花が舞う-3
砂塵の中から、冷めた桜花の声が漏れ聞こえる。
「つまらないですね、貴方は……」
風が吹いた。砂塵を払い去って。そして、レイロードの瞳は見る。前後に翳された桜花の両掌、その先から広がる波紋を。歪な音を掻き鳴らし軋ませながらも、全てが防がれている削刃の姿を。
「歪曲空間、とでも言った所か……」
"禊落し"もアレで捌かれたかと、眉間へ更に皺が寄る。厳しい表情で見つめるレイロードを横目に、冷めた笑みを浮かべた桜花の口が開く。
「つまらない程にただの人間ですね、貴方は……。
だが超えた……故に、知りたい。だから私は知りたい。貴方にはそれが出来た。天が与えた貴方を超えた!」
次第に感情を高める桜花を視界の隅に置き、レイロードは背後の波紋に注力する。歪み軋んだ空間は、削刃によりその悲鳴を徐々に増しつつある。
「強度限界はあるようだ」
桜花の一家言に思わぬ所がない訳ではない。だが、桜花が曰くただの人間たるレイロードには、そこまでの余裕がなかったのも事実だ。
「貴方ならば見せてくれるかもしれない! 天のその先を! そうすれば私は……天から与えられたこの力を超えて! 私は! "私"になれる!」
桜花の気勢と共に、レイロードの前に、明鴉の直中に、薄桜色の鬼火が揺蕩う。
「尽く焼き却せ! "涼篝"!」
「チッ!」
舌打ち一つ残し、レイロードは縫い付けられた大太刀を、大地諸共斬り裂き後方に跳ぶ。
視界が、桜花の後方が、大気が薄桜の炎に染まる。言葉通り熱は感じなかった。しかし、それに触れた草原が、明鴉が、薄桜の鬼火に焼き尽くされて行く。
「邪魔ですね……」
薄桜猛る中、先とは一転、淡々とした桜花の声が揺れる。その両手が徐に持ち上げられ――合掌。乾いた音が打ち鳴らされるや、炎は跡形もなく、それこそ灰すら残さず消滅していた。
「何処が篝かッ!」
眼前の惨状に、地を滑りながらレイロードが悪態を吐く。膨れ上がった光に眼が痛む。20メートルは離れたが、己顕士ならば一足の距離。象圏での知覚が怪しい以上、視線は桜花から外せない。一挙一動を注視しながら、焼かれた以上の明鴉を補充し始める。
その視線の先で、桜花の腕が前へと突き出されていた。
陽光が桜花の手元を照らし出し、その姿を解き明かす。何の変哲もない、ただの黒いスローイングナイフ。恐らくは先の合掌以前に取り出されていたのだろう。それよりも、桜花の体制は凡そ物を投げられる状態ではない。普通は出来ない、ならば、飛ばせるのだ。
「"朧灯"」
桜花の声が届くよりも速くレイロードは地を蹴り、そして銀閃が吹き抜けた。レイロードの右手側、地を滑り抜けるその横を、液体と化し、線となったナイフが凄まじい速度で過ぎる。所謂メタルジェット、鎧は複合材だが持つかは怪しい。
2射目を避けんがために更に横へ。立ち並んだ羽刃の剣林が二人を隔絶した。
その地で、象圏が頭上に何かを捉える。細い手のひら大の物体を。恐らくは先程と同じスローイングナイフ。振り払うのも馬鹿らしく一歩後退して避け、桜花の声が届いた。
「"暈し縫い"」
その際にそれが目に映った。鏡面仕上のスローイングナイフ。その刀身が反射していた爛々と輝く日の光を。
「次から次へと!」
思わず罵声が口を衝く。その程度でレイロードが怯む事はなかったが、瞳から入った大量の光は反射的に目を細めさせ、併せて僅かに反応を遅れさせた。上空に展開されていた羽刃を撃ち降らすが、桜花は既に宙を舞った後。
尚も迎撃せんと羽刃を射出するものの、桜花は歪曲空間を蹴り、地上と変わらず宙を駆け迫る。レイロードとて、似たような事はやっている。さして驚きはない。
朱のマフラーを靡かせ空から迫る桜花に対し、レイロードは"鳴り石"の一閃にて迎え撃つ。桜花が黒閃を掌で叩いて翻り、体の天地が入れ替わるままに、レイロードの頭部へと右足を蹴り撃つ。
そこに――踏み込む。鍔鳴りを残し、レイロードは潜り込むように躱しながら、桜花の頭部へ質量を増した回し蹴り。併せて上空の花弁から羽刃を射出。黒い蹴撃は桜花の腕に出された波紋に防がれ、羽刃は左足で蹴り撃たれる。レイロードの背後と頭上で大気が爆ぜた。
「先ずはッ!」
銃火器と同じだ。拳と言う銃口よりも、使い手側に弾は飛んで来ない。これが現実的な対処法だろう。桜花の評価は異なっていたようだが。
「無茶をする……」
感嘆する桜花を無視して近くの明鴉を引き寄せ、蹴りを戻すと同時に"鳴り石"を一閃。朱のマフラーをはためかせ桜花が頭上に跳ぶ。
「……その力を手に入れるまで、貴方はどれ程の死線を潜りましたか?」
「ハッ、とうに忘れたッ」
桜花が撃った空中からの踵落しを、レイロードは一歩踏み込み交差気味に右拳を打ち下ろす。明鴉は距離が近すぎて使い辛い。自身も巻き込む可能性がある。
「私は……生まれた時からこうでした」
「何が、言いたいッ」
桜花が体を捻り、拳を避けると同時に足の甲での叩き付けに切り替える。対して、レイロードは肘で迎撃しながら、柄頭を打ち上げ桜花の顎へと向ける。
「徒人では届かない場所に、私は既に立っていました。やろうと思った事は、何でも直ぐに出来たんですよ」
「だからどうしたと言っているッ」
柄の一撃を桜花が首を捻り躱し、迎撃に向けたレイロードの肘を使い、大地へ逃れると同時の足払い。レイロードはそれを跳んで避け、上空から羽刃を弾雨の如く降り注がせるが、桜花の歪曲空間が振動音を発して押し留めた。
「でも、特別な力など要らなかった……私はただ、父と、母の娘で、妹と、弟の、姉であればよかった……」
そんな中で交わされた桜花の言葉は、無表情で淡々と紡がれたが、レイロードに言いようのない悲哀を感じさせていた。
それでも手は、止められない。
「ならば何故っ!」
レイロードの声と共に、歪曲空間に留められていた羽刃の群れが舞い、歪曲面を潜ると桜花へ放射状に斬る付ける。桜花の逃げ場は頭上のみ。己顕法の展開は絶対座標指定、そして桜花の象圏は恐らく非常に狭い。移動中に大技の展開は難しい。"閑音"の溜め時間はない筈だ。
「くっ!」
たまらずと、桜花が唯一の逃げ場へと跳躍する。その勢いをも利用して、レイロードは質量を跳ね上げ蹴り穿つ。だが、敵も然る者。恐るべき反応速度で以って、桜花の回し蹴りが放たれた。歪曲空間を利用しただけの蹴り、されど威力は無視出来ない。
空中で、二人の蹴りが交差した。
レイロードは自身の体、質量を増した装甲と防護コートが重ねられたその腕で。桜花が腕に生んだ歪曲空間で。鎧が、歪曲面が、軋んだ音を立てる。レイロードと桜花、真鍮と黒真珠の瞳が火花を散らす。
膠着は一瞬。インパクトのタイミングをズラしたも関わらず、レイロードは腕から広がるように突き抜ける衝撃に襲われ弾かれた。桜花を見やれば、練りが甘かったのか、歪曲空間が軋んで砕け、その余波に見まわれ弾き飛ばされていた。
肺から空気が押し出され、どちらともなく声にならない声を上げる。
「グゥッ!」
「う、くっ!」
レイロードは、持って行かれそうになった意識を無理やり押さえつけ、再び大地へと立つ。視線は桜花に注がれたまま、レイロードは呼吸を整える事もせずに問い掛けた。
「ならば……何故その力を振るう? 他の何かでも良かった筈だ」
「これが……この力が……最も優れていたからですよ……だから! 天から与えられたこの力を超えて! 私自身が勝ち取れば! 私は! 私になれる!」
桜花が応え、二人が大地を蹴り抜き激突する。戦端は、再び開かれた。
「それもまた……歪みか……」
ただ生まれついての力を超えるだけならば、もっと楽な方法があった筈だ。態々最強のその先を目指さなくとも。桜花が秘めた起源を、レイロードは垣間見た気がした。だからか、問い掛けていた。
「一つ聞く……今、お前の眼前に立つ者は、何だ?」
「天窮騎士レイロード・ピースメイカー! それがどうしました!?」
黒閃が疾走り、真鍮が舞い踊る。大気を砕き抉り、薄桜を舞い散らせる。
燐光が迸り、閃光が翼を象り、羽刃が撃ち出され、空間が歪み、熱を持たない焔が浮かぶ。
「そうだ、それが俺だ……つまらない徒人の筈の俺がな。会ったばかりのお前が、俺を天窮騎士だと認識した……俺が自身を紛い物と思っていようがな……」
自身が描く自身の姿と、社会と言う名の世界が描き出す自身の姿が一致する事は少ない。
だから折り合いを付ける。世界が描く自身の姿に迎合するか、繋がりを断ち切り自身が描く自身の姿を突き進むか。
「っ! 他者が!……世界が! 個の有り様さえ決めると!?」
「人の世が、天窮騎士レイロード・ピースメイカーを生んだ。どうなるかは知らんがな……」
圧倒的な手数でレイロードが畳み掛け、それを理不尽な性能で桜花がいなす。
一進一退の攻防は、終わりを見せないのかと思わせた。
「成る程……心に留め置きましょう……だが! 貴方は、天を超えた! それは事実でしょう!」
「その結果がこれだと言ったッ!」
レイロード・ピースメイカーは迎合した。天窮騎士しとして。だが、今もそれを認めない自分が確かに存在する。自身に天窮騎士の力を見出してはいる。今も、この理不尽さに拮抗している事が証拠だ。だが、その過程に納得が出来なかった。理不尽を斬り裂く刃であればそれでいいと、他は必要ないと、そう思っていたと言うのに。
自身を桜花と呼んだこの少女は、繋がりを求めながらも、自身の姿を突き進もうとしている。両親の娘で、姉妹の姉弟の姉である事は理解している筈だ。だが安寧の中に受け入れる事が出来なかった。自身で考え、躓き、乗り越えて行かなければ、自身を認める事が出来ないのだろう。
どちらとて、一辺倒に行くものではない。総てを受け入れられる物ではない。それは、分かる。しかし、己を貫き通した先にあるものは……。それを求めるならいい。だが、この少女が欲したものが、その先にあるとは、レイロードには思えなかった。
「それでも構わない! 天の先が在るならば! 私が! 私として存在できる筈だ!」
「その先に在るのはッ! 孤独だけだッ!」
桜花の叫びにレイロードが放った斬撃、その納刀に生まれた一瞬の隙。そこに羽刃を掻い潜った桜花が、腕の振りだけで拳を放つ。威力を度外視し、当てる事だけに切り替えた一撃。その拳が伸び切る前に、回転させ始めた羽刃を滑りこませた。桜花の拳が僅かに止まる。
その隙にレイロードは、削刃の基部、その後端に向け、鞘を握ったままの拳で撃ち殴った。
歪曲面と削刃が軋みを上げて砕け散り、真鍮の燐光が奔流となって吹き荒れ二人を押し流した。
「チッ!」
「ふっ!」
燐光の中を桜花が跳躍。更に陽の光を後光に背負う。片手に5、両手で10本、扇状に投擲されたスローイングナイフが、広範囲でメタルジェットを吹き付ける。アウトスパーダは既に展開し切った。手元の12振りを盾にし防ぎ、軋んで砕ける。その隙間から桜花の叫びが木霊した。
「例えそうでも! 私は!」
「自己完結する位ならば求めるなッ!」
叫び――桜花が消えた。
背後。レイロードの背後に銀閃が輝く。再び上から唐竹の一閃。振り向き様に抜刀するが、遅い。桜花の刀は眼前、レイロードの大太刀は鞘半分。
だが、柄は近い。
抜きながら柄で桜花の刀を捌き、そのままに振り切る。それを桜花が前方に回転し躱し、踵落しに繋げるが、先程振り切った一撃、それを納刀の型を利用し、腕でその脚を抑えこむ。
すかさず自戒を全身に発動。レイロードと接触していた桜花にも、その効果は波及する。次いで足元の、羽刃の墓標が立ち並ぶ大地に向かって叩き付けるように倒れ込む。
「つっ! くっあぁぁ!」
「グゥウウウッ!」
急激に増えたであろう自重に耐えかねてか桜花が、そしてレイロードが呻き声を上げる。
桜花に掛かった重量は恐らく500キロ前後。華奢な少女の力では耐えかねる荷重だろう。尤もレイロードに掛かった荷重は1トンを超えていた。桜花の脚を押さえ付け倒れ込む最中、右肘を桜花の腹部に。増幅された質量と大地を以っての打撃を狙う。
そのレイロードの左脇腹に、桜花の膝が当たった。相打ち狙い。しかし、耐えられる。
時間が引き伸ばされて行く感覚の中、苦悶に歪む桜花の貌に、その双眸を、輝く黒真珠の中心に見た。放射状に奔る己顕の収束光。これが、本来は見えない何かを見せていたのだろう。
大地が迫り、そして草原の死地が歪むのを見た。桜花は諦めてなどいない。だが、例え大地の反動を殺せたとしても、レイロードの肘は確実に届く。
そして、歪んだ草原に、二人の体が沈んだ。
「クッ!」
「っ!」
顕装術の初動に依る強化は間に合った。それでも、貫くような衝撃がレイロードに襲い掛かり息が漏れる。桜花はそれ以上の筈だった。しかし、
「ま……だっ!」
苦悶の声と共に桜花の肘がレイロードを襲う。桜花に掛けていた自戒を解除し掌で受けるが、掌を貫いて頭部を衝撃が襲う。その衝撃で一瞬、明滅する程度の僅かな時間意識が飛び、桜花の上から飛ばされ大地を滑る。
桜花が、フラつき、途中で倒れかけながらも、何とか立ち上がる姿をレイロードは見た。
「浸透勁、と……言う物が……あり、まして……ね」
口元を歪めながら、途切れ途切れに桜花が言葉を繋ぐ。
レイロードの剣技の中にも、柄を使用した技に存在している。要するに、レイロードの肘から来る衝撃を、桜花自身が浸透勁に変え、衝撃を全身、ひいては背後の湾曲空間に流し、顕装術の強化と併せて威力を激減させたと言う事か。その証拠とでも言うように、桜花の体に外傷らしき痕は見当たらない。と、そこで理解した。あの服装の意味だ。どれ程に攻め入ろうが傷付かぬ事を見せ付け、相手の戦意を削ぐための物。尤も、今更関係ない事だと、レイロードは眉間に力を込める。
「そう、か」
そして、左脇腹を抑え、体を軋ませながらも立ち上がった。一瞬とは言え頭部に衝撃を受けたにも関わらず、桜花に比べれば余裕がある。その姿にか、桜花が口を開いた。
「な、ぜ?」
「慣れて、いる」
「そう……ですか」
会話をしながらも、桜花が徐々に持ち直しているのが見て取れる。比べてレイロードは持ち直しが遅い。
「終わりにします……さぁ、見せて下さい……天の先がある事を……」
宣言と共に桜花の刀が鞘へと収められ、拳が握られる。"閑音"が来る。対策は、ある。恐らくは……。桜花にもダメージは残っている。ならば、止められる。だが……。
「今、その先にあるのは……お前の死、だけだ」
「足れば、それもまた……行きます!」
桜花が大地を蹴り踏み込む。恐ろしい程十全に。しかし、キレが悪い。それでも、真っ向に当たれば分が悪い。泥沼が待っているだろう。
昔のやり方で戦う方が幕引きは楽そうだとレイロードは思案する。早ければ軽い。耐えられる。重ければ遅い。捌き切れる。後は、無心。自戒を内面へ最大限に展開する。
レイロードの眼前に届いた桜花の左脚が大地に着き、右拳が撃ち込まれんとする。
その一撃に、墓標と化していた明鴉を再操作。盾を形成し質量を与える。
「ッ!?」
桜花の顔に険しさが垣間見えるが、拳は止められないだろう。インパクトの瞬間を見極め、右拳で盾を撃ち殴って押し込む――接触の僅かな時間、羽刃の一部が縮んだのを見た。刹那、鳴る筈のなかった轟音と共に明鴉を解除。真鍮の燐光が弾け飛び大気を揺らすが、それだけだ。
桜花の繰り出した攻撃に象圏が捉えた圧迫感。実際何かを圧縮させたのだ。恐らくは空間を。歪曲出来るのだ、圧縮くらい出来るだろう。
そしてその圧縮空間に歪曲空間を接触させ、打撃を叩きつけると共に圧縮空間を破壊、舞い散る桜は砕けた空間の残滓。空間が砕け復元に伴い膨張し、撃ち込まれた打撃の衝撃も膨張され、空間破壊の余波と合わさり尋常成らざる威力を生み出していた。
ならば、圧縮空間内を、質量を伴った別の物で満たしてしまえば、打撃が加えられた際に衝撃はそこで止まり、余波に対する緩衝材にもなる。そう考え、そしてそれは的中した。尤も、それでも威力は凄まじく、明鴉を解除しなければ、押し出された明鴉でミンチになっていたであろうが。
眼前が開け、真鍮の瞳が桜花の姿を捉えた。長い長い黒髪を風に靡かせ、朱のマフラーを翻して。哀しげな、寂しげな表情を湛えて。
「残念です……」
憂いを帯びた表情を隠さず、桜花の右脚が静かに引き戻された。
「ガッ、ァアッ」
レイロードの口から苦悶の音が吐出される。桜花の右脚はレイロードの左脇腹へ、拳打によって大きく開いたそこへと撃ち込まれていたのだった。
――狙い過たず――
威力より速さを取った蹴り、自戒により増加していた質量、それらが合わさり体が砕ける事はなかったが。
――想定通りに――
桜花の拳が再び引き戻され、構えをとる。
レイロードは右手で左脇腹を抑えたたらを踏んだ。左脚を一歩後退るも、そのまま体が崩れて左膝が大地に着く。
――極、自然な流れで――
桜花が踏み込み、最後の一撃を撃たんとした時、レイロードの右手が、大太刀の柄に触れた。
「ぁ……」
呆けたように表情が抜け落ち、桜花の右手が霞む。だが、遅い。掠れた声を漏らしながらも、桜花が後腰に佩いた刀を滑らせ、大地を蹴らんとした時には、既に。
顕装術とは、型に事物の有り様を見出した事により、己顕の行使を可能にしたとされる武術である。
ならば、本来城内で座した状態にて刺客に襲われた際、より疾く返り討つために生まれたとされる"居合"ではどうなるのか。
片膝を立て、左腰に鞘を握り、柄に手を掛けたその型こそは……。
――真伝朔凪派夢想剣・初の演――
真伝朔凪派夢想剣、開祖の太刀筋。時でも飛ばしたかの如きその刃が、桜花の鍔元へと突き刺さっていた。
銀閃が陽光を映し輝き光り、夜色のマントが蒼穹に翻る。
大地を蹴り抜いた脚が、振りぬかれた大太刀が、レイロードに地を滑らせその身を反転させる。
その背の先で、少女が烈風に吹き散らされた木の葉が如く舞い散り、蒼穹の天へと打ち上げられていた。大地に突き刺さっていた筈の真鍮の羽刃、全10240振りを連れ立って。刀を、"桜花"を地に落として。
レイロードの右手が、大太刀と共にゆるりと持ち上げられ、そして振り払われる。あたかも、将が軍の布陣を命じるように。その指揮に応え、羽刃が打ち上げられた桜花を中心に捉え、球状に布陣し一斉に切っ先を向ける。突撃の命が下るのを待つように。
それを背にして、レイロードの大太刀が徐々に鞘へと収められ、鍔元付近で留められる。
そして……。
――ブレードスフィア――
鍔鳴り一つ。引き金は引かれ、撃鉄は落とされた。
秒速400メートル、総数10240に及ぶ羽刃の軍勢が、突撃の連鎖を起こしながら唯一人に撃ち出される。
風を斬り裂き、音を置き去り、閃光となって、飛来する羽刃が天球の中心へと収束し、交差し、弾けて散った。
役目を終えた翼は砕け、千切れ、ひしゃげ、空への憧憬を打ち破られ地へ落ちる。
真鍮が豪雨となって降り注ぐ中、レイロードはただ、何時もの渋面を張り付け、静かに大地に突き刺さった"桜花"を見つめていた。
その姿は、刀身の鎬が文字通りに削られ芯鉄が露出し、桜を象った鍔は断ち切られ存在すらしていない。咄嗟に採った防御が刃を滑らせ、"初の演"の一撃を和らげ、一太刀で両断されるのを防いだのだろう。桜花が振るったその技量に、思わず声が漏れる。
「見事な、ものだな……」
戦いに、その後に、高揚感を感じた事などありはしない。かと言って虚しさを感じた事も、ない。己で選び、己で振った剣なのだ。故に、後悔も、ない。
「何時か、俺もまた、か……」
戦場に生きた英雄達も、平時になればただの暴力。時代が下がると供に、次第に疎まれ、そしてより新しい英雄達に駆逐されていく。
ならば、せめて誇ろう。この時を、戦場を生きた者達の剣を。
死者は語らない。所詮は自己満足。そんな事は分かっている。だがせめて、振るった剣の納所に、誇りを掲る位は赦されていい筈だ。
今も降り止まぬ真鍮の雨の中、そんな想いを胸に秘めていたレイロードの頬を、何かが撫でた。
薄く、淡く、優しい色合い。先の少女を偲ばせる、桜の花びらが。
「こんな所にも、咲いていたのか……」
季節外れの桜に触れようとして、手を伸ばし、されど風に巻かれてすり抜けた。あの少女と同様に。次に訪れた桜も、掴む事は出来なかった。
そんな自分の姿が滑稽で、レロードは自嘲する。
何時の間にか真鍮の雨は上がり、その時再び風が吹いた。大量の桜を引き連れて。
「何だ? 何処から……」
レイロードの視線が桜の群れを追う。天に登った桜は渦巻いて宙を踊り、そして再び地へと降りて行く。その動きは、最早、風とは無関係だった。
レイロードの頭に、ある一つの可能性が過ぎり、声が零れた。
「まさ……か……」
呆然と目を見張るレイロードのその先で、桜の群れが一点へと集約し始め人型を象る。そして、象られた人型の足元から花びらが翻り、急速にその色を変えて行く。変貌が遂には頭の先にまで達した時、そこには、目を瞑った少女の変わらぬ姿が佇んでいた。