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御免こうむります。  作者: はいじ


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29/57

一足先に、賢い子供と


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


そうやって、どれくらい走っただろうか。

俺は初めての人間の体で初めての二本足での走りに頭がクラクラするようだった。

ゼェゼェと息が上がる。

こんな感覚は久しぶりだ。


たくさん足を動かしたような気がするのに、周りの景色は猫の足で軽く走った時よりも遅い。人間の足が遅い事は知っていたが、まさかここまでとは。


俺は背後からアカの声や気配を感じなくなったのを確認すると、ピタリとその足を止めた。

しかし、いつもは走った後にピタリと体を止めても綺麗にバランスを取れるのに、今日はそのまま勢いよく前へつんのめってしまった。

あぁ、いつもは尻尾で体の動きや勢いを調整していたんだ。

けれど今は尻尾はない。

それに、二本足だから体の上の方の重さが、そのまま前の方へ流れてしまったんだ。


俺は固い地面で膝や手を強打しながら、頭の片隅でそんな事を考えていた。

猫のつもりで体を動かすと、多分大きな失敗をする。

怪我をしてしまうだろう。

というか、現在進行形でとても体中が痛い。


俺はズキリズキリと痛みを催す膝小僧をうつ伏せになったまま見つめると「はぁ」と自然と口から溜息が洩れるのを感じた。

猫の時は溜息をつくだけで人間に近付けたような気がしてワクワクしていたが、いざ人間になって溜息をついてみると、それはどうしようもなく俺の気分を下降させた。


まさか、アカからあんな目で見られるなんて。

まだ再会して時間は経っていないが、あんなに俺を慕ってくれていたアカからあんな目で見られるなんて思い出すだけで胸がずきずきする。

アカのあの顔は俺の心を溜息でいっぱいにする。


「……アカ、俺の事へんなやつだって思ったかな」


俺はポツリと呟いた。

俺は人間になりたいと思っていた。

そして、今、本当に人間になれた。

だから、俺は浮かれていた。

人間になればアカやしろとおしゃべりできると本気で思っていた。

けれど、それはとても浅はかな考えだったのだ。


普通に考えればわかる事だったのだ。

人間の姿の俺が「猫のキジトラだよ」なんて言って誰が信じるだろうか。

きっと、みんな変な奴だと思うに違いない。

それに、もし信じたとして皆が俺を気味悪がらない筈がない。

みんな、さっきのアカみたいな顔をして俺を見るに決まっている。

猫の時だってそうだったじゃないか。


死なない変な猫になって、みんな俺に近寄らなくなって、嫌われるようになった。

けど、俺は人間の中で人間に交わりながら生きていたから、同族に嫌われても気にしないようにしていた。

俺は人間の中で生きるんだ、そう思ってなんとかやりすごしていた。

本当は、ちょっと、いや、けっこう胸がずきずきしたのだけれど。


けれど、今はどうだろう。

今度は俺は“変な人間”になってしまった。

それがアカやしろにバレたら、今度こそ俺は人間からも嫌われるに違いない。

そしたら、今度は俺は誰にごはんを貰えばいい。

誰にすりすりしたらいい。

また一人ぼっち、それは絶対にいやだ。


「……いたい」


俺は少しだけ血の滲む手のひらを見ながら、ゆっくりと体を起こそうとした、


その時。

俺の頭上に影ができた。


「外国の人だー!外国の人が道路で寝てるー!」


「っは?」


突然、俺に向かって人間の子供特有の、高くて、うるさくて、キンキンした声が響いて来た。

がいじん?がいこくのひとはなんだろう?


俺が目をパチパチさせながら顔を上げると、そこにはやはり人間の子供がいた。

子供と言ってもアカやシロが大きめの子供なら、これは小さい方の子供だ。

アカやシロは子供は子供でも大人になりかけの子供。

目の前のこれは、まだまだしばらく子供の子供。

そして、多分オスの子供。


子供は背中に黒い四角の入れモノをしょって、倒れる俺の前に座り込んで来た。

頭には黄色いかぶりものをしている。


「がいこくのひとって?」


「うわっ、日本語喋った!外国の人じゃなかった!」


子供はそう言って、何がおかしいのかケラケラ笑うと倒れる俺に向かって手を伸ばしてきた。差し出された手に、俺は一体どうしたらよいのかわらかず、しばらくその手を見つめていた。

そんな俺に子供は、更に俺に一歩近づいてきて「ほら、だいじょうぶか?」と笑う。

俺はとっさに伸ばされた手に自分の手をのばすと、俺よりも大分小さなその手が俺の手を引っ張った。

俺はその力に吸い寄せられるように、ズキズキ痛む足で前に踏み出した。


「ありがとう」


「どーいたしましてー!」


何も貰ったわけじゃないのに俺の口から自然と漏れた“ありがとう”。

けれど、どうやら使い方は間違っていないらしい。

ありがとうは何か貰った時や、してもらった時に自然と出る言葉。

そして、“どういたしまして”はありがとうを言って貰った時に返す言葉。


俺の中でありがとうに関する意味が増えて行く。


「お前、髪の毛が変な色だし目も変な色だから、がいこくのひとかと思ったぜー」


「俺、へん?がいこくのひとって何?」


俺はオスの子供の言う“変”という言葉に慌てて自分の髪の毛に触れると、子供は笑いながら「変へんへーん!」と笑う。

どうしよう、俺はもう気の色も目の色も“変”なのだろうか。

そうだとしたら、どうにかしないと。


そう、俺が一人でオロオロしていると子供はにこにこ笑いながら「外国の人っていうのはー」と話し始めた。


「日本人じゃない人のことだよ!」


日本人?そういえば、昨日アカも似たような事を言っていた。

日本語とか英語とか。

一体それは何なのだろう。

俺は「がいこくのひと」なのだろうか。それは変なのだろうか。


「日本人って?」


「お前大人の癖にそんなことも知らないのかよー!それに大人のくせに仕事もしないでこんなとこに居るなんて、お前ニートだな!」


「にーと?にーとって?」


子供の口から次々飛び出す知らない言葉の数々に、俺は混乱し始めていた。

俺はがいこくのひとで、にーとなのか。

それとも、にーとでがいがいこくのひとなのか。

わけがわからなくなってきた。

知らぬ間に太陽は少しずつ上の方へ上って行く。

俺の混乱もどんどん上の方に上って行く。


「わかった!おれがニートのにーちゃんの為に、学校サボっていろいろ教えてやるよ!こっちきな!」


「っう、うん!」


子供はまたしても俺の手を掴むと、すぐ近くにある公園に俺を引っ張った。

ここは人間の子供が遊ぶところだ。

俺は今からこの子供と遊ぶのだろうか。


しかし、俺の予想に反して子供は公園の中にある遊びモノには目もくれず、脇の方にある人間が座る為にある木の椅子まで俺を引っ張った。

そして、子供はそこにちょこんと座ると、何やら背中に背負っていた黒い入れモノから何かをゴソゴソと取りだす。


「にーとのにーちゃんは隣に座って!ここ!」


「うん」


俺は子供の言う通りに木の椅子に座る。

すると、すぐ隣で子供は「あった!」と叫ぶと、何やら色とりどりの綺麗な紙の束を取り出した。これは知っている。“本”だ。人間は紙にいろんな事を書いて、それを見たり、読んだりするのだ。


「これが、世界地図!日本っていうのはココ!俺達が住んでるところを日本って言うんだよ!」


「俺達が住んでる所の名前が日本?これが、日本?」


子供が本を開いて示した場所は、なにやらグネグネと様々な形をした絵が描いてあるページだった。そのグネグネした場所の中心、そしてとても小さなグネグネを指さし、子供は「日本だよ」と笑う。


「じゃあ、他のコレとかコレはなに?」


「それは日本以外の国。俺達が住んでる場所以外にも世界にはたくさんの国があるんだよ!これはアメリカ!これは中国!」


「世界……」


俺は子供の広げた世界地図を凝視しながら目をぱちぱちさせた。

俺が全てだと思っていた場所は、地図の中ではこんなに小さい場所で、実はこの世にはもっとたくさんの、そしてとても大きな日本のような国がたくさんあるらしい。

俺は自分の住む場所が日本、という大きなくくりで名付けられており、そして更にその外ではもっとたくさんの国が存在する事を初めて知った。


「世界は広くてねー、場所によって話す言葉も目の色も髪の色も全然違うんだよ!日本人は日本語って言葉を話して、髪の毛は真っ黒、そして目も真っ黒!でもニートのにーちゃんは黒じゃないから外国人かと思ったんだー!」


確かにそうだ。

俺は今までたくさんの人間の中で生きて来たが、その殆どの人間の毛の色は黒だった。

そして、皆目の色も黒がほとんど。

言葉は、今俺達が話しているコレしかないと思っていたが、どうやら住む場所によっては話す言葉すら通じないらしい。

けど、アカやシロの毛の色は黒じゃない。

だとすると、アカやシロは日本人ではなく外人なのだろうか。


「けど、髪の毛は好きな色に染められるから絶対黒ってわけじゃないもんな!にーとのにーちゃんは日本語上手んだし、日本人みたいだな」


「俺、生まれた時からずっとここに住んでる」


「じゃあ日本人だ!にーとのにーちゃんは髪を染めたから黒じゃないんでしょ!」


子供は言うなり俺の返事など聞かず「ぜったいそーだな!不良だなー!」と一人納得して世界地図を閉じようとした。

しかし、俺はまだそれが見たかったので「ちょっと待って!」と子供の手を止める。


「ねぇ、えいごはどこの国の言葉?」


「英語?英語はアメリカとかイギリスの言葉だよ!こことここ!」


俺は昨日、アカに聞いた疑問の答えを探るべく子供に尋ねた。

すると、子供はとても大きなギザギザと、小さなギザギザを指さした。

じゃあ、昨日俺が言った「おっけー」は日本ではなく、アメリカやイギリスの言葉だったのか。

俺は知らぬ間に、世界の言葉を使っていた自分に少しだけ嬉しくなった。

自然と表情に現れる笑顔。

俺は今にこにこだ。知りたかった事がわかったし、新しい事もたくさん学べた。


どうやら、ここは日本と言う名前の国で、ここに住む人間の事を日本人というらしい。

そして世界には日本と同じような国がたくさんある。

言ってしまえば俺達日本人の縄張りはが日本であり、他はそのほかの国の人達、つまり外国人の縄張りなのだろう。


「すごいなぁ。子供なのに、物知りだね」


「へへぇ、そうかな?そうかな?」


「うん、すごいよ。だって大人だって知らない事だよ。これは。かしこい子だね」


昨日、アカは難しくて答えられないから待ってくれといった。

けれど、アカよりもずっとずっと小さいこの人間の子供は、いともたやすく俺の疑問を解決してくれたのだ。

つまり、俺は毛や目の色は違うけれど“日本人”で、人間という事に関しておかしいところはなさそうだ。


少しだけ気持ちがほっとする。

しかし、俺が日本人で日本という国に住んでいるのはわかったけれど、先程からこの子供が俺を呼ぶときに使う「にーと」とは何だろう。

兄ちゃんは知ってる。アカが俺を呼ぶ時に使う“兄貴”と同じ意味で、兄弟の自分よりも先に生まれた者のオスを指すのだ。


「じゃあ、にーとってなに?」


「ニートは大人なのに働かないやつの事!それがニート!」


大人なのに働かないやつのこと。

それが、ニート。

俺は子供の言葉に「ほう」と頷くと、自分の手を見た。


「俺、大人なのに働いてない」


「ほらー!やっぱりニートの兄ちゃんはニートだー!駄目なんだぞー!ニートは!大人は働かなくっちゃ!」


「ニートはダメなのか?」


「うん!俺は子供だから働いちゃダメだけど、大人は働かないと!仕事しなきゃ!」


はたらく、はたらく。

しごと、しごと。

そういえば、人間にはたくさんの種類が居る。

ごはんを作る人だったり、畑を耕す人だったり、悪い人を捕まえる人だったり。

そういう人達はそれぞれ自分の“しごと”をして“はたらいて”いる。


「大人は働いてお金を貰ってしゃかいの為に働かないとダメだんだ!だから、俺は大人になったらおまわりさんになるんだ!」


そう言って満面の笑みを浮かべた賢い子供は「ふふふ」と急に手をピンと伸ばし頭の横に斜めに構えた。

なにやら「けいれい!」と叫んでいる。

どうやら、賢い子供はおまわりさんになりたいらしい。

しかし、俺は昨日そのおまわりさんに捕まったばかりなせいか、素直に喜べなかった。


「おまわりさん……。ねぇ、俺は何になればいいかな?」


「そんなの俺に聞いてもわかんねーよ!それは自分で決めなきゃ!ニートの兄ちゃんのなりたいものになればいいんだよ」


子供はそう言って俺の手から世界地図を取ると、また黒い入れモノの中に仕舞い込んだ。

そして、俺と会った時のようにソレを背中に背負うと、座っていたベンチからジャンプして下りた。


「ニートの兄ちゃん、俺そろそろお腹すいたから学校に行くよ!」


「がっこう?がっこうはご飯を食べるところなのか?」


「んー、ご飯も食べるけど、学校っていうのは勉強するところ。知らない事を勉強して知るのが学校」


「そうだったんだ、知らなかった」


「ニートの兄ちゃんは本当に何にも知らないなぁ。いいよ、また今度会ったらいろいろ教えてやる!俺、賢いから!」


そう言ってピョンピョンと跳ねる子供の言葉に俺は気持ちがパァァァとなるのを感じた。さっきまでの溜息がウソみたいに消える。

この子供は何と優しいのだろう。子供なのに大人のようだ。


「ありがとう!またいろいろ教えて!」


「いいよー!じゃーなー!ニートの兄ちゃん!ちゃんと働けよー!」


「わ、わかった!」


俺は賢い子供が手を左右に振るので、俺も真似して振ってみた。

どうやら人間はさよならの時に手を左右に振るらしい。

またひとつ、人間の事を知れた。


「はたらく……」


俺は子供の言っていた言葉を口に出しながら、考えた。

人間の大人ははたらかないといけないらしい。

あの子供はおまわりさんになりたいと言っていたけれど、俺は何になれるのだろう。


一人になった公園を出て、俺は今度は走らずにゆくっくりと歩く。

もうアカは追ってこないし、走ると息がゼェゼェなるから余り走るのはよそう。

それに、まだ慣れてないから転ぶかもしれない。

痛いのは嫌だ。


「人間は何になるか、どうやって働くのか自分で決める。俺は何になりたいんだろう」


何になりたい、と自分に問いかけてもわからない。

俺は人間を観察はしていたが、どのくらいの“はたらく”があるのかよく知らない。

知らないのに、したいことは考えたってわからない。


猫はしたいことをする。

行きたいところに一直線だ。


けれど、人間はそうもいかないらしい。

したい事をするのにも、たくさんの事を知らないといけない。

そうしないと、したい事すらわからない。

人間とは本当に難しい生き物だ。


そうやって俺がそろろそろと歩いていると、突然、人間のメスの大きな声が耳に響いて来た。

オスの声と違って高い、キンキンの声だ。


「ちょっと!来れないじゃ困るわよ!私一人じゃ大変だから頼んだのに!」


俺は思わずキンキンの声の方を見ると、女は何やら四角い何かに向かって怒鳴っている。

あれはしろも持っている携帯だ。

人間は本当にアレに向かって怒鳴るのが好きだなぁ。

俺がぼんやりとそんな事を思っている時だった。


「こっちは猫の手も借りたい位なの!」


「っ!」


猫の手。今、このメスは猫の手と言わなかっただろうか。

猫の手も借りたい。

そう、このメスは確かにそう言った。

俺は尻尾があったらきっとピンとなっているであろうこの状況で、体がウズウズ擦るのを感じた。猫の手ならある、俺の手だ。


俺は携帯に向かって「このバカっ!」と言い捨てて顔から離した人間のメスに駆け寄ると「あの!」と声を上げる。

女が驚いた顔で俺を見る。

けれど、俺はにこにこだ。だって、猫の俺にも出来る“はたらく”があるかもしれないのだ。


「猫の手、貸します!」


そう言って差し出した俺の手を見て俺ははっとした。

そういえば、俺は今人間だった、と。


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