青の希望(最終回番外編、前編)
ドームにミサイルが落ちるという公共放送が流れ。大勢の者が海底日本から脱出したり、
地下のシェルターで息をひそめる中。こじんまりとしたアパートが並ぶ住宅街の一角で。
筋肉質の色白の男は。肩を摩りながら言った。
「此処はもう大丈夫みたいだが………アイタタタ」
「殿! だからオッ……休んでいてくださいと申しましたのに!」
「今、オッサンと言ったね? 結構気にしてるんだよ。」
「サ、サンを呑みこんだから、その、セ、セーフではないでしょうか? …すみません……」
しどろもどろでそう言う鮭延に、最上は大笑いした。
「太陽を飲み込む男か! それはそれでいいねぇ。
まぁ義元殿達とか、他のオッサン達もパトロールを頑張っているんだから、
私もがんばらなきゃいけないんだよ。もうちょっとだけ探そうか。」
最上と五人の四天王、その他の武将、そして足軽達は。
住宅街を中心に逃げ遅れた人がいないか、山岳用の車で探し回っていた。
……パトロールを再開して数分が経ち。最上は肩をトントン叩くと。皆をぐるりと見回して言った。
「そろそろ引き揚げるとするかね。さぁ、私達もシェルターに急ぐよ。」
最上の合図で車やバイクは住宅街を抜ける。……そんな彼らから離れた住宅街で。
ジャージ姿の背が高い中年男は。荒んだ顔を醜く歪めて叫んだ。
「もうどうせみんなしぬんだははははあああああああーーーーーーー!」
人気のない住宅街で包丁を振り回す中年男。獲物を見つけた彼の目はぐわっと見開かれ。
逃げ遅れた子連れの母娘を追いかける。そしてついに。
「逃げなさい!」
「おか…さ…ん…」
追いつかれた母親はマスクをした女の子の前に立つ壁になり。
中年男は母親を突き刺そうとする……かのように見えたが。
銃声がした直後に男はがくっと膝をつき。包丁は冷たい音を立てて転がった。
「てめ…え……ヒイイイイイ!」
肩から血が細長く垂れる中年男が見たのは。軍服姿の若者二人。
色黒のスラリとした長身の男と、絹豆腐のように白い肌の美男子であった。
白い肌の美男子は素早く包丁男に近寄ってみぞおちを殴ると。テキパキと捕縛し。
色黒の男は震えながら座り込む母親と、そんな彼女の前に立つ真っ赤な顔の少女に視線を移した。
「ありがとう…ございました……」
「…あ…り…が…」
咳き込みながら頭を下げる少女を見た拳銃使いは、
銃声を聞いてバイクでやってきた山岳帽子の男達に彼女たちを引き渡した。
「佐々大佐。シェルターまで警護してやってください。あとコイツも。凍死したら面倒くさいので。」
「畏まった。岡殿も、名古屋殿も怪我上りですから早く……」
「それはお互い様でしょう。」
「ですな。」
五人は苦笑いで敬礼すると、佐々の連れの男達は親子をそれぞれ乗せてシェルター、
佐々は包丁男を犯罪者用シェルターへ。
岡と名古屋は放置自転車の画像を携帯端末に取ってからそれに跨り、パトロールへ向かった。
包丁男を担いで犯罪者シェルターに向かった佐々は。シェルターの中で喧嘩をする男達を見た。
家族持ちの看守も避難したため、残った有志では手が回らないのだ。
佐々は包丁男を放り投げて仲裁に入ろうとしたが。それより先に仲裁に入ったのは長い銀髪の男だった。
あれは、ARE軍の総大将の副官……銃に手を掛けた佐々だったが。すぐにその手を下した。
包帯が両腕に巻かれた銀髪のその若者は、素手だったのだ。
「喧嘩をする体力は温存しろ。これから何があるかわからないのだから。」
流暢な日本語に目を丸くする佐々だが。
とりあえず暴れた男達を銀髪の男とその部下達とぐるぐる巻きにした。
「日本人は……本当に…愚かだ…犯罪者など助ける必要は無い…」
長髪のその若者は痛む腕をさすりながらどさっと倒れ。
佐々はARE軍の兵士と一緒に彼を横たえると、慌てて駆けつけてきた看守三人を見た。
彼らの頬にはアザ、腕には傷があった。
恐らく、暴れる犯罪者にやられたのだろう……気の毒に。佐々はため息を吐いた。
「申し訳ありません!」
「いや、こんな時にまでここに残る貴方達は人の鏡だ。……ご家族は?」
若者と中年の男はいません、と苦笑いし。
初老の男はもう十分顔を見たから飽きた、と豪放磊落に笑った。
「佐々大佐。このシェルターの上には『富士山』という名前のジャングルジムがありますぞ。
折角ですから登頂なさったらいかがですか?」
……その後。
「一つの文明が沈むまであと少し……。」
包帯グルグル巻きの腕で肩を摩る佐々と、シェルターに親子を送った彼の親友の山岳愛好会の二人は。
犯罪者用シェルターのある公園のジャングルジムの上に立ち。頭上にワイングラスをかざした。
彼らが頭上にかざした白ワインには夜空が溶け出す。
「キリマンジャロ!」
「エベレスト!」
「モンブラン!」
彼らはカチャン! と三人一緒にグラスを当てると、夜空を見上げた。
「天井がぶっ壊れるなんて想定ガーイ! ハハハ!」
「華国の故事で、天井が落ちてくると怖がる少年がいたよな。あれは杞憂じゃなかったぜ!」
空元気で笑う二人。一方。腕の痛みに顔をしかめて目を閉じた佐々の脳裏には。走馬灯が走る。
「もっと色々な山に登りたかった……。私は、何故戦士になったんだろうか?
ロープウエーに張り付いたり、人間離れした中年男に電気ショックを浴びて死にかけたり、
わけのわからないことばかりであった……。」
「ロープウエーに張り付いたのはお前の趣味だろ。もっといい作戦があったんじゃないのか。」
呆れ顔の二人に佐々は照れくさそうに笑った。
「あの時私の心は遭難していたのだ。まあ信長様にお仕えしたのは後悔していない。
気分屋な信長様に遠心分離機の如く振り回されて、胃が痛いことも多かっ………アアアアアアアアー!」
「動画大賞の申し込みは来週までだよな!」
「それより報告か、シェルターの中のみんなに教えてやるのが先決だろ!」
携帯端末でドームの外を見つめる山男たちの目に。青く輝く宝石が映った。
―――少し時間は遡り。
慶次達に気絶させられた後、目を覚ました謙信は。
彼らが逃げ遅れた潜水艦の探索に向かったことを喜多先生から聞いた。
「私のせいで…部下達を死地に向かわせてしまった……」
「謙信様のせいではありません。謙信様が必死に務めを果たしておられることは、
誰もが……」
「わた…しが…むりょ…く…だから……」
「そんなことないよ…」
もらい泣きする喜多先生に抱きしめられて、堰を切ったように泣き出す彼女だが……
直ぐに彼女は長い睫についた滴を指で拭い、立ち上がった。
もう艦内にミニ潜水艦は無い。……それなら振り向かずに進むしかない。
そう決意した彼女は喜多先生に礼を言うと、背筋を伸ばして艦長室の椅子に座った。
「もしもし、宇佐美? お疲れ様。状況は……」
彼女は幹部の宇佐美に電話を掛けて状況や現在地を尋ねると。
その内容及び一部始終を本部に報告した。
「……以上です。私だけ逃げることになり、申し訳ございません。
ですが…こうなった以上、皆の命は守って見せます。」
「前もって慶次殿から連絡は着ていた。
謙信殿が生き残ってくださればこちらも心強い。どうか国民達を……アアアア!」
「どうかなさいましたか!」
「私達を守る青い光が点灯したのだ! 一応謙信殿達は避難していてくれ! 一旦失礼する!」
信長は本部のスクリーンに移る、青く輝く光に見とれていた。
「これは美しい……プラチナ・シャーベットは芸術集団だと言うが。
こんなに美しものを壊そうとしていたのか……。いや、真に美しいのは……」
信長は、真っ青な顔で爪を噛む家康、強烈な痛止めを打ってまで情報処理等を手伝う井伊、
のど飴を無表情で舐めている信玄、ギリギリまでパトロールをしていた本多・酒井・榊原・武田四天王・最上と五人の四天王・伊達達・北条達・村上と九鬼達・佐々達・柴田と前田達・蒲生達・森親子達・義元達・信之達・松永達・家康の兜の十五人の子孫たち・その他武将やボランティアの一般市民、
足軽達の動画、そしてここに居る疲れ切った足軽達を、
大仕事から帰ってきた家族を迎えるかのように見つめた。
「皆の……戦う心だ!」
信長は青い光に負けないほどの、神々しく輝く笑顔を見せた。
―――その後。信長達は様々な戦後処理に忙殺された。
AREの海底日本侵攻、地上日本の元首相達によるキラン密造および住民見殺し事件の証拠集めと、
世界連合への訴状作成。
破壊された建物の修繕、インフラの整備等の復興。そして捕らえたARE軍総大将と兵士への処分。
なんとかARE軍を撃退したとはいえ、課題は山積みであった。
そしてARE軍の兵士達を捕らえてから一週間後。
信長は、巨大な会議室に家康、二人の謙信、信玄、その他武将、外交省などの文官を集め。
建て直されたネオ安土城で会議を開いた。
「『俺が勝手にやったことで大統領は関係ないし、部下も作戦に反対だったが無理矢理連れてきた。
全ては私の独断だ。罪は私がすべて背負う。』
と、総大将はのまたっていたが。行也君が録音してくれたデータを聞く限り、真っ赤な嘘だな。
部下はまぁ……子供のころから目をかけられていて、逆らえないというのはわからないでもない。
情状酌量の余地はあるだろう。AREが私達との条約を守るかどうか次第だな。
総大将はどうするべきであろうか。AREとは罪人引き渡し条約を結んでいるから、
此方で罪を犯したARE軍は留め置けるのだが。大統領は帰国させろと煩い。
もし引き渡す場合、問題なのは……。奴が卑弥呼の土の弱点を知ってしまったということだ。」
「通信機器も奪ったし、奴と奴の部下にお互いの動画も見せておらぬから、
知っているのは奴一人だ。やはり、奴だけは国内に留め置くべきだと儂は思う。
弱点がAREに発覚するのは時間の問題ではあるが、こちらの軍備を切り替えるには時間も金も掛かる。
少しでも時間稼ぎが必要なのだ。
かと言って、武器を放棄して永世中立国になるのは……このご時世では難しいぞ。」
ガラガラ声で持論を述べる信玄。皆も部下や家族の顔を思い浮かべ、深く頷くが。
信長だけは信玄の説に賛同しつつも、割り切れない顔をした。
「確かに……そうなのですよね……。」
信長はAREの総大将が海底日本を荒らした張本人にも関わらず、嫌いにはなれなかった。
むしろ、部下も自分の弟である大統領も庇う姿勢に少し天晴だとも思っている。
彼は一目置いた人間や気に入った人間にはとことん甘い。
総大将が自分の国の建物を壊し、死者は出なかったが人民の心も体も傷つけた男にも関わらず。
余命が短いのに弟と離ればなれなんて気の毒だ、などと考えてしまうのだ。
皆はまたか……とうんざりしたため息を吐いた。
こんなことなら総大将の自決を止めなければよかったんじゃないか、と思うものまでちらほら現れる。
そんな中、外交省の長官は手を上げた。
「確かに国外には出したくないのですが……。
もしここで病死した場合、毒をもった等の疑惑が出ないように細心の注意を払わないといけませんね。」
「だがここであっさりAREに引き渡したら、日本は侵略者に甘い国という先入観がついてしまう!
そうなると、また同じように攻めてくる国が出現するかもしれない!」
外交省の長官の言葉に謙信は机はバン! と叩いて反論し。その隣で彼の妹の謙信も深く頷く
「私は信玄殿や兄上のご意見に賛成です。やはりここは受け渡しは断固拒否すべきです。
せめて、新しい軍備を整えるまでは。……家康殿はどう思われますか?」
「………これは悩ましい問題です。そうですね……。」
腕を組んで真剣な顔を作っていたが。家康は会議の内容が少し上の空であった。
仕事に追われて睡眠不足に陥り、意識が少し朦朧としていたのである。
だが日ごろの行いの良い彼は。如何にも生真面目そうな外見も手伝って、
腕を組んで唸っていれば「深い思慮を巡らせている」ように見えるのだ。
「SS級戦争犯罪人が収容される、世界連合の戦争犯罪人収容所に預けてしまいましょう。」
「は?」
何言ってんのお前。と言いたげな信長の冷たい目。そして疑問を呈する他の人々の目。
家康はそれを見て、思い付きでとんでもないことを言ってしまった……と後悔したが。
一度言葉を放ってしまった以上、ここで取り消したら余計に適当な奴と思われるので開き直った。
彼は眉間に皺を寄せた苦悩の顔を作ったまま続ける。
「誠に難しい所です……ここで奴に死なれたら外交省長官の仰る通り毒殺を疑われてしまいます。
そうしたら人権団体が煩いのではないでしょうか。
それに世界連合軍の収容所なら奴も喋らないと思います。
本多博士によると、AREも卑弥呼の土を使った武器を短期間でバンバン作っているとのことです。
なので、他国に卑弥呼の土の弱点を知られるのは困るのではないですか?
面会は他国の刑務官が必ず見張っていますから、そこで卑弥呼の土の欠点は喋りたくないでしょう。
彼の治療費、勾留に掛かる費用、人件費を節約できるのも、金欠の我らにはありがたいです。
それにAREの大統領は、彼を警護したラザニア氏の話ですと……。
『彼も日本人を毛嫌いしているが、攻め滅ぼす程ではナイ。
俺の印象と、時高君から聞いた話を総合すると、お兄さんよりハ敵対感情が薄いように思えル。
もう攻めてこないヨ。AREの議会も海底日本みたいなちっちゃい国はほっといて、
アメシア合衆国とか華国への対策…発展途中国へのバラマキ他をするために予算を使おう、
という方向みたいだからネ。』
とのことです。総大将もすっかり懲りたようですし、ここは交換条件を持ち出して黙らせましょう。
こちらの日本への侵攻はARE軍総大将の独断だったということにし、
部下の事も多少は情状酌量してやるから、卑弥呼の土の弱点は喋るなと念を押しておけばいいんです。
ARE人は低体温ではない上、綺麗好きで風呂好きですし、
体質も元々地上の日本人程常在菌にまみれていません。
なので風呂に入っていない手で触っちゃって兜とかその武器壊れちゃいました、
みたいなことにはならないでしょう。
人道的に考えても、日本人を毛嫌いしている人物を日本に留め置くのは気の毒ですし。」
まぁそんなに上手くいかないよな。収容所もてめぇの国で面倒見ろとか言うだろうし。
信玄殿辺りがツッコミを入れてくれるだろう。と苦悩の顔を作ったまま呑気に考えていた家康だが。
その信玄が真っ先に賛成し、その後の多数決でも家康の案がアッサリと可決されてしまった。
思わず椅子から転げ落ちる家康へ。信長は暖かい笑顔を向けた。
「家康殿は椅子から落ちる程神経をすり減らし、睡眠時間も削って、
この考えを煮詰めておられたのか……。何と生真面目で仕事熱心なお方か!」
「い、いや……皆様程ではありません! ……本当に…その…」
家康は慌てて手も首も大きく振るが。信長も周りも「何と謙虚な」と好意的な眼差しで彼を見つめる。
家康は少し罪悪感を感じて目を逸らし。
そんな彼から視線を外して顔を少し険しく変化させた信長は次の議題を口にした。
「では、次の議題に入る。……本多博士の処分だ。」
騒めく皆。家康は頭を抱えた。本多博士は扱いにくい上にいけ好かない部下ではあるが。
流石に銃殺刑だの終身刑だのは免れてほしい……と彼は思った。
だが、彼女の犯した罪は非常に重い。卑弥呼の土及びヒデヨシの兜を持ち出した罪は銃殺刑に値する。
防衛戦での貢献度でどれくらい罪が軽くなるのか……。
どうフォローすればよいのか……。下手に庇いすぎても追い詰めることになるかもしれない……と、
本当に『深く思慮を巡らす』家康だが。
弁明のチャンスを与えられ、大会議室に入場してきた本多博士を視界に入れると。
徳川四天王(井伊は入院中)達と同時に茶を吹いた。
「殿方は己の罪を悔い改める時、古来より坊主頭になさいますわ。
なので、わたくしも女の命である髪を切ろうと決意しました。
わたくしの罪は死罪、いやそれ以上に値しますので……。」
彼女は坊主頭に白装束、背には巨大な十字架という、かなり強烈な出で立ちで入場した。
おまけに、このクソ寒いのに素足。
「政宗様のパクリだ! ……でもあの十字架はなかなかいいデザインだ。伊達度三百度かな。」
政宗の不謹慎なファッションチェックを注意するものがいない程。
大会議室は坊主頭の彼女を見て大騒ぎになった。
わざとらしい! パフォーマンスではないか? いやいや女性が坊主なんて余程の覚悟…等
様々な意見が飛び交う中。家康と徳川四天王は、彼女の背負う十字架が気になった。
ちょっと待て。この人キリシタンだったっけ?
四人は目を合わせて首をひねったあと、再び彼女を見つめた。
睡眠不足だと判断すると会議だろうが勝手に眠っていた彼女の目の下には隈があり。
頬も心なしかこけたように見える。
ふてぶてしい彼女だが、流石に今回は堪えたのか……心配そうに眉を寄せて見つめる彼らを他所に。
本多博士は背中の十字架をよろめきながら横たえると。床に正座して口を開いた。
「わたくしは皆様ご存じの通り、ARE人です。ここにスパイとして送り込まれたのですが……
ある方との出会いで、ここで生きていきたいと思うようになりました。」
モモンガ人間第一号の信忠との思い出を泣きながら語る彼女。
縁結び男というあだ名の鮭延を含む、多くの人々は啜り泣きを始め、同情論に流れていくが。
家康、信玄、二人の謙信、そして最上、森親子、真田親子、司法省の長官は
ちょっと複雑な目で彼女を見ていた。彼女の信忠への思いは純粋だとしても。やはり罪は罪である。
それにこの戦いで悪夢にうなされたり、怪我をして入院中の人々の事を考えると、
簡単に許してはいけないのだ。そう冷静に考える少し冷めた表情の彼らとは対照的に。
本多博士の話をこくこく頷きながら聞いていた信長はハンカチで目と鼻をそっと抑え。口を開いた。
「死者や重篤な後遺症になるほどのケガの者はいないと報告が来たし、
本多博士が技術を流出していないとしても、奴らは攻めてきたであろうからな……。
ギリギリ生活できる分を除いた全ての財産を没収の上、求刑が無期懲役、執行猶予百年でどうだろうか。
小早川殿が仰るには本多博士がいなかったら副官には勝てなかったと言うからな。
それに、幽斎博士や、本多博士の部下から(あと家康殿も)助命嘆願の署名が来ている。」
「流石にそれは甘いですよ!!!! 平等ではございません!」
司法省長官は思わず立ち上がり、今回の戦いでの貢献度を加味しても懲役十年の実刑は必要だと主張。
それに賛同するものと、そうでない者とで会議は紛糾。信長は家康を見た。
「家康殿はどうお考えか。」
皆が見つめる中。頭を抱えて唸っていた家康は。本多に小声で殿、と呼ばれて顔を上げた。
「実刑で懲役四年、但し平日昼は研究所勤務、夜と休日は刑務所に収監。
さらにボランティア活動につかせる、という刑でいかがでしょうか。
確かに無罪放免とはいきませんが……命懸けで償った者の罪は多少軽くしないと、
今後自首するものがいなくなってしまいます。
本多博士の能力は惜しいですし、……ここまでされたら人権団体が……」
絹糸の束のような美しい銀髪が極々短い針金の山になった本多博士の頭を見て、家康はそう言うと。
毎回貴方達のせいにしてすみません……と人権団体に心の奥で謝罪した。
「……本当に…申し訳ありま…せん……。」
土下座して顔を伏せたまま。誰にも見えない角度でほくそ笑む本多博士。
彼女は一応軍事裁判にかけられたが、結局家康の案通りになり。
数年後刑期を終えた彼女は髪も伸びて無事に信忠と結婚。
その後は海底の本の技術革新に貢献し、問題行動もせいぜい会議中の居眠りくらいであった。
……その後も様々な議題を可決していく信長達。プラチナ・シャーベットの話はラザニアや警察に一任ということで直ぐに終わり。ついにあの人物の話題になった。
「ゴミ野郎の話だが。……宇喜多中佐。どうであったか。」
「皆様ご存じの通り……」
「物語仕立てで聞きたいのだ!!」
満面の笑顔で宇喜多を見つめる信長。会議の終了予定時刻はとっくに過ぎている。
大人な皆はため息を吐きつつも、
サンタからのプレゼントを待つ子供のように微笑む信長に付き合ってやることにした。
「畏まりました。では、松永大佐に語っていただきましょう。」
斎藤や松永達とミサイル落下時刻ギリギリまでパトロールをし、
おまけに地上日本への出張で疲れ果てていた宇喜多だが。空気が読める彼は信長の心を慮り。
昨日有給休暇を取っていて元気な上、声に艶がある松永にマイクを渡した。
松永は髪の毛を掻き上げて立ち上がり。小指を立ててマイクを握った。
彼は詩を朗読するかのように感情を込めて、口を開く。
「あれは……色白で儚げな女の冷たい手に、頬を撫でられているかのような日でした……」
頬に大きな絆創膏を貼った松永は目を閉じ。瞳の中の色と同じあの夜を思い出していた。
―――木枯らしが吹くカラスのように黒い空の夜。
御用達の料亭から帰ってきた元首相は、
ダイニングのテーブルに置いてあった何通かの手紙と、一枚の紙切れを見て。
耳をつんざくような声で絶叫した。
「誰のおかげでここまでぬくぬく暮らしてこれたと思っているんだ………
クソババア! クソガキャアアアアアアアアアアアアアア!!
おめええええええらには遺産なんかのこしてヤンネエエエエエエよ愚か者めがア!」
元々はそれなりに整っていた顔を下品に下種に外道に歪め。
元首相は妻…元妻の手紙を読み。それをビリビリに破いて踏みつけた。
「何があなたの横暴な振る舞いや暴力や女癖の悪さには耐えられない…だ。
耐えるのが妻の仕事だ。ちょっと小突いたり、頬をはたいたり、
蹴りを入れただけで被害者ヅラするな! もう痴呆でもはじまってんじゃねえのか!!!
死ね! 妖怪後ろ足砂かけババアアアアアアア!!」
家政婦達の退職届等はビリビリに破き。床は椅子でガンガン叩くと。唸り声をあげて発狂する彼だが。
突然鳴ったチャイムにぴくっと反応した。
もしかしたら、自分に絶縁状を叩きつけてきた馬鹿が謝りにでも来たのか?
でも……そもそも何でこんな時間に……? 彼はフラフラしながら玄関カメラの画像を見た。
そこに映ったのは。外国の映画俳優のように絵になる、スタイルの良い長身の中年男。
首相は素早く上から下まで彼を値踏みし、ほう、と小さく声をあげた。
老舗ブランドのオーダーメイドスーツ、靴、有名ブランドの蛇柄の鞄。
そしてそれに見合う威厳と気品のある立ち姿。
……これは只者では無い。一応相手してやるか。そう判断した彼はインターホンの受話器を取った。
「こんな時間に何の用だ。」
「夜遅くにお邪魔して申し訳ございません。私は田中と申します。
元首相にぜひお会いしたいと申す者がおります。どうか、お目通りを。」
「もう二十一時半だ! こんな夜遅くに来るなんて非常識だぞ!!!
会いたいと言うのは誰なんだ!! 何のために会いたいのだ!」
「ごもっともです。申し訳ありません。
非常に勝手な弁明になりますが、彼女達は学業、バイト、就職活動と忙しい大学生三回生なので、
このような夜遅い時間にしか集まれないのです。
本日は元首相をお誘いしたのは、元首相に憧れる、女子大学生の誕生日パーティーです。
誠に勝手な願いですが、どうか姪達の話だけでもお聞きください。」
田中は怜悧な眼差しでそういうと。一礼してから後ろの女性二人と交代した。
「夜分遅くに押し掛けて申し訳ありません。五重塔女子大学の鈴木と申します。政治学科の三回生です。
女性だけの政治学サークルに所属しています。
歴代最年少で総理大臣になられた元首相のお話をぜひ聞きたい、と友人はずっと申しておりました。
どうか、本日はサプライズゲストとしてお越しいただけると幸いです。」
「東経大学文科一類の佐藤と申します。元首相と同じ苗字で光栄です。
このような遅い時間に誠に申し訳ございません。厚かましい願いだとは承知しておりますが、
友人はずっと元首相に憧れていて……とても美人でもてるのに、
元首相にそっくりな人じゃなければ付き合えない!
と言うのが口癖なほど、元首相に憧れているんです。どうか、少しだけでもお付き合い願えれば……。」
深く頭を下げる二人の女子大生。
カメラ越しでもわかるほど、彼女たちは花屋に並びたての花のように瑞々しくかわいらしい。
元首相は鼻の下を伸ばして笑うと。服装を整えて外に出た。
彼は黒塗りの外車に導かれ。皮張りの後部座席に腰かける。
「さっきのお嬢さん達は同乗しないのか?」
「別の車で後から参ります。本当は同乗したかったようですが、
元首相には窮屈な思いをさせたくないと気を使ったのです。」
助手席の田中はそう答えると。目的地を元首相に告げた。
「場所は、クラブ・ネオシルクロードです。」
「ほう、流石五重塔女子大や東経大学のお嬢さんだ。あそこはワインと肉料理がそこそこ良い。」
鼻歌まで歌いだす元首相。しかし。車から降りてその美しい水色のガラス張りの店に入った途端。
元首相は嫌な予感がした。……客の雰囲気が何となくだが、変だ。
彼は勘が鋭い。この勘でいくつもの死線をくぐってきたのだ。しかし。その勘は一瞬で鈍った。
「きゃああああああーーー佐藤元首相だ! 写真やテレビで見るよりかっこいいです!
みんなが待ってます! こっちのVIPルームです。」
豊満な胸元が露な水色のドレスを着た若い美女は、大きな目を輝かせ。
とても艶やかな笑顔で元首相の腕を取る。
「や、やぁ……」
顔のしわがピンと伸びる程のハツラツとした笑顔で元首相はそれに答え。
美女に導かれるまま、奥の部屋に向かう。
「ちょっと化粧直ししたいので、失礼します。」
すっと手を離された元首相は名残惜しそうに彼女の背中を見つめるが。
後ろからついて来ていた、モデルのように整った容貌のスタッフに促されてドアを開けた。
「初めまして。日本悪将協会の松永と申します。」
部屋のソファーに腰かけていたのは。どこか妖艶な雰囲気の長身の男と、筋肉隆々の男たち。
元首相は思わず踵を返すが。先程彼にドアを開けるよう促したスタッフに足を引っかけられてこけた。
「確保ーー!」
スタッフは元首相の背中に乗ると彼の腕を後ろ手に締め上げ。
他の筋肉男達がそれを取り囲む中。松永は元首相にクロロホルムをかがせて気絶させた。
「宇喜多殿、エクセレント!」
ハイタッチをする松永と宇喜多の横で。筋肉男たちによりぐるぐる巻きになって転がる元首相。
それを見た水色のドレスの美女はため息を吐いた。
「ほんとに男はバカだ!」
「女もバカ……男には男、女には女の愚かさがある。」
「え?」
水色のドレスの美女の隣に立つ、ネイビーブルーのドレスの淑やかな美女は。
少し遠い眼差しで松永を見つめる。
そんな彼女や彼らの活躍で捕らえられた元首相はその日中に船に乗せられ。海底日本に運ばれたのだった。
―――松永は朗々と元首相を捕縛の顛末を語ると。頬を押さえて顔をしかめ。少し早口で〆の言葉を放った。
「とまぁ、こんなところでございます。」
拍手が巻き起こる中。司法省の長官は声を荒げて言った。
「それにしても本当にゴミ野郎ですね!
俺は運が悪かった、先に死んだ鈴木と田中は狡いとかほざいた揚句、
まだ高校生の山田君にまで酷い悪態まで付いたというではありませんか!」
「ああ、あれは酷かったですねぇ。」
それを偶々見かけた最上は頷き。えっ? 何? という皆の視線に答え。
元首相と行人とその他一般市民の口マネをしながら語った。
……彼が言うには。市中引き回しになった元首相は、森家に向かう行人と目が合い。
檻の中からいきなり罵声を飛ばしたという。
『おい山田!
お前達兄弟は俺と同じなんだよ! 裏日本の人々の命も金も人生も吸い上げて育ってきたんだよ!
秘密を知った罪なき裏日本の人々を殺してまで、俺が密造し続けたキランで日本の経済が潤ったから、
社会福祉に金をかけられたんだ! お前達みたいな貧乏人に生活補助費を出せたんだ!
俺に感謝してほしいくらいだ! お前らはな! 人殺しに貰った金で生きてきたんだよ!
ここに居る人々の親や祖父を踏み台にして生きてきたんだ! おま…』
『おい!』
『確かにそうだがまだ高校生くらいの子になんてことを!』
『幾らなんでもひどいぞ!』
『閉じ込めて殺そうとしたお前とは違うだろ!』
看守に猿轡を嵌められても、周りの市民に罵声を飛ばされ、石を投げられても、
強気で不敵な眼差しで正座する元首相。
『おっさん、ちょっと車を止めてくれであります。』
行人は、元首相の入った檻を乗せたトラックの運転手にそう頼むと。皆に投石を止める様に訴えた。
そして元首相の目の前に走り。彼の眼をじっと見つめて反論した。
『確かにお前の言うことも一理ある。生活補助費には兄貴が初任給を貰うまで助けられてた。
でも生活補助費を貰う必要があったほど自分の事で精一杯なのに、
国がそんなとんでもないことして金もうけしているなんて、
その利益が俺達にくれた生活補助費にも使われているなんて、想像できるわけねーだろ!
そんなこともわかんねーのかバーーーーカ!
大体、キラン密造も起こしていた公害も隠してたくせに良く言うぜ!
さっきのお前の言葉を言っていいのは、
キランやお前達が色々引き起こした人災の被害にあった人とその子孫だけだ!
……でも、俺もお前らみたいなゴミ野郎をのさばらせて、
こっちの日本に迷惑をかけたのは事実だと思う。だから、これからちょっとは恩返しをするぜ。
とりあえず今日は森さんちで一生懸命掃除する! お前も一生反省しろ! じゃあな!』
行人は続けてトラックの運転手にお礼を言って会釈し。人々の群れを颯爽とすり抜けて森家へ走った。
―――最上の語った一部始終を聞き。元首相への罵倒が飛び交う会議室。
義元は、怒りと蔑みの混ざったため息を吐いた。
「わざわざ亡命先から危険を顧みずに出頭してきた、孫と大違いですな。」
「本当です。彼は市民に石を投げつけられたり酷い目に遭わされたのに、
自分も罪を受ける、一生強制労働でも構わないと平謝りして土下座していたのを見かけました!」
その様子を偶々見かけて彼を助けた北条親子も義元に同意して頷き。会議室の怒声も殺意も最高潮。
家康もまた元首相に憤慨したが。彼は小さく唸り。傍らの酒井に尋ねた。
「でも、なんでそこまで暴言を吐く? 余計我々の印象が悪くなって、裁判が不利になるだけだよな?」「もう死刑になることがわかっていてやけくそなのか、
死刑になる為にあえて暴言を吐いたのか、どちらかわかりませんが……。
まぁ今更反省のそぶりをみせても罪は軽くなりませんでしょう。」
酒井の説に納得する家康だが。最高裁判官の一人はドスの効いた低い声で呟いた。
「簡単には死なせてやりませんよ。自分の罪に恐れおののいて嘆き悶えさせるまで。
勿論、人道的なやり方でね。」
ネオ閻魔大王というあだ名が付いた彼は。地獄の案内人のように冷たく低い声でそう宣言し。
とりあえず速攻で死刑だと思った信長も、その静かな決意を受け入れて次の話題に移った。
「畏まりました。……ところで、あのクソ野郎はどうなったか知っている者はいるか?
……はい、長可!」
目付きの鋭い、短髪の若者は立ち上がって会釈すると。はっきりとした声で言った。
「山田弟が申すには。詐欺師のクソ野郎は彼方の日本からAREに引き渡されたそうです。」
驚きの声で満ちる会議室。続きを促された長可は淡々と報告を続ける
「クソ野郎が囲い込まれた病院には、被害者団体が押し掛けて警察に引き渡せと迫ったようですが。
彼らはテレビ電話に出た小早川殿の話を聞いて、あっさりAREに引き渡す許可を出しました。
……と山田弟に聞きました。」
「小早川殿はなんと? さっきの最上殿が面白かったから、お前もモノマネしながら説明しろ。」
「御意。」
信長の命令を聞いた長可は。立っている前髪をぱさっと落とし。
穏やかな物言いの小早川、さらに被害者団体の代表の様子を想像したモノマネもしながら語りだした。
……疲労で意識朦朧気味の小早川は。
行也の友人・桜井のご近所さんの、北海合衆国第一党の幹事長に頼まれ。
テレビ電話でARE総大将の親子を騙したクソ野郎…詐欺師の被害者団体と話し合っていた
『詐欺師の身柄をAREへ引き渡すのは、断固拒否ですか……畏まりました。
もし皆様に許可を得ても、日本人差別の激しいAREに彼を送るなんて恐ろしいことは、
人権団体の皆様が許さないでしょうし……。どの道実現は不可能ですね。仕方有りません。』
深いため息を吐き、諦念の感が漂う表情でそういう小早川。
彼の話を聞いた日本側の被害者団体の団長は。後ろの人々とひそひそ相談を始め。すぐに結論を出した。
『AREにも同じように苦しんでいる被害者がいて気の毒だ。彼らに引き渡してあげたい。』
……AREには総大将親子以外にも被害者がいたのである。
日本側の被害者団体の団長が涙ながらに訴えたのもあり。人権団体もあっさり引き下がった。
「……ということです。人権団体が引き下がったのはもう一つ理由があるみたいですが。
日本の新政府、ついでに北海合衆国はこれをきっかけに、
罪人引き渡し条約をAREと締結したみたいなんです。多分今日の夕刊に出ると思われます。
以上です。」
長可は一礼して座ると。丹羽はぽつりと言った。
「それはいいことだが……これから、彼方の日本はどうなるのだろう……。」
これからどんどん苦労しやがれ! という意見もあったが。最上は少し複雑な眼差しで口を開いた。
「まぁ同じ日本人の誼で(というか海流の関係で被害を受けるし)
AREが中心になって進めていた日本列島ゴミ箱計画は断念するように条約に盛り込みましたから、
この点は大丈夫でしょうが……。
ゴミ野郎が推進していたキラン密造からの収入が無くなりますし、
私達が要求する賠償金も相まって、借金まみれ、最悪デフォルトもありえますねぇ。
あの国は特に外貨収入を得るような産業もないですから。
これからは増税の嵐で、庶民の山田君達は大変でしょう……。」
元首相達は人道的には鬼畜だったが。経済的には地上の日本を救っている面もあったのである。
信長はため息を吐くと。天井を見上げた。
「……あっちが潰れたら賠償金を取り立てることが出来なくなるしな……。」
取り立てる相手がいなくなったら困る。ということで。
信長は『地上の日本が困らない程度のギリギリの金額』を勘定省に計算させ。
国宝の芸術品を担保に、百年ローンで請求することにした。
――その二か月後。石を投げられないためには、国民を思い、心を理解しなければいけない。
という思いに駆られた家康は。十分間のラジオ番組を持つことにした。
絶対に正体を隠したかった彼は。顔には隠すために特殊メイクを施し。
かわいらしいモモンガのキャラクター『桃田モモタロウ』の着ぐるみを被って、マイクの前に座った。
彼はアニメ声に変換されるそのマイクを用い。裏声で少しゆっくり目にしゃべりだした。
「……今月の、『聞いて! モモさん!』は最近ハマっていること、だモモ。
……お、早速メールが来たモモ。八つ橋市のラジオネーム『最近親友が出来ました。』さんから。
親友がいるっていいモモ。おめでとうだモモ。」
……あれ? この堅苦しく切々とした思いで満ちた文章……どこかで見たことあるような……。
メールをぱっと見て、何だか面倒くさい予感がした家康だが。
他にメールは着ていなかったので、とりあえず読むことにした。
『前略 桃井モモタロウ様。初めてお目にかかります。私は……。』
家康は苦笑した。松永中佐か。お兄様と違って天然だなこの人は。
本名を書いたらラジオネームの意味が無いし、お兄様にばれたらどうする気だ。
そう思った家康は本名の部分をラジオネームに変換して読み進めた。
『私は、最近親友が出来ましたと申します。ここ数か月で、日本は色々な事件がございました……』
そのメールには。四天王家、軍部、文官、そしてボランティアで避難誘導をした一般市民達、
地上の日本人の行也達、そして犠牲になった黒田とヨッシーへの感謝の意を表した長文が綴られていた。
おい! 今月のテーマはどうした! と少しつっこみたくなった几帳面な家康であったが。
彼には、送信者の生真面目な性格が強く伝わるこのメールを無碍に省略することが出来無かった。
このリスナーはどう考えても悪気はない。まぁ俺のことも褒めてくれているし大目に見よう。
そう思った家康は。舌を噛みそうになりつつも早口でメールを読み進める。だが。
今度は感謝文から反省文に切り替わり。気が長い彼も段々辟易してきた。
まるで、深い井戸を掘っているかのようだ……。いつになったら本題に入るんだよ……お!
心の中で深いため息を吐いた家康の目に。求めていた水……今週のテーマがやっと映った。
『長々と脱線、失礼しました。最近ハマッていることは、兄弟に悩む弟会です。』
そういえば、ミサイル投下前のパトロール画像で、
松永中佐は宇喜多中佐の弟さんの…少佐だったかな? の隣にいたな。
DQNなお兄様を持つという共通点で意気投合したのだろう。
このメールを読んでしまって、彼の立場は大丈夫なのだろうか? と少し思った家康だが。
下の行を見て大丈夫そうだと判断し、メールの朗読を続行した。
『弟会とは、偉大で優秀な兄を持つがゆえに、
劣等感やプレッシャーや理不尽な出来事で苦しむ弟達が励まし合う会です。
苦しんでいるのは自分だけではないのだとやっとわかりました。
私は兄上程賢くありませんが、私は私。真面目に地道に生きていこう、
と弟会の皆様のおかげでだんだん思えるようになってきました。
来月の三回目には新しいメンバーが増えます。楽しみです。』
家康はうんうんと優しく頷くと。口を開いた。
「それがいい……モモ。文章からも貴方の真面目な性格が伝わってくるモモ。
真面目に地道に生きていく人間は、とても素晴らしいモモ。
桃田は貴方を応援するモモ。これからも思い詰めない程度に頑張るモモ。」
家康は、よかったよかった。とメールを閉じると。次に着たメールに目を通した。
『桃田さん初めまして。ちょっと身バレが怖い相談なので、年齢と職業他は申せません。
ごめんなさい。実は……』
身バレが怖いならラジオで相談するなよ……。
でも、ラジオに頼りたくなる程、周りにはとても言えない話なんだな。
恐らく余程羽詰まったことだモモ……。
着ぐるみの内側で同情的な表情になった家康は。淡々とメールを読み始めた。
『最近、社長からある方との見合いを何度も打診されているのですが、正直困っています。
その見合い相手の方はとても真面目で堅実、律儀で信頼できる方だと会社の方には評判なのですが……。
女好きだとも言われていて……。』
あれ? どこかで……家康は何となく嫌な予感がしつつも。メールを読み続ける。
『その方と同じ会社に勤める友人達も、良い上司だが女性関係は派手だと口をそろえて言います。
噂だけで判断してはいけないと思うんですが、
私も以前、セレブ御用達のレストランで綺麗な女性を五人位連れた、
恍惚の笑顔のその方を見てしまって……。ちょっとその方の目線が……。これ以上は言えません。』
家康の背中、顔、手に汗が滲む。
そう言えば彼女を紹介してくれと頼む前だったが、
確かに美女五人を連れてセレブ御用達のレストランに行った。あの時の自分の顔は…たぶん酷かった。
会社は身バレを防ぐフェイクだろう。そして社長は……信長殿だ。
信長殿に紹介してくれと頼みこんだ、あの子かもしれない。
レストランでは珍しく個室じゃなかったから見られていたのか……好みだったのにな……。
仕事だったのでは? と言ってみる手もあるか……。でも……。
彼は迷いながらも、メールを読み進めた。
『父が浮気相手と結婚し、母の女手一つで育てられた私は、女好きな男性が苦手です。
上手く断る方法はないでしょうか。桃田さん、どうか知恵をお貸しください。』
あの子だ。確実に。家庭の事情が複雑だと信長殿が言っていたからな……。
言葉を失った家康だったが。真向いに座った井伊(特殊メイク+着ぐるみ姿)
が立ったのを手で座らせ。テンションの低い声で答えた。
『……他に好きな方がいるから申し訳ありません…と言えば大丈夫だと思うモモ…。
きっと貴方なら、他に誠実で素敵な人に巡り合えるはずだモモ……お幸せにだモモ……。』
―――三十分後。テレビ局を着ぐるみのまま出ていった家康は。特殊メイクをしたまま裏口から車に乗った。
「殿……」
いたわるような目を向ける井伊、秀忠、秘書の土井。
そんな彼らの目を見ないようにして、家康は信長にメールを打つ。
『他に好きな女が出来たから、この間紹介してくれと頼んだ子はもう紹介しなくていい。
あんなに必死に頼み込んだのに悪かった。』
メールを送信すると。家康はため息を吐いて車の天井を見上げた。
「仕方ないよな…………。」
秀忠はそんな彼を励ますように、おっとりした口調で言った。
「秀忠が美少女の絵をかいてプレゼントしますよー。元気を出してください。」
「……な、何言ってるんだお前! そんなものいるわけないだろう!
俺は医者だからもてるんだぞ! 馬鹿!」
一瞬間をあけてから、慌てて首を振った家康だったが。
帰宅した彼はトイレの中で本多にメールを打った。
『無理を承知だ。美少女フィギュアを彫ってくれ。』