第8話「維将、再会す」
賀茂別雷神社の本殿奥。
祭神が祭られている神聖な場所に三人はいた。
祭神自らが招き入れたということで、常駐している宮司も丁重にもてなしてくれた。
反対に晴明は居心地悪そうに眉根を寄せている。
「なんだ、晴明。我の招きが恐ろしいか?」
面白そうなものを見るように、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)が目を細めて問う。
「ええ……まあ。あなたが私たちを招き入れるということ自体が―――」
「まさか賀茂別雷命御自らがお出になられるとは思いもよりませんでした」
晴明の言葉を遮るように、良源が口を開く。
「ここのところの妖騒ぎに、少し妙なものを覚えたのでな。そういうお前たちもそうだろう?」
「ええ」
「特にこの数日は、夢殿でも妖が活発に活動を始めているからな。念のため人が迷い込まぬように我ら神族が見張っている」
「…………そこまでひどいのですか」
現実の都でも、以前まではなかった昼間の妖騒ぎが頻発している。
そしてそれは政にまで影響を及ぼし始めているのだ。
いったい原因は何なのだろうか。
良源は夢殿にも被害が出始めていることを聞き、考え込む。
「そういえば一昨晩は面白い人間を二人も夢殿で見たな」
思い出したように賀茂別雷命が言った。
「妖を潰したり、水や火を使って退治たり、果ては無謀にも太刀で斬りつけたりと忙(せわ)しなかったぞ。力があるように見受けられたから無事に夢殿を抜けたとは思うが」
それは誰だとは言わなかった。
その話を聞き、びくりと身を震わせた維将。
まだ夢殿の話を師に告げていなかったのだ。
しかし維将は二人の背後にいたため、二人が気づくことはなかった。
………賀茂別雷命を除いては。
「さて、本題に戻そう。お前たちはここに何を調べに来たのだ?」
賀茂別雷命の問いかけに、二人は互いの顔を見合わせた。
「よもや先ほどの卑小な奴らのことではないだろうな」
「まさか目競とは思わず、ですが。弟弟子が”力の強い妖がいた“、と話していたもので」
「力の強い妖……」
ふむ、と賀茂別雷命が顎に手をやって考える。
「おそらくは荼枳尼の君であろう。時折、供もつけずにふらりと都の様子を見に来る」
「荼枳尼の君……? あの異界に住むという…」
良源が驚きに目を見開く。
「昨日は我の社に来て、さまざまな話をしていった。その姿をお前の弟弟子が目撃してしまったのだろうな」
「…………」
晴明は黙ったまま二人の会話を聞いていた。
それを横目で見ながら、賀茂別雷命は続ける。
「こちらの気の乱れがあちらでも現れているようでな、調べに来ているのだと言っていたが」
あれが何を考えているかはさっぱりだ。
と締めくくった。
「でも荼枳尼天様はお偉い神様なのでしょう?」
維将が賀茂別雷命に問う。
「神様が都の現状を憂えていらっしゃることはいいことなんじゃないですか?」
「我らのような土着の神であれば、な。だが、荼枳尼天は冷酷な狐の一面も併せ持っている。少し前だったか幾度か時の王朝を滅ぼしたこともあったそうだ」
「お言葉ですが、あなたのいう”少し前“は私たちでいう”かなり昔“に値すると思いますが」
すかさず晴明が言葉を返し、維将に話の補足をする。
「荼枳尼天の一族は九尾の狐とも言われ、大陸で栄華を誇っていた殷王朝を滅ぼした元凶・妲己もこの一族の祖に当たるそうだ」
「……ありがとうございます、晴明様」
まさか晴明がここまで親切に教えてくれるとは思わず、維将は驚きながらも素直に謝意を示す。
「九尾の狐、か。そうだな。あれも荼枳尼天の一族のひとつではあるな」
苦笑を漏らす賀茂別雷命。
そして維将に言った。
「荼枳尼天の一族はいくつもの狐の一族が集まってできた種族のことだ。その中でも特に力の強い善狐が荼枳尼天として君臨する」
「へえ……」
「今の荼枳尼の君はそうやって選ばれたとは聞いているが……少しきな臭い話もあってな」
最後は言葉を濁す。
「とりあえず今回はお前たちの取り越し苦労だったというわけだ。我は久方ぶりに話せてよかったがな」
「俺も賀茂別雷命様にお会いできて、しかもお話もできてよかったです」
真っ先にそう答えるのは維将だった。
それには賀茂別雷命も上機嫌に大きく頷いた。
「そうか、そうか。ならば維将よ、この都にいる間はたまにここに来て話し相手になっておくれ」
その言葉に、ぎょっとしたのは良源と晴明だった。
しかし言葉の意味を理解していなかったのだろう。
維将は何の考えもなしに承知してしまった。
「…………維将」
あきらめにも似た声音が良源の口から洩れた。
「はい、なんでしょう。お師様」
「お前はもう少し神の言う言葉の意味を考えてから返事をするように」
「え?」
「良源。無垢な子供に変な入れ知恵を吹き込む出ないぞ」
なおも笑みを浮かべながら、賀茂別雷命が言う。
「我はこの維将が気に入ったのだ。毎日とは言うておらんぞ」
「…………それはそうですが」
「まあ良い」
手にした扇をさらりと開いた。
清々しい風が巻き起こる。
「維将よ。そなたが来たいと思うた時に来るとよい。我はいつでも待っておるぞ」
そう告げるとそのまま風を纏い姿を消した。
「ようやく解放されましたね」
はあ、と大仰に溜息をついた晴明が肩をぱきぽきと鳴らしながら足を崩す。
「まさかあのものぐさな神が降臨されるとは―――」
「晴明。頼むからもう私をひやひやさせないでくれ」
晴明の言葉を遮り、良源がこめかみをもみほぐしながら彼に告げた。
「お前が口を開くたびに身も縮む思いがする」
「そうですか?」
きょとんとした表情で晴明が問う。
「そうだ」
「とりあえず済んだようですし、出ましょうか」
立ち上がり、踵を返した。
「維将、行くぞ」
良源もそれに倣い、立ち上がると維将に声をかけた。
「あ、はい」
賀茂別雷神社を後にした三人が続いて向かったのは、神泉苑だった。
広大な敷地に広々とした泉。
こんこんと湧き出すのは神気を帯びた伏流水だ。
地下を流れる龍脈に、同じく流れる伏流水が流れ込み神気を帯びた。
そして都中で湧き出しているのだ。
「こんなに清々しい場所に……ですか?」
道々歩きながらこの場所に関する話を聞いていた維将が良源に問いかける。
「卑小な妖であればこのような神気を帯びた場所には近づかないが……。近づけるということはそれなりに力のある妖なのだろう」
「今は…………これといった異変は感じられませんね」
周囲の気を探っていた晴明が告げる。
「ひとまず邸に戻るか」
「そうですね」
二人がそろって歩き出したところへ、神泉苑の正面門から入ってきた男がこちらに気付いて小走りに駆けてくるのが見えた。
二人も気づき、晴明が声をかけた。
「博雅」
「忠行殿に頼んで式を飛ばしてもらって、それを追ってきた」
何事かあったのだろうか。
いつもの彼には珍しく、何か慌てているのが見えた。
「どうした、博雅殿。何かあったのだろう?」
「良源殿………。ええ、だからこそここに………」
博雅の視界の端に維将が映った。
驚きに目を瞠る。
「お前…………」
「博雅殿はこれをご存知か?」
初めて見るという感じではなかったのに気づいた良源が問うと、博雅が強く頷いた。
「一昨晩、夢殿で助けてもらった」
「夢殿……?」
そういえば先ほどの、賀茂別雷命が言っていた話で………
くるりと振り返った良源が静かに問いかけた。
「維将。それは本当の話か?」
「…………」
その静かさにそら恐ろしいものを感じた維将が固まる。
「正直に答えなさい。お前は一昨晩、夢殿にいたのか?」
「…………はい」
正直に答えると、良源は小さく吐息をついて維将の頭を軽く叩いた。
「なぜもっと早くに言わない」
「……すみません」
「良源殿。維将をあまり責めないでくれ。俺を妖の集団から救った恩人なのだから」
庇おうと博雅が口を開く。
「それよりも博雅。私たちに何か用があってきたのだろう?」
話が長くなるのを厭うた晴明が声をかけると、ようやくそれに気付いた博雅が話を変える。
「そうだ――――」