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暁闇の月  作者: 平 和泉
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第5話「維将、夢殿に迷ひて人にあう」

「夢殿」とは……



霊的な…夢と現が交じりあった場所のことを「夢殿」と呼ぶ。

潜在意識の集合した場所にこの夢殿があると考え、幽界(かくりよ)とも呼ばれている。

そこはこの世に生きとし生けるもの全ての個々の夢や霊界といった異界と繋がっており、その境界部分である夢殿に入ってしまうとたまに迷ってしまい、戻ってくることができなくなる。

戻ってこれなければ夢から醒めることもなく、そのまま死に至る者もいる。



それが夢殿である。



* * * * * * * * * *

なぜ、こんなにも妖が多い?


都に入って一番最初に感じたのがそれだった。

都を守護するために張られた結界は越えた。

越えたという感覚は確かにあった。

だが。


力は弱いが、至る所に妖がいた。

今は夜ということもあるが、なぜ結界の中に……


その疑問に答えられる者はいない。

維将はとにかく妖に見つからぬように移動するしかなかった。






ジジ………


灯明の炎が夜風に吹かれかすかな音を立てる。

良源は忠行の局(つぼね)を辞し、維将の様子を見にきていた。

初めての実戦で相当に疲弊しているのであろう。

己が来たことも知らずにぐっすり眠っている。

そのあどけない寝顔に、良源は苦笑を漏らした。


「少しは成長したように思えたが、やはりまだ子供だな」

「そう言っているとすぐに成長してしまいますよ」


呟きを聞いていたのか、帳の向こうから晴明の声が聞こえた。

衣擦れの音がし、当の本人が姿を現す。


「子供の成長は早いですからね」

「成長痛が始まるのも早くてこれくらいの年だからな」


目を細め、維将の寝顔を見つめる。

まるで親が我が子を見つめるのと同じ表情を良源がしていることに気付いた晴明は、内心驚きを隠せなかった。

晴明は維将の枕元に座り、まじまじと良源を見つめていた。

それに気付いたのか、良源が面白そうな表情で晴明を見やる。


「お前も子を持てば分かるはずだ」

「私は妻を娶る気も、ましてや子を持つ気もありませんよ」


そう言って眉根を寄せ、ふい、と視線を逸らせる。


「私のようになっては子も不憫でしょうし」

「お前のように……か」


昔、忠行から晴明の出自について話を聞いた。

彼は人の父と神狐の母を持つ、いわゆる半妖という存在である。

だが、母は晴明には人として生きてほしいと願い、当時宮中の役人であった父に晴明を託し姿を消したのだという。

なぜ姿を消したのかは父も決して父も周囲に話さなかったため分からずじまいだったが、以後晴明は人として生きてきた。

晴明は己の出自を知っている。

知っているからこそ子に己と同じような境遇にさせたくないと思っているからなのだろう。


ふう、と良源が溜息をつく。


「昔は可愛かったというのにな」

「可愛いは余計です」

「それはともかく、明日は私の手伝いをしてもらうぞ」

「…………彼は残されるのですか?」


立ち上がった良源に、そう問う晴明。


「そのつもりだ」

「理由は……本調子でないことと、力不足だからですか?」

「…………ああ、そうだな。忠行殿には護身術の手ほどきを頼んだ」

「忠行様に?」


怪訝そうに顔を上げる晴明に、良源は頷く。


「私が叡山で教えた術よりも、陰陽道の術の方がこれには扱いやすいだろうからな」

「それはどういう――」

「そのうちわかる」


問いかけを遮ると良源は局を出て行ってしまった。






闇夜の都大路。

維将は気配を消す呪を唱えると、身を隠しやすい場所を求めて南へと下っていた。

周囲には人気はない。

既に寝静まっている頃なのだろうか。

疑問に思うことが多く、どれから消化すればよいのかもわからないまま維将は歩く。

その時、金属音が聞こえた。

立ち止まり、耳を澄ませる。


キン……


やはり聞き間違えではなかった。

少し遠いが、南の方角からだ。

金属音は断続的に聞こえていた。

そしてその音に気付いた妖たちが次々とそちらの方角へと滑るように駆けてゆく。


行くべきか、避けるべきか。


しばし逡巡した維将だったが、人であった場合のことを考えると行くべきだと覚悟を決め、駆け出す。

駆けることしばし。

見えてきたのは垣根のように小路を埋め尽くした妖たちであった。

その向こうから金属音と男の気合の入った声。

やはり人のようだ。

ここで死なせては寝覚めが悪い、と思った維将は垣根と化した妖たちの脇…土塀へと駆け上った。


「オン、サンマヤサト、バン!」


地を蹴り妖たちの頭上へと跳ぶと印を結び呪を唱えた。

次の瞬間、維将の下にいた一丈四方(一条=3.03m)の妖が上からの突然の圧に押され地面へと押し潰される。

ふわりと降り立った維将は間を置かず呪を唱えながら突進する。


「オン、ソハハンバシュダサラバタラマ、ソワハンバシュドカン」


拍手(かしわで)を打ち鳴らし、事の事態に呆然とする妖たちを見据えた。


「水天!」


声を上げた直後、突如として地面が割れ、水が吹き上がった。

水は意志を持った生き物のように目の前にいた妖たちを飲み込み、再び地面へ消えてゆく。

大半の妖たちがその呪によって消え、ようやく人の姿が見えた。

若いが、どうやら朝廷の官吏とやらだ。

直衣を纏い、腰には太刀を帯びた青年が太刀を手に一人妖に対し奮戦している姿があった。

すかさず側へと駆け寄った維将が声をかける。

青年は助太刀に来た者が子供だと知ると驚きに目を瞠ったが、すぐに残った妖たちへと鋭い視線を向ける。


「お前、名は?」

「維将です」


維将も同じく妖たちへと視線を向けながら、背中越しに問いかけた青年に答えを返す。


「維将か。俺は博雅だ」


さきほど維将が開けた道はすでに無事だった妖たちに塞がれてしまい、再びただなかにいる状態となっていた。


「さきほどの術以外に何かできるか?」


ぼそりと呟くように問う博雅。

それを正確に読み取った維将は小さく頷く。


「行くぞ」


言うや、二人は同時に動いた。


「オン、アギャナエイ、ソワカ……火天!」


印を結ぶと火の神を呼び出す。

ゴウ、と音を立てて維将を中心として炎が吹き上がった。

炎が周囲の妖を飲み込んでゆく。


「でえい!」


博雅も渾身の力を振り絞り、炎から逃れた妖を斬る。

妖たちは突然の事態に散り散りに逃げてゆく。

それには目もくれず、博雅は維将の手を引くと駆け出した。






博雅の足がようやく止まったのはしばらくしてからだった。

維将の手を離し、流れ出た汗を直衣の袖で拭う。


「お前がいなかったら今頃はあの世行きだったな」


助かった、礼を言う。

息を乱しながら礼を言うと、建物の階(きざはし)へと腰を下ろした。

維将もそれに倣って階へと座った。


「しかし夢殿で他人と会うなんて俺はよくよく運がいい」

「夢殿………?」


呟いた言葉に、きょとんとする維将。


「なんだお前。ここが夢殿だって気付いていなかったのか?」


問いかけに、こくんと頷く。


「無意識のうちに入ってきたのか。そもそも陰陽道で習うだろう?」

「俺は昨日、お師様について叡山(おやま)から下りてきたばかりなんです。夢殿なんてものがあるということも今まで教わらなかったし…」

「叡山……。そういえば良源殿が都に来るという話を聞いたな」


今朝方、宮中で話題に上っていたのを今更ながら思い出した。


「それが俺のお師様です」

「そうか」


ようやく呼吸が落ち着き、体力も戻った博雅が立ち上がる。


「夢殿から自分の夢の中に戻るには、最初に気が付いた場所に戻る必要がある。都へ初めて下りてきたっていうのなら不案内だろうから、俺が送っていってやる」


言って博雅は右手を差し出した。

その申し出に安堵し、維将は差し出された手を握って立ち上がろうとした。


「っ」


ちくりとした痛みが腕に走り、身を竦める。


「どうした?」


維将を立ち上がらせた博雅が怪訝な表情で問う。


「………なんか腕に痛みが…」

「見せてみろ」


維将の手を握ったまま袖を捲りあげて腕の状態を確認するが、血はおろか傷すらなかった。


「なんともないな」


手を離し、他に細かい傷はないかを確認する。

維将も左手で右腕をさすって確認したが、どうもなかった。


「そういえば奴が言ってたな。この夢殿で傷を負うことは魂に傷を負うのと同義だから気をつけろって」


そう言い置いて博雅は、子供に言うべき事柄ではなかったことを反省する。


「すまん。脅かしすぎたな。ようは怪我さえしなければいいんだ」

「そうですね」


じゃあ行くぞ。

歩き出す博雅。

それを追って維将も歩き出した。






目を覚ませばそこは見慣れない部屋の中だった。

ぼんやりとしながら、維将は考える。


ああ、ここは……。


あの後、博雅に連れられて元の場所に戻れば、そこには薄い膜のようなものがあった。

それがゆらゆらと揺れ、茂みを揺らしていた。

最初に揺れたと思ったのはこれのせいだったのだ。

それを自分は妖だと勘違いして夢殿へと足を踏み入れてしまった。


「…………」


局を出て空を見上げれば、薄ぼんやりとした夜空が広がっていた。

徐々に群青色から明るい色になっていくが、夜明けまでまだ少し間があるのだろう。

時間を確認し、褥へと戻ろうと踵を返す。


つきりと腕が痛んだような気がした。


右腕を押えて、夢殿で博雅に言われた言葉を思い返す。




夢殿で傷を負うことは魂に傷を負うのと同義だから気をつけろ。




言葉を振り払うように頭を振ると、維将は今一度褥へと潜るべく局へと入っていった。

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