第46話「血の楔」
今の己に何ができるのかをずっと考えていた。
力はある。
だがその力は使えば使うほどに己を人とは別のものにしてゆく。
それでもこの力を手放すことはできない。
ならば…………
放り出された維将は意を決し、片手で印を結ぶ。
体内の呪詛が体に満ちはじめた力を食らおうと胎動を始め、同時に胸の奥からの痛みが強くなる。
それを気力でねじ伏せ、呪を紡いだ。
「禁!!」
瞬時に良源の周囲に結界が張られ、それを確認することのないまま維将は地面に叩きつけられる。
「っっ」
息が詰まった。
だが、受け身を辛うじてとると反動を利用して立ち上がる。
喉の奥から何かがせりあがってきたのを感じて思わず口元を押えるが、指の間から黒い何かが滴り落ちて地面を斑に染め上げた。
ザリ…
その音に視線を上げれば、妖たちに周囲を取り囲まれていた。
その数はゆうに五十は超えるだろう。
一体一体の妖力は己とほぼ互角。
今の状態ではどちらに分があるのか火を見るよりも明らかだった。
胸の痛みが強くなる。
「っ」
ああ、またこの感覚だ。
徐々に意識が圧迫される感じに、維将は眉根を寄せる。
あの時も血の臭いに反応したのだろう。
意識を手放し、気付いた時には己の手は血にまみれていた。
冥府の官吏が言っていたのを思い出す。
『使う場所を誤ればすぐさま意識は力に飲まれる』
使う場所。
それならこの時がそうではないだろうか。
このままでは師ともども妖たちに消されてしまうのは必至。
維将はごくりと生唾を飲む。
相変わらず呪詛は身の内を蠢き、意識は血のざわめきによって徐々に削られていっている。
ゆっくりと息を吐き、意識を内に向けた。
身の内に渦巻くのは呪詛。
そしてその内側で激しく脈動しているもの……おそらくそれが狐の血なのだろう。
触れればその熱さに人の血など蒸発してしまいそうだった。
吾子……
声が聞こえた。
吾子……我らの血は人には過ぎたものだ。
母の声だった。
それを欲しているのであれば……人を捨てよ。
人を捨てねば………―――
声は狐の血を通して聞こえているものなのだろう。
警告を発しているが、今の維将には選択肢というものはなかった。
その血へと触れるべく手を差し伸ばした。
脈動する血はそれに引き寄せられるように維将の方へと近づき、触れると指先からするすると内側へと潜ってゆく。
最初に感じたのは冷たさだった。
冬の頃の叡山のような……冷たさだ。
その冷たさは徐々に熱さへと変わった。
血が沸騰しているようだとさえ思った。
「…………お師、様…」
呟きを漏らし、意識を手放した。
「…………」
意識を失っていた良源が目を覚ました時、己の周囲には結界が張られていた。
反対に維将の姿がないことに気付く。
起き上がろうとしたが足に激痛が走り、呻く。
だがそのようなことよりも、と激痛に顔を歪めながら結界の向こう側…闇夜を見透かすように目を細めた。
妖気が結界を通してひしひしと伝わってきている。
気配を探ってみれば、この場にいる妖の個体数は五十はくだらないだろう。
それを維将は一人で……?
良源は足の激痛を堪えながら立ち上がり、結界を破壊しようと錫杖に呪力を込めて振り上げた。
その時だった。
闇が爆発したような錯覚を覚えた。
今まで微塵も感じなかった激しい妖気の風が結界に叩きつけられる。
その激しさで結界が撓(たわ)む。
「なんだ?」
その妖気の元をじっと見つめていた良源は、突如として結界の上に降ってきたものに気付いて視線を上げた。
そしてぎょっと目を剥く。
そこにあったのはばらばらにされた妖と思われる残骸。
だがそれはすぐに塵と化し消えてゆく。
一体何が起こっているのだろうか。
それを見極めようと再び視線を正面に向けた。
妖の断末魔がそこここで聞こえる。
何かが視界の端をかすめた。
「…………っ」
見えたのは維将の姿だった。
維将は一人で襲ってくる妖たちを切り刻んでいた。
「維将!」
ダン、と結界に拳を打ち付け、呼ぶ。
維将がこちらに気付いたのだろうか。
良源へと視線が向けられた。
その視線の強さに、良源は全身の血が下がった気がした。
身に纏うのは妖気。
そして瞳に宿るのは……獣の瞳。
姿かたちは人のままだが、それ以外は異形と呼ぶにふさわしいものだ。
維将は良源を一瞥すると目の前の妖を切り刻み、駆け出した。
どこか目的の場所に行こうとしているかのようだった。
それを阻もうとする妖たち。
良源はそれを結界の内で見守ることしかできなかった。
「妖になりきれない小童が私に楯突こうとするからだ」
くずおれた晴明をその場に転がし、興陵王が吐息をついた。
「で? 冥府の官吏よ。お前はどうする?」
視線の先では荒い呼吸を繰り返しつつ膝をついた篁を見やる。
「その人間を庇いながらではやはりもたなかったようだが」
「ちっ」
篁の後ろには意識を失ったままの博雅がいた。
新たな太刀を手に入れても、圧倒的な強さの前に歯が立たなかったのだ。
それは晴明も同じだった。
「さて、そろそろ……」
遠くで今まで微塵も感じられなかった激しい妖気が立ち上った。
それを感じ、興陵王は笑みを深くする。
「冥府の官吏よ」
同じように気配を感じ取り、そちらの方へと視線を向けていた篁がその呼びかけに視線を戻した。
「強力な結界を張らねばその二人は守れぬぞ」
「…………」
反論をしようと口を開きかけたが、こちらに近づいてきている気配の強さに彼の言葉が正しいことに気付く。
すぐさま晴明へと駆け寄ると担ぎ上げ、博雅の元へと戻ると結界を張った。
直後、神泉苑を取り囲む結界が大きく撓み、弾けるように消えた。
その衝撃で土煙が立ち上り、ついで突風が吹きぬける。
「来たか」
興陵王が声を上げた。
「妖の血に負け、自我を喪った混ざりものの子よ。同族の情けだ。ここで息の根を止めてやる」




