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暁闇の月  作者: 平 和泉
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第4話「維将、夢殿に迷う」

維将!!




その呼びかけに、維将は冥い闇の底で目を覚ました。


「…………お師、様…?」


辺りを見回すも深い闇だけ。

師の姿はおろか、さきほどまで己がいた叡山の景色もない。

ごくりと生唾を飲み込み、無意識のうちに足を下げた。


「………え……?」


今になって体が動かなくなっていることに気付く。

腕を動かそうとしても、足を動かそうとしても身動き一つとれないのだ。





オ前ヲ縛ルノハ人ノ理(ことわり)。

人ノ括リニ縛ラレ、人トシテ生キルノカ?




不意に人に似せた不明瞭な声が耳元で囁かれた。

生暖かい息がかかり、維将はざっと血の気が下がった気がした。




ソレトモソノ封ジラレタ力(ちから)デ全テヲ支配スルカ?

オ前ノ力(ちから)ハ人カラハ忌マレル。

ダカラコソ人ハオ前ノ力(ちから)ヲ封ジタ。




「……………人は……なぜ………」




オ前ハ本当ニ人カ?

本当ハ我ラと同ジ妖ナノデハナイカ?




声はなおも執拗に維将を追い詰める。


「俺は……」




我ガ力(ちから)ノ使イ方ヲ教エテヤロウ。




風が吹いた。

風は維将の四肢をゆっくりと動かしてゆく。


「っっ」


動いた瞬間に全身に激痛が走った。

見下ろせば見える箇所の殆どが何かに引き裂かれた跡があり、そこから出血しているのが見えた。

動くたびに血が流れてゆく。





維将!!!




また師の声がした。

だが先ほどよりも声がはっきりと聞こえる。




妖に取り込まれるな!

目を覚ませ!!




声はいつになく切羽詰っているような感じだった。

次第にぼんやりと目の前に師の姿が見えてきた。


「…………お師様…助けて」


助けを乞う言葉を口に出したが、果たして聞こえただろうか。

実際、修行すらも行っていない今の己は本当に無力だった。

なにより今の自分は彼を師と呼んでいても、実際には子弟の契りを交わしていない。

物心ついた頃からずっと良源は自分のことを維将に師と呼ばせてきたからだ。

徐々に良源との距離がせばまる。

良源の体には無数の小さい妖が取りつき、膝をつかされていた。

だがその瞳にはいまだ力強い力が宿り、自分を……いや、その背後にいるであろう妖を睨み据えている。

その時、維将の両手がゆっくりと上げられ、良源の首へと伸ばされた。


嫌な予感がした。

その予感通り指が咽喉へと絡まり、徐々に力を込め始めた。


「…………お師、様…………に、げて」


言葉を伝えようと必死に訴える。

呼吸を妨げられ苦しげな表情をした良源の瞳の中に、己の顔が映し出されているのが見えた。

それは一瞬であったが、それでもそれが己だと思わざるを得ないような、異形の容貌だった。




見タナ。

ソレガオ前ノ真実ダ。




妖の声が響き、炎が勢いを増す。




ふ…ざけるな!!




その妖の声を良源の声が遮った。




いいか、維将。

お前は真実、人の子だ。

それ以外の何者でもない。

妖の言葉に耳を傾けるな。




良源は息が続かなくなるまでそう、維将を見つめながら訴えてくる。

そして苦しげに眉根を寄せると右手を伸ばし、維将の頭を撫でた。


「私はお前を置いて逃げん。今、助けてやるからな」


我慢しろよ、と言うや、印を結んだ。

次の瞬間、良源を中心として気が渦を巻く。





心地よい風が己の足元から吹き上がってくる。

それは物心つく前よりずっと傍らにあった、師の持つ気の力だ。

妖の力がそれにかき消されるように散ってゆく。




人ノ子ガ……我ニ刃向カウナ!




妖が吼えた。

それは緩みつつあった維将の手の力を強め、良源の呼吸を再びせばませる。

だが、良源はそれにはひるまず呪を唱えた。


「ノウマクサラバ、タタギャテイビャク、ウンタラタ、カンマン!」


唱えるや突如として二人を中心に炎が吹き上がった。

不動明王呪である。

その炎は不浄のものを一切焼き尽くす浄化の炎だが、その力は苛烈を極める。

維将がその炎に巻かれ、良源から手を離して身を捩る。


「っ」


良源の目が驚きに見開かれた。

その耳元で妖が笑う声が聞こえる。




何モ知ラヌ人ノ子ヨ。

ソノ子ハ己ノ本性ニ気付イタ。

貴様ラガ施シタ封ジハ解ケ、ジキニ人ノ世ニ仇ナス存在トナル。




炎は瞬く間に勢いを増し、維将を覆い隠してゆく。

浄化の炎とはいえ、ここまで勢いを増すのを見るのは良源とて初めてだった。

それだけ妖の力が大きいのか。

いや、それだけではないはずだ。


「…………」


ぎり、と奥歯を噛み締め、良源は維将を抱き寄せる。

呪を唱えた己は浄化の炎の影響を受けることはない。

だが。

妖を振り返る良源。

その瞳には強い光が宿っていた。

右手で印を結ぶと静かに口を開く。


「降伏」


次の瞬間、妖は強烈な力の波動を受けて塵と化した。








良源が話し終えるのを待ち、それまで聞き側に徹していた忠行が口を開く。


「先ほどもちらりと拝見したが、あの子供は普通の人の子にしか見えなんだ」

「……あの後、私は記憶とともに力を封じた。だからだろう」


そう言うと、小さく苦笑を漏らした。


「かくいう私ももしかすると人の皮をかぶった異形なのかもしれんな」

「良源殿」


冗談もほどほどにしてほしい、と忠行が咳払いする。


「すまんすまん」

「で、良源殿。これからどうされるつもりじゃ?」


先ごろ忠行の元へ届けられた書状には、都で頻発している怪異を調べるので、滞在を許可されたいと書かれてあった。

ちょうど同じ頃、陰陽寮へ帝の勅命が下りた。



このところ怪異が頻発しており、政に支障をきたし始めている。

急ぎ事態を収拾せよ。



命を受けた陰陽寮はそれを安倍晴明に一任したのだ。

そういうこともあったため、忠行は渡りに船とばかりに、良源たち比叡山の僧侶の滞在を受け入れることにした。


「とりあえず鬼門は封じ直したが、都の結界が緩んでいるのは間違いない。その原因を確かめる」

「承知した」


その時、局の外から声がかけられ、晴明が入ってきた。


「さきほど彼が目を覚ましましたが、すぐにまた寝てしまいましたよ」

「そうか。すまんな、晴明」

「いえ」


晴明はその場に座り、良源へと視線を向ける。


「時に良源殿。彼は本当に良源殿の弟子なのですか?」

「これ、晴明」


不躾な問いかけに驚いた忠行が制しようとするが、それを良源は手を上げて止めた。


「なぜそう思うんだ」

「いえ………なんとなくです」

「なんとなくというだけで問う奴があるか」


忠行が目くじらを立てる。


「まあまあ、忠行殿。晴明が疑問に思うのもわかる。あの髪型では弟子と言われても不思議に思うだけだろうな」


得度(剃髪して仏門に入ること)を終えた僧侶は以後一切髪を伸ばすことはない。

だが良源は維将を育てることとなったため髪を伸ばし始めたのだ。



維将が独り立ちし、叡山を出るまで総髪とすることを課す。



これは良源の師が彼に課したことであり、当時の天台座主にも認められていることだった。


「あれから見れば私は父だそうだ。もちろん、私は今まで父と呼ばせたことはないが」

「でもその年では子供が一人いても…………あ、すみません」


僧侶が妻帯せず独り身を生涯貫くことは世間一般論であった。

それを思い出し、晴明はバツの悪そうな表情で口を閉ざす。


「そうだな。子供が一人いてもおかしくはない。が」


ふう、と吐息をつく。


「罰として明日は私の用事に付き合ってもらうとするか」


意地悪な笑みを浮かべてみせる良源だった。








維将が目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。

薄闇に浮かぶ半月。

そして月光に照らしだされる都市。

自分はそれを見下ろす高台にいた。

都市の上空には薄い膜のようなものが張られており、気配からそれが結界だということが分かった。


「…………京の、都……」


一度覚えた気配を思い出し、呟きを漏らす。

先ほどまで自分は賀茂忠行邸の局で眠っていたはずだというのに、なぜこのような場所にいるのだろうか。

ぼんやりと都を見つめていた維将だったが、不意に背後の茂みが揺れたのに気づき、はっとして振り返る。


闇を過信してはいけない。

闇は妖の領域。

奴らは闇を利用して人の傍らに近づいてくる。


そう良源から教わった。

ここにいては駄目だ。

そう直感が告げていた。

すぐに踵を返して高台を駆け下りる。

目指すのは都。

あの結界の中に入ってしまえば妖は襲ってはこない。

そう思ったからだ。





そこが夢殿だとは知らずに。

晴明、自分の発言に自爆しました。

さて、次回はおそらく新キャラ出るかも、です。

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