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暁闇の月  作者: 平 和泉
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第42話「呪詛の行く先」

異界にある狐の里は風は穏やかで、気候もよい。

だが肌で感じる空気の質はここ数日でがらりと変わった。

原因は呪詛だろう。

標的を見失ってから数日。

呪詛は徐々にその規模を大きくしながら狐の里の上空を雲のようににとどまり続けている。


「…………」


晴明は上空を見上げながら、眉根を寄せた。

ここまで大きくなるとは思わなかった。

当初は標的が徐々に弱ってゆくように呪詛をかけていたのだが、今の状態で万が一標的が現れれば……。


「周囲にも被害が及ぶか」


だがやめることはできない。

晴明は吐息をつくと再び祭壇へと向かう。

パチパチと祭壇に設けられた護摩壇にくべた木が爆ぜる音がする。

じっと見つめているとその炎の中にうっすらと何かが見えてきた。

その景色はどうやらこの異世界ではない別のところのものだろう。

そこに見知った顔がいくつか見えてきた。


「博雅……それに良源殿…」


次に見えたのは荼枳尼の君だった。

荼枳尼の君…興陵王は二人に何かを話している。

興陵王はあの二人とは全く接点はなかったはずだ。

それがなぜ……。

彼の視線が脇に逸れた。

それを追って晴明も視線をそちらへと向ければ、そこには維将の姿があった。


「…………どういうことだ?」


なぜあれがそこにいる。

維将も興陵王とは全く接点がなかったはずだ。

一体己がここにいる間に何があったのか……。



突如として護摩壇の炎が大きく立ち上り、晴明は思わず袖で顔を覆う。

次に彼が顔を上げた時には既に炎は消え、黒い煙のみが漂うだけだった。


「一体なにが……」


その時、チリ、と項(うなじ)に感じるものがあった。

直感に従い慌てて外に出た晴明が見たのは、上空を覆う呪詛の雲が渦を巻いてゆくのが見えた。


「まさか……」


意味に気付いて愕然とする。






維将たちが誘(いざな)われたのは狐の里でも最奥に位置する宮であった。


「ようこそ我が宮へ」


人の世界で言う天皇の御座所…ひときわ豪奢な畳の上に座った興陵王が三人を見つめ言う。


「……驚いた。狐の里っていうからには山深い村里を想像していたんだが……」


正直な感想を述べるのは博雅だ。

恐らくは良源も同じことを思ったのだろう。

小さく頷くのが見えた。


「お前たちが身を置く人の世界にある都は我が里を模して造られたからだろう」


苦笑を漏らし、傍らに置いている脇息へと凭れる興陵王。


「昔、我が祖は神の命を受け人の子を導いた。その人の子があの都を造ったのだ」

「………桓武帝、か」


興陵王の言葉と人の歴史を照らし合わせていた良源が名を告げる。


「え?」


博雅はその名に驚き、ついで興陵王を見やる。


「そうなのか?」

「私が生まれる前のことだ」

「生まれる前……?」


異界の狐は総じて長命なのだと晴明から聞いたことがある。

そして桓武帝が活躍したのは約二百年ほど前。


「私はまだ百五十一だ」

「百五十一………」


それでも長命に違いない。


「姉であれば桓武帝のことも存じていただろうがな」

「………俺の母、ですか?」


ようやく維将が顔を上げ問うた。


「そうだ。姉は三百はゆうに超えていたはずだ」

「三百……」

「それでもまだ大人からすれば子供として扱われていた」


お前たちからすれば年寄りもいいところだろうがな。

苦笑をもらす。


「お前の母は次代の王の位を約束されていた。一族の者の扱いに長け、政もそつなくこなすことのできる方だったからな」

「それがどうして……」


維将は身を乗り出し、それを良源は制する。

だが、良源や博雅も同じことを疑問に思っていたようだった。

制したがそれ以上のことはせずに興陵王を見やった。


「我らには決して破ってはならぬ掟というものがある。姉はそれを破り……保守派の何者かによって殺されたのだと思う」

「ちょっと待て」


博雅がそこで声をかけた。


「俺たちが知っている話とお前の話、かなり違うぞ」

「どこが違うのだ?」


なおも脇息に凭れながら、目を細める。

一見すると笑みを浮かべているように見えるが、その目が笑っていない。

良源はそれを認め、そっと錫杖を握る。


「“その者は人の男との間に子をもうけたが、それを知った興陵王が手勢をだし、その一族を滅ぼした”。かなり有名な噂だそうだ」

「ほう……。根も葉もない噂だな」

「だが、そうとも言えないだろう?」


良源が問う。


「維将よ」


良源の問いには答えず、興陵王は維将へと声をかける。


「この話は子供に聞かせるには難しい。女官に案内をさせるゆえ、お前の母が住んでいた宮を見てくるといい」


その言葉が終わらぬうちに女官が一人、進み出た。

そして維将を立たせ、局を出る。






局を出た維将は女官に案内されて奥へと足を進めてゆく。

結界が張られているのだろう。

澄んだ空気が心地よい。


「こちらにございます」


女官が立ち止まり、傍らへと退く。

その向こう……渡殿(わたどの)を挟んだ向こうが興陵王が言っていた“母”が生前使っていた宮というところなのだろう。

ごくりと唾を飲み込んだ。


「維将様」


女官が声をかけてくる。


「私ども下位の者はここより先へは進むことができません。ここから先は申し訳ありませんが……」


彼女が何を言おうとしているのかはわかったため、維将は最後まで言わさずに頷いてみせた。

渡殿を渡り、宮へと足を踏み入れる。


「………?」


ここも結界が張られているのだろうか。

足を踏み入れた途端に、何かしら潜り抜けたような気がした。

それに……なんだろう。

嗅いだ事のある香りがする。

その香りを辿って宮の奥へと進むと、再び結界が張ってあるのが感じ取れた。

その中には……。


「晴明様……?」


晴明が結界の中央…祭壇に置かれた護摩壇の前で呪を行使しているのが見えた。

その声が聞こえたのだろう。

晴明がぎょっとした表情で振り返る。


「……! ………っっ!!」


この結界は声を通さないのだろう。

何かを言っているのは分かるが、言葉がわからない。


「え? 何を言って……」


と、結界に手をついた直後、甲高い音を立てて結界が解かれた。


「馬鹿!!!」


結界が解かれたと同時に晴明の声が響いた。

そして胸倉を掴み上げられる。


「なぜここに来た!!」

「なぜって……ここは俺の母が生まれ育った宮だって……興陵王が…」


ガコン、と背後で妙な音が響き渡り、晴明が青ざめた表情で音がした方へと視線を向けた。


「しまった………」


晴明の視線の先……護摩壇が崩れ落ち、炎がいびつな形へと歪み始めているのが見えた。

それを見た維将は背筋を冷たい汗が流れるのを感じる。


「……興陵王はこれを狙っていたのか」


唸るような声音が晴明の口から洩れる。


「晴明様?」

「私から離れろ。もうすぐ呪詛返しがくる」


一体何のことかわからなかったが、何か恐ろしいことが起こるような予感がした。


「あの狐に手を貸した報いだ」

「どういうことですか!!」

「お前に呪詛をかけていたのは………私だ」


炎がゆっくりと護摩壇を離れ、徐々に速度と規模を増しながら二人へと向かってくる。


「じゃあ……興陵王が言っていたのは」

「私の事だろう」


その炎から維将を庇うように前へ出た晴明。

刀印を結んだ。


「この始末は私がつける」

「でも!」

「…………あの方の子だと最初からわかっていれば……こんなことにならずにすんだのにな」


ぽつりと漏れた呟きに、維将は彼を死なせたくないと強く願った。

母を知っている者をこれ以上亡くしたくない、と。






呪詛返しの炎が晴明を飲み込んだのはその直後だった――――

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