第41話「狐の誘(いざな)い」
パチパチと遠くで木の爆ぜる音が聞こえる。
最初、彼が何を言っているのかわからなかった。
「今までお前は己を人の子だと思っていたのだろう」
興陵王の声がやけに大きく響いた。
「そして周囲からもそう教えられていた」
「…………」
その通りだ。
だがそれは真実を知らなかったからにすぎない。
維将は知らずのうちに手を胸元にやった。
心の臓が激しく鼓動を打ち鳴らしている。
「…………俺、が………」
「維将」
師の声。
「っっ」
その声に維将の体が震えた。
今までずっと己に心の安寧をもたらしていたその声に、震えを覚えるなど初めてだった。
師がどのような目で己を見ているのかが怖くて声の方を向くことができずにいると、その頭に誰かの手が置かれたのに気づく。
「大丈夫だ」
声が上から降ってきた。
博雅の声だ。
「お前が何者だろうと、俺や良源殿は今までもこれからもずっとお前の味方だ」
これからもずっと味方だ。
その言葉に、維将は胸の内に熱いものがたまってゆくのを感じた。
「それに晴明だってお前の味方だ。あいつだってお前と同じ半妖だろ。あれを見習え………とは絶対に言わんぞ」
「え……?」
何を言い出すのかと思って博雅を見上げると、彼は微妙な表情をしていた。
「あれを見習えば絶対に根性がひねくれまくる。お前にはそんな大人にはなってほしくない」
「…………え~~と……博雅様?」
「まあ良源殿がいれば大丈夫だとは思うが……」
その時、錫杖の澄んだ音色が響き、ようやく博雅は我に返った。
「博雅殿。今は目の前の敵に注意を向けるべきだろう」
「おお、そうだった」
慌てて維将を庇うように前に出て太刀を構える。
それまで三人の様子を見つめていた興陵王は、男を下がらせると右手で刀印(とういん)を結んだ。
「上で神崩れの妖が暴れているせいで少しばかり騒がしい。場を移そうか」
言って宙を薙ぐ。
すると薙いだ場所に亀裂が走り、そこから別の空間が見えた。
「維将と言ったか。……私たちの、狐の里へ来るといい。そこにはお前の母が暮らした宮もある」
それに、と良源へと視線を向ける。
「そこの僧も気づいているはずだ。お前へ呪詛がかけられているということをな」
「呪…詛……?」
振り返って師を見た。
良源は黙ったまま興陵王を見据えている。
だがその目には怒りの色が窺えた。
「そうだ。呪詛はふたつ。ひとつはお前に直接かけられているもの。もうひとつは将門にかけられているものだ」
「…………将門にかけられている呪詛は強力なものだと聞く。それが血を介して維将にまで伝わっているのか」
ようやく気付いた博雅も事の重大さに思わず呻く。
「頭の回転が鈍い男もようやく気付いたか」
満足そうに笑みを浮かべる興陵王は、亀裂を広げながら提案する。
「私も甥を死なせるのは忍びないと思って、独自に呪詛を行っている者を調べた。数日前にようやく特定でき、その身を確保してある」
私ならばこの力で呪詛を止めることができるやもしれんぞ。
どうだ、悪くない提案だろう。
ちらりと維将を見やった。
「提案に賛同するのであれば私についてくるといい。間もなくここは閉じられる。閉じればこの空間は消滅する」
「…………行くしかないか」
シャン、と澄んだ音がし、錫杖を下ろした良源が呟きを漏らした。
「どうだ? 博雅殿」
「俺たちが助かるにはそっちに乗るしかないな」
太刀を構えるのをやめ、苦虫を数匹噛み潰したような表情をする博雅。
「伊吹は………まあ、大丈夫だろ」
「え………置いていくんですか?」
一緒に行くのだとばかり思っていた維将が声を上げる。
「あれなら大丈夫だ」
たぶん。
最後の言葉は飲み込む。
一応彼は“元”神であり、それなりの力を持つ妖だ。
必ず結界を脱してくるはず。
「決まったな」
笑みを浮かべ、興陵王は亀裂へと身を滑り込ませた。
その後を邸の主、博雅と続き、最後に維将、良源がくぐった。
直後、亀裂は跡形もなく消え失せる。




