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暁闇の月  作者: 平 和泉
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第36話「休」

バサリ、と鳥の羽音がし、庭に植えられている木の枝に漆黒の翼を持つ烏が降り立った。

一声鳴けば、その声に気付いたのか、寝殿の中で物音がする。


「ご苦労だったな」


男が一人庭先へと出てきた。

そして烏へと視線を上げ、問う。


「それで、あの者は?」


その問いかけに烏は一声鳴き声を上げた。


「……そうか」


うっそりと笑みを漏らす男は、そのまま踵を返した。


「やはりあの者がそうだったか」

「王」


寝殿へ上がろうとしたその時、横合いから声がかけられる。


「お呼びだとか」

「呼んだのは他でもない。お前に急ぎしてもらいたい仕事がある」


そうしてゆっくりとその“仕事”の内容を告げた。


「我が右腕であるお前ならば、たやすいだろう」

「かしこまりました。ではすぐに立ち戻り、支度をいたしましょう」


恭しく頭を下げると、すぐさま闇の中に体を溶け込ませ消える。

それを見送り、男は庭の木の枝にとまる烏へと命じた。


「あれを助けてやれ」


烏はその言葉に応じるように一声鳴くと飛び立つ―――






「維将」


博雅が呼ぶ。

ここは左京にある博雅の邸。

さきほど右京からの帰りに立ち寄ったのだった。


「浴堂に人をやったからすぐに使えるぞ」

「あ……ありがとうございます」


妖を退治たあとに一度は川で血を洗い落としたが、やはりその臭気が取れなかった。

そこで現場からもっとも近い場所にあったここで湯を使って洗い流そうという話になったのだ。


「お前はやはり良いところの出だったか」


邸内を見回してた伊吹が笑みを浮かべながらそう感想を漏らした。


「まあ会った時から薄々気づいてはいたが……」

「…………身なりが、だろ?」


顔をひきつらせながら答える博雅。

そこへ小男が庭を回ってこちらへと駆け寄ってきた。


「殿、ただいま戻りました」

「ご苦労。で、忠行邸には?」

「は。良源様はいらっしゃられませんでしたが、忠行様がいらっしゃいましたので言伝を託してまいりました」

「そうか」


では、と小男はその報告が済むと再び元来た道を戻っていった。


「博雅様」

「一応、事の顛末だけは先に伝えておいた方がいいと思ってな」

「お前にしては気が利くの」


ちゃちゃを入れる伊吹。

それを無視し、博雅は柏手(かしわで)を鳴らし人を呼んだ。

呼ばれて側へ来たのはこの邸一切を取り仕切る家令だった。


「この者に着替えを。確か昔俺が使っていたものがあっただろう」

「かしこまりました」


家令はすぐに主の命を遂行するためにその場を離れる。

しばらくして、浴堂が使える状態になったとの連絡が届き、維将はその連絡をしに来た者に連れられて行ってしまった。

そしてそれと入れ替わりに家令が包みを恭しく掲げながら入ってきた。


「殿。こちらでいかがでしょうか」


包みを開けば、そこには博雅が元服前に身につけていた衣装が出てきた。


「すまんな」

「いえ」


家令が局を出て行き、二人は何をするでもなくぼんやりと庭を見つめていた。


「博雅よ」


ぽつりと伊吹が声をかけてくる。


「なんだ?」

「あの小僧のことだが……」


何やら言いにくそうに口ごもった。

それを不審に思いながらも、博雅は伊吹が口を開くのを辛抱強く待つ。


「…………あ奴がなにゆえこうも妖に狙われるのかお前は考えたことはあるか?」


言おうとしたことではなかったのだろう。

問う伊吹の表情が先程までの言いにくそうな表情ではなく、無表情だった。

核心に迫ることはできるだけ避けたいということなのだろう。


「維将が狙われる理由……か」


しばし考え、答えを口にする。


「あいつが妖を片っ端から滅してるからだろう」


それは至極まっとうな答えに違いなかった。

だが。


「それが一般的な答えだろうな」


そんな返答が返ってきた。


「恐らくそろそろあちらも本腰を入れてくるだろうから今のうちに覚悟を決めておけ。よいな」

「え? なんだって?」


伊吹の謎めいた言葉にひっかかりを覚えた博雅が聞き返した時、足音がして維将が姿を現す。


「さっぱりしたような表情だの」


それまでの表情を改め、伊吹が笑みを浮かべて維将を招き入れる。

パタパタと入ってきた維将は、用意されていた円座に座ろうとしたが、伊吹がそれに待ったをかける。


「着替えを用意しておる。湯冷めしないうちに着替えてくるといい」


指差した先にはさきほど家令が置いていった衣装があった。


「あ、はい」


慌ててそれを抱えると几帳の後ろへと引っ込む。

それを見て苦笑を漏らす伊吹。


「女子(おなご)でもあるまいし、恥ずかしがらずに堂々と着替えたらどうだ」

「気にするなよ、維将」


几帳の向こうで赤面しながらあたふたと着替える維将を想像しながらも、博雅は冷静にそう告げた。

そうしてようやく着替えを済ませて維将が出てくる。

円座へと座って吐息をこぼした。


「一息つけ。菓子も白湯も用意してるぞ」


と、目の前に菓子と白湯の入った碗を置いてやる。


「ありがとうございます」


礼を述べ手を合わせた維将は、まず白湯を口にし、ついで菓子を頬張った。

頬張ったとたんに笑みがこぼれた。


「美味しいです!」

「そうか」


次々に口に放り込んでゆくのを見ながら、博雅は満足そうに頷く。

三人はしばらく邸でくつろいだ後、忠行邸へと戻ったのだった。

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