第3話「維将、晴明と出会う」
夢を見た。
金色の稲穂が風に揺れる草原の向こうで誰かが自分を呼んでいる夢。
だが、自分は叡山(おやま)の景色しか知らない。
叡山にはそのような草原は存在しないからだ。
だというのになぜだろう、その場所を知っているような気がした。
そしてその夢はなぜか懐かしく……
………そして切なかった。
「…子…………れを…………て」
声がかすかに耳元に届き、夢は終わりを告げた―――
稲穂の草原と、声の夢はいつも己の心にさざ波をたてる。
気付けば、褥に寝かされていた。
見知らぬ邸だと、ぼんやりとした意識の中で思ったのが最初だった。
ついで意識がはっきりしてくると、自分の身に起こったことを思い出そうとする。
と、視界の端で何かが動いたのに気付いてそちらへと視線を向ければ、薄絹の帳…その向こうから青年が入ってきた。
「ああ、気付いたようだな」
枕元へと座ると、青年は手を伸ばして維将の額に触れる。
「熱も下がったようだし……あとは体力が回復すれば普段通りに動けるはずだ」
「…………ここは……?」
あの状況からどうやって助けられたのだろう。
疑問には思うものの、ここがいったいどこで、師の安否が気がかりだった。
青年はそんな維将の心中を察し、目を細めた。
「ここは陰陽師・賀茂忠行(かものただゆき)様の邸。良源殿は今、忠行様と向こうの局でお話ししている」
「…………そう、ですか」
無事なのだと知り、ホッと吐息をついた。
それを見ながら、青年が一枚の符を懐から取り出して維将の手に握らせる。
「意識は戻ったが、まだ妖の気に当てられて思うように動けないはずだ。これはその妖の気を中和する符だからしばらくは持っていた方がいい」
そして立ち上がった。
「私は隣にいるから、なにかあれば呼んでくれ」
そう言うと帳の向こうへと行こうとしたが、何事か思い出したのか立ち止まった。
くるりと振り返るとばつの悪そうな表情で告げる。
「そういえば名乗っていなかったな。私の名は安倍晴明(あべのせいめい)だ」
「…………晴明、様…」
ではな、と言って青年……晴明は帳の向こうへと消えた。
ズズ、と碗に入った湯気の立つ白湯を飲み干した初老の老人が、目の前で事の顛末を語った良源を見やった。
「うちの晴明が迷惑をかけましたな、良源殿」
「いや、あいつがいたからこそ少ない労力で奴らを滅することができたのだ。こちらが礼を言いたいくらいだ」
苦笑を漏らした良源は目の前の碗を手にした。
なみなみと注がれた湯気の立つ白湯へと視線を落とす。
「反対に………私の弟子が迷惑をかけてしまったが」
「…………確か、名を維将と……言いましたな」
ぽつりと呟くように忠行が言った。
「話を聞く限りでは、その維将殿は相当な力を持っているようじゃが……」
「やはり忠行殿もわかるか……」
溜息をつく。
「力をつけたのはここ数年だ。それまでは普通の子供と同様に育てていた」
「術を教えたのはその辺りの問題がおありのようですな」
そう言われ、良源は白湯を一口飲むと碗を置いた。
「数年前に起こった叡山の大火…………。あれは維将が力を暴走させた結果だ」
そして語りはじめたのは約五年前の出来事だった。
その日、良源は維将を連れて師のそのまた師である僧の元へと使いに出ていた。
用事を済ませてくるからここで待つようにと言い置いて良源は中へと入っていった。
だが、その間に何かあったようだ。
維将の様子がおかしいと修行僧の一人から聞かされて外に出た良源は、周囲の異様な気配に気付く。
地面に視線を向けると、そこには卑小な妖が動き回っているのが見えた。
「叡山に妖は入ってこれない筈だというのに……」
その妖たちは何かに引き寄せられるように同じ方向へと進んでゆく。
嫌な予感がし、良源は妖たちが進む方向へと駆けてゆくと、突然目の前に雷が何の前触れもなく落ちた。
その衝撃は凄まじく、修行で力をつけていた良源でさえも吹き飛ばされるほどであった。
だが雷は一回きりではなかった。
幾度も幾度も地面に突き刺さり、そのたびに周囲の地面はえぐれ、または木々を燃やしてゆく。
良源はそれでも駆ける。
しばらく駆けると、目の前に炎の壁が見えた。
落雷によって燃え上がった木々が壁を作っているのだ。
そしてその向こうから知った気配が感じ取れた。
維将だった。
それに気付いた良源は何の考えも思い浮かばないまま炎の壁へと向かっていった。
駆ける勢いのまま炎の壁を突き切ると、目の前に広がった光景に目を見開く。
「…………維将…」
炎の中心に維将がいた。
炎に照らされたその体には卑小な妖が幾体も取りつき、肉を貪っているのだろう、血が流れているのが見えた。
だが、それを引きはがすこともしないまま彼は叫び声を上げていた。
ここまで彼が心を乱すことは今までなかった。
なぜ。
疑問に思う良源にまた強い衝撃が襲う。
「………くっ…」
両腕を顔の前で交差させ、衝撃をやり過ごした。
このままでは維将ももたない。
そう確信した良源は、素早く印を切る。
「オン!」
次の瞬間、良源以外のすべての時が止まったような錯覚を覚えた。
「ナウマクサマンダボダナン、バルナヤソワカ!」
呪を素早く唱え、空を凪ぐと直後に上空から浄化の雨が静かに降り出した。
続いて刀印を結ぶと矢継ぎ早に調伏法を唱える。
すると、それまで維将の体を貪っていた卑小な妖たちが断末魔の悲鳴を残し、次々と消えていった。
「維将!」
肩で息をする維将に声をかけた良源だったが、まだ油断はしていなかった。
前髪の奥に見え隠れする目が正気に戻っていなかったためだ。
「……………人は……なぜ………」
血を流しながら、維将が唸り声を上げる。
その背後で何かが動いた気がして、良源は目を凝らす。
やはりいた。
力の強い妖だ。
妖は維将に何事か吹き込むように耳元で囁きを繰り返す。
と、こちらに気付いたのか、妖の目と口がうっそりと孤を描いた。
そして良源を指差す。
それに導かれ、維将が良源を見た。
前髪の奥で片方の瞳が紅く煌めくのが見えた。
『殺セ』
妖の声が響き渡る。
それが合図だったようだ。
ゆっくりと維将が動き始めた。
そのたびに脈動性の出血が増え、地面を斑に染め上げてゆく。
『マダ覚醒シテイナイガ……コレハイイ駒ダ。人間ニハ勿体ナイ』
妖が笑う。
『手始メニ、オ前ヲ血祭リニアゲテヤロウ。光栄ニ思エヨ、人間』
「維将!!」
もう一度良源は維将に呼びかける。
だが、その声は妖の力に取り込まれている維将には届かなかった。
徐々に二人の距離が縮まってゆく。
「維将!!!」
ようやく話が進んだと思えば、過去の話に戻っています。
早く先に進みたい;