第34話「異」
右京六条。
そこは湿地帯のため見えるのは身分の低い者たちが住むあばら家ばかりであった。
その中を三人は注意深く、気配のする方向へと歩いてゆく。
と、行き着いたのは寺だった。
「寺の僧は大丈夫なんだろうな」
眉根を寄せながら呟きを漏らす博雅に、
「博雅よ。お前の欠点はそこだ」
すかさず伊吹がツッコミを入れた。
「僧といえば妖の気配に敏感な者が多いと聞く。その者たちが妖の気配がする場所にとどまっておると思うか?」
「…………う…」
「もう少し精進せねば、あれにまた嫌味を言われるぞ」
あれ呼ばわりされた男の姿が博雅の脳裏に映し出された。
途端に不機嫌な表情になる。
「博雅様。とにかく行きましょう」
門扉を確かめ、開くことを確認した維将が振り返って声をかける。
敷地内に入ると、そこには妖の気配が充満していた。
恐らくはもともとあった結界によってその気配が外に漏れ出すことを阻んでいたものと思われる。
それだけ寺の僧たちが日々の勤めをかかさず行っていたのだろう。
「結界が弱まってきてるか…」
上空を見上げた維将が呟きを漏らす。
「妖はここに入ったはいいが、結界に阻まれて出るに出られぬ状態…といったところだな」
本堂へと視線をやった伊吹はそう告げた。
二人の視線がその本堂へと向けられる。
「博雅よ。今回は特別にわしも手伝ってやってもよいがどうだ?」
突然、伊吹がそう提案してきた。
「その太刀の出来栄えを見極めるためにわしは山を下りてきた。だが、初陣の相手には少々荷が勝ちすぎると思うてな」
「………ここの妖ってなんだ?」
ちらりと維将へ視線をやる。
維将は本堂へと視線を向けたままこう告げた。
「お師様の話によれば……狐とのことですが…」
「狐にしては妙な気配だが」
ふむ。
伊吹が右手を翳し、己の太刀を顕現させる。
「恐らくは異形なのだろうとのことです」
「狐と何かの合いの子というわけか」
博雅も太刀に手をかけた。
「俺も―――」
懐から符を取り出そうとした維将を博雅が制し、下がるよう告げた。
「お前はここにいろ。伊吹は維将を頼んだぞ」
言うや伊吹が止めるのも聞かずに、駆けだした。
「あの馬鹿が」
死んでも知らんぞ、とぼやく伊吹。
本堂に入った博雅は、安置されている仏像の前で経を唱え続ける男の姿を見つけた。
男は経を唱えるのに必死なのか、博雅に気付きもしない。
「…………」
そろりと背後に近づき、抜き払った太刀を構える。
と、男が経を唱えるのをやめた。
そのままの状態で声が投げかけられる。
「私を殺すというのか? 人間よ」
「…………」
「お前たち人間に私たちの祖はこの土地を追われた。私たちが何をしたというのだ?」
男がゆっくりと博雅へと振り返った。
漆黒の髪を背で束ね、ゆったりとした衣に身を包んだ男は【人】の姿をしてはいたが、唯一違ったのはその瞳だった。
獣の瞳。
それが彼が人外のものである証拠だった。
「…………何をしたというのなら聞くが…その向こうにあるのはなんだ? ここの僧じゃないのか?」
男の向こう……壁際に無造作に置かれていたのは数名の僧侶だった。
恐らく既に息はないのだろう。
「それに狐の里は現世ではない場所にあるだろう」
「そこに追いやったのはお前たちだろう!!」
ぎり、と奥歯がこすれる音がし、突然男の姿が変化し始めた。
「我が王は本来の場所を取り戻せと私たちにお命じになられた。そのためにまず邪魔者を滅せとのことだ」
男の本性は狐ではあったが、それにしては姿が虎に近かった。
「人間は我らの宿願を邪魔する者だ。その人間を滅して何が悪い!!」
人間の頭ほどもある右前脚が振り下ろされた。
博雅は咄嗟にその場から飛び退く。
と直後に今までいた場所に大穴が出現した。
もうもうと土煙が上がる。
「その太刀は飾りか?!」
なおも攻撃は続き、博雅は場所を外に移すことにして外へと飛び出した。
続いて異形も扉を破って出てきた。
「博雅様!」
維将の声がした。
視界の端に二人の姿が見える。
やはり維将は調子が悪そうだった。
「博雅! わしと代われ!!」
維将の傍らで伊吹が叫んでいる。
彼がここまで言うのだ、やはり今の己では荷が勝ちすぎるのだろう。
そう判断し、異形と間合いをとった。
「すまん、伊吹!」
「任せておけっ」
すぐさま伊吹が博雅の傍らを駆け抜ける。
伊吹と交代し、博雅は維将の元へと戻った。
「維将。大丈夫か?」
そっと声をかける。
「……え? 何がですか…?」
なぜそんなに心配されるのかと不思議に思ったのか、維将がきょとんとした表情で問いかえす。
「調子悪そうにみえたぞ」
「え………そうですか? …………そんなに調子悪く見えます?」
本人はその自覚はないようだった。
だが、見ている間にも顔色は徐々にだが確かに悪くなっている。
「かなり悪そうだぞ」
「…………そういう博雅様だって…」
その後の言葉は続かなかった。
何かを堪えるように胸元をぎゅ、と掴む。
「維将?」
「………だい、じょうぶ…です」
心配をかけさせまいとしているのだろうが、それが逆効果になることに彼は全く気付いていなかった。
「おい、維将」
目をきつく閉じて蹲ってしまった維将の肩を掴む博雅。
その二人の様子を、異形と戦っていた伊吹が気づき、慌てて叫んだ。
「博雅、それから離れろ!!」
「へ?」
同時に博雅の持つ太刀が震えた。
太刀の意思が発した警告に、博雅は咄嗟にその場を離れた。
と、耳元で空気が唸った。
頬に軽い痛みが走り、起き上がって拭ってみればその手には血糊が付着していた。
「…………」
ゆっくりと維将が立ち上がる。
「維将……?」
「先ほどまでの小童ではないぞ! 気をつけろ!!」
伊吹も警告を発した。
立ち上がった維将は視線を巡らせ、目的のものを見つけると歩き出した。
その口の端が小さく弧を描く。
異形が維将に気付き、右前脚で攻撃を仕掛けてきた。
だがその攻撃は維将の手で簡単に止められてしまう。
驚きに目を瞠る異形。
「…………その血を……よこせ」
ぼそりと呟くと、右手を異形の体に突き刺した。
肉の裂ける音がし、ついで大量の血が噴き出る。
その血を浴びながら、維将はなおも異形の体内をまさぐって何かを探し出そうとしている。
と、ようやくその動きが止まり、手を抜いた。
ぶしゅ、と不快な音が辺りに響き渡り、異形の体がどうと地に崩れ落ちた。
「…………ちが、う………」
血の海の中に佇み、握る肉塊を見つめながら維将が呟く。
そしてのろのろと視線を巡らせると、博雅へと向けられた。
「……ひろま、さ……さま…」
その瞳が不安定に揺れている。
どうやら正気に戻ったようだ。
「…………俺……いったいなにを……?」




