第33話「呪」
「安倍晴明」
凝った闇の中から男が一人姿を現した。
ここは狐の里。
そしておそらくは……。
依頼を受けたあの後、再び使者が己の夢殿に現れてこう言った。
呪詛を向ける相手を見つけた。
お前のその力をもって貴奴を呪殺してもらいたい。
それに呪詛を行うならば我らが都の方がお前にも都合が良いだろう、と誘(いざな)われたのが狐の里だ。
晴明自身半分は狐の血を受け継いではいるが、狐の里にこうやって堂々と入ったのは初めてだった。
その最初の印象はとにかく【異様な雰囲気】であるということ。
当代の荼枳尼の君が躍起になって呪い殺す相手を捜しているからだろう。
その相手を見つけたという。
式を放っても見つけられなかったというのに、彼らはどうやって見つけたというのだろうか。
それが不思議だった。
京の都に似た街並みを横目に、入っていったのは荼枳尼の君が住まうとされる宮。
晴明には他人の目に触れぬ奥まった坊が与えられ、そこで呪詛の準備を行っていた。
実際には呪詛を執り行うことに気が進まず、わざと準備をゆっくりと行っている。
だが、その準備もとうとう今、終わってしまった。
整った祭壇を目の前に、晴明は小さく吐息をつく。
「ではすぐにでも執り行ってもらおうか」
様子を見に来た男が準備の整った様子に満足げに見つめながら告げた。
「…………それよりも…私が頼んだものは?」
「おお、そうだったな」
今気付いたとばかりに男は笑み浮かべながら懐を探り、目的のものを取り出す。
「かの者にまつわるもので良いという話だったが、血でもよかったか?」
「……ああ」
手渡されたのは紙包みだった。
それを開けて中を確認すると、黒い砂。
恐らくは血痕の付着した砂なのだろう。
「確かに」
これですべての準備は整ってしまった。
あとは呪詛を執り行うだけだ。
祭壇へと視線をやり、晴明はごくりと喉を鳴らす。
もし呪詛が成功してしまえば人に紛れてひっそりと生きているだろうその者の命を消してしまうことになる。
「…………」
本当にこのまま執り行っても良いものか。
ヒトの命をそんなに軽々しく扱ってもよいものなのだろうか。
ゆっくりと祭壇の前に座し、正面を見据える。
今の晴明が置かれている状況を考えれば執り行うしか道はなかった。
目を閉じ心を落ち着かせて精神を集中させる。
パン。
柏手(かしわで)を打ち鳴らした。
それが呪詛の開始の合図だった―――――
夜が明けると同時に維将に張り付けられていた符の効力が切れたのか、維将がもぞもぞと起き出した。
それに最初に気付いたのは伊吹で、彼はすぐに良源へ声をかけると、眠りが浅かったのか、良源はすぐに目をさまして維将の枕元へと急ぐ。
「良く眠れたか?」
体を起こそうとしているのを手伝いながらそう問いかける。
「……はい…。なんだか体が重いですけど」
「体が疲れているからだろう。腹は減ったか?」
良源は維将の様子に変化はないかを確認しつつ朝餉へと意図的に意識を向けさせようとした。
「少し減りました」
「では何か見繕ってくることにしよう」
立ち上がり踵を返しかけたが、その視線の先でこちらを心配そうに見つめている博雅と視線があった。
「維将」
振り返って声をかける。
「はい?」
「お前が一番心配している者がようやく愛宕から戻ってきたぞ」
「…………愛宕……博雅様ですか!?」
そこでようやく目が覚めたようだ。
慌てて博雅の姿を捜そうと立ち上がりかけたのを良源が制し、ついで博雅が枕元へとやってきた。
「いつお戻りに?」
「昨晩だ。お前の様子が気になったから邸に戻らずにそのままこちらに寄らせてもらった」
腰を下ろした博雅は、維将の頭を撫でる。
「お前は本当に働きすぎだ。まだ元服も済ませてないっていうのに」
こういうのは大人の俺たちに任せておけばいいんだ。
「でも博雅様」
くすぐったさに苦笑を堪えていた維将が反論する。
「妖が起こす怪異は増え続けているんです。俺は叡山で師について修行を積んできて妖を滅する力もあります。この力を今使わないでいつ使うんですか?」
「お前は使命感に駆られて働きすぎだ」
こつん、と軽く頭を叩いた。
「俺が戻ってきたからにはその変な性格を直してやるから覚悟しとけよ」
「でも……」
「返事は?」
有無を言わさぬ問いに、維将は反論する機会を逸してしまったようだ。
視線を落とし、小さな言葉が漏れた。
「わかりました」
「よし。じゃあ朝餉にしよう」
朝餉を食べ終え、食後のひと時を過ごしていた四人。
そこへ陰陽寮からの使いが手に書簡を携えてやってきた。
忠行はその応対に席を離れ、博雅は先ほどから姿の見えない伊吹を捜して席を立った。
残るのは良源と維将の二人だけ。
「お師様。今日はどちらへ行かれるんですか?」
白湯の入った碗を静かに置きながら、維将が問う。
「博雅殿も戻ったことだし、あれにも手伝わせることとして……そうだな。右京六条と左京五条辺りか」
「わかりました。今日は俺もお供してもいいですか?」
ここ数日は邸の外に出させてもらえなかったため、今日こそはと意気込んでそう問いかけたが。
「だめだ」
と一蹴される。
「どうしてですか?」
「まだ体調が戻っていないだろう」
「大丈夫です!」
そこへ博雅が戻ってきた。
「妖退治は俺たちに任せておけと言っただろう」
どうやら外にまで会話が聞こえていたようだ。
「良源殿。俺にも手伝わせてくれるんだろ?」
「一応頭数の内には入っている」
「そうか」
どっかりと腰を下ろし、碗を掴むと一気に飲み干した。
「で、あの者は?」
「あれなら門のところにいた。この場にいるとややこしい事態になりかねんそうだから、だとさ」
一応配慮してくれたということか。
良源はそう察し、伊吹に感謝した。
「それよりも陰陽寮からいったい何の書簡が届いたんだろうな」
出て行ったまま戻ってこない忠行へと意識が向けられる。
その時、ようやく忠行が姿を現した。
だが様子が少々おかしかった。
堅い表情で己の席に戻ると、心を落ち着かせようとしているのか、ゆっくりと白湯を飲み干てゆく。
「忠行殿」
静かに良源が声をかける。
「陰陽寮からの用というのは……もしや」
「…………怨敵調伏」
ぽつりと呟くように漏れた言葉に、良源と博雅は同時に吐息を漏らした。
「とうとう命が下ったか」
「まあ……あれだけ勝手にやられてはな」
「わしはすぐに準備に取り掛からねばならんから――」
「わかった。こちらのことは気になされるな」
ことり、と碗を置く良源が告げた。
「忠行殿は目の前の勅命を大事になされよ」
「で。わしはこやつの守(もり)をせよ、とのことか」
ぶすっとしたままの伊吹が不満げに言葉を呟く。
結局、維将を邸に残しておくことはできず、苦肉の策として博雅と伊吹に維将をつけることとなった。
それが良源が考えに考え抜いた結果だった。
「そんなこと言ってやるなよ」
困ったような表情で、博雅が隣を歩く伊吹へと声をかける。
「維将はこれでも強いんだぞ」
「それはよく知っておる。童ながらとてつもない力を持った者が都の妖を滅していると仲間内では有名だったからな」
「そんなに有名になってたんだ、こいつ」
それを聞いたのは初めてだった。
妖の中では維将は有名になっていたようだ。
だから彼の姿を見ると妖が襲い掛かってくるようになったのだろうか。
そして……。
「博雅様。向こうに妖の気配が」
敏感に気配を感じ取った維将が指摘する。
「よし、行くぞ」
博雅は二人に声をかけて駆け出した。




