第2話「維将、妖と遭遇する」
良源たちが都へと入ったのは夕暮れが押し迫った頃のことだった。
「お師様……あれは結界、ですか?」
維将が何かに気付き、良源に尋ねる。
夕暮れの中、彼の目には都を覆う結界の姿がはっきりと見えていたのだろう。
「お前は都に下りるのは初めてだったな」
それに驚くでもなく、良源は頷いて見せる。
「そうだ。あれが都の結界だ」
「へえ……」
「良源様。賀茂忠行様の式が」
別の僧が声をかけてきた。
と、ばさりと羽音を立てて舞い降りてきたのは一羽の梟だった。
良源が右腕を差し出すと、式はその腕に舞い降りる。
「………なるほど。そちらの方が急務だな」
式を通して伝えられた情報を吟味し、再び式を夜空へと放つ。
放たれた式は忠行の元へと戻ってゆく。
それを見送り、良源は僧たちを振り返る。
「お前たちは先に指示した邸に行け。忠行殿が話をつけてくれている」
「良源様は……?」
「私は今連絡の入った場所へ行く。そちらの方が急務だそうだ」
そう指示をだし、最後に維将を見やった。
「お前は私とともに来るといい」
「でも……」
ちらりと僧たちに視線をやる。
それに気づき、良源は溜息をひとつつく。
「お前は正式ではないが私の弟子だ」
だというのに、なぜお前はいつも周囲の人間の目を気にするんだ。
「…………すみません…」
「謝る必要はないだろうが。全く誰に似たのやら」
「まあ、良源様ではないのは確かですね」
苦笑を漏らした僧の一人がそう言った。
それにつられて他の僧たちも苦笑を漏らす。
「維将。私たちのことは気にしなくてもいい。良源様を頼むぞ」
「…………は、はい」
ぐりぐりと頭を撫でられ、維将はようやく返事を返した。
「では先に行っております」
僧たちはそれぞれ良源に頭を下げると、すぐに駆け出した。
「では、私たちも行くか」
「はい、お師様」
二人はそろって駆け出した。
良源たちが向かったのは都外れ…その鬼門に当たる邸跡であった。
人が住まなくなって久しいのか荒廃しきっていた。
「維将。私の傍から離れるなよ」
そう言い置き、ゆっくりと敷地内へと足を踏み入れた。
肌で感じる空気がはっきりと変わったのが分かった。
「叡山の守護する鬼門がここまでやられているとは……。忠行殿が文句を言いたいのもよくわかる」
懐から独鈷を取り出し、
「オンシュチリ、キャラロハ、ウンケンソワカ!」
呪を唱えると素早く宙を薙いだ。
直後に身も縮むような絶叫が響き渡った。
維将は思わず耳を塞ぐ。
「一匹目」
どう、と大きなものが倒れた音がし、維将は良源の影からそっと覗いてみた。
さきほどまで何もなかった場所に、巨大な異形のものが倒れ伏していた。
「お………鬼…」
既に絶命しているのだろうが、鬼の見開いた目の中に己の姿が映し出されているのに気付く。
その瞳に捕らわれたのか、維将は身動きが取れなくなっていた。
しかも既にこと切れているというのに何かしらの力が存在するのか、意識が徐々に混濁してくる。
「維将?」
良源も彼の異変に気付いたようだ。
振り返り、維将の目を片手で覆うと、口の中で呪言を唱えた。
パシ…と小さな音がし、ついで金縛りが解ける。
「妖の目を見るな。捕らわれたら最後、抜け出せなくなると昔から言っているだろう」
「あ…………」
我に返り、慌てて鬼から目をそらした。
その時、邸の中から不気味な声がこだました。
仲間を失った鬼たちの怒りの声なのだろう。
声と漂ってきた妖気に維将は知らず身を震わせる。
「…………結界を張る。決してそこから出るな」
このままでは形勢的に不利だと悟った良源はそう告げると、維将を中心にして地面に円を描いた。
そして口の中で呪言を唱えると円は強固な結界と化す。
「維将」
「……はい、お師様」
結界の内から維将が答える。
「その中にいれば妖は手出しができない。だが……」
間を置いてから良源は告げた。
「一歩でも外に出ればたちまち妖がお前を食らうだろう。念のためにお前には護身用の術を教えてきたが今回ばかりはそれも役には立つまい。私が戻ってくるまでそこでおとなしくしていろ」
「…………」
その言葉に無言のまま頷く維将。
それを確認するとすぐさま踵を返し、邸へと良源は入っていった。
結界内から良源の後姿を見送った維将はその場に座り込む。
「術………」
良源から初めて術を教わったのは約五年前。
そのきっかけが何であったのかは今でも思い出せない。
ぶんぶんと首を横に振り、それを頭の中から追い払うと、再び教わった術をひとつひとつ思い出してゆく。
さて、こちらは邸の中。
良源は鬼の気配を辿って入り込んだのだが、どうやら何者かが築いた結界の中に足を踏み入れてしまったらしい。
立ち止まり、気配の主を捜し出すと、そちらへと向かって駆けた。
「……やはりお前だったか」
しばらく駆けて、結界を張った主を見つけ立ち止まった良源が声をかけた。
「晴明。もう少し加減はできんのか?」
「これが加減できるような相手ですか? 良源殿」
緊張感の欠片もない雰囲気を纏った青年が振り返る。
名を安倍晴明。
しかし、ふんわりと笑うその額にはびっしりと汗の玉が浮かんでいた。
笑みを浮かべるも力を維持するのに相当の力を使っているようだと感じ取れた。
「良源殿が来ていただければ私も心強い」
「で、これで全部か?」
先ほど潜り抜けた結界もそうだが、目の前にある結界も彼が創り上げたようだ。
その中には何体もの鬼がそれぞれ結界を破ろうともがいている。
「いえ……親玉を含め何匹か逃しましたが、敷地の結界の外には出られないようにしておいたので後で―――」
「なんだと!?」
急に良源が声を上げた。
その声に晴明が何事かと振り返ると、血相を変えた良源が踵を返して結界の、邸の外へと駆けてゆくところだった。
「良源殿?! 急にどうされたのですか!」
「弟子が外にいる!」
そうとだけ答えると、あとはひたすら外へと駆けて行った。
「あ………」
結界の中、維将は今までにない恐怖を味わっていた。
それもそのはず。
先ほど退治した鬼の仲間なのであろう鬼数匹が良源の張った結界を取り囲んでいたからだ。
おぞましい妖気が結界を通り抜け、身を蝕む。
「………………」
鬼の手が一斉に結界へと伸びた。
だが通り抜けることはなく、弾かれる。
「このままだと……」
いけない、と直感的に感じた。
この結界も時間が経ち、力が薄まれば自然と消える。
それでなくともこの妖気だ。
おそらくそう長いこと保つまい。
維将は意を決し、立ち上がると印を結んだ。
「ノウマクサラバタタギャテイ、ビャクビキンナン、ウンタラタカンマン!」
教わった呪を唱え、右手で刀印を結んで頭上に振り上げ、一気に地に振り下ろす。
すると練り上げられた気がまるで太刀のように空気を切り裂き、一匹の鬼の体を切り裂いた。
「…………やった…」
はあはあ、と息を乱した維将は、いけると心の中で確信した。
「オン、キリギャク、ウンハッタ!」
そのまま結んでいた刀印を今度は左から右へ素早く薙ぐ。
切り裂かれた鬼が轟音と共に炎の中へと散った。
「………………いっぴき……」
膝に手を置き、体を支える。
この数年、良源について厳しい修行を行ってきたはずだった。
だが……
「……きつ、い…」
体力がないだけか、はたまた力が足りないだけか……。
鬼一匹を倒すだけで精一杯のようだ。
一瞬、めまいを起こしよろめく。
その足が結界を越えて外に出てしまった。
「し、しまっ……」
体勢を立て直そうとしたが遅かった。
隙を狙って鬼たちが殺到する。
冷たい気配の中に存在するはっきりとした殺意と憎悪。
痛いほどのそれらに維将は恐怖を感じた。
直後、夜空から轟音と共に稲妻が地へと突き刺さった――――。
ようやく晴明が登場。
良源様、晴明を置いて弟子を助けに行ってしまいました。
それほど育てた子がかわいいのでしょうね。




