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暁闇の月  作者: 平 和泉
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第24話「懊悩」

小野家別邸を後にした数日後。

博雅は物忌(ものいみ)を終え、久々に宮中に出仕していた。

妖たちの影響なのだろう。

宮中での政務はやはり滞りがちであり、今ではほぼ麻痺状態に陥っていると言っていいほどだ。

周囲の様子に気を配りながら主上(おかみ)の御前にあがった博雅であったが、僅かな違和感を主上に感じた。

いつもであれば御簾の向こうに座していてもその存在感に平伏(ひれふ)したいほどであったのだが。


「主上におかれましては……」


口上を述べようとしたが、その前に主上がそれを制する。


「博雅。お前は安倍晴明に近しい人間として、これをどう思う」


問うたのはやはりそのことだった。

この場には主上と博雅の二人しかいない。

他の者には席を外させてはいるが、左大臣がこっそりと聞き耳を立てている気配が感じられた。


「………謹んで言上仕(ごんじょうつかまつ)ります」


そう言い置いてから、己の見解を率直に述べた。


「それに………主上自身のご体調もすぐれぬのではありませんか」

「……さすがにお前には隠せぬか」


苦笑を漏らす声もどこか疲れがにじみ出ている。


「ここ数日ほど微熱が続いている。だが政務はおろそかにできぬからな」

「主上がお倒れになればそれこそ一大事。簡単な政務は左大臣殿や右大臣殿にお任せしてご負担を軽くすべきだと私は考えます」


左大臣たちも主上の様子に違和感を感じているのだろう。

だからこそ聞き耳を立てているのだ。


「なにとぞ臣下の意見をお聞き入れくださいますよう伏して願い奉ります」

「さきほど訪ってくれた弟にもそう言われたが……身内でないお前にもわかるか」


ふむ、としばし考え込み、


「左大臣たちの意見も聞き、政務が滞りなく行えるよう努力しよう」

「は」


主上はこれから左大臣たちを呼び戻すようだった。

退出した博雅の傍らを彼らがいそいそと駆け抜ける。






仕事がひと段落ついた午(ひる)過ぎ。

博雅の元に一通の文が届いた。

送り主は不明。

ただ季節外れの山吹の花が一輪添えてあっただけだ。

それだけで博雅には送り主に思い至った。

憮然とした表情で文を開けば、そこには予想通りの文章が連なっている。



『お急ぎください』



短くそれだけ書かれていた。

彼女は己がまだ伊吹という鍛冶師の元を訪っていないことを知っているのだろう。

知っているというよりも、予想していたの方が正しいかもしれない。


「…………」


文を元通りに折り直し、懐へとしまう。


「ここにいたか、博雅殿」


優雅に御簾を押し上げながら局へと入ってきたのは源参議こと源高明(みなもとのたかあきら)であった。

彼は朱雀天皇の弟であり、20年前に臣籍降下している身だが、学問に優れ朝儀に通じていることから朝廷で重んじられている人物である。

そのような人物がわざわざ博雅の元を訪れた。


「これは参議殿」


素早く上座の畳を譲って頭を下げる。


「先ほど主上と話をされたそうだが、貴公も何か気付いたようだな」


譲られた上座へと座り、そう尋ねてきた。

やはり、と心の中でそう呟きを漏らし、博雅は声を落として告げる。


「のちほど左右両大臣様よりご通達があると思われます」

「そうか」


予想はしていたのだろう。

頷くだけだった。


「別件だが、年が明けてからどうも内裏内の妖の気配が濃くなったと思うが、貴公はどう思われる」

「…………妖の、でございますか…?」


この話は一切聞いたことがなかった。

むしろ寝耳に水な話だ。


「私はこの数日ほど邸にて精進潔斎をしておりましたが………」


博雅はもともと妖の気配には疎い方だった。

ただ直感で動いてきただけなのだ。

しかしこの高明は尊い血筋に生まれついたためか、その気配には敏感だった。

その彼が言うのだ。

恐らくはそのとおりなのだろう。


「賀茂忠行殿に確認を取ってまいりましょう」

「うむ、助かる」


ようやくホッとしたのか、高明の表情が緩んだ。


「内裏は陰陽師たちの結界に守られているが、その結界を抜けて妖が入るようなことがあれば主上の身に危険が及ぶかもしれん」

「…………」


国家の頂点に立つ帝が害されれば国家そのものが崩壊する。

それを危惧しての言葉だった。


「その万が一に備えて今から準備をしておくことも必要だと私は考えるのだ」

「………準備、でございますか?」


博雅の脳裏に一瞬、山吹の言葉がよぎった。

そんなことはないだろうと思いつつ、先を促す。


「腕の良い鍛冶師に対妖用の太刀を鍛えるよう命を出そうと考えている」

「しかし鍛冶師とて普通の人間では?」

「その辺りも考えている」


高明はそう言って具体的な内容を語った。

しかしそれはすべてが推測に成り立っているものであり、本当に鍛冶師に対妖用の太刀を鍛えることができるのか不透明であった。


「石清水や賀茂といった神事にゆかりの深い社はどうだろうか」

「………伊勢は、その中には含まれませんか?」


帝の血筋はこの伊勢の祭神から始まるという。

その力を以てそれなりの鍛冶師に鍛えさせればあるいは。


「その通りだが……」


懸念は伊勢までの距離だろう。

その時、簀子縁から博雅を呼ぶ声がした。

それに気づき、高明はハッと我に返る。


「長々と話してしまったか。まだ寄らせてもらうぞ」


慌てて立ち上がってそう告げるとすぐに外へと出て行ってしまった。

声をかけそびれた博雅だったが、入れ違いに入ってきた同僚の話を聞く準備を始めた。






一日の仕事を終え、ようやく邸に帰り着いた博雅は夕餉を採すと家人に蔵から出すよう指示していた書物の頁を灯明の明かりの下で繰っていた。

読んでいるのは約百年以上も昔の当主が書いた日記だ。

その当時に当主であった先祖は小野篁とも知己の間柄だったそうだ。

そして同じ頃に起こった宮中での妖異をことごとく退けたらしい。


「…………昔、読んだときはただただ宮中のもめごとを収めたんだとばっかり思っていたが…」


主だった当主の日記は元服前にすべて親から読み込まされていた。

当時の当主の処世法を叩き込ませるためだそうだ。

が。

膨大な量の日記だったために、あれが本当に役に立っているか今でも不思議だ。


「しかしな………」


先祖は一体何を使って妖異を退けたのだろうか。

ぺらぺらと頁を繰りながら溜息をこぼす。

書いているのは他人が見ても見過ごしてしまう記述ばかりで、よくよく注意深く見ていかなければそれが妖異であることに気付かない。


「…………」


考えるが何も思い浮かばない。

仕方なく気晴らしに夜歩きに出た。

家人たちに一人で出かけるのはよくないと口々に言われ、結局は武に秀でた家人とともに連れ立って門を出た。

家人の持つ明りが淡く夜道を照らし出している。

博雅は小路を北へと向かいながら考えを巡らせていった。

その時だった。

かすかに地面が揺れたのに気付く。


「博雅様っ」


あれを、と家人が指差す方向に目を剥けた博雅が見たのは、夜空にもうもうと巻き上がる土煙だった。

ここからだと近い。

何が起こったのかを考えるより先に体が動いた。

家人を置いて土煙の方角へと駆ける。

現場は鴨川のほとりだった。

河原で人の走る足音と呪を紡ぐ声、そしてそれに対抗するように土煙が頻繁に立つ。


「…………良源殿か…?」


だが良源ではないようだ。

よくよく観察していた博雅は、それにようやく思い至って顔を青ざめさせた。

戦っているのは維将だ。

しかも一人で…おそらくは妖異と戦っている。


「良源殿や忠行殿はどうしたんだっ」


思わず駆け出していた。

維将が相対している相手の気配ならわかる。

姿が見えないだけ厄介だが、目を閉じて気配を感じ取れば大丈夫だった。

維将を背に庇い、太刀で攻撃を受け止める。


「っっ 博雅様?!」


驚いたのは維将だった。

まさかこのような場所に博雅が現れるとは思わなかったからだ。


「たまたま夜歩きに出てて、あんな土煙を上げられたら誰だって………」


攻撃を受け流しながらしばし沈黙し……結論。


「いや、来るのは俺だけか」


最後の攻撃をかろうじて太刀で受け止めると維将を促して間合いの外へと出た。


「良源殿や忠行殿はどうした?」

「お二人はもっと厄介なところへ行っています」


印を幾度か組み換えた維将がそう答える。


「それに山吹は篁様について冥府で鍛錬を積んでいます。………オン、キリギャク、ウンハッタっ」


最後に呪を唱え、刀印を振り下ろした。

ごう、と闇夜に紅く炎が燃え立ち、瞬く間に妖を包み込んでゆく。

その威力は前に見た比ではない。

確実に成長しているのだと確信する。

炎が収まると、ようやく先ほどまでの不快な感じがなくなった。


「妖気が散りました。これで今回の依頼は完了です」


ふう、と残心を解いた維将が告げる。


「少し苦戦しましたが、博雅様のお陰で早く片づけることができました」


ありがとうございました。

深々と頭を下げてくる維将に、博雅は無言のまま彼の右腕を取った。


「っっ」

「やっぱりな。さっきの攻撃で怪我したな」


見ると暗闇でもわかるほどに上腕部に傷がぱっくりと開いていた。

止血の法でも行使したのだろう、血はほとんど流れていない。

だが痛いのには違いない。


「本当にお前はどうしてこんなになるまで……」


眉を顰め、呟きを漏らす。


「来い。邸で手当てしてやる」


ぐい、と引っ張るとそのまま歩き出した。


「え? でも……報告が―――」

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