閑話休題「月と成長痛と」
「っ」
小さな痛みに思わず顔を顰(しか)める。
最近……とはいってもここ数日だが……夕方から翌朝にかけて膝や踵が痛む。
病気なのかも、と不安に思うも聞くに聞けない状態だ。
本格的な冬に入り、京の都でも時折積もるのではないかと思うほどの雪が降ることもある。
自分と一緒に都へと降りてきていた先輩の僧たちも修行のために叡山に戻り、ここには師と自分しかいない。
あとは忠行様とご子息の保憲様、そして晴明様。
晴明様はここ半月ほど依頼のため邸を留守にしている。
あの方ほどの陰陽師であれば依頼も引く手数多なんだろうな、と思いつつ忠行様より日々陰陽道の手ほどきを受けている。
しかし本当に痛い。
「…………」
(一体何やったんだろ…)
昼間はどうもないのに、なぜ。
師の調べ物は順調とはいえず、毎日新しいものはないかと都の中を駆けずり回っている。
今日もさきほど戻ってきて、ずっと局(つぼね)で書き物をしている。
俺はといえば忠行殿について陰陽道の手ほどき受けながら日々精進を積んでいるだけだ。
手伝いをしたいが、師より邸を出るなと厳命を受けているから。
ぺらりと書物の頁(ページ)を繰る。
読んでいるつもりだが、その文章が全く頭に入ってこない。
「……痛い…」
呟きを漏らし、そのまま背中から床へと寝転んだ。
「痛くて全っ然、頭に入らないし」
言いながら痛む部分をさすった。
さすってもさすっても鈍い痛みは続く。
特に眠っている時などはひどい。
思えばここ数日は眠りも浅かった。
「止痛の符を作ってもらった方がいいかな……」
というか止痛の符は効くのか?
そんな疑問を覚えるも、このままではまた寝不足になってしまうかもと考え始めた。
その時だった。
雑色の自分を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。
痛いのを我慢してひょいと顔を出せば、なんでも博雅殿が用事だとのこと。
「すまんな、呼び出して」
門のところで待っていた博雅殿は、自分が出ると途端に笑みを浮かべた。
「どうしたんですか? また何かあったとか……」
「あったらこんなにのんきにお前を待ってるはずはないだろう」
それはそうだ。
「それよりも今、外に出れるか?」
「それは大丈夫ですけど…」
ちらりと奥へと視線をやる。
博雅はそれに気付いたのか、困ったような表情をしながら同じように奥へと視線をやった。
「黙って出ると良源殿から大目玉を喰うか」
「はい…その通りです」
「仕方ないな」
行って門の中へと入ってきた。
「博雅様?」
「お前だけじゃ心もとないから一緒に行ってやるって言ってるんだ」
行くぞ。
行って奥へと入ってゆく。
「ちょ………待ってくださいよっ」
維将は慌てて駆け出した。
「良源殿。入るぞ」
短くそう告げ、返事が返ってくる前に局へと足を踏み入れた。
「あ……て、うわっ」
入ったはいいが、書物やらが足の踏み場もないほど散乱しており、思わずひっくり返りそうになった。
「どうした」
奥の方で良源がそれらに埋もれながら書き物をしている姿が見えた。
「………少しだけ維将を借りたい」
「あれを何に使うつもりだ」
顔を上げずに問う。
「確か博雅殿にも伝えたと思うが」
「知っている。だが、今夜は危ないことはさせない」
「…………“今夜は”?」
筆を置いてゆっくりと振り返る。
「これ以降は危ないこともさせる、ということか?」
「…………言葉のあやだ」
「雪見や星見なら邸の中でも事足りる。あまりあれを外にやりたくはない」
「……前から思ってたことなんだが…」
ぽつりと博雅が呟きを漏らした。
「良源殿は維将に対して過保護すぎると思うぞ」
「それは私自身も感じている」
良源がそう素直に認めた。
が。
「が、私はあれの親代わりなんだ。少々過保護ぎみでもいいと思うが」
「少々ではなく、かなりだと……」
「お師様」
外から維将の声が聞こえた。
「どうした」
「心配なんでしたらお師様も一緒にどうですか? 戻ってからずっと閉じこもってばかりいるじゃないですか。たまには外の空気を吸って気持ちを切り替えましょうよ」
「…………」
「あまり根を詰めたら倒れちゃいますよ?」
「お前の弟子が心配してるんだ」
「…………」
しばし考え込んだ良源であったが、両手を上げて降参の意を示した。
「外に出るのは少しだけだからな」
「助かる」
満面の笑みを浮かべて喜ぶ博雅に良源はひと睨みし、外へと出てゆく。
それを見届け、博雅も外へと出た。
三人は暗い夜道を歩き、禁苑である神泉苑へと向かった。
博雅が事前に根回ししていたようで、門衛はすんなりと通してくれた。
「お前に見せたかったのはあれだ」
そう言って博雅は前方を指し示した。
その先にあったのは先ほど昇ってきた月だ。
何の変哲もない月。
「博雅様。月がなにか……?」
「そうか……」
良源だけが気づいたようだったが、すぐに憮然とした表情になる。
「まだ早いだろう」
「早いが、主上が陰陽寮に勅命を遣わした」
「さすがは博雅殿だ。宮中の情報通だな」
二人の会話に全くついてゆけず、会話の中に入ろうと焦る維将。
それに気付いたのか、良源が維将へと視線を移した。
「お前にはまだわからないだろうが、来年如月に皆既月食が起こる。それを主上が陰陽寮に観測せよと勅命を出した」
「かいきげっしょく……?」
「月がどんどん夜空に食われてなくなるんだ」
そう告げたのは博雅だった。
「た……食べられちゃうんですか?! それって妖の仕業でしょうか!!?」
「博雅殿。不安がらせるようなことは言うな」
びしり、と良源の鋭い視線が博雅を射る。
「安心しろ。月はなくなりはせん。また元の姿に戻る」
「………そ、そ…ですか」
ほう、と安堵の溜息が維将の口から洩れた。
「それよりも、数日前から調子が悪そうだな」
膝を折ってしゃがみこみ、視線を維将へと合わせる。
「私には言えない事情があるのか?」
「…………………」
維将の目が泳ぐ。
それを見て、やはりな、と良源が呟いた。
「私に相談しにくいのなら博雅殿にな。誰にも相談せずに内でため込むのはなしだ」
そう言って小さく笑みを浮かべる。
だが、その笑みが困ったような感じだったため、維将は慌てた。
「ち、違うんです!」
師を困らせてしまったと思い、実は…と打ち明けた。
「それは成長痛だな」
「成長痛……?」
良源の言葉に、維将は小首をかしげる。
「そうか……。少し遅いとは思ったがようやくか」
「病気とは違うんですか?」
自分が一番聞きたいことを問う。
すると、隣で聞き耳を立てていた博雅が口を開いた。
「安心しろ。体が成長してるだけだ」
「…………」
「俺も十の頃に痛くて我慢できないと母上によく訴えたものだ」
その時のことを思い出し、博雅は目を細めた。
「鈍い痛みは少しの間は続くが、そのうちあっさり痛みがなくなるさ」
「そ……そういうものなんですか??」
「そういうものだ」
良源が頷いた。
「それでも痛みがひどいようなら止痛の符を忠行殿に作ってもらう手もあるが」
「いえ、今は大丈夫です……」
たぶん。
最後の言葉は口中で呟いた。
「あ、ほら、お師様。流れ星が」
夜空を指差し告げた。
二人はそれを好ましげに見つめると同じように夜空を見上げる。
こうして天慶二年(939)は何事もなく暮れてゆく。




