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暁闇の月  作者: 平 和泉
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第19話「冥府」

ひたひたと闇を歩く何者かの音が聞こえる。

それはまっすぐに己の元へと向かってきているようだ。

晴明はそれに気付いてはいたが、己に危害を加えるような気配を感じなかったため放置していた。

そのうち足音は己のすぐ後ろで止まった。


「安倍晴明……だな」


かそけき問いかけがかけられた。


「我が主より文を遣わされた」


声の主は随分と年老いているようだ。

男性のしゃがれた音がここまで届く。


「………返答を」

「私に文をよこしてすぐに返答をとは。その主はよほど急(せ)いているのだな」


ふ、と苦笑を漏らした晴明が胸の前で組んでいた手を解きながら告げる。


「私への依頼なら主自ら足を運ぶのが当然だろう?」

「ぶ、無礼なっ」


晴明の言葉にその男は気色(けしき)ばんだが、恐らくは主から承諾を得るまで戻ってくるなと伝えられているのだろう。

引き返すことはなかった。

そのまましばらく時が経つ。

先に根を上げたのは晴明の方だった。

溜息をつき、手を差し伸ばした。


「文を」


その手に文がそっと載せられると、すぐさまそれを開いて読み始めた。

読み始めてすぐにそれが人捜しと呪詛の依頼だとわかった。

眉を顰めながらなおも読み進める。


「一つ目の依頼は引き受けた。だが、二つ目については一つ目の結果次第だ。そう主に伝えろ」

「………わかった」


男はそう告げると気配を絶った。

自分の気配を辿って主を特定されるのを防ぐためだと推測できた。


「…………抜け目のない主のようだな」


視線を落とすと、手にしていた文が端からほろほろと崩れてゆく。

全てが崩れ塵となるのを見届けた晴明は懐から符を一枚取り出すと、それに力を込めた。


「捜せ」


そう告げて宙へと放つ。

すぐさま符は白い小鳥の姿に変化して闇の向こうへと消えた。






「もう少し行けば私の受け持つ領域に入る」


歩き続けていた篁がそう告げた。


「そこから現世に戻れる」

「………現世に戻れる…て、どういうことですか? 俺、確か忠行様の邸にいたはずなんですけど」


そう。

夢殿から現世に戻るには、入った場所からしか戻れないと教わった。


「それもひとつの方法だな。だがお前は今、生身の体で夢殿に来ている」

「え?」


生身の体で夢殿に。


「なぜお前が生身のままここに来れたのかは知らんが、生身であれば通れる通路が二つだけ存在する」


それが今から行く領域の中にある。


「そこはどこなのか聞いてもいいですか?」

「…………冥府」


冥府、とだけ告げた。

つまり人間が死後行く場所だ。


「私が冥府の役人であることを考えればすぐに答えは出るはずだが」

「…………そうですね」


ついうっかりしてしまった。

篁は冥府の役人であり、彼の管轄は冥府。

それに彼は既にこの世にはいない人間。


「…………行くぞ」


いつの間にか歩みが止まっていた維将を促す。

しばらく歩くと川にぶつかった。


「現世では鴨川に当たるところだ。夢殿では現世と冥府を隔てる川でもある」


そう言って川にかかる橋を歩き渡ってゆく。

維将もそれについて渡った。

渡ると景色が一変した。

ごつごつとした岩肌の山々が遠くに見え、その麓からは鬱蒼(うっそう)とした森が広がっている。

森の中を行くと突如として朱塗りの門が現れた。

先ほどからひっきりなしに門の中へ人間が入ってゆくのが見え、それらはすべて死者なのだろうと気付いた。

そこへ篁も何の躊躇いもなく同じように入ってゆく。

だが、維将はここで入るのを躊躇ってしまった。

生身の人間がここに入ってもいいものなのだろうか。


「おい、お前! 何をやっている?!」


突然、背後から声がかけられた。

慌てて振り返った次の瞬間、堅い何かに殴られ意識を失う。






気付けば、暗い室内の寝台の上で寝かされていた。

背中から肩にかけての鈍い痛みを堪えながら起き上がったとき、扉がゆっくりと開いた。

入ってきたのは先に門の中へと入った篁だった。


「気が付いたか」


桶の水を替えに行っていたのだろう。

篁は桶を置くと寝台へと寄り、維将の額や首筋、そして背中へと手をやって異常がないかを確かめてゆく。


「うちの牛頭が誤って殴ってしまったようだ。すまん」

「そんなっ…俺が門の中に入らなかったからだと思うんです。謝らないでください」


あたふたと両手を振った。


「もう少しここでおとなしくしていたほうがいいだろう」

「でも」

「お前の育ての親と忠行には“お前をここで保護している”と知らせた。安心しろ」


ちゃんと現世まで送ってやる。

そう告げ、強制的に維将を寝かしつけた。


「…………すみません」


しばらくして規則正しい寝息が漏れ始めた。

篁はそれを確認し、部屋を出た。

部屋を出たところで視線を感じ、それを追えば廊下の欄干に小さい小鳥がとまっているのが見えた。

右手が太刀の柄にかかる。




一瞬のうちに銀の軌跡が流れた。




ぱちん、と澄んだ音が響けば、欄干にとまっていた小鳥の姿はなく、ただ紙切れの残骸が廊下に散らばっているだけであった。


「かなり遅かったが……ようやく、か」


紙切れの残骸を無感動な視線で見つめた篁がそう呟く。

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