第17話「冥府の官吏」
帰途、良源は維将の手にしている書物に興味を持ち、問うた。
「俺でも読めそうなものを見繕っていただいたのですが、まだ読んでません」
「ほう。ちょっと見せてみろ」
そう言われ、素直に書物を差し出した。
「ふむ」
表には何も表題がないが、相当に古い書物だということはそこからも読み取れた。
試しに数頁めくって中を確認してみる。
内容から考えて、どうやら日記のようだった。
(徒人(ただびと)が書いた日記か…)
そう結論付けると、書物を維将へ返した。
「恐らく百年以上も昔の、あれの先祖が書き記した日記のようだな。お前でも読めるような内容だから大丈夫だ」
「有難うございます」
受け取って、それをぎゅっと大事そうに懐へとしまい込んだ。
「よし、読むぞ」
邸に戻るとすぐさま己に充てられた局で書物を読み始めた。
年代は分からないが、良源の言うとおり百年以上昔の、当時の当主がしたためた日記だった。
「皐月(さつき)十日 雨降らず……。陰陽師に祈祷させたのち雨降る」
ぱらぱらとめくりながら読んでゆくと、宮中での出来事や身近に起こった事柄が事細かに記載されているのが読み取れた。
「皐月廿日(はつか) 野宰相より妖の動向怪し、主上の身辺油断めさるなと忠告を受ける」
その時、誰かが局に入ってきた気配がした。
視線をめぐらせると、そこにいたのは良源だった。
やはりどのような内容が書かれているのか心配だったのだろう。
「どうだ? 読めるか?」
傍らにどっかりと座り、問いかける。
「文章は読めます。でも……これが誰なのか少しわからないんですけど…」
と今読んでいた箇所を指し示した。
「野宰相……ああ、その御仁(ごじん)は小野篁殿だな」
「おのの…たかむら殿、ですか」
「死した後も冥府の官吏をしている御仁でな、夢殿や異世界の事情には詳しい」
今回の件も動いていただいている。
「そういえばお前はまだ会ったこともなかったか」
「はい」
「しかし篁殿のことが書かれているということはこの日記の主はもしかすると篁殿に近しい御仁だったのやもしれぬな」
ひょいと書物を取り上げてその部分から先へと目を通してゆく。
「…………」
「…………」
最後まで読んだ良源は、それを持ったまましばらく考え込むそぶりを見せた。
そして書物を文机(ふづくえ)に置く。
「維将」
「はい」
背筋をただした。
「私は忠行殿とともに六道珍皇寺に行く。お前はここに残って戻ってきた晴明に言伝(ことづて)を頼む」
「……わかりました」
また留守番か、と僅かに肩を落とす。
「六道珍皇寺に行くように、とな」
「はい」
すぐさま良源は局を出、戻ってきていた忠行と共に慌ただしく出て行った。
再び邸が静かになる。
気付くと、周囲の景色が一変していた。
目の前には塔がそびえたっており、ここが寺の境内であることがわかった。
また夢殿に来てしまったようだ。
周囲の様子からそう結論付け、ちらりと空を見上げた。
まだ太陽が傾きかけた頃。
「ほう、これは珍しい」
聞き慣れない声が背後から聞こえてきた。
維将はすぐさま地面を転がって相手と距離をあけて構える。
まず目に入ったのは墨染の衣。
続いて細身の太刀と首の後ろで一つに結わえたと思われる髪。
そして……己を睨み付けるように見つめる三白眼。
「お前、迷い子か?」
にやりと笑みを浮かべながら男が問う。
整った顔立ちではあるだろうが、眼光が鋭いため怒っているように見えた。
警戒しているのか、なかなか答えようとしない維将に男は吐息をこぼす。
「お前の師は相手を見極めることを最初に教えなかったようだな」
「…………」
「私は冥府の官吏である小野篁だ」
名乗りを上げると、ようやく維将はわずかに警戒を解いた。
「もしかして、あの篁様ですか?」
「お前がどれを指して言っているのは知らんが、おそらくはその篁だろう」
で、と篁は言う。
「なぜ昼間から夢殿にいる? 昼寝でもしていたか?」
「いえ……博雅様からお借りした日記を読んでいて、気付いたらここにいました」
借りた日記の記述に篁の名が載っていたことなどを包み隠さず話したところ、篁は小さく頷いた。
「だからあれらが私のところに来たのか」
「あれら?」
「お前の師と忠行だ」
とりあえず、と言い置いて篁は踵を返す。
「仕事ついでに外まで送ってやる」
ついてこい。
そう言って歩き出した。




