第13話「託宣」
その日、冬に入って初めて雪が降った。
「寒いと思ったら……」
ふるりと身を震わせて晴明が呟きを漏らす。
彼の前には火桶が置いてあり、赤々と炭が燃えていた。
「叡山(おやま)も先日雪が積もったそうだから、これからはあまり文のやり取りはできなくなるな」
良源が筆を置いて背伸びをする。
長時間の書き物はやはり疲れるのだろう。
「それよりも、晴明」
ひょいと晴明から火桶を取り上げながら声をかける。
「荼枳尼の君(だきにのきみ)についてお前の情報網に何か引っかかってきていないか?」
「今のところは何も。ただ…………」
そこで口ごもる。
「どうした?」
「…………荼枳尼の君に関わりはないとは思いますが……」
「維将か?」
良源が問う。
「ええ。数日前の晩に異界へ潜入した先で彼がおりまして……連れ帰っては来ましたが」
「あれは夢殿から異界へ入ったのか?」
「それが分からないそうです」
そう、確かに彼は言った。
気付いたらここにいた、と。
晴明はそれを思い出しながら言葉を紡ぐ。
「彼の持つ力は封じられたとはいえ、使うたびに増していっているように思われます」
「…………」
「彼は本当に――――」
「晴明」
忠行の声が割って入った。
二人が振り返ると、忠行は内廊下を仕切っている障子を開けて入ってくるところだった。
「今は彼の出自を探っている場合ではない」
「師匠」
不満げな声が晴明の口から洩れた。
だが、忠行が口を開く前に良源が告げる。
「そうだな。この問題に出自など関係はない。もし荼枳尼の君が元凶であれば、それを阻止するまでだ」
「………わかりました」
ここまで言われては諦めるしかなかった。
晴明は両手を上げて降参する。
「けれども良源殿。今の彼は貪欲に力を欲していますから、気を付けてやってくださいね」
「わかった」
「では私はこれから出仕してきます」
立ち上がり、すぐさま内廊下へと出て行った。
それを見送り、忠行は肩を竦める。
「何をあそこまで慌てておるのだろうの」
「…………………」
良源は晴明の危惧が手に取るようにわかった。
確かにこの都に来てから維将は徐々に力をつけている。
それが著明に表れたのは陰陽道の修行を始めてからだ。
そして………
「良源殿?」
いかがされた、と忠行が持ってきた書物の束を傍らに置きながら問う。
「あ、いや。すまん」
再び筆を執った良源は、これが終わったら一度維将を連れて外へ出るか、と考えた。
その頃、維将は忠行に断って外へと出ていた。
行き場所も告げている。
賀茂別雷社
先日、神と会った社だ。
境内に入ると、やはり神域なのだろう。
結界を抜けた感じがした。
清々しい空気を胸いっぱいに吸い込み、社を目指した。
「おお、維将。待ちかねていたぞ」
首を長くして待っていたのだろう、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の弾んだ声が聞こえてきた。
維将は賀茂別雷命の前にくると神に対する最上の礼を尽くそうと頭を下げる。
「賀茂別雷命におかれましては―――」
「維将」
それを神の声が遮った。
「固い挨拶は抜きだ。早よう上がれ」
と維将の手を取って強引に社に上げる。
「何かいい話はあるか?」
いそいそと本殿奥に連れて行かれ、どっかりと腰を下ろした賀茂別雷命が問う。
「いい話……かどうかはわかりませんが、今日初めて雪が降りました」
都で見る雪は、叡山で見る雪とは違って小さくてすぐに溶けてしまいました。
そう告げる維将を、賀茂別雷命は面白そうに見つめている。
「叡山の雪はどのようなものだ?」
「降ってきたな、と思ったらすぐに積もって。毎年雪かきが大変です」
「標高が高ければそうなるだろうな」
ふむ、と頷く。
「雪、といえば……異界ではここと違って雪は降らないそうだ」
「異界……というと、狐の?」
「奴は一度でもいいからこちらの雪が降るさまを見てみたいとは言っておったがな」
そう言ってどんよりと曇った空を見上げた。
維将も同じように空を見上げた。
今にも雨か雪が降りそうな雲行きだった。
「維将」
不意に呼びかけられた。
「はい?」
「お前は本当の親を知りたいか?」
声音には神としての威厳が混じっており、維将は振り返ることはできなかった。
そのままの状態でようやく頷くことができた。
「ならばこれから我が託宣を与えよう。それは決して他人に言うでないぞ」
「…………」
こくりと小さく頷くのを見て、賀茂別雷命は厳かに告げた。
再び雪が降り出し、次第に地面を白く覆ってゆく。
「ここにいたか」
ぼんやりと白く染まった境内を見つめていた維将が、声に気付いて視線を上げると、そこには良源がいた。
「お師様…………」
「どうした? ここの祭神に何か言われたのか?」
そう問うた直後、びくりと維将の肩が震える。
だが、なんでもありませんと言われ、祭神に口止めされたのかと良源は考え至る。
「そうか」
頭を優しく撫でてやると、やはりくすぐったさに身を捩らせた。
「だが、あまり一人で外に出歩くな」
「はい。すみませんでした」
素直に謝ってすぐさま階に脱ぎっぱなしにしていた草鞋を履く。
「邸に戻るぞ」
「はい」
先に行きかけた良源を追って駆け出した。
お前の母は殺され、身をバラバラにされた。
その理由を知りたいか?
だが、それを知れば先に進むしか道はない。
その道は険しく、そしていずれその両手は血に染まるであろう。
知りたければまたここに足を運ぶとよい。
それが今のお前に対する我からの託宣だ。




