第9話「維将、妖と出会う」
博雅に案内され、三人は都の東…鴨川へと向かった。
現場には既に宮廷陰陽師の数名が派遣されており、鎮魂(たましずめ)の儀を執り行っていた。
「お前はまだ見ない方がいい」
そこにいるように、と念を押し、良源は維将を現場から少し離れた場所に置いて、先に向かった二人を追って駆けてゆく。
現場は血の海であり、人間がおそらくは五人以上、一か所にまとまった状態で惨殺されているという。
神泉苑からの道すがら、博雅が語った話だ。
発見したのは現場を偶然通りかかった検非違使であり、すぐさま朝廷陰陽師に鎮魂の儀を執り行うよう命が下った。
「俺もまだ見てないんだが、聞く話によると殺された奴らの怨念が強くて、妖たちを呼び始めているそうだ」
だからお前を呼びに来た。
それが理由だった。
「良源殿も一緒なら鬼に金棒だ」
「陰陽師は何人派遣された?」
良源が問う。
「確か五人……でしたか」
「優秀な陰陽師五人もいて、そんな事態に………」
「それだけこの都を覆う気が淀んでいるのでしょう」
ちらりと上空を見上げた晴明が言った。
同じように維将が上を見上げるが、淀んでいる風には見えなかった。
現場から少し離れた場所で三人を見つめていた維将だったが、何かに気付いて視線を川下へと巡らせる。
人間ではない気配だった。
おそらくは……。
視線の先には男の姿があった。
見慣れない古風な衣装を身に纏い、長く見事な銀髪を背に流したまま川面を見つめている。
「…………」
妖だと直感的に思った。
かなりの力を持っているようだが、それを自在に操れるほどの持ち主だということが分かった。
自分よりも力のある晴明や良源すら気付いておらず、気付いたのは自分だけだ。
その時、男が維将の視線に気付いたのか、首をめぐらせてこちらを見た。
銀色の瞳が維将を射抜く。
「っ」
とたんに呼吸が苦しくなり、顔を歪めて咽喉に手をやった。
あの目の力だ。
そう考え至ったが、既に後の祭りだった。
徐々に意識が混濁してくる。
視界の中の男が不意に口元に笑みを刻んだ。
次の瞬間、咽喉に一気に空気が入り、咳き込んでしまった。
その場に膝を折って座り込んで、肩で洗い呼吸を繰り返す。
「………維将?!」
維将の様子に気付いた良源が血相を変えて駆けてくる。
それを背中で感じながら、維将は視線を上げた。
だが既にそこには男の姿はなかった。
「銀色の髪を持つ男……か」
その夜、良源は維将が見たという男の正体を考えながら、酒を飲んでいた。
正面には晴明と忠行の姿。
維将は昼間の疲れが出たのか、既に眠っている。
「良源殿はどう思われる?」
「私たちに気配すら掴ませなかった妖だということを考えると……相当の力を持っているのだろう」
「銀色の髪…………か」
ぽつりと晴明が呟きを漏らす。
「どうした? 晴明。何か思い当たることがあるのか?」
呟きを耳にした忠行が問うと、晴明は難しい表情のままゆっくりと述べる。
「いえですね……賀茂別雷神社の祭神が、時折、荼枳尼(だきに)の君が供もつけずに都の様子を見に来ている…と言っていたものですから」
「そういえばそのようなことをおっしゃっていたな」
良源も思い出したのだろう。
顎に手をやった。
「だがそれが荼枳尼の君だとして、維将がなぜあのような目に遭わなければならないのだ?」
「おおかた気配に気づいて振り返ったところへ、荼枳尼の君の眼力(がんりき)にやられたのでしょう」
いわゆる蛇ににらまれた蛙というものですよ。
小さく笑みを浮かべる晴明に、良源は無言のまま手にした錫杖の先で軽く小突いた。
「まあ大事なかったようでほっとしたわい」
胸をなでおろした忠行が溜息をつく。
「それにしても今日は散々な日でしたよ。明日はあまり動きたくはありませんね」
うーん、と背伸びをし、晴明は立ち上がる。
「では師匠に良源殿。先に失礼します」
頭を下げ、局から出て行った。
それを見送り、良源は忠行へと視線を向ける。
そうして口を開く。
「忠行殿。ここ最近の出来事を記した書物などはここにはあるか?」
突然、そう切り出した。
「……ここ最近の出来事…?」
「そうだ。今一度、すべてを洗い直したい」
なぜここまで妖が出るようになったのか。
そして、その原因があったのなら、それはなんだったのか。
良源はそれを見直したい、というのだ。
「それならば御書所(ごしょどころ)がうってつけじゃ。都で起こったことはすべて書物にして、あの部署が保存しておる」
「なるほどな。御書所か」
そこまで頭がまわらなかったようだ。
小さく頷いている。
「しかし最近の出来事だけを調べても、妖騒ぎの原因がわかるわけではないが」
「そこは頭の使いようだ、忠行殿。陰陽寮で書かれている日々の日誌も借りてこようかと思っている」
その言葉に、忠行は目を丸くした。
「なるほど、そういう手もあったか」
「表だけではわからないものは、裏を見ればすべてがわかるというものだ」
とりあえず今夜は引き上げるとするか、と良源は立ち上がる。
「すまないが、忠行殿。陰陽寮への根回しは頼んでもいいか?」
「承知した」
それを聞くと、局を出た。
既に時刻は夜半を過ぎていた。
渡殿を間借りしている局へと戻りながら、良源はゆっくりと昼間のことを思い出した。
自分が気づいて振り返ったとき、視界の端に銀色の髪を持つ男がいた。
気配は全くなかった。
男も良源に気付いたのか、口の端に笑みを結ぶと姿を消した。
維将の状態は、眼力による一種の金縛りだった。
もう少しで危うく窒息死するところであったのだ。
それを思い出しただけで、ぞっとした。
良源の足が不意に止まった。
視線の先にいたのは寝ているはずの維将だった。
良源に気付いていないのか、ぼんやりと端近に立ったまま夜空に浮かぶ月を見上げている。
「維将」
声をかけ、歩み寄る。
「あ、お師様」
ようやく気づき、振り返った。
「どうした? 眠れないのか?」
「…………はい」
正直にそう答え、再び月を見上げた。
「昼間見た銀色の……妖が頭の中から離れません」
「怖い思いをしたからな」
さもありなん、と良源は思う。
これまで維将は妖で怖い思いをしてきた。
しかし今回はそれを上回る恐怖を植え付けられた。
実際、その力で呼吸を妨げられ、もう少しで死んでしまうところだったのだ。
「添い寝してやろうか?」
「…………俺はもう子供ではありません」
「だが寝られないのだろう?」
「…………」
事実を言ってやると、押し黙ってしまう。
その耳が真っ赤になっていた。
恥ずかしいのだろう。
その様子に、良源が苦笑を漏らす。
「ほら、さっさと寝ろ。明日は大内裏に行くぞ」
肩を叩き、局へと押し戻した。
そこへ二人の声を聴きつけて、晴明が出てきた。
既に就寝の準備を整えていたのか、単衣(ひとえ)姿だった。
「私が寝るまで傍らにいますよ。良源殿は先にお休みください」
「そうか」
良源も、彼が維将を気に入っていると感じ、それに甘えた。
じゃあな、と頭を撫で、二人から離れてゆく。
それを見送り、維将はちらりと晴明を見やった。
「晴明様……」
「とりあえず話は中で聞く。体が冷えては風邪をひきかねないからな」
そうぶっきらぼうに告げて、さっさと局へと入っていってしまった。
維将もこれ以上、晴明の機嫌を損ねるのは嫌だと思い、その後を追って入った。
◆ 御書所 ◆
「蔵人所」の配下で、式乾門の東にあり、内裏の書籍や文書の書写(=コピー)に関することを担当し、また仁王会(にんのうえ)の呪願文を清書する部署のこと。
◆ 単衣 ◆
今でいう「肌着」のこと。




