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 四


 かつては三年生の教室が並んだ虹ヶ丘高校一階は、五年前から一年生の教室が並ぶようになっていた。

 今日も当然のように降り続ける雪は、幾分か昨日よりも穏やかになっていたが、氷点下の寒さは相変わらずで、放課後の人のいなくなった教室の肌寒さも相変わらずだった。

 おまけに、卒業式を明日に控えた今日は予行練習だとかで、式に出席する二年生は一日中体育館の方に出向いており、出席しない一年生は午前授業で帰宅したため暖房もとっくに止められている。

 にも拘らず、恒介はやはり自分の教室に残っていた。

 午前授業だったこともあり、昨日よりかなり早い時間帯。

 人の目で見える窓際の一番後ろの席に座り、背後を不機嫌極まりない眼差しで睨んでいる…、もし見る者が在れば、教室に一人きりと思われた恒介の後ろにもう一つ席があり、彼が睨んでいるのはそこに座る一人の少女だということも解っただろう。

 小泉咲子。

 もう何年もの間、生きていた頃の同級生と卒業できなかったことが心残りで、この世に留まり続ける幽霊の少女は、いま、心から楽しげに笑っていた。

《本当に仲の良い兄弟なのね、恒介君の家は》

「仲が良い!? 年上の二人が末弟を捕まえて女装させるのが仲の良い兄弟だと思うか!?」

《構いたくて仕方がないのよ。そんなお兄さんお姉さんこそ、ものすごく可愛いと思うけど》

「どこがっ」

 不満たらたらの口調で言い放つ恒介に、咲子は自分が笑いすぎたせいもあるだろうかと、込み上げて来る笑いを抑えこむ。

《ごめんね、恒介君には切実な問題なのに》

 言って、胸の前で手を合わせた少女は、舌先を少し出して肩をすくめる。

 そんな動作が自然に出来る少女が妙に愛らしくて、恒介は思わずドキリとしてしまった。

 透き通るような長い黒髪。

 冬景色のような白い肌。

 もし彼女が生きた人間で、入学直後からの知り合いだったりしたなら、二人の関係は今と全く異なっていただろう。

「…」

 初めて見る少女に一人で声を掛けるのはかなりの度胸が必要だった恒介も、最初から同級生だと判っていれば、もっと気楽に話せた。

 もしもそれが実現していたなら、二人の関係はどうなっていただろう。

(咲子が生きていたら…)

 もしかしたら、二人はただの同級生ではなくて―――。

(っ!)

 そんなことを考えてしまい、それが間違ったことだと気付いた恒介は大きく頭を振った。

 それを咲子が妙に思っても、恒介にはそんな想像をしてしまった自分が許せなかった。

《どうかしたの?》

「い、いや…」

 焦りつつ、まったく説得力のない返答をした恒介は、それを誤魔化すように学生服の内ポケットからMDウォークマンを取り出した。

《?》

 咲子がわずかに首を傾げる。

「あのさ、咲子が何年前の生徒かまだ特定出来てないんだけどさ…、この曲を知ってるかどうかでも、それなりの範囲に絞れると思うんだ」

《曲?》

「今、邦楽業界トップの超人気バンド、レジェンドの曲」

《…昨日、恒介君を迎えに来た友達が買おうって言っていた…?》

「そう、それ」

 咲子が昨日の話を覚えていてくれたことが嬉しくて、先ほどまでのイライラはどこへやら、上機嫌の様子で機械の音量を最大にし再生ボタンを押す。

《でも恒介君。私、自分の記憶も定かじゃないし、縁遠い芸能関係なんか特に判らないと思うんだけど…》

「そうかもしれないけどさ、このレジェンドってバンドのボーカルがこの学校の卒業生なんだ」

《…?》

「だから、もしかしたら記憶の片隅に残ってるかもしれないじゃん。アマチュアの頃からこの学校を中心にかなりの人気を集めてたバンドだし、もし聞いたことがあれば、咲子はレジェンドが活動し始めた十年くらい前から五年前までの卒業生。まったく知らなければ、それこそもう、おじさんおばさんの……と、これは失言か」

 恒介が慌てて口を噤むのを、咲子は苦笑しつつ見逃した。

《ということは、少しでも覚えがあれば、私はまだお姉さんて呼ばれる年齢にあるわけね》

「ま、幽霊には年齢なんて関係ないと思うけどさ」

 顔を見合わせ、クスッと笑い合った二人は、MDウォークマンから流れてくるレジェンドの初期の曲に耳を済ませた。

 それは、恒介の兄・聖一の同級生だった国崎壮大、通称ソウが高校1年生のときに歌った曲だった。

「どう?」

 恒介が遠慮がちに問うと、咲子は困惑気味な顔をして見せた後で、もう一曲聞かせて欲しいと言ってきた。

「もちろん!」

 彼女が興味を持ってくれたことを素直に喜びながら、恒介は次の曲を選ぶ。

 何せ兄がボーカルのソウと親友だという強みがあるため、世間一般にはCD化されていない曲まで恒介のMDには入っているのだ。

「…よし、じゃあこれにしよ」

《決まったの?》

「ん。次の曲はソウが、卒業する兄貴達との友情が、大学やそれぞれの進路に別れた後も消えることなく続くようにって書いた詞なんだって。なんでも卒業式の前日…、だから七年前の今日かな。完成したんだってさ」

 多少、興奮気味に語った後で、MDから流れてくる曲に耳を傾けていた恒介は、だが咲子からの相槌がない事に気付いた。

「………?」

 そうして透き通った少女の顔を見上げた恒介は、その場で言葉を失った。

「――」

 何を言えば良いのか…、何をしたらいいのかがわからなかった。

 彼女がどうしてそんな切ない眼差しを……、今にも泣きそうなくらいに表情を歪めているのか、恒介には予想もつかなかった。

「さ、咲子……?」

 消え入りそうな声で呼びかけた恒介。

 だが返事はなかった。

 MDウォークマンから流れる友情の詞が彼女の心を揺さぶったことだけは間違いない。

「……咲子、もしかしてソウの曲、知ってるのか……?」

 期待――不安――動揺……。

 説明のつかない複雑な感情が入り混じった声音で尋ねかけた恒介に、音もなく頬を伝う透明の雫だけが返された。




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