三
三
咲子の姿を目にして四日目。
初めて彼女に声を掛けた恒介は「私が見えるの?」という返答に目を白黒させ、驚き、けれどそれ以上に歓喜した。
自分には決して縁のない話だと思っていた出会いが突然やってきたのだ。
もし彼女が化け物だったり、嫌味な男だったなら最悪だったし、関わることを望んだりはしなかっただろうが、恒介が出逢った幽霊は悲しい眼差しを持つ少女だった。
女の子には優しくしなさいと言われて育った少年は、そんな彼女の力になりたいと本気で思い、彼女が教室に留まり続ける理由を聞いた。
聞いて、それが自分の同級生達と一緒に卒業できなかったのが心残りだと知った時、恒介に出来るのは彼女の同級生を探し出すことだった。
卒業式当日に交通事故に巻き込まれて死んだと語った彼女は、それが何年前のことかまでは覚えていなかった。
判るのは、今現在、恒介たちが使っている教室が五年前までは三年生の教室で、人数の関係でそれ以後そこが一年生の教室に変わってしまったという事。
だから彼女が卒業生でありながらいまの一年生の教室に居続けるのは、そこが三年生の教室だった五年以上前の人間だったからという事になる。
ここまで推理した恒介は、五年以上前の卒業アルバムや教師の話から小泉咲子という名前の少女を調べようとした。
けれど確証の得られる情報はまるでなく、彼女を知って三日目…、彼女の姿に気が付いてから一週間。
今年の卒業式が行われるまで後二日になって得た確かな情報と言えば、彼女が五年以内の卒業生ではないと、それだけだ。
(大体、情報が少なすぎるんだよなぁ)
友人二人と一緒に下校し、その途中で店に寄り今日発売のレジェンドのシングルCDを買って帰ってきた恒介は、自分の部屋でその曲を聴きながらベッドに横になり、教室に留まる幽霊の少女のことを考えていた。
成仏させてやると言ったはいいが、本当に彼女の同級生を見つけられるのかは大いなる問題である。
見つけたとしても、もしそれが第一期生だったりすると、六十歳近い大人が同級生になるわけで、彼らに数十年前の同級生が幽霊になっているから成仏するのに協力して欲しいと頼んで、本気と捉えてくれるだろうか。
同級生と卒業できなかったことが心残りで教室に縛られてしまった少女。
本当に自分に、彼女を救う力があるだろうか……。
(とにかく、どうにかしなきゃだよなっ)
小泉咲子に言わせれば、卒業式が行われる前後になると毎年あの場所に現れていたらしい。
だが自分の存在に気が付いてくれる人は今までに一人もなく、恒介が初めてだったという。
そして恒介自身、幽霊との遭遇は咲子が初めてだった。
そんな事実を踏まえて、恒介は自分ならば彼女を助けて上げられるのだと、信じたかった。
「うん、頑張ろう!」
意を決して体を起こし、ベッドから降りた少年は、CDもそのままに部屋を出ようとした。
だが扉を開くと同時、その向こうでは一八三という長身の長兄が、いままさに恒介の部屋に入ってこようとしていた。
「え、兄ちゃん?」
「…物音がしないから、CDを掛けたまま寝ているのかと思ったんだが、無用の心配だったかな」
言い、今年で二五になった長兄、聖一はそっと微笑むと、弟の肩をポンと叩いた。
「あ、そっかCD…」
電気節約と声を荒げる人物が家庭内にいるわけではなかったが、無人の部屋に曲だけが流れているというのはあまりいただけない状況だろう。
恒介が部屋に戻り、デッキの電源を切るまでの間、レジェンドの曲を耳にしていた聖一の目元は穏やかだった。
「今日発売だったのか、その曲」
「うん。兄ちゃんも買わなきゃダメだぜ、ソウの友達なんだからさ」
「あぁ」
答え、兄弟は揃って恒介の部屋を出る。
「しかし、うちは恒介だけじゃなく小夜子も買うからな…、わざわざ俺まで買う必要があるとは思えないんだが」
「レジェンドの曲は一人一枚持ってても惜しくないじゃん」
「壮大が聞いたら喜ぶよ」
言って、聖一は優しく微笑んだ。
現在の業界で、CDの売り上げ枚数、イベントにおける動員人数、興行収入と、あらゆる面において新記録を樹立しているのが【レジェンド】の名で知られるバンドグループで、実はそのボーカルのソウこと国崎壮大は、聖一の高校時代の同期であり、親友同士という間柄なのだ。
だから聖一が高校生だった頃は壮大もよく大羽家を訪れていたし、恒介とも顔見知りだった。
その時々の壮大の人柄が好印象だったことと、レジェンドの曲一つ一つが持つ言葉の力に惹かれて、恒介はかれこれ十年近くレジェンドのファンを続けている。
そしてそれは聖一の妹であり恒介の姉、大学生の小夜子も同様だった。
「あらコーちゃん、ようやく部屋から出てきたわね」
腰の上辺りまで伸びた長いストレートの茶髪を珍しくポニーテールでまとめ、スカイブルーのエプロンの下は真冬であるにも拘らず脚線美が露になるミニスカート。
居間に恒介が入ってくるのを見た途端にはしゃぎ始めた彼女が、十九歳の大羽小夜子。
「姉ちゃん…、今日は大学の先輩とデートだって言わなかったか…?」
「あぁ、あれ? ダメダメ、コーちゃんみたいに可愛くないし、聖一兄さんみたいに知的でもないし」
小夜子が言い終えると同時、居間の方からも姉に似た陽気な声が上がる。
「オレ様みたいにイー男でもなかったんだってさ」
「…珍しいな。この時間に啓二まで家にいるなんて」
長兄・聖一の言うとおり、ソファにデンッと座って大きな態度でいるのは、夜遊び大好きの二一歳、次男坊、大羽啓二。
「んー? 何か今日は可愛い弟クンと遊んでやりたいと思っちゃってさ」
そうしてニヤリと笑うのを見てしまった恒介は、背筋に走る冷たいものを気のせいだと振り払うことは出来なかった。
恒介は二人の兄と姉が一人、両親の六人家族。
そして兄姉全員が恒介の通う虹ヶ丘高校の卒業生である。
「い、言っとくけど俺は兄ちゃんや姉ちゃんのオモチャじゃねーからな!」
「おぉ、コーちゃんてば反抗的じゃん?」
「っ、こっち来るなよ!」
言いながら、近付いてくる啓二から逃げるように聖一の背後に隠れた。
それを見て、台所で母と二人、夕食の準備を進めていた小夜子がムフフと笑いながらエプロンを外して居間にやってくる。
「啓兄、今夜はコーちゃんをどう可愛がってあげようかしら」
「可愛い弟だかンなぁ」
「だーっ、来るなぁ!」
兄の背後に隠れて喚く恒介の姿に、助けてと全身で訴えられているような気がする聖一は、深々と溜息をつき、末弟の頭をぽんぽんと優しく叩くと、大学生の弟妹の顔を順に見る。
「可愛い弟なら泣かすようなことはするな」
「心配すンなって、可愛い弟だぜ? 誰が泣かすかよ」
「絶対嘘だっ、啓二兄ちゃんの言うことなんか絶対嘘!!」
「コーちゃんが可愛いからイケないのよ」
「姉ちゃん!」
「小夜子」
「あら、コーちゃんの代わりに聖一兄さんが遊んでくれるならそれでもイイんだけど?」
「――」
一同絶句。
台所では母までが鍋の蓋を落として固まってしまった。
長女であり第三子の小夜子と、次男の啓二には、かつてモデル業に就いていた母親の艶やかな容貌が遺伝し、長男・聖一は医者である父親の生真面目さを受け継いだ。
その三人が一六三、一八七、一八三と長身揃いなのに反して、成長期がまだ訪れていないのか高校生とは思えない小柄な恒介は、顔立ちは聖一にそっくり、性格は猪突猛進の母親似なのに、どうにも小さく、可愛く、遊び甲斐があったりするため、上二人の格好の遊び相手なのだ。
聖一は、二人の性格を恒介以上に熟知しているだけあって、末弟がダメなら長兄が――という小夜子の言葉が本気であると悟るのも早かった。
結果、夕飯前にようやく帰ってきた父親は、居間で自分の帰りを待つ家族の中、息子が一人消えて娘が増えた事に唖然とするほかなかったという……。