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これも真実の愛の一種ではないでしょうか

作者: 七瀬 紫苑
掲載日:2026/06/13

「私はペトロール男爵令嬢と結婚したいと思っている」


真剣な眼差しでこちらを見る第一王子…クリストフ・ウンディーネ・アズール。

「あら…巷で流行りの“家柄のある令嬢を表向きの妻として公務を行い、子は側妃で”というものでしょうか」

「それは小説の話だろう。私は側妃など取らないし、君を自分の都合のいいようにだけ使うつもりもない」

「では、どのようにしてペトロール男爵令嬢とご結婚するのでしょうか。あまり身分で物を言いたくはございませんが、この国は身分制ですので…。男爵家のご令嬢では王妃になれませんわ。ですからスマトラ侯爵家の人間である私が婚約者に選ばれたのでしょう」

クリストフ・ウンディーネ・アズールが誕生した時、高位貴族に令嬢は私しか産まれなかった。もう数年、下の世代を見れば女児もいたけれど…それであれば侯爵家の私でいい。


同い年。


それだけで私は婚約者となった。

あれは十歳の頃だったから…もう婚約は八年に及ぶ。


「王籍離脱を申し入れようと思っている」

「…はい?」

「私は平民になろうと思うんだ。公的に君との婚約を破棄し、王籍離脱を申し入れ、平民として彼女と添い遂げたいと思っている。もちろん、婚約破棄は私の有責とし、慰謝料も払う。君がこの先結婚に困らないように注意を払うつもりだ」


王太子としての教育を受けてきただけのことはある。クリストフ様はいつも聡明で、清く、正しい道を選べる。王位継承権をもつ、この国の次期国王である身。

国王となれば男爵令嬢だろうと側妃は難しくとも愛妾にはできる。この国では形式的に名前が変わるものの、側妃も愛妾も立場は変わらない。彼としては私を正妃にし、公務を行い、男爵令嬢を愛妾とし、子をつくるのが一番いいはず。

平民ではお金にも食にも苦労する。わざわざ愛する人に苦を強いる必要があるのだろうか。


「…貴族として、王族として、離籍は正しい選択ですわ。婚約破棄も、平民になることも、正しいです。けれど実際にそんなことをする方がどこにいるんですの。政略と感情は別です。婚約者に好意を抱けないこともあるでしょう。だから人は皆、愚かな選択をする」

「そうだな。不貞を犯す人間はいる。だが私はそうはなりたくないのだ。できれば誠実でいたい」

「王族には側妃や愛妾が許されておりますわ。与えられた制度を使うことは不誠実ではありません。私、側妃とも仲良くできますわ。貴方の大切な方ですもの。決していじめたりしませんわ」

「分かっている。君はそういう人だ。そういう心配はしていない」

「寵愛が一番でないと嫌だなんて思いませんわ。貴方のことですもの、平等に扱うでしょう」

「妻に悲しい思いはさせたくないからね」

「私は貴方のその優しさで十分です。平民になるばかりが選択肢ではありません。彼女に苦労をかけては元も子もないでしょう。お考え直しください」


「平民としての生活は彼女も承知しているんだ。平民となり、富も名も何もかもなくなった後で、それでも求婚していいかと聞いてある」


「…彼女は何と」

「良いと言ってくれたよ」

「彼女も奇特な方ですわね。男爵家でさえ想像できない生活が待っていますわ。本当にそれしか道はないのですか」

「自分勝手は承知だ。けれど君を利用したくない。こんな私と八年も婚約してくれた。幸せになってほしいんだ」

「私は幸せでしたわ。貴方はずっと優しかったもの」


クリストフ様の目はずっと覚悟が決まっていた。

私が何を言っても変わらないのだろう。私のことなど気にしなくていいのに…。少しくらい人を利用できなくて王族なんて務まらない。華やかなだけの世界ではないのだから。


だから彼は離籍なのだろう。

幼い頃から自分は王族に…国王に向いていないと言っていた。弱音を吐くことが多い幼少期だったと思う。その度に励ましてきたのは私だ。

いつからかそんなことは言わなくなり、王族としての覚悟を持ったのだと思っていたけれど…。


「変わらないのですね」

「変わらない」

「どうしても?」

「どうしても」

「絶対?」

「絶対」



「…そう。分かりましたわ。婚約は解消致しましょう。破棄では貴方と彼女が困るわ。私たちは円満に解消するのです。諸々の手続きはお任せしてもよろしいでしょうか」

「ありがとう。君の優しさに感謝する。手続きが終わり次第、一報入れさせてほしい」

その言葉を最後に、伸ばしていた背をソファーにもたれかける。令嬢としてあるまじき姿だが、今だけは許してほしい。今は令嬢らしくあれない。



「…最後に。お聞きしてもよろしくって?」

「構わない。君の望むままに聞いてくれ」

「ありがとうございます。…お二人が想い合っているのは知っておりましたわ。けれどお付き合いをされていないのはどうして?」

「私は君の婚約者だ。ほかの女性と付き合うわけにはいかない。…君でない女性に惹かれた時点で何も言えないが…」

「なんなら求婚もしていますものね」

「あ…えと…」

「いいですわ。クリストフ様って嘘が下手と言いますか、素直と言いますか…。平民になるのは心配ですわね」

「そのあたりはペトロール男爵令嬢に頼り切りになると思う。やはり私は平民には詳しくないから」

「その方が私も安心できますわ。ところでその男爵令嬢はいらっしゃらないのかしら」

「ここは王宮だ。婚約者でもない、王宮勤めでもない者を入れられないだろう」

「そうですけれど…こういう時は二人並んで、私のことを恋の障害のように訴えるものでなくって?真実の愛がー!などと言うものですわ」

「…それも小説?」

「そうですわ」

「…君は普段どんな小説を読んでいるんだ…」


項垂れるクリストフ様はなんだか疲弊しているようだった。

これが案外面白いのですけれどね。


「そういえばどうしてペトロール男爵令嬢などとお呼びに?女は名前で呼ばれたら嬉しいものですのに」

「いや、婚約者でない女性を名前で呼んではいけないだろう」

「だから真面目か」




数日後、クリストフ・ウンディーネ・アズールは、レティシア・スマトラとの婚約を解消。王族離籍も許可された。



王位継承権を捨て、一番正しい道で想い人と結ばれようとする息子に、国王陛下夫妻が何を思ったかは知らない。

私が納得していることもあり、婚約解消と王族離籍は認められた。帳簿から彼の名前が消える時、私はほんの少し羨ましく思った。地位を捨ててまで愛を貫く。私にはできないことだから。


「お嬢様…今日ですね」

朝の支度を手伝う侍女に言われ、今日が彼らの旅立ちの日だと思い出した。

婚約解消後、彼のことは思い出さないようにしていた。人間とは意外と忘れてしまう生き物らしい。数日は心に穴が空いたように虚しかったのに、今ではそれなりに過ごせている。

「…幸せになるといいわね」

「よろしいのですか」

「いいのよ。彼が幸せならそれで」



地位を捨て、愛を貫くことが真実の愛ならば。

地位を守り、愛を偽ることもまた、真実の愛と言えるのではだろうか。

これでいいのだ。

彼を愛していただなんて、彼は知らなくていい。

愛する彼が愛のために地位を捨てると言うならば、見送ることが私の愛なのだ。


彼と一緒になっても苦しいだけだろう。

これで、良かった。




だって彼は、彼女を想ってから私を名前で呼ばなくなったから。

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