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王宮の大広間は、シャンデリアの光で煌めいていた。貴族たちが華やかな衣装に身を包み、談笑している。エリアナがカイルと共に入場すると、周囲の視線が一斉に彼女に向けられた。
「あれは……エリアナ・ローゼンベルク嬢?」
「辺境に行ったと聞いていたが」
「随分と雰囲気が変わったわね」
ざわめきが広がる。だが、エリアナは動じなかった。背筋を伸ばし、堂々と歩いていく。
その時、人垣の向こうから見覚えのある姿が現れた。リオネルだった。そして、彼の腕には、セシリアが寄り添っている。
二人はエリアナを見て、一瞬動きを止めた。リオネルの顔に、驚きと複雑な感情が浮かぶ。
「エリアナ……」
リオネルが呟いたが、エリアナは軽く会釈しただけで通り過ぎた。彼と話すことは、もう何もない。
「エリアナ様」
カイルが小声で尋ねた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、全く」
エリアナは微笑んだ。不思議なことに、胸の痛みは全くなかった。むしろ、解放感すら感じる。
「エリアナ様、国王陛下がお呼びです」
宮廷侍従が近づいてきた。エリアナは頷き、カイルと共に玉座へと向かった。
国王エドワード三世は、五十代の威厳ある男性だった。彼は興味深そうにエリアナを見つめている。
「エリアナ・ローゼンベルク、よく参った」
国王の声は、重厚で力強い。
「辺境開拓の報告を聞いている。わずか二ヶ月で、あの荒れ果てた領地を立て直したそうだな」
「はい、陛下。まだ始まったばかりですが、確実に成果は出ています」
エリアナは落ち着いた声で答えた。
「織物産業を立ち上げ、薬草の栽培も始めました。領民たちは希望を取り戻し、生産性も向上しています」
「ほう」
国王は満足そうに頷いた。
「若き女性が、男たちにもできなかったことを成し遂げた。実に興味深い。詳しく聞かせてもらおう」
エリアナは、この二ヶ月の取り組みを詳しく説明した。領民との対話、織物技術の導入、資源の持続可能な管理。国王は真剣に耳を傾け、時折質問を挟んだ。
「素晴らしい。お前の手腕は、他の領主たちの模範となるだろう」
国王はエリアナに向かって言った。
「今後も辺境開拓を続けよ。必要な支援は、王国が提供する」
「ありがたき幸せでございます、陛下」
エリアナが深々と礼をすると、広間中に拍手が起こった。貴族たちは、彼女を称賛の目で見ている。
その中に、リオネルの姿があった。彼の顔には、後悔と嫉妬が入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。
晩餐会が始まり、エリアナは多くの貴族たちから話しかけられた。
「エリアナ様、辺境の織物を見せていただけますか?」
「薬草事業について、詳しくお聞きしたいのですが」
皆が興味津々で、エリアナに質問を浴びせる。彼女は一つ一つ丁寧に答え、時には実物のサンプルを見せた。
「これが辺境の織物です。触ってみてください」
エリアナが差し出した布地を、貴族令嬢たちが歓声を上げながら手に取る。
「なんて柔らかいの!」
「この光沢、本当に素晴らしいわ」
「私も欲しい。どうすれば買えますか?」
エリアナは微笑んだ。
「王都の織物商ギルバート・マーチャント氏が取り扱っています。ぜひ、お立ち寄りください」
その様子を、セシリアが苦々しい顔で見ていた。かつて自分が侮辱した「成り上がりの商人の娘」が、今や社交界の注目の的になっている。それは、彼女にとって耐え難いことだった。
「エリアナ様」
セシリアが近づいてきた。その顔には、作り笑いが貼り付いている。
「お久しぶりですわ。辺境で頑張っていらっしゃるそうで」
「ええ、おかげさまで」
エリアナは平静に答えた。
「セシリア様も、お元気そうで何よりです」
「ありがとう。リオネル様と婚約してから、毎日が幸せで」
セシリアは、わざとらしくリオネルの方を見た。だが、リオネルはエリアナを見つめたまま、反応しない。
「それは良かったですわね」
エリアナは心からそう言った。もう、彼らのことはどうでもいい。
「ところで、エリアナ様。辺境は大変でしょう? いつでも王都に戻っていらしてくださいね」
セシリアの言葉には、微かな嘲笑が込められていた。だが、エリアナは笑顔で答えた。
「ご心配なく。私は辺境が気に入っています。あそこが、私の居場所ですから」
その言葉に、セシリアの顔が歪んだ。
しばらくして、リオネルが一人でエリアナに近づいてきた。
「エリアナ、少し話せないか」
彼の声には、迷いがあった。エリアナは周囲を見回し、カイルに目で合図した。カイルは頷き、少し離れた場所で待機する。
「何の用ですか、リオネル様」
エリアナの声は、冷たかった。
「君は……変わったな」
リオネルは複雑な表情で言った。
「以前とは、まるで別人のようだ」
「人は変わりますから」
エリアナは淡々と答えた。
「それで、何か用ですか? 私は忙しいので」
「エリアナ、あの時のことを……」
リオネルが言いかけたが、エリアナは手を上げて遮った。
「過去のことは、もうどうでもいいのです。私は前を向いて生きています」
「しかし……」
「リオネル様」
エリアナは彼の目をまっすぐに見た。
「あなたが私を捨てたことに、今では感謝しています。あれがなければ、私は本当の自分を見つけられなかった」
リオネルは言葉を失った。
「あなたは、商人の娘を恥だと言いました。でも、私はその血を誇りに思っています。それが、私を強くしてくれたのですから」
エリアナは微笑んだ。
「どうぞ、セシリア様とお幸せに。私も、自分の道を歩みますから」
そう言って、エリアナは踵を返した。リオネルは、その背中を呆然と見送ることしかできなかった。
カイルのもとに戻ると、彼は心配そうにエリアナを見た。
「大丈夫ですか?」
「ええ、完全に」
エリアナは晴れやかな笑顔を浮かべた。
「もう、何も引きずるものはないわ」
その言葉に、カイルは安堵の表情を見せた。
晩餐会が終わり、エリアナがローゼンベルク家の馬車に乗り込もうとした時、リオネルの父である公爵が近づいてきた。
「エリアナ様、少しよろしいでしょうか」
公爵は、疲れた表情をしていた。
「実は、私どもの事業が思わしくなく……もし可能であれば、お父上に融資をお願いできないかと」
「それは父にお聞きください」
エリアナは冷たく答えた。
「ただし、父は一度断った案件を、二度は検討しません」
公爵の顔が青ざめた。だが、エリアナには同情する気持ちはなかった。自分を侮辱した家を、助ける理由はない。
馬車が動き出し、王宮が遠ざかっていく。エリアナは窓から夜景を眺めながら、心の中で誓った。
もう、過去には戻らない。前だけを見て、進んでいく。
カイルが馬車の外から声をかけてきた。
「エリアナ様、お疲れですか?」
「いいえ。むしろ、すっきりしたわ」
エリアナは微笑んだ。
「明日には辺境に戻りましょう。村の皆が待っているもの」
「はい。必ずお連れします」
カイルの声には、優しさが滲んでいた。
その夜、エリアナは父に晩餐会の報告をした。
「リオネルと話したのか」
父が尋ねると、エリアナは頷いた。
「はい。でも、もう何も感じませんでした。過去は、本当に過去になったのだと思います」
「そうか」
父は満足そうに微笑んだ。
「お前は本当に強くなったな。もう、私の心配は要らないようだ」
「いいえ、お父様」
エリアナは父の手を取った。
「いつまでも、あなたの支えが必要です。だから、これからもよろしくお願いします」
父は娘の頭を優しく撫でた。
「当然だ。私は、お前を誇りに思っている」
翌朝、エリアナとカイルは王都を後にした。馬車が街を出ると、エリアナは安堵の息を吐いた。
「やはり、辺境の方が落ち着くわ」
「私もです」
カイルが微笑んだ。
「あそこが、私たちの帰る場所ですから」
その言葉に、エリアナは頬を赤らめた。私たち、という言葉が、妙に心地よく響いた。
馬車は辺境へと向かって進んでいった。




