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村の外れに、小さな小屋があった。薬草師のエルダは八十を超える老婆で、村で最も長く生きている人物だった。背中は曲がっているが、目は鋭く、確かな知性を感じさせる。
「領主様が、わしのような老いぼれを訪ねてくださるとは」
エルダは皺だらけの顔に笑みを浮かべた。
「エルダ様、この森の薬草について教えていただけますか?」
エリアナが尋ねると、エルダは頷いた。
「この森には、多くの薬草が自生しておる。傷を癒やす草、熱を下げる草、痛みを和らげる草……」
エルダは棚から、乾燥させた様々な植物を取り出した。
「しかし、採取できる者がおらん。わしも年を取り、森の奥まで行けなくなった」
「では、若い人に技術を教えることはできますか?」
エリアナの提案に、エルダは目を輝かせた。
「もちろんじゃ! わしの知識を、次の世代に伝えられるなら、こんな喜びはない」
「ありがとうございます。では、明日から若者を数人、弟子として送ります」
その日の午後、エリアナは村の若者たちを集めた。
「薬草の栽培と加工を始めます。エルダ様が技術を教えてくださるので、興味がある人は手を挙げてください」
何人かの若者が手を挙げた。その中には、以前羊を狼に襲われたトムもいた。
「トム、あなたも?」
エリアナが驚いて尋ねると、トムは真剣な顔で頷いた。
「はい。森のことをもっと知りたいんです。それに、村の役に立ちたいです」
その健気な言葉に、エリアナは微笑んだ。
「わかったわ。頑張ってね」
翌日から、若者たちはエルダのもとで修行を始めた。エリアナも時間を見つけては一緒に学び、薬草の知識を吸収していった。
一週間後、エリアナは父に手紙を書いた。
「父上様。領地は順調に発展しています。織物の販路が確保でき、次は薬草事業を始めます。王都の薬師ギルドに紹介状をいただけないでしょうか」
手紙を送って二週間後、父からの返事が届いた。それには、薬師ギルドの重鎮への紹介状と、資金援助の約束が書かれていた。
「お父様……ありがとうございます」
エリアナは手紙を胸に抱いた。父の支えがあるからこそ、自分は挑戦できる。その感謝を、忘れてはならない。
ある日の午後、エリアナが薬草畑の計画を練っていると、カイルが血相を変えて駆け込んできた。
「エリアナ様、王都から使者が来ました」
「王都から?」
エリアナは驚いた。まだ領地に来て二ヶ月しか経っていない。一体何の用だろう。
広場に行くと、立派な馬に乗った使者が待っていた。王宮の紋章が入った服を着ている。
「エリアナ・ローゼンベルク様ですね」
「はい」
「国王陛下より、ご招待状が届いております」
使者は、封蝋された手紙を差し出した。エリアナは手紙を開き、内容を読んだ。
「一ヶ月後に開かれる晩餐会に、出席してほしいとのことです。辺境開拓の成功例として、陛下が直々にお話を聞きたいそうです」
エリアナの手が、わずかに震えた。王都に戻る。それは、リオネルやセシリアと再会することを意味する。
「エリアナ様?」
カイルが心配そうに声をかけた。
「大丈夫よ。行きましょう、王都に」
エリアナは決然と顔を上げた。もう、あの二人を恐れる理由はない。自分は変わった。そして、成功を手にした。堂々と顔を上げて、王都に戻ればいい。
「私も同行いたします」
カイルが言った。
「あなたを守るのが、私の務めですから」
「ありがとう。心強いわ」
一ヶ月という準備期間は、あっという間に過ぎた。エリアナは王都に持っていく織物と薬草のサンプルを準備し、新しいドレスも仕立てた。それは、王都時代のような華美なものではなく、機能的でありながら品のあるデザインだった。
出発の日、村人たちが総出で見送りに来てくれた。
「エリアナ様、どうか気をつけて」
「王都の人たちに、私たちの織物を自慢してきてくださいね」
「必ず戻ってきてください」
村人たちの温かい言葉に、エリアナは涙が出そうになった。
「必ず戻ってくるわ。ここが、私の居場所だもの」
その言葉に、村人たちは安堵の表情を浮かべた。
馬車が動き出し、エリアナは窓から村を見つめた。二ヶ月前とは全く違う、活気に満ちた村。これが、自分が作り上げたものだ。
カイルが馬に乗り、馬車の横を進む。
「不安ですか?」
「少しね。でも、恐れてはいないわ」
エリアナは微笑んだ。
「もう、昔の私じゃないもの」
「ええ。あなたは、素晴らしい領主になりました」
カイルの言葉に、エリアナは頬を赤らめた。
「まだまだよ。やるべきことは山積みだわ」
「それでも、あなたの成し遂げたことは称賛に値します」
カイルは真剣な顔で言った。
「あなたは、誰にも負けない価値を持っている。それを、王都の人々に見せつけてやりましょう」
その言葉に、エリアナは力強く頷いた。
王都への道中、エリアナは過去を思い出していた。婚約破棄の夜、屈辱と絶望に打ちひしがれた自分。あの時は、世界が終わったように感じた。
だが、今は違う。あの日があったからこそ、今の自分がある。辺境に来て、本当の自分を見つけた。そして、本当に大切なものを知った。
四日後、馬車は王都に到着した。
久しぶりに見る都の街並みは、以前と変わらず華やかだった。だが、エリアナの目には、その華やかさが少し空虚に見えた。
「懐かしいですか?」
カイルが尋ねた。
「ええ。でも、もう私の居場所はここじゃないわ」
エリアナははっきりと言った。
ローゼンベルク家の屋敷に着くと、父が玄関で待っていた。
「エリアナ!」
父は娘を抱きしめた。
「よく頑張ったな。お前の手紙を読んで、本当に誇らしく思ったぞ」
「お父様……」
エリアナは父の胸で、少しだけ涙を流した。強がってきたが、やはり父の前では素直になれる。
「さあ、中に入ろう。お前の話をもっと聞かせてくれ」
屋敷に入ると、使用人たちが温かく迎えてくれた。マリアは涙を流しながら、エリアナの手を握った。
「お嬢様、本当によく頑張られましたね」
「ありがとう、マリア。みんなの支えがあったからよ」
その夜、エリアナは父に辺境での出来事を詳しく話した。織物事業の成功、薬草の栽培計画、そして村人たちとの絆。
「素晴らしい」
父は満足そうに頷いた。
「お前は私の予想を超えた。商人としても、領主としても、立派に成長した」
「まだまだです。これからが本当の挑戦ですから」
エリアナの目には、強い決意が宿っていた。
「さて、明日の晩餐会だが」
父が真剣な顔になった。
「リオネルも出席するだろう。大丈夫か?」
「ええ。もう、あの人のことは気にしていません」
エリアナははっきりと答えた。
「私には、守るべき領地と、信じてくれる人々がいます。それが、私の誇りです」
その言葉に、父は豪快に笑った。
「そうか。ならば、堂々と晩餐会に出ればいい。お前の成功を、あの愚か者に見せつけてやれ」
翌日の夕刻、エリアナは新しいドレスに身を包んだ。深い青色のドレスは、彼女の栗色の髪と白い肌を美しく引き立てる。
鏡の中の自分は、二ヶ月前とは違って見えた。目には自信が宿り、表情には強さがある。これが、本当の自分なのだ。
「エリアナ様、お時間です」
カイルが扉の向こうから声をかけた。彼も正装に身を包み、騎士としての威厳を纏っている。
「行きましょう、カイル様」
エリアナは深呼吸をして、部屋を出た。新しい戦いが、今始まる。




