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捨てられた日が、私の人生の始まりでした  作者: 小林翼


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5

工房の建設が始まったのは、エリアナが村に到着して三日目のことだった。村の男たちが総出で、広場の近くに建物の骨組みを作っていく。


エリアナも作業場に出て、設計図を確認しながら指示を出した。貴族令嬢が泥にまみれながら働く姿に、村人たちは最初驚いていたが、やがてそれが当たり前の光景になっていった。


「エリアナ様、ここの柱はどう配置すればよろしいですか?」


大工のハンスが尋ねてきた。エリアナは図面を指差す。


「ここに三本立てて。光が入るように、南側を大きく開けてください。織機を置くには明るさが必要なの」

「なるほど。さすがですな」


ハンスは感心したように頷いた。


カイルは護衛として近くにいたが、時折手伝いに加わっている。重い木材を軽々と運ぶその姿に、村の女性たちが頬を染めていた。


「カイル様って、本当に強いのね」


若い娘たちが囁き合っている。エリアナは、それを聞いて小さく笑った。確かに、カイルは頼もしい。そして、何より誠実だ。


昼休み、村人たちと一緒に食事をとった。黒パンと野菜のスープ。質素だが、皆で食べると不思議と美味しく感じる。


「領主様が、私たちと一緒に食事をするなんて」


年配の女性が、感動したように目を潤ませていた。


「当たり前のことよ。私たちは、一緒にこの領地を作っていくんだもの」


エリアナの言葉に、村人たちが温かい笑顔を向けてくれた。ここに来て初めて、エリアナは本当に受け入れられたと感じた。


一週間後、工房が完成した。真新しい木の香りがする建物の中に、王都から運んできた織機が並べられる。


「さあ、これから技術の伝授を始めます」


織物職人のマルタが、村の女性たちに声をかけた。マルタは五十代の熟練職人で、エリアナの父が特別に派遣してくれた人物だ。


「まず、羊毛の選別から始めましょう。良い織物を作るには、良い素材が必要です」


女性たちは真剣な表情で、マルタの説明を聞いている。エリアナも一緒に作業に加わり、羊毛を手に取って質を確かめた。


「この羊毛、本当に質が良いわね」


エリアナが呟くと、マルタが頷いた。


「ええ、驚きました。王都の高級羊毛にも劣らない質です。これなら、素晴らしい織物ができますよ」


その言葉に、村の女性たちの顔が明るくなった。自分たちの羊が、実は宝の山だったのだ。


「では、実際に織ってみましょう」


マルタが織機の前に座り、実演を始めた。糸が規則正しく交差し、美しい布地が少しずつ形になっていく。女性たちは、その様子を息を呑んで見つめていた。


「難しそう……」


若い娘が不安そうに呟いた。マルタは優しく微笑む。


「最初は誰でも難しいものです。でも、練習すれば必ずできるようになります。さあ、やってみましょう」


一人ずつ、織機の前に座って練習が始まった。最初はぎこちなかったが、徐々に手つきが良くなっていく。エリアナも挑戦してみたが、これが予想以上に難しい。


「あら、また間違えた」


エリアナが苦笑すると、隣にいた少女が笑った。


「領主様でも、失敗するんですね」

「当たり前よ。私も人間だもの」


エリアナは少女と一緒に笑った。その自然な態度が、村人たちとの距離をさらに縮めていった。


夕暮れ時、カイルが緊急の報告を持ってきた。


「エリアナ様、森で獣の被害が出ています。羊が三頭、狼に襲われました」


エリアナの表情が引き締まった。


「怪我人は?」

「幸い、ありません。ですが、羊飼いの少年が怯えています」


エリアナは立ち上がった。


「その子に会わせてください」


羊飼いの少年トムは、十二歳くらいだった。青ざめた顔で、母親に抱きつきながら震えている。


「トム、大丈夫よ」


エリアナは優しく声をかけた。


「あなたは何も悪くないわ。よく無事で戻ってきてくれたわね」

「ご、ごめんなさい……羊を守れなくて……」


少年は泣きながら謝った。エリアナは彼の頭を撫でる。


「謝ることはないわ。大切なのは、あなたが無事だったこと」


母親が、感謝の涙を流していた。


「領主様……ありがとうございます」

「カイル様、狼の対策を考えましょう」


エリアナはカイルに向き直った。


「はい。明日から、森の見回りを強化します。また、羊の放牧地に柵を作ることを提案します」

「それだけでは足りないわ」


エリアナは考え込んだ。


「狼も生きるために羊を襲うの。ならば、森の生態系そのものを調べる必要があるわ」

「生態系……ですか?」


カイルが不思議そうに尋ねた。


「ええ。狼が獲物を失って村に近づいているのなら、森に何か問題があるはず。それを解決しなければ、根本的な対策にはならないわ」


その論理的な思考に、カイルは感心した。


「では、明日、私が森を調査してきます」

「私も一緒に行くわ」

「しかし、危険です」

「だからこそ、状況を自分の目で見る必要があるの。大丈夫、あなたがいてくれるでしょう?」


エリアナの信頼に満ちた目を見て、カイルは頷いた。


「……わかりました。ですが、必ず私の指示に従ってください」

「約束するわ」


翌日の早朝、エリアナとカイルは森へ入った。護衛の兵士が数人同行している。


森は深く、木々の間から差し込む朝日が幻想的な光景を作り出していた。だが、その美しさとは裏腹に、危険な雰囲気も漂っている。


「足元に気をつけてください」


カイルが先頭を歩き、エリアナは彼の後ろをついていく。しばらく進むと、動物の骨が散乱している場所に出た。


「ここは狼の縄張りですね」


カイルが低い声で言った。


「でも、獲物の痕跡が少ない。森の小動物が減っているようです」


エリアナは周囲を観察した。確かに、鳥の声も少ない。


「なぜ小動物が減っているの?」

「おそらく、過度な狩猟です」


カイルが説明した。


「近隣の村の猟師たちが、獣の毛皮を売るために乱獲しているという噂があります」

「そう……だから狼が飢えて、村に近づくのね」


エリアナは納得した。


「ならば、猟師たちと交渉する必要があるわ。そして、森の資源を持続可能な形で利用する方法を考えないと」


その時、茂みが揺れた。カイルが即座に剣を抜き、エリアナを庇う。


茂みから現れたのは、一頭の狼だった。だが、その狼は痩せ細り、足を引きずっている。カイルが剣を構えたが、エリアナが手を上げた。


「待って。あの狼、怪我をしているわ」


狼はエリアナたちを警戒しながらも、敵意は見せていない。むしろ、苦しそうに息をしている。


「エリアナ様、危険です」

「わかってる。でも……」


エリアナはゆっくりと、腰の袋から干し肉を取り出した。そして、地面に置く。


狼は警戒しながらも、肉に近づいてきた。そして、それを咥えて茂みの中に消えていった。


「あなたは……本当に不思議な方です」


カイルが呆れたように言った。


「狼も生きるために必死なだけ。敵視するのではなく、共存する方法を考えるべきよ」


エリアナの言葉に、カイルは深く頷いた。この領主は、本当に特別な人だ。


森から戻ると、エリアナはすぐに対策会議を開いた。村長、猟師、そしてカイルが集まる。


「これから、森の資源管理を厳格にします」


エリアナははっきりと宣言した。


「乱獲を禁止し、持続可能な狩猟を行うこと。そして、羊の放牧地には頑丈な柵を作ること。これで、人も狼も共存できるはずです」


最初は反発もあったが、エリアナの論理的な説明に、皆が納得していった。


その夜、エリアナは疲れた体を休めながら、小さな達成感を感じていた。少しずつだが、確実に領地は変わり始めている。


窓の外で、月が静かに輝いていた。

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