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工房の建設が始まったのは、エリアナが村に到着して三日目のことだった。村の男たちが総出で、広場の近くに建物の骨組みを作っていく。
エリアナも作業場に出て、設計図を確認しながら指示を出した。貴族令嬢が泥にまみれながら働く姿に、村人たちは最初驚いていたが、やがてそれが当たり前の光景になっていった。
「エリアナ様、ここの柱はどう配置すればよろしいですか?」
大工のハンスが尋ねてきた。エリアナは図面を指差す。
「ここに三本立てて。光が入るように、南側を大きく開けてください。織機を置くには明るさが必要なの」
「なるほど。さすがですな」
ハンスは感心したように頷いた。
カイルは護衛として近くにいたが、時折手伝いに加わっている。重い木材を軽々と運ぶその姿に、村の女性たちが頬を染めていた。
「カイル様って、本当に強いのね」
若い娘たちが囁き合っている。エリアナは、それを聞いて小さく笑った。確かに、カイルは頼もしい。そして、何より誠実だ。
昼休み、村人たちと一緒に食事をとった。黒パンと野菜のスープ。質素だが、皆で食べると不思議と美味しく感じる。
「領主様が、私たちと一緒に食事をするなんて」
年配の女性が、感動したように目を潤ませていた。
「当たり前のことよ。私たちは、一緒にこの領地を作っていくんだもの」
エリアナの言葉に、村人たちが温かい笑顔を向けてくれた。ここに来て初めて、エリアナは本当に受け入れられたと感じた。
一週間後、工房が完成した。真新しい木の香りがする建物の中に、王都から運んできた織機が並べられる。
「さあ、これから技術の伝授を始めます」
織物職人のマルタが、村の女性たちに声をかけた。マルタは五十代の熟練職人で、エリアナの父が特別に派遣してくれた人物だ。
「まず、羊毛の選別から始めましょう。良い織物を作るには、良い素材が必要です」
女性たちは真剣な表情で、マルタの説明を聞いている。エリアナも一緒に作業に加わり、羊毛を手に取って質を確かめた。
「この羊毛、本当に質が良いわね」
エリアナが呟くと、マルタが頷いた。
「ええ、驚きました。王都の高級羊毛にも劣らない質です。これなら、素晴らしい織物ができますよ」
その言葉に、村の女性たちの顔が明るくなった。自分たちの羊が、実は宝の山だったのだ。
「では、実際に織ってみましょう」
マルタが織機の前に座り、実演を始めた。糸が規則正しく交差し、美しい布地が少しずつ形になっていく。女性たちは、その様子を息を呑んで見つめていた。
「難しそう……」
若い娘が不安そうに呟いた。マルタは優しく微笑む。
「最初は誰でも難しいものです。でも、練習すれば必ずできるようになります。さあ、やってみましょう」
一人ずつ、織機の前に座って練習が始まった。最初はぎこちなかったが、徐々に手つきが良くなっていく。エリアナも挑戦してみたが、これが予想以上に難しい。
「あら、また間違えた」
エリアナが苦笑すると、隣にいた少女が笑った。
「領主様でも、失敗するんですね」
「当たり前よ。私も人間だもの」
エリアナは少女と一緒に笑った。その自然な態度が、村人たちとの距離をさらに縮めていった。
夕暮れ時、カイルが緊急の報告を持ってきた。
「エリアナ様、森で獣の被害が出ています。羊が三頭、狼に襲われました」
エリアナの表情が引き締まった。
「怪我人は?」
「幸い、ありません。ですが、羊飼いの少年が怯えています」
エリアナは立ち上がった。
「その子に会わせてください」
羊飼いの少年トムは、十二歳くらいだった。青ざめた顔で、母親に抱きつきながら震えている。
「トム、大丈夫よ」
エリアナは優しく声をかけた。
「あなたは何も悪くないわ。よく無事で戻ってきてくれたわね」
「ご、ごめんなさい……羊を守れなくて……」
少年は泣きながら謝った。エリアナは彼の頭を撫でる。
「謝ることはないわ。大切なのは、あなたが無事だったこと」
母親が、感謝の涙を流していた。
「領主様……ありがとうございます」
「カイル様、狼の対策を考えましょう」
エリアナはカイルに向き直った。
「はい。明日から、森の見回りを強化します。また、羊の放牧地に柵を作ることを提案します」
「それだけでは足りないわ」
エリアナは考え込んだ。
「狼も生きるために羊を襲うの。ならば、森の生態系そのものを調べる必要があるわ」
「生態系……ですか?」
カイルが不思議そうに尋ねた。
「ええ。狼が獲物を失って村に近づいているのなら、森に何か問題があるはず。それを解決しなければ、根本的な対策にはならないわ」
その論理的な思考に、カイルは感心した。
「では、明日、私が森を調査してきます」
「私も一緒に行くわ」
「しかし、危険です」
「だからこそ、状況を自分の目で見る必要があるの。大丈夫、あなたがいてくれるでしょう?」
エリアナの信頼に満ちた目を見て、カイルは頷いた。
「……わかりました。ですが、必ず私の指示に従ってください」
「約束するわ」
翌日の早朝、エリアナとカイルは森へ入った。護衛の兵士が数人同行している。
森は深く、木々の間から差し込む朝日が幻想的な光景を作り出していた。だが、その美しさとは裏腹に、危険な雰囲気も漂っている。
「足元に気をつけてください」
カイルが先頭を歩き、エリアナは彼の後ろをついていく。しばらく進むと、動物の骨が散乱している場所に出た。
「ここは狼の縄張りですね」
カイルが低い声で言った。
「でも、獲物の痕跡が少ない。森の小動物が減っているようです」
エリアナは周囲を観察した。確かに、鳥の声も少ない。
「なぜ小動物が減っているの?」
「おそらく、過度な狩猟です」
カイルが説明した。
「近隣の村の猟師たちが、獣の毛皮を売るために乱獲しているという噂があります」
「そう……だから狼が飢えて、村に近づくのね」
エリアナは納得した。
「ならば、猟師たちと交渉する必要があるわ。そして、森の資源を持続可能な形で利用する方法を考えないと」
その時、茂みが揺れた。カイルが即座に剣を抜き、エリアナを庇う。
茂みから現れたのは、一頭の狼だった。だが、その狼は痩せ細り、足を引きずっている。カイルが剣を構えたが、エリアナが手を上げた。
「待って。あの狼、怪我をしているわ」
狼はエリアナたちを警戒しながらも、敵意は見せていない。むしろ、苦しそうに息をしている。
「エリアナ様、危険です」
「わかってる。でも……」
エリアナはゆっくりと、腰の袋から干し肉を取り出した。そして、地面に置く。
狼は警戒しながらも、肉に近づいてきた。そして、それを咥えて茂みの中に消えていった。
「あなたは……本当に不思議な方です」
カイルが呆れたように言った。
「狼も生きるために必死なだけ。敵視するのではなく、共存する方法を考えるべきよ」
エリアナの言葉に、カイルは深く頷いた。この領主は、本当に特別な人だ。
森から戻ると、エリアナはすぐに対策会議を開いた。村長、猟師、そしてカイルが集まる。
「これから、森の資源管理を厳格にします」
エリアナははっきりと宣言した。
「乱獲を禁止し、持続可能な狩猟を行うこと。そして、羊の放牧地には頑丈な柵を作ること。これで、人も狼も共存できるはずです」
最初は反発もあったが、エリアナの論理的な説明に、皆が納得していった。
その夜、エリアナは疲れた体を休めながら、小さな達成感を感じていた。少しずつだが、確実に領地は変わり始めている。
窓の外で、月が静かに輝いていた。




