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捨てられた日が、私の人生の始まりでした  作者: 小林翼


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エリアナが領主の館に案内されたのは、日が傾きかけた頃だった。館と呼ぶには程遠い、粗末な木造の建物。屋根は所々破れ、壁には隙間風が入り込む穴が開いている。


「これが……館?」


エリアナは思わず呟いた。カイルが申し訳なさそうに頭を下げる。


「申し訳ございません。前の領主が放置していたため、荒れ果ててしまいました」

「いいえ、謝らないで。これも、変えていくべきもののひとつね」


エリアナは建物の中に入った。床は軋み、天井からは雨漏りの跡がある。家具はほとんどなく、あるものも古びて壊れかけている。


「まずは掃除からね」


エリアナは袖をまくった。同行してきた使用人たちも、すぐに掃除を始める。カイルは驚いた顔で、エリアナを見ていた。


「エリアナ様、そのようなことは使用人に任せて、お休みください」

「いいえ、私も手伝うわ。自分の住む場所くらい、自分で綺麗にしたいもの」


エリアナは箒を手に取り、埃を掃き始めた。その姿を見て、使用人たちの目に驚きの色が浮かぶ。貴族令嬢が、自ら掃除をする。そんなことは、誰も見たことがなかった。


夜になり、何とか寝室だけは片付いた。エリアナは簡素な寝台に腰を下ろし、窓の外を見た。村には灯りがほとんどなく、闇が広がっている。星の光だけが、わずかに世界を照らしていた。


「お嬢様、食事をお持ちしました」


使用人のアンナが、トレイを持って入ってきた。黒パンとスープ、それだけの質素な食事。だが、エリアナは文句を言わずに食べ始めた。


「アンナ、明日から村の人たちと話をしたいの。誰か、村のことをよく知っている人を紹介してもらえる?」

「それでしたら、村長のトーマス様がよろしいかと。この村で一番の古株ですから」

「わかったわ。明日、会いに行きましょう」


翌朝、エリアナは早くに起きた。簡素な服に着替え、髪を編み上げる。鏡の中の自分は、王都にいた頃とは全く違って見えた。だが、不思議と違和感はなかった。


カイルと共に村を歩いていると、村人たちが驚いた顔で見てくる。貴族が、こんな早朝に村を歩いているなど、前代未聞のことだった。


村長トーマスの家は、村の中心近くにあった。六十代と思われる白髪の男性が、戸口に立っている。


「村長トーマス様ですね。お話を伺いたくて参りました」

「領主様が……自ら?」


トーマスは驚いて、慌てて頭を下げた。


「とんでもない。どうぞ、中へ」


家の中は質素だが、清潔に保たれていた。トーマスの妻が、粗茶を出してくれる。エリアナはそれを一口飲んでから、本題に入った。


「トーマス様、この領地のことを教えてください。作物は何が育ちますか? どんな資源がありますか?」


トーマスは困ったような顔をした。


「領主様、この土地は痩せておりまして、麦や野菜もろくに育ちません。森には木々がありますが、獣も多く危険です」

「では、何か特産品は?」

「特産品……」


トーマスは考え込んだ。


「強いて言えば、羊毛でしょうか。村には羊がおりまして、その毛は質が良いのです。ただ、織る技術を持つ者がおらず、そのまま安値で商人に売るしかありません」


エリアナの目が輝いた。


「羊毛! それよ、それが私たちの希望になるわ」

「え?」


トーマスとカイルが、驚いた顔でエリアナを見た。


「良質な羊毛があるなら、それを加工して高級織物にすればいい。私が王都から連れてきた職人たちが、技術を教えることができるわ」


エリアナは立ち上がった。


「トーマス様、村の人たちを集めてください。今日の午後、広場で話があります」

「は、はい!」


午後、村の広場には百人以上の村人が集まっていた。彼らは好奇心と警戒心の入り混じった目で、エリアナを見ている。


エリアナは台の上に立ち、全員を見渡した。


「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。私はエリアナ・ローゼンベルク。今日から、この領地の発展のために全力を尽くします」


村人たちは、まだ半信半疑の表情だ。


「この領地には、素晴らしい資源があります。それは、皆さんが育てている羊の毛です」


エリアナは、王都から持ってきた高級織物の見本を掲げた。


「これは、良質な羊毛から作られた織物です。王都では、この小さな布一枚が、銀貨十枚で売れます」


村人たちがざわめいた。銀貨十枚は、彼らにとって大金だ。


「皆さんの羊毛も、同じように高値で売ることができます。ただし、そのためには技術が必要です」


エリアナは職人たちを前に呼んだ。


「この方たちが、皆さんに織物の技術を教えてくれます。そして、私が販路を開拓します。必ず、この領地を豊かにしてみせます」


「本当ですか?」


若い女性が、不安そうに尋ねた。


「本当です。ただし、皆さんの協力が必要です。一緒に、この領地を変えていきましょう」


エリアナの目は、真摯だった。その目を見て、村人たちの表情が少しずつ変わっていく。


「俺は……やってみたいです」


一人の若者が手を挙げた。


「俺も!」

「私も手伝います!」


次々と声が上がる。希望を失いかけていた村人たちの目に、わずかだが光が宿り始めた。


「ありがとう! では、明日から始めましょう。まずは工房を作ります。男性たちは建設を、女性たちは羊毛の選別を手伝ってください」


エリアナの指示に、村人たちが頷く。カイルは、その光景を感動したように見つめていた。


夜、エリアナは館の書斎で計画を練っていた。必要な道具、作業の手順、販売ルート。全てを紙に書き出していく。


扉がノックされ、カイルが入ってきた。


「エリアナ様、まだお休みにならないのですか」

「ええ。やることが山積みなの」


エリアナは疲れた顔で微笑んだ。


「でも、村の人たちが協力してくれることになって、嬉しいわ」

「あなたの真摯な姿勢が、彼らの心を動かしたのです」


カイルは感心したように言った。


「私は長年この領地にいましたが、領民をこれほど希望に満ちた表情にすることはできませんでした。あなたは本当に、素晴らしい方です」


その言葉に、エリアナは頬を赤らめた。


「そんな……まだ何も成し遂げていないわ」

「いいえ、もう成し遂げています。人々の心に、希望の種を蒔いたのですから」


カイルは優しく微笑んだ。


「明日から、私も全力で補佐いたします。この領地の未来のために」

「ありがとう、カイル様。あなたがいてくれて、本当に心強いわ」


二人は顔を見合わせ、微笑んだ。窓の外では、星が静かに輝いている。


新しい挑戦は、まだ始まったばかり。だが、エリアナの心には確かな手応えがあった。この領地は変えられる。そして、自分も変わることができる。


その確信が、彼女の心を強く支えていた。

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