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捨てられた日が、私の人生の始まりでした  作者: 小林翼


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3/10

3

王都から辺境領までは、馬車で五日の道のりだった。最初の二日は整備された街道を進んだが、三日目からは道が悪くなり、馬車が激しく揺れるようになった。


エリアナは窓から外の景色を眺めていた。豊かな農地が広がる中央部を過ぎると、徐々に木々が増え、開けた場所が少なくなっていく。時折、小さな村を通り過ぎるが、どの村も活気がなく、人々の表情は暗かった。


「エリアナ様、お疲れではありませんか?」


馬車の外からカイルが声をかけてきた。彼は護衛として馬に乗り、常にエリアナの馬車の傍らを進んでいる。


「大丈夫よ、カイル様。それより、もうすぐ辺境領なの?」

「はい。あと半日ほどで到着します」


カイルの声には、わずかな躊躇いがあった。エリアナはそれを敏感に察した。


「カイル様、正直に教えてください。領地の状況を」


カイルは少し沈黙した後、ゆっくりと話し始めた。


「領地の人口は約三千人。ほとんどが農民ですが、土地が痩せていて作物がよく育ちません。森には獣が多く、時折村を襲います」


彼の声は、申し訳なさそうだった。


「税収は少なく、兵士の給料も満足に払えない状態です。若者たちは希望を失い、王都や他の領地へ出て行ってしまいます」

「そう……」


エリアナは深く息を吸った。予想していたより、状況は厳しいようだ。だが、だからこそやりがいがある。


「カイル様、領民たちは領主のことをどう思っているの?」

「正直に申し上げます。前の領主は年に一度も領地に来ませんでした。ですから、領民たちは貴族を信じていません」


その言葉に、エリアナは頷いた。信頼を得るのは容易ではないだろう。だが、それも含めて挑戦だ。


「わかったわ。ありがとう、カイル様。心の準備ができたわ」


エリアナの言葉に、カイルは驚いたように彼女を見た。普通の貴族令嬢なら、この状況を聞いて尻込みするだろう。だが、エリアナの目には恐れはなく、むしろ闘志が宿っていた。


四日目の夕暮れ、一行は山賊に襲われた。


荷馬車が森の中の道を進んでいると、突然、矢が飛んできた。護衛の兵士の一人が悲鳴を上げて落馬する。


「山賊だ! お嬢様を守れ!」


カイルが叫び、剣を抜いた。森の中から、十数人の荒くれ者たちが現れる。彼らは武器を手に、馬車を囲んだ。


「おとなしく荷物を置いていきな! そうすれば命は取らねぇ!」


山賊の頭らしき男が叫んだ。だが、カイルは一歩も引かなかった。


「この馬車には、この領地の新しい領主が乗っておられる。通してもらおう」

「領主? はっ、また貴族様のお出ましかよ。どうせ俺たちのことなんか――」


男の言葉が途切れた。カイルが一瞬で距離を詰め、男の剣を弾き飛ばしたのだ。その速さと力強さに、山賊たちが怯む。


「私は騎士団長カイル・アッシュフォード。この方を傷つけようとする者は、私が許さない」


カイルの声は低く、だが圧倒的な迫力があった。山賊たちは互いに顔を見合わせ、後退し始める。


「ちっ、騎士団長かよ。覚えてろ!」


山賊たちは森の中へと逃げていった。カイルは剣を収め、馬車に駆け寄る。


「エリアナ様、ご無事ですか?」

「ええ、大丈夫よ」


エリアナは馬車から降りてきた。彼女の顔には恐怖の色はなく、むしろ興味深そうな表情があった。


「カイル様、今の山賊たちは?」

「この辺りを根城にしている者たちです。領地が貧しいため、盗賊になる者が後を絶ちません」


カイルは苦い表情で言った。


「私も何度か討伐を試みましたが、森が深く、隠れ場所が多いので根絶できないのです」

「そう……」


エリアナは考え込んだ。貧困が犯罪を生む。ならば、根本的な解決には、領地を豊かにするしかない。


「怪我人は?」

「軽傷が一人です。すぐに手当てをします」


カイルが指示を出し、兵士たちが動き始める。エリアナはその様子を見て、この騎士の有能さを再認識した。


夜は森の中で野営することになった。焚き火を囲み、兵士たちが交代で見張りをする。エリアナは毛布にくるまりながら、空を見上げた。


満天の星空が広がっている。王都では、街の灯りで星がよく見えなかった。こんなに多くの星があることを、エリアナは初めて知った。


「綺麗ですね」


カイルが焚き火の向こう側から声をかけてきた。


「ええ、本当に」


エリアナは微笑んだ。


「カイル様は、どうしてこの辺境に? あなたほどの腕があれば、王都の騎士団にも入れたでしょうに」

「……私には、守るべきものがあったのです」


カイルは遠くを見つめた。


「家族を養うため、そして、この領地の人々を守るため。彼らは貧しいですが、真面目で優しい人たちです。私は、彼らを見捨てることができませんでした」


その言葉に、エリアナは胸を打たれた。この騎士は、本物の騎士道精神を持っている。地位や名誉ではなく、守るべき人々のために戦う。それは、リオネルには決して理解できない価値観だろう。


「素敵な考えですね」

「しかし、力が足りませんでした。領地を豊かにすることができず、人々は苦しみ続けています」


カイルの声には、自責の念が滲んでいた。


「それは、あなたの責任ではありません」


エリアナははっきりと言った。


「必要だったのは、剣の力ではなく、知恵と計画だったのです。そして、それは私が持っているもの。だから、これからは一緒に頑張りましょう」


カイルは驚いたようにエリアナを見た。月明かりの中で、彼女の目は強く輝いていた。


「エリアナ様は……不思議な方ですね」

「そう?」

「普通の貴族令嬢なら、この状況を見て王都に戻ろうとするでしょう。しかし、あなたは前を向いている」


カイルは小さく笑った。


「私は、あなたのような領主に仕えることができて光栄です」

「ありがとう、カイル様。その言葉、嬉しいわ」


二人は焚き火を見つめながら、しばらく沈黙した。だが、それは居心地の悪い沈黙ではなく、心地よい静寂だった。


翌朝、一行は再び出発した。そして昼過ぎ、ついに辺境領の入り口に到着した。


「エリアナ様、あれが領地の中心、アッシュヴィルの村です」


カイルが指差す先に、小さな村が見えた。木造の建物が並び、中央には小さな広場がある。だが、建物の多くは傷んでおり、広場には人影がまばらだった。


馬車が村に入ると、村人たちが物珍しそうに集まってきた。彼らの服は継ぎはぎだらけで、顔には疲労の色が濃い。子供たちも痩せていて、元気がない。


エリアナは馬車から降りた。村人たちは、彼女を警戒の目で見ている。


「皆さん、初めまして。私はエリアナ・ローゼンベルク。今日から、この領地を治めることになりました」


エリアナの声は、はっきりとしていた。村人たちは、ざわざわと囁き合う。


「また貴族様か」

「どうせすぐにいなくなるんだろう」

「税金を取り立てに来たんじゃないのか」


そんな声が聞こえてきた。エリアナは、それを覚悟していた。


「皆さんの不安はわかります。でも、約束します。私は必ず、この領地を豊かにしてみせます」


村人たちは、まだ疑いの目を向けている。だが、エリアナは怯まなかった。彼女は広場の中央に立ち、全員を見渡した。


「明日から、私は皆さんと一緒に働きます。この領地の未来を、一緒に作りましょう」


その言葉に、村人たちは驚いた顔をした。貴族が、自分たちと一緒に働く? そんなことを言った領主は、これまで一人もいなかった。


エリアナは小さく微笑んだ。言葉だけでは信用されない。ならば、行動で示すしかない。


新しい挑戦が、今、始まろうとしていた。

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