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アレクの誕生から三ヶ月が経ち、エリアナは母親としての日々に慣れてきていた。夜泣きに起こされることもあったが、息子の笑顔を見れば全ての疲れが吹き飛んだ。
「この子、もう笑うようになったのね」
エリアナが息子に話しかけると、アレクは無邪気に笑った。カイルはその様子を、いつまでも見ていられるような顔で見つめていた。
「父親になった実感が、ようやく湧いてきました」
カイルは幸せそうに呟いた。
領地の運営も順調だった。エリアナが産休を取っている間、カイルと村人たちが協力して全てを維持してくれた。
「エリアナ様、そろそろ復帰されますか?」
村長のトーマスが尋ねた。
「ええ。アレクも落ち着いてきたし、そろそろ戻らないと」
エリアナは決意した表情で言った。
「ただし、子育てと両立できるペースでね」
母親になっても、エリアナの仕事への情熱は変わらなかった。ただし、優先順位は変わった。何よりもまず、家族が大切だった。
ある日、王都から緊急の知らせが届いた。国王が、辺境開拓の成功を正式に評価し、エリアナに新しい称号を授けるという。
「辺境開拓功労者として、『開拓伯爵』の称号を授ける」
手紙にはそう書かれていた。エリアナは驚いた。
「開拓伯爵……」
「素晴らしいことです」
カイルが喜んだ。
「あなたの功績が、正式に認められたのです」
一ヶ月後、エリアナは国王から直接、称号を授与された。アレクを抱いて王宮に赴いた彼女を、貴族たちは驚きと称賛の目で見た。
「エリアナ・アッシュフォード、辺境開拓功労者として、開拓伯爵の称号を授ける」
国王の声が広間に響いた。
「お前の功績は、王国の模範となる。これからも、その手腕を発揮してくれることを期待する」
「ありがたき幸せでございます、陛下」
エリアナは深々と礼をした。アレクが、その動きに反応して声を上げる。
国王は微笑んだ。
「可愛らしい子だ。未来の領主だな」
「はい。この子に、より良い領地を残せるよう努めます」
式典の後、社交界の貴族たちがエリアナに群がった。
「エリアナ様、素晴らしいご活躍ですね」
「ぜひ、お話を伺いたいのですが」
皆が口々に声をかけてくる。かつて「成り上がりの商人の娘」と蔑んでいた人々も、今では尊敬の眼差しを向けていた。
その中に、セシリアの姿もあった。彼女は別の貴族と結婚していたが、その表情は以前のような高慢さを失っていた。
「エリアナ様……おめでとうございます」
セシリアは複雑な表情で言った。
「ありがとう、セシリア様」
エリアナは穏やかに答えた。もう、彼女に対する恨みは全くなかった。
「お幸せに」
セシリアはそう言って、去っていった。その背中には、後悔と羨望が滲んでいた。
王都での滞在を終え、エリアナたちは領地に戻った。村人たちが、盛大な歓迎をしてくれた。
「おかえりなさい、エリアナ様!」
「開拓伯爵、おめでとうございます!」
村人たちの祝福に、エリアナは涙ぐんだ。
「ありがとう。これからも、皆さんと一緒に、この領地を発展させていきましょう」
その夜、エリアナとカイルは二人で話をした。アレクは、すやすやと眠っている。
「信じられないわ」
エリアナは呟いた。
「一年半前、私は婚約を破棄されて絶望していた。それが今では、開拓伯爵になって、愛する夫と子供がいる」
「運命とは、不思議なものですね」
カイルが微笑んだ。
「でも、あなたが努力したからこそ、今があるのです」
「カイル、あなたがいなければ、今の私はなかった」
エリアナは夫の手を握った。
「あなたに出会えて、本当に良かった」
「私もです」
カイルはエリアナを抱きしめた。
「あなたと出会えたことが、私の人生で最も幸運なことでした」
翌日、エリアナは新しいプロジェクトに取りかかった。病院の建設だ。
「この領地には、まだ本格的な医療施設がありません」
エリアナは村の有力者たちを集めて説明した。
「病院を作れば、怪我や病気の人々を適切に治療できます」
村人たちは賛成した。特に、出産を経験したばかりのエリアナの提案には、説得力があった。
病院の建設が始まると、王都から医師も招聘した。経験豊富な外科医と、薬草に詳しい薬師だ。
「素晴らしい領地ですね」
医師が感心したように言った。
「ここまで発展した辺境領は、見たことがありません」
「まだまだこれからです」
エリアナは謙虚に答えた。
「やるべきことは、山積みですから」
数ヶ月後、病院が完成した。立派な建物には、十床のベッドと、手術室、薬局が備えられている。
開院式の日、多くの村人が集まった。
「この病院は、皆さんの健康を守るためのものです」
エリアナが挨拶した。
「困った時は、いつでも来てください。ここは、皆さんのための場所です」
村人たちは感動して拍手した。
その日の午後、エリアナは丘の上で休んでいた。アレクを膝の上に乗せ、村を見下ろす。
学校、市場、病院。次々と新しい施設が増えていく。かつての荒れ果てた村は、もうどこにもない。
「アレク、これが全部、みんなで作ったものよ」
エリアナは息子に語りかけた。
「あなたが大きくなる頃には、もっともっと素晴らしい場所になっているわ」
アレクは母親の声に反応して、手を伸ばした。その小さな手を握りながら、エリアナは未来を思い描いた。
カイルが丘を登ってきた。
「ここにいたんですね」
「ええ。景色を見ていたの」
カイルはエリアナの隣に座った。
「あなたと出会ってから、私の人生は変わりました」
エリアナは夫を見つめた。
「もし、あの婚約破棄がなければ、私はリオネルと結婚して、王都で退屈な日々を送っていたでしょう」
「それも、悪くない人生だったかもしれません」
カイルが言うと、エリアナは首を横に振った。
「いいえ。あれは、私の人生じゃなかった」
エリアナは村を見渡した。
「ここが、私の居場所。あなたと、アレクと、そして村の人々と共に生きること。それが、私の本当の人生なの」
カイルは妻と息子を抱きしめた。三人は、夕日を見つめながら静かに寄り添った。
遠くから、村人たちの笑い声が聞こえてくる。市場の賑わい、子供たちの遊ぶ声、全てが幸せな音色を奏でていた。
エリアナは目を閉じた。胸の中に、温かいものが満ちていく。
これが、幸せなのだ。富や地位ではなく、愛する人々と共に生きること。それこそが、本当の幸せなのだ。
そう確信しながら、エリアナは微笑んだ。未来は明るい。そして、その未来を作るのは、自分自身だ。
婚約破棄から始まった物語は、今、最高の形で続いている。そしてこれからも、ずっと続いていく。
希望と共に。




