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妊娠七ヶ月に入り、エリアナのお腹は大きく膨らんでいた。彼女は以前ほど活発には動けなくなったが、それでも領地の運営に関わり続けていた。
「エリアナ様、無理をなさらないでください」
村の女性たちが心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫よ。赤ちゃんも元気だから」
エリアナは微笑んで答えた。
ある日、王都から大きな荷物が届いた。父アルベルトからだった。中には、赤ちゃん用の服や毛布、そして立派な揺りかごが入っていた。
「お父様……」
エリアナは手紙を読んで涙ぐんだ。
「孫の誕生を楽しみにしている。無事に産まれるよう、毎日祈っているぞ」
父の愛情が、文面から溢れていた。
その頃、交易市場はさらに拡大していた。王都の『アッシュヴィル』専門店も大成功を収め、毎日のように注文が入ってくる。
「エリアナ様、生産が追いつきません」
工房長のマルタが困った顔で報告した。
「需要が予想以上に高く、織物が足りないのです」
「では、工房を増やしましょう」
エリアナは即座に答えた。
「隣村にも工房を作り、そこでも織物を生産する。技術指導は、こちらから人を派遣します」
マルタは感心したように頷いた。
「さすがです。では、すぐに準備を始めます」
領地の発展に伴い、人口も増加していた。他の領地から移住してくる人々が後を絶たない。
「アッシュヴィルでは、誰でも働けると聞きました」
ある日、中年の男性が家族を連れて訪ねてきた。
「前の領地では仕事がなく、食べていくのがやっとでした」
「ようこそ」
エリアナは温かく迎えた。
「ここでは、働く意志があれば誰でも受け入れます。さあ、村長に案内してもらってください」
新しい住民たちは、村に活気をもたらした。それぞれが持つ技能を活かし、領地はさらに多様化していった。
ある日の午後、エリアナは突然の腹痛に襲われた。
「カイル!」
彼女の叫び声を聞いて、カイルが駆けつけた。
「エリアナ、どうした!」
「お腹が……痛いの……」
カイルは慌てて医者を呼んだ。医者が診察し、安堵の表情を見せた。
「大丈夫です。ただ、お腹が張っているだけです」
医者は優しく言った。
「ですが、もう少し安静にされた方がよろしいでしょう。出産まで、あと二ヶ月です」
その日から、エリアナは医者の指示に従って安静にすることにした。カイルは仕事を調整し、できる限りエリアナのそばにいるようにした。
「ごめんなさい、カイル」
エリアナは申し訳なさそうに言った。
「私のせいで、あなたの仕事が増えてしまって」
「何を言っているんですか」
カイルは優しく微笑んだ。
「あなたと赤ちゃんの健康が、何よりも大切です」
カイルはエリアナの手を握った。
「それに、領地のことは村人たちも手伝ってくれています。心配いりません」
その言葉通り、村人たちはエリアナが安静にしている間、率先して働いてくれた。
「エリアナ様が私たちを助けてくれた。今度は、私たちが恩返しする番です」
村長のトーマスが力強く言った。
「エリアナ様は、安心して赤ちゃんを産んでください」
村人たちの優しさに、エリアナは涙を流した。
妊娠九ヶ月に入った頃、父アルベルトが辺境領を訪れた。
「エリアナ!」
父は娘の大きなお腹を見て、目を潤ませた。
「立派になったな。もうすぐ母親か」
「お父様……」
エリアナは父に抱きしめられて、安心した。父がそばにいてくれる。それだけで、心が落ち着いた。
「カイル、娘をよろしく頼んだぞ」
父はカイルの肩を叩いた。
「はい。命に代えても、守ります」
カイルの言葉に、父は満足そうに頷いた。
出産予定日の一週間前、エリアナは村を見渡せる丘に登った。カイルが支えながら、ゆっくりと歩く。
「最後かもしれないから」
エリアナは笑った。
「出産したら、しばらくは外に出られないでしょう」
丘の上から見える景色は、以前とは大きく変わっていた。新しい建物が立ち並び、市場は賑わい、学校からは子供たちの声が聞こえてくる。
「一年前、ここに来た時は、何もなかったのよね」
エリアナは感慨深げに呟いた。
「本当に、何もない荒れた土地だった」
「でも、今は違います」
カイルが言った。
「あなたが、この全てを作り上げた」
「いいえ、みんなで作ったのよ」
エリアナはカイルを見上げた。
「あなたも、村人たちも、みんなの力があったから」
カイルはエリアナを抱きしめた。
「もうすぐ、私たちの子供が生まれます」
「ええ」
エリアナは微笑んだ。
「楽しみね。どんな子に育つのかしら」
「きっと、あなたのように強く、優しい子になりますよ」
二人は夕日を見つめながら、静かに寄り添った。
その夜、エリアナは陣痛に襲われた。
「カイル……始まったみたい……」
カイルは慌てて医者と産婆を呼んだ。村の女性たちも駆けつけ、エリアナを励ました。
「大丈夫ですよ、エリアナ様」
産婆のベアトリスが優しく声をかけた。
「深呼吸をして、力を抜いてください」
陣痛は長く続いた。エリアナは痛みに耐えながら、カイルの手を握りしめた。
「頑張れ、エリアナ」
カイルは額の汗を拭いながら、妻を励まし続けた。
「もう少しだ。もう少しで、赤ちゃんに会える」
夜が明けかけた頃、ついに赤ちゃんの泣き声が響いた。
「男の子です!」
産婆が嬉しそうに叫んだ。
「元気な男の子ですよ!」
カイルは生まれたばかりの息子を抱き、涙を流した。小さな命が、彼の腕の中で泣いている。
「エリアナ、ありがとう」
カイルは妻に息子を見せた。
「私たちの子供だ」
エリアナは疲れ果てていたが、息子を見て微笑んだ。
「可愛い……」
赤ちゃんは、母親の声を聞いて泣き止んだ。そして、小さな目を開けて、エリアナを見つめた。
「この子、私に似ているかしら?」
「ええ。目元が、そっくりです」
カイルは優しく言った。
外では、村人たちが出産を心配して集まっていた。産婆が扉を開けると、皆が一斉に歓声を上げた。
「男の子です! 母子共に無事です!」
村中が喜びに沸いた。父アルベルトは、孫の顔を見て号泣していた。
「立派な子だ……本当に立派な子だ……」
新しい命の誕生は、村全体の祝福に包まれた。エリアナとカイルの息子は、この領地の未来を象徴する存在となった。
「名前は?」
カイルが尋ねた。
「アレク」
エリアナは即座に答えた。
「アレク・アッシュフォード。私たちの希望よ」
カイルは息子を優しく抱きしめた。
「アレク。良い名だ」
窓の外では、朝日が昇り始めていた。新しい命と共に、新しい一日が始まる。
エリアナは幸せだった。夫、息子、そして信頼できる仲間たち。全てが揃った今、彼女の人生は完璧だった。
かつて婚約を破棄され、絶望した日々。あれは遠い昔のことのように感じられた。
今の自分があるのは、あの日があったから。そう思えるほど、エリアナは前を向いていた。




