13
市場の開場から一ヶ月が経ち、アッシュヴィルは王国有数の商業都市へと成長していた。毎日、数十台の荷馬車が出入りし、商人たちで賑わっている。
エリアナは領主の館を拡張し、事務所も増やした。書類仕事が増え、毎日が目まぐるしく過ぎていく。
「エリアナ様、王都から来客です」
ある日の午後、カイルが応接室に案内してきたのは、見覚えのある人物だった。
「ギルバート様!」
織物商のギルバートが、満面の笑みを浮かべていた。
「エリアナ様、お久しぶりです。市場の成功、素晴らしいですね」
「ありがとうございます。でも、今日はどうして?」
「実は、重要な提案があって参りました」
ギルバートは真剣な顔になった。
「王都に、あなたの領地の製品だけを扱う専門店を開きたいのです」
「専門店?」
エリアナは興味深そうに身を乗り出した。
「はい。織物、陶器、薬草。全てをブランド化し、高級品として売り出します」
ギルバートは計画書を広げた。
「『アッシュヴィル』の名を冠した店を作れば、王都の貴族たちが殺到するでしょう」
エリアナの頭の中で、計画が具体化していく。確かに、ブランド化することで付加価値が生まれる。そして、より高い価格で売ることができる。
「素晴らしい提案です。でも、条件があります」
エリアナははっきりと言った。
「利益は、村人たちにも分配されなければなりません。彼らの労働があってこその製品ですから」
「もちろんです」
ギルバートは即座に頷いた。
「私も、それを望んでいます。正当な利益配分があってこそ、持続可能なビジネスになりますから」
二人は契約を交わした。王都に『アッシュヴィル』の専門店が開かれることが決まった。
その夜、エリアナは村人たちを集めて報告した。
「王都に、私たちの製品を専門に扱う店ができます」
村人たちがどよめいた。
「これで、皆さんの作った製品が、より多くの人に届きます。そして、収入も増えるでしょう」
村人たちは歓声を上げた。かつて貧しかった村が、今や王国中に名を知られる場所になろうとしている。
「これも、エリアナ様のおかげです!」
村長のトーマスが涙ながらに言った。
「いいえ、皆さんの努力です」
エリアナは微笑んだ。
「私は、ただ道を示しただけ。歩いてきたのは、皆さんなのですから」
その言葉に、村人たちはさらに感動した。
翌日、エリアナは久しぶりに森を散策した。カイルが護衛として同行している。
秋の森は美しかった。紅葉した木々が、黄金色に輝いている。二人は小川のほとりで休憩した。
「疲れていませんか?」
カイルが心配そうに尋ねた。
「少しね。でも、こうして森を歩くと心が落ち着くわ」
エリアナは小川の水面を見つめた。
「最初にここに来た時、私は絶望していた。全てを失ったと思っていた」
「でも、今は違いますね」
カイルが言った。
「ええ。今では、あの婚約破棄に感謝しているわ」
エリアナは微笑んだ。
「あれがなければ、本当の自分を見つけられなかった。そして――」
エリアナはカイルを見た。
「あなたに、出会えなかった」
カイルの顔が赤くなった。
「エリアナ様……」
「カイル様、正直に言うわ」
エリアナは勇気を出して言った。
「私、あなたのことが――」
その時、森の奥から悲鳴が聞こえてきた。二人は顔を見合わせ、すぐに声のする方へ駆けた。
森の奥で、若い女性が倒れていた。服はボロボロで、顔には怪我をしている。
「大丈夫ですか?」
エリアナが駆け寄ると、女性は怯えた目でこちらを見た。
「助けて……追われているの……」
女性が言いかけた時、馬の蹄の音が近づいてきた。数人の男たちが馬に乗って現れた。
「そこにいるのは、逃亡奴隷だ。引き渡してもらおう」
男のリーダーが言った。だが、エリアナは女性を庇うように立ちはだかった。
「この女性は、私が保護します」
「何を言っている。奴隷は所有者の財産だ」
「この王国では、奴隷制度は禁止されています」
エリアナははっきりと言った。
「あなたたちは、隣国の人間でしょう。ここは王国の領土です。法を守ってください」
男たちは顔を見合わせた。確かに、この王国では奴隷制度は違法だ。
「覚えていろ」
男たちは捨て台詞を吐いて去っていった。エリアナは女性に優しく声をかけた。
「もう大丈夫よ。ここは安全な場所だから」
女性は涙を流しながら、エリアナに抱きついた。
「ありがとう……ありがとうございます……」
エリアナは女性を村に連れて帰り、治療を受けさせた。女性の名はマリアと言い、隣国で奴隷として売られそうになり、必死で逃げてきたという。
「ここにいてもいいのよ」
エリアナはマリアに言った。
「この村では、全ての人が自由で、平等です」
「本当に……いてもいいんですか?」
マリアは信じられないという顔をした。
「もちろんよ。働く意志があれば、誰でも受け入れます」
その言葉に、マリアは再び涙を流した。
数日後、マリアは工房で働き始めた。彼女は手先が器用で、すぐに織物の技術を習得した。
「マリア、上手ね」
エリアナが褒めると、マリアは嬉しそうに微笑んだ。
「エリアナ様のおかげで、私は人間として生きられるようになりました」
その言葉を聞いて、エリアナは自分の選択が正しかったと確信した。
ある日の夜、エリアナが書斎で仕事をしていると、カイルが訪ねてきた。
「エリアナ様、少しお話しできますか?」
カイルの表情は、いつになく真剣だった。
「もちろん」
エリアナは椅子から立ち上がった。カイルは窓の外を見つめながら、ゆっくりと話し始めた。
「あの日、森で言いかけたことがあります」
「ええ」
エリアナの心臓が高鳴った。
「私は……あなたを尊敬しています。領主として、人として」
カイルは振り返った。
「そして、それだけではありません」
カイルは一歩近づいた。
「私は、あなたを愛しています」
エリアナの息が止まった。
「カイル様……」
「身分の差があることは、わかっています」
カイルは続けた。
「私は没落した騎士の家の出身。あなたは伯爵令嬢。釣り合わないことは、承知しています」
「そんなこと……」
エリアナは首を横に振った。
「私にとって、身分など関係ないわ」
エリアナはカイルの目をまっすぐに見た。
「カイル様、私も……あなたを愛しています」
カイルの目が大きく見開かれた。
「本当に……ですか?」
「ええ。あなたは、私が最も困難な時に支えてくれた。いつも信じてくれた」
エリアナは涙ぐんだ。
「あなたがいなければ、今の私はなかった」
カイルはゆっくりとエリアナに近づき、彼女の手を取った。
「では……私と結婚してください」
その言葉に、エリアナは頬に涙を流しながら頷いた。
「はい。喜んで」
二人は抱き合った。窓の外では、満月が二人を優しく照らしていた。
長い旅路の末に、エリアナはついに本当の愛を見つけた。それは、身分や財産ではなく、互いの心が通じ合う、真実の愛だった。




