終幕の灯と、新しい夜明け
倉庫の奥へ続く通路は、ひんやりと湿っていた。
遠藤は茜の肩を掴み、闇の奥へと逃げ込んでいく。
瑠璃音と修吾は、その背を追った。
「お嬢、傷――」
修吾が駆け寄り、頬の端に触れた。
小さな血の跡。
指先に伝わる温もりに、胸がざわつく。
「私は大丈夫です。修吾さんは?」
「平気や。……行くで」
二人は息を合わせ、足音を殺して進む。
曲がり角を抜けた瞬間、白戸が飛び出した。
「行かせねえよ!」
「悪いな。今はこっちも急ぎや」
修吾の拳が唸りを上げる。
白戸がガードを上げる前に、鳩尾へ一撃。
さらに瑠璃音が横から踏み込み、白戸の腕を極めて床に倒した。
「ぐっ……!」
「寝ててください」
冷静な声に、修吾が苦笑する。
二人は視線を交わし、奥へ向かった。
――
最奥の扉が開く。
そこには、茜と遠藤。
非常灯に照らされた二人の影が、床に長く伸びていた。
「十年も潜って、よく戻ってきましたね」
茜の声は穏やかだったが、張り詰めていた。
「戻ってきたんやない。取り返しに来たんや」
「取り返す?」
「お前も、俺の人生もや」
「……まだそんなことを」
茜は微かに目を伏せた。
「遠藤、やめろ」
修吾が一歩出た瞬間、遠藤はナイフを抜いた。
「娘を返せ」
低く、茜が呟く。
「どの口が言うねん」
刃が閃く。
修吾が前へ出て受け止め、金属の音が響く。
腕の中で、瑠璃音の髪がふわりと舞った。
いつの間にか、まとめていた髪が解けていた。
その姿に、修吾は一瞬だけ息を呑む。
普段の“お嬢”ではない。
どこか、別の顔。
「……酒とタバコの匂い、やっぱ似合わんな」
思わずこぼれた言葉に、瑠璃音が微笑した。
「今は、そんなこと言ってる場合じゃありません」
彼女は髪を束ね直し、遠藤を真っすぐ見据える。
「ここで終わらせます」
瑠璃音の声は澄んでいた。
遠藤が振りかざした刃を、修吾が弾く。
瑠璃音がすれ違いざまに腕を払う。
遠藤の動きが鈍る。
茜が近づく。
「あなたが壊したのよ。私の“今”を。それでも私は、立っている」
「俺は……お前を――」
「遠藤さん」
瑠璃音が前に出る。
黒い瞳が、真っすぐに遠藤を射抜く。
「周防の娘は死んだはずだ……お前は誰だ」
「私は、周防の娘です。お母様の――周防茜の娘です」
遠藤の手がわずかに震える。
その隙を、茜は見逃さなかった。
袖の内に忍ばせた小刀を抜き、遠藤の腕を払う。
刃が床に落ち、鈍い音が響く。
「……終いや」
修吾が押さえ込み、遠藤は崩れ落ちた。
呼吸が乱れたまま、瑠璃音が茜に駆け寄る。
「お母様!」
「無事で、良かった……」
二人が抱き合い、修吾は黙って目を閉じた。
倉庫の外では、サイレンの音が近づいていた。
――夜が、明ける。
◇◇◇
数日後。
ニュースは「小競り合い」とだけ報じた。
遠藤は一命を取りとめ、源一郎の伝手で“厳しい場所”へ送られるという。
遠藤組は形式上、周防傘下へ。
監視を兼ねて、数名が屋敷に常駐することになった。
白戸も、その中にいた。
「よう。お嬢――いや、周防さん」
「白戸さん。もう“お嬢”でいいですよ」
「……マジかよ」
「ただし、手は出さないでくださいね」
「そ、そんなことするかよ!」
背後でくすっと笑う修吾。
「お前、この前気絶しとったやろ。覚えとるか?」
「うるせえ」
「大丈夫ですよ。白戸さんの細腕より、私の方が強いですから」
「……もうやだこの家」
白戸が頭を抱えて去っていく。
修吾が横で肩を震わせ、瑠璃音は涼しい顔のまま微笑んだ。
「修吾さん」
「なんや?」
「……髪、また伸びましたね」
「お嬢もな」
少しの沈黙。
「俺にとっては、最初から“お嬢”や」
そう言って、修吾はそっと笑った。
夜風が吹き抜け、二人の髪をやわらかく揺らした。
周防家に、ようやく静かな朝が戻ってきた。




