絡み合う過去と刃
夜風が、錆びた倉庫の壁を叩いていた。
あたりは静まり返り、遠くの街灯がぼんやりと滲む。
黒塗りの車がその影に止まり、ドアが開く。
修吾が先に降り、周囲を一瞥してから茜を促した。
「中に、います」
低く絞り出すような声。
茜は頷き、着物の裾を軽く押さえながら足を踏み出した。
薄暗い夜の中、その姿は静かな炎のように凛としている。
「十年潜って、よく戻ってきたものね」
小さく呟く声に、修吾の胸がざらりと痛んだ。
その横顔には、怒りとも悲しみともつかぬ色が宿っていた。
――
倉庫の中。
蛍光灯の下で、遠藤は縛られた瑠璃音の前に立っていた。
「親子ってのは、不思議なもんやな。
茜も、あんたも、よう似とる。……血なんて繋がっとらんのにな」
瑠璃音の指先が、かすかに動く。
縄の摩擦音を誤魔化すように、口を開いた。
「何が言いたいんです?」
「言葉のまんまや。俺は“本物”を知っとる。
十年前、あの火の中で死んだ。茜の本当の娘や」
静寂。
「……じゃあ、私は誰なんでしょうね?」
遠藤は嗤った。
「それを聞きに来たんちゃうんか?」
挑発めいた笑みに、瑠璃音の唇がわずかに歪む。
「私は、周防家の娘です。――それだけで十分です」
「はっ。あの女も同じこと言いそうや」
遠藤が鼻で笑うと、白戸が一歩前に出た。
「遠藤さん、こいつ……」
「下がれ」
静かな一言で、白戸の体がぴたりと止まる。
その眼光だけが、なお瑠璃音を射抜いていた。
――その時、外で何かが軋む音がした。
修吾は倉庫の外壁を伝い、瑠璃音の姿を確認する。
縄に縛られたまま動かないが、確かに生きている。
その瞬間、胸の奥に宿った迷いが、怒りと共に消えた。
拳銃の安全装置を外し、低く呟く。
「……行くぞ」
次の瞬間、扉を蹴り破った。
木片が弾け、白戸が反射的に振り返る。
「誰だッ!」
修吾の拳が一直線に飛び、白戸の顎を撃ち抜いた。
若い衆とは思えぬ鋭い反応で受け返す白戸。
衝突の音が倉庫に響く。
「てめぇ……関東の犬がッ!」
「悪いな、仕事なんでな!」
修吾が低く言い放ち、再び拳を叩き込む。
殴り合いの合間に、瑠璃音が縄を擦り切る音が小さく響く。
その隙を縫い、茜が倉庫に入ってきた。
修吾と白戸の間をすり抜けるように進み、瑠璃音のもとへ駆け寄る。
「瑠璃音……!」
「お母様!」
茜が縄に手を伸ばした瞬間――
後ろから伸びた手が、その腕を掴んだ。
「久しぶりやな、茜」
遠藤の声。
茜の動きが止まり、背筋が強張る。
「……遠藤」
「お前がいなきゃ、俺の人生は変わっとった。
あの日、俺を捨てて――組の男を選んだんや。
その報いが今や。全部、お前が蒔いた種や」
茜の瞳が冷たく光る。
「それで、何人殺したの?」
「必要な犠牲や。……愛する女を手に入れるためにな」
その言葉に、瑠璃音の呼吸が詰まる。
縄を解いた手が、わずかに震えた。
修吾が白戸を壁に叩きつけ、息を荒げながら叫ぶ。
「茜様!」
「修吾、瑠璃音を――!」
茜が命じた瞬間、遠藤が茜の肩を掴み、無理やり引き寄せた。
「逃がすかよ」
茜の体が遠藤の腕の中に引き込まれ、倉庫の奥へと引きずられていく。
修吾が走り出すよりも早く、瑠璃音が立ち上がった。
「お母様を離しなさいッ!」
その叫びと共に、空気が張り詰める。
倉庫の外では、遠くでサイレンの音が響き始めていた。
――絡み合う過去と刃が、今、交わろうとしていた。




