消えた黒塗りの車
朝の送り出しから妙な空気は続いていた。
いつもなら稽古を済ませてから食卓に現れる瑠璃音が、この日は無言で椅子に座り、箸を進める。完食するのが常の彼女が、白いご飯を半分以上残したのを見て、若い衆たちは視線を交わした。
修吾もまた、何も言わず食事を終えた。重苦しい空気を切ることなく二人は家を出、車に乗り込む。登校途中の車内も静まり返っていた。
◇◇◇
「お嬢様をよろしく頼む」
校門で車を降りた瑠璃音の背を見送り、修吾は短くそう言ってスマホを耳に当てる。若い衆に放課後の迎えを依頼すると、ふと胸の奥にざらりとした違和感が残った。
――妙だな。
運転席に腰を下ろすと同時に、別の連絡を入れる。あの銀座の夜に撮った遠藤の写真。十年前の新聞記事。調べなければならないことが、次々と繋がっていく気がしていた。
◇◇◇
放課後。
校門前に黒塗りの車が滑り込む。運転席には修吾ではなく、若い衆が座っていた。
「お嬢様、本日は自分が送迎を務めます」
軽く会釈して乗り込んだ瑠璃音を乗せ、車は静かに発進する。だがそのわずか数分後、交差点で不意に後方から激しい衝撃を受けた。
「っ――!」
ブレーキの音と共に車体が揺さぶられ、悲鳴が夜の街に響いた。
◇◇◇
「事故だと!?」
周防家に連絡が入ったのは、その直後だった。
修吾は居間に駆け込み、すでに着物姿で座していた茜に報告を告げる。
「お嬢様を乗せた車が追突されました! まだ詳細は――」
言葉を切る間もなく、玄関口から若い衆が飛び込んでくる。
「修吾さん! ポストに不審な投函物が……!」
「今はそれどころじゃ――」
苛立ちを抑えきれずに声を荒げた修吾だったが、若い衆の必死の表情に押され封筒を受け取った。中にあったのは、一台のスマホ。
画面を起動すると、ロックは解除された状態で開く。無造作に残された動画ファイルを再生した瞬間、空気が凍り付いた。
映っていたのは倉庫のような場所。
椅子に縛り付けられた瑠璃音の姿だった。
覆面をした男の声が響く。
「周防茜。娘を返して欲しければ、お前がひとりで来い。二度も子を失いたくなければな」
茜の顔から血の気が引いた。
◇◇◇
そこへ、足音高く現れたのは源一郎だった。着物姿の老人は、冷ややかな眼差しで画面を一瞥し、静かに吐き捨てる。
「現当主の茜が囚われに行くのは愚かだ。……それこそ、何かあったらどうする」
「……お父様」
「瑠璃音の代わりなど、また探せばよい」
病室で見せていた優しい祖父の顔は、そこにはなかった。組の存続を第一にする冷徹な前当主の顔がそこにあった。
「身寄りのないお前を拾ったのは誰か、忘れるなよ修吾。主人が誰か、きちんと理解しろ」
源一郎の言葉に修吾は奥歯を噛みしめる。だが茜は毅然とした声で言った。
「相手が遠藤であっても……私は行きます。これは私ひとりの感情ではなく、組と組の関係にも関わること」
その声音に強い意志が宿っていた。
◇◇◇
一方その頃――。
倉庫の中。
縛られたままの瑠璃音の前に、扉を押し開けて入ってきたのは遠藤だった。
銀座で対面したあの男。背後には、無言のまま控える白戸の姿もある。
「やっぱりな……」
瑠璃音を見下ろし、遠藤は低く笑った。
「周防家の子供は、十年前に死んだはずや」
沈黙。
遠藤はさらに一歩近づき、口角を吊り上げる。
「――お前は誰や?」
倉庫の空気が一層冷たく張り詰める。
瑠璃音は、挑むような微笑を浮かべたまま、ただ黙して答えなかった。




