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耳虫  作者: 小夜夏ロニ子
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第三話 呪い

 警察の二度目の事情聴取が終わり、僕は部室で滝沢さんと話していた。

「……ずっと同じ音がするだけで、人間って自殺するんでしょうか?」

「ノイローゼというやつかな。だとしても、人を死に追いやるほどの中毒性のあるリズムなんて聞いたことがない」

 部室の雰囲気は重く、暗かった。

「滝沢さんは、オカルトって信じます?」

「これが古文書の呪いだとでも?」

「……古文書というよりは、最後の一文。あれに、呪いめいたものが封じられていたとしたら、なんて考えが、さすがによぎります」

「俺は呪いに関しては結構信じる方でね」

 滝沢さんの意外な言葉に、僕は振り返った。

「というのも、音楽というのは宗教や呪術とセットで発展してきた歴史がある。キリスト教の讃美歌、仏教の読経中の木魚のリズム、ルーツとなるインド仏教のお経はもっと露骨にメロディアスでハーモニーのある歌だ。音楽は人間の感情や精神に働きかける力がある」

「人が死ぬほど、ですか?」

「……人はある特定の和音に、明るいとか暗いとか、楽しいとか悲しいとか、感情を想起することが知られている。それを利用して音楽家は曲の雰囲気や、受け取り方の印象を操作する。これは言語を超えて、世界中で同じような印象を受けることがわかっているんだ。人類という生き物に備わった性質だよ」

 僕は滝沢さんの言葉を黙って聞いていた。

「和音以外にも、一定のリズムを持った運動が副交感神経を活性化させ、脳内ホルモンの分泌を促すことがわかっている。特定のリズムパターンを聞かせることで、人の感情に作用させることができるという論文もあるくらいだ。人が死ぬほどではないにしろ、音楽には人の精神をどうこうする力が、確かにあると俺は思う」

 滝沢さんが話しながら拳を握り締めているのに気づいた。

「メロディの解読はおそらく見当外れだった。実際今、俺は無事だ」

「仮にこれを、呪いと呼ぶとして……呪いの発動する、呪われるトリガーは、なんなんでしょうか?」

「綾音ちゃんはこのリズムを演奏してしまった。演奏すること、あるいは聞くことだと思う」

「だったら聞くことかもしれません。同じ場所に僕も居たけど、電車の音でさえぎられて途中が聞こえなかったんです」

「なるほどな。そういうことなら理解できる。突拍子も無いオカルトなのは百も承知で、いうならば……」

「このリズムそのものが、呪い」

 僕たちは顔を見合わせた。

「古文書に“伝えてはならない”と書いてあったのは、多分この呪いの存在を知った昔の人が、封じ込めるために書いたんだと思います。でももしこの呪いの正体がただの一定のリズムなんだとしたら、封じ込めるのは不可能だ。だから知った上で、決して演奏するな、という残し方をした」

「ありえるね。だとすればおそらくこの呪いは、天災に近い。音楽は人が作り出したものだけど、自然の水滴が落ちる音なんかにもリズムはある。このリズムがなんでこんな呪いの力を持っているのかわからないけど、大昔の音楽家がたまたま発見して、それを聞いてしまった人が呪われた。災害のようなものだったんじゃないか」

「そうだと思います。人類が音楽をつくり続ければ、いずれこのリズムが偶然どこかで再発明される可能性なんていくらでもある。封じ込めようがない」

「だとしても、だ」

 滝沢さんの目つきが変わった。

「音楽が人を不幸にすることなんてあってはならないと俺は思う。音楽は救いだ。俺は何度も音楽に救われて来た。人が作り出した音楽には、人の想いが込められている。だから音楽は人を救える。音楽そのものが人を殺す呪いだなんて、俺は許せない」

 僕は頷いた。

「北島の実家に行きましょう。蔵を見せてもらったり、おばあちゃんに話を聞いたりすれば、何か呪いへの対抗策がわかるかもしれません」


 北島の実家はG県の田舎にあった。元々は山奥のダムに沈んだ旧T村に住んでいたが、ダムの完成と共に助成金をもらって山を降りた辺りに引っ越してきたという。

 電車の終点の駅からさらにバスで三十分以上かけて辿り着いた北島家は、山の麓にある古い一軒家だった。

「何も無いところだけどゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

 北島の母親が出迎えてくれた。初対面ではあるが、僕のことは北島から聞いていたらしい。

「同じサークルにすごく頭の良い子がいるって。負けてられないんだって、電話するといつも話していたのよ」

「……そうだったんですか」

「あの子が突然いなくなって、私もね、正直何も手につかなくって。でも一番の友達だっていう高橋くんが来てくれて、本当にうれしいの。今夜は泊まって行っていいからね。拓也の学校でのこととか、たくさん教えて欲しいから」

「ありがとうございます。もちろんです」

 母親が席を立ち、縁側の揺り椅子に座っている女性に耳元で声をかけた。

「おばあちゃん、拓也のお友達が来てくれましたよ」

 北島の祖母はぼーっとしたまま返事をしなかった。

「……うちの祖母、認知症なんです。拓也が死んだって聞いて、一気に症状が進んじゃって。まともに話すのは難しいと思いますから、そっとしておいてやってくださいね」

 僕たちに向かってそういうと、母親は席を外した。

 滝沢さんと目配せし、鞄から古文書を取り出して祖母に近づく。

「おばあさん、こんにちは。拓也くんの友達の高橋悠真といいます」

「拓也の、友達……? ああ、ああ、ようおんさったね」

 祖母は笑顔を見せた。

「拓也はね、大学から一人暮らしでがんばっとってね、盆と正月くらいしか帰ってこんのです。せっかくおんさったのにすまなんだねぇ」

 滝沢さんが目を逸らすのがわかった。おそらく北島の祖母は孫を失ったことを理解できないのだ。もしくは、理解するのを頭が拒んでいる。

「おばあさん、これについて何か知りませんか」

 僕は古文書を取り出して祖母に見せた。

 祖母の目つきが変わった。

「……こんのバチ当たりが! どっからそれを盗んだ!」

「おばあさん、教えてください。拓也はこれの最後の暗号を解読して命を落としました。これはなんなんですか。呪いだとすれば、どうしたら防げますか」

 祖母は先ほどまでの呆けた雰囲気から一変して、しっかりと僕をにらみつけた。

「拓也は読んだんやな。これを」

「はい。解読しました。そしておそらく、このリズムを試しに何かで演奏した。そして呪われました」

「……そこまでわかっとるなら、この呪いの正体が拍子なのもわかっとるな」

「拍子?」

「リズムのことだよ、高橋くん」

 滝沢さんが補足した。

「この拍子を広めたらあかん。決して演奏したらあかん。これは聞いたら死ぬまで頭から離れん拍子や。やから直接書かずにご先祖様が暗号化したっちゅうに。拓也にはまだ、それを教えとらんかった。教える前に大学に行ってまった」

「おばあさん、これはなんなんですか。どうしてこの家にあったんですか」

 滝沢さんの質問に、祖母は一拍置いて語り始める。

「大昔、わしのご先祖さまが住んでおった山奥の村があった。そこである罪人が処刑された。洞窟の奥に磔にされて、野生動物が食うに任せたんじゃ。ところがその洞窟で、呪いは起きた。洞窟の奥、罪人のすぐそばに天井から滴っていた山水が、たまたまその呪いの拍子だったそうや」

 僕は滝沢さんと顔を見合わせた。やはりこの呪いはある程度の確率で自然発生してしまうのだ。

「罪人は気が狂って、尋常では無い力で磔を破って逃げ出した。それ以来、山で気味の悪い歌と共に人を襲う天狗の噂が立った。天狗の歌は聞くと自分まで天狗になってしまうと言われ、何人もの村人が頭がおかしくなって死んだ。この呪いは生き物や。生き物の一番単純な欲、増えたいという欲に従って、呪った人間に自分自身を広めるよう働きかける。移るんや。ご先祖様の村は壊滅寸前まで追い込まれた」

 祖母は手を合わせると、擦り合わせて拝み始めた。

「最後に生き残った当時の村のまじない師が、この呪いがこれ以上広がらないよう、この古文書を書いた。そして伝承を残したんじゃ。天狗の太鼓と名前を変えて、今では伝わっとる」

「聞いたことがあります。くもりの日に山の奥からポンポンと太鼓の音が聞こえて、天気が変わる合図だからすぐに山を降りろと地元民には伝わっているお話ですよね」

 僕は民俗学の授業でやったことを思い出して話した。

「そうや。この拍子を天狗が奏でるのを聞いたら終わりなんや。何か拍子が聞こえたらすぐに山を降りろっちゅう警告を、あくまで拍子そのものは記録に残さずに伝える必要があったんじゃ」

「それで天気が変わるから危ないってことにして伝えたんですね」

「しばらく経って天狗が死んで、山からこの音はしなくなった。生き残った村のまじない師の家系がこの北島家なんやよ。でもこの話をする前に、孫は死んでしもうた。呪いにやられたんじゃ。わしが代わりに死ねばよかった! わしが代わりに! わしが代わりに! わしが代わりに!」

 興奮状態に陥った祖母の様子を聞きつけて、母親が駆け寄ってきた。

「おばあちゃん、大丈夫ですよ! ごはんにしましょうね、ほら」

「わしが代わりに! わしが代わりに! わしが代わりにぃ!」


 その日の夜、座敷に敷かれた布団に寝転がりながら、なんとなく眠れない時間を過ごしていた。

「……滝沢さん、今日の話、どう思います」

「……呪いは、あった。かな」

「ですね。さすがに否定できない」

 呪いの正体はこれでだいぶはっきりしていた。

 ある特定の拍子、リズムが、聞くと頭から離れなくなる。

 死ぬまで離れないそのリズムが頭で鳴り続けるため、呪われた者は発狂して自身の鼓膜を破る。

 心臓の音がその呪いのリズムになる。

 頭の中の音楽を止めるには死ぬしか無いと、自殺する。

 こういう順番だ。

「少なくとも、古文書は僕たちの手元にあります。解読しない限りは、このリズムを知る者はもういないはずです。北島も、石川さんも死んでしまった。でも呪いはそこで止まった。たとえばこの古文書を僕たちが燃やしてしまえば、もう呪いは消えてなくなる」

「問題はこの呪いが自然発生する災害みたいなものだってことだね。今後音楽家が偶然このリズムを発見して発表したらひどいことになる。今は個人で制作した音楽を動画サイトで世界中に発信できる時代だ。被害は村一つくらいじゃ済まない」

「でも、どうやって止めます? 人間の再発明なんて止めようがない。ましてや悪意のある人間がこのリズムを自分だけ耳栓しながら流せば、兵器にだってなる」

 滝沢さんは少し沈黙した。

「……対抗策を、一緒に残したらどうだろう」

「あるんですか? 聞いたら終わりのこの呪いに」

「高橋くんが今言った通りだ。耳栓だよ」

「それはまあ、確かに電車で音が遮られたおかげで僕も平気でしたけど」

「この歌専用の耳栓を、一緒に残したらどうかなと思っている」

「専用の耳栓、ですか?」

「かなり専門的な話になる。実現できるかもわからない。明日大学に戻ったら何日か研究させてくれ。多少の成果は持ってくるよ」

 何か考えがあるらしい。ここは音楽の知識がある滝沢さんに任せてみよう。

「わかりました。僕も何か対抗策がないか考えてみます」

「ああ。これ以上被害を増やさないために、細心の注意を払おう」

 僕たちはそれ以上語ることなく、物思いにふけりながら眠りについた。

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