颯の鼓動
——ヒヤリとした冷気が肌を刺す。
気づけば、颯は一人だった。
真っ白に霞んだ空間。上下も左右もわからないほどの静寂と光に包まれ、どこまでも続く“空白”の中心に、ぽつんと立っていた。
彰も、美紅も、どこにもいない。
「……また試練かよ」
吐き出すように呟いた声が、空虚に反響する。その響きがやけに大きくて、不安が胸にじわりと広がった。
けれど颯は、どこかで理解していた。
この空間の“冷たさ”に、慣れている自分がいることを。
誰にも頼れず、心を凍らせて生きてきた。家庭でも、学校でも、期待された記憶なんて一度もない。
「……また、“自分”と向き合うのかよ」
諦めと皮肉を含んだ呟きが漏れた、その瞬間。
ピキ……と、空気が凍るような音がした。
霧が波打ち、淡く渦を巻き、そして——現れた。
「颯……また逃げるのか?」
聞き覚えのある、だがどこか他人のような声だった。
目の前に立っていたのは、自分自身。中学時代の、尖っていた頃の颯だった。
制服のボタンは外れ、鋭い目つき。拳には絆創膏と、いくつもの古傷。口元には、挑発的な笑み。
「……チッ、会いたくなかった面が出てきやがったな」
「逃げ続けてただけだろ。家からも、学校からも、自分からもな」
「うるせぇよ」
颯は舌打ちと共に言い返す。
「俺は……見限ったんだよ。頼れるやつなんて、誰もいなかったからな」
「それが言い訳だって気づいてたくせに」
影は、じわりと歩を進める。足音はないのに、その存在感が空間を圧迫してくる。
「誰も信じられない。“そうしないと壊れる”って自分に言い聞かせてただけだろ?」
「……黙れ」
「仲間なんて、どうせ裏切る。信じた瞬間に壊れる。それが、怖ぇんだよな?」
「黙れって言ってんだろ!!」
颯は叫び、拳を振るった。
だが影はそれを軽くかわし、笑った。
「ほらな。怒りで殴るしかできない。何も変わってねぇよ」
「違ぇよ……!」
肩で息をしながら、颯は拳を握り直す。
「今の俺には、彰がいて、美紅がいて……リトだって、いる!」
「支えてくれる仲間が、いるんだよ!!」
拳が再び閃いた。
影との激しい応酬。打ち合いの中、颯の脳裏には、あの頃の記憶がよぎっていた。
——親父の冷たい目。
——教師の無関心。
——クラスでの孤立。
孤独と怒りを盾にして、自分を守ってきた。でも、それはもう——
「俺は、変わった。変わりたいって、思ったから!!」
その瞬間、拳が影を貫いた。
「っ……ぐあっ……!」
影が崩れ、光の粒となって宙に溶けていく。
静寂が戻った空間に、鼓動だけが響いていた。
——ドクン、ドクン。
それは、誰かと“繋がりたい”と願う、颯の心が放つ音。
「俺はもう、逃げねぇ」
視線の先に、金色の扉が現れる。
「待ってろよ、彰、美紅……今度はちゃんと、信じて向き合うからな」
颯は、歩き出した。
静かに、けれど確かな足取りで。
読んでいただき、ありがとうございます。
今回はムードメーカーの**颯**が主人公の回でした。
彼の“明るさ”や“気安さ”の裏側にある過去と、強さの源に少し触れていただけたかと思います。
「強さ」は何かに抗うために生まれることもあります。
それが虚勢であったとしても、誰かと出会うことで、初めて“守りたいもの”に変わるのかもしれません。
颯はこの先、チームの中でも“壁を壊す力”として大きな役割を担っていきます。
どうか、彼の過去も含めて見守っていただければ幸いです。