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壺中の天地

作者: きのじ

壺中の天地-オーバーシアーズ



白銀の髪が揺れる。


「例えば、この世界が壺中の中に会って、それは一つの実験施設だったら?」

 そう私に問いかけてきたのは、私の同級生。名前は伏せておく。仮称としてNとしておく。彼女の性質はこの仮称とは正反対の方向にあるけれど、それは大したことではない。

 私の友人であり、同級生であり、サークルメンバーは、某県某所にある、三流大学生だ。

 背は私より低い。一般的にいって小柄で、150センチを超えない程度だ。しかし、手足は細く長く、起伏の富まない肉付き以外は一般的にモデル体型をしている。

 大きな碧色の瞳や、高い鼻、細い顎、陶器のような白い肌は、彼女にこの国の者以外の血が流れていることを如実に表している。しかし、何よりも周りが彼女に目を引くのは細かく光を透過させるほどのしなやかに彼女の白銀の髪だろう。

 彼女の髪が世界の光を反射させるように、私の黒い髪は光を飲み込む。

 そんなお互いの性質だからか、私は黒くシックな色を好み、今日も髪と同じような色をした服装を。彼女は白く透き通った色の服装を纏い、赤髪のピエロが消えたファストフード店に入り、腰を下ろし今日も語らう。

 

 私は、K。新世界の神ではない。それを自称することは絶対にない、某県某所にある、三流大学生だ。

 成績は中程度。奨学金制度を使っての大学に入学した、というだけの学生だ。

 というのも、将来の展望の為…というより、未来への逃避。尺稼ぎ。社会までの時間稼ぎの為に大学に通っているのが私だ。

 劇的な日常の変化に恐れ…と大層なことを書くことも出来るが、ただ単にしたいこともない。やりたいこともない。願いも、未来もない。

 だから、借金を背負って仕事をするしかない、という口実作りの為に大学に入ったのかもしれないがの私だ。

 単に考える時間切れをした、というのもあるけれど。

 そんな私に比べてNは…となればお話も広がるのだけれど、Nはただ単に金持ちのボンボンだ。

 私と同じで未来の展望等はないし、ただ家に金があるから大学に通っている。

 したいことがお互いにない、という共通の価値観を持つ友人だ。

 Nと私は幼馴染だ。少なくとも今住んでいるアパートの場所は知っているけれど、実家の場所は知らない。家に遊びにいったこともないし、授業参観の時はいつも不在だったのはよく覚えている。

 本人も親の顔も実家の場所も知らないらしいけれど、Nは経済力は不自由はしていない。

 …とは言っても、N自身お茶目で、掴みどころがなく、嘘と本当に虚構が混じって浪漫と感覚だけのような言動ばかりなのでそれが真実かは確かめようはない。

 そんな私とNは大学というのはただただ退屈なだけだ。

 ある意味で高校どころか、中学校の延長線上の気分で毎日を過ごしている。

 そんな私達の楽しみ…と言えるのは、このランドセルを背負っていた頃からの友人との語らいくらいだ。

Nがどう思っているかは知らないけれど、少なくとも”楽しい”とは言っていたし、嫌なら毎週少なくとも3回は外で、住んでいるアパートが隣室なのもあるけれどお互いの部屋で多ければ毎日行うということはしないと思う。

 もっとも、お互いの部屋では語らいだけということはないけれど。

 TRPGをしたり、テレビゲームをしたり、お互いに話もせず小説を読み耽ったり、話題のコミックを読んだりもするが、結局、示し合わした訳でもないのに意味もない語らいに落ち着いてしまう。

 そんな私達はたった二人きりで立ち上げ、他を拒む為だけに”サークル”というの名ばかりの、クローズドコミュニティを築いている。

 大種別は、文科系。中種別はオカルト研究部。蛇足を付き足せば、小種別として、このサークル名『観測部シアー』だろう。

 主な活動は中種別にあるとおり、オカルト研究だけど、することと言えば、超常現象を調べたり、廃屋に行くくらいだ。

 調べはしても発表もしないし、投稿もしない。ただ、行くだけ。見るだけ。語らうだけが私達だ。なので、勿論非公認サークルだ。活動実績も調査という名のデート未満しかないので当然だ。

 ただ、文はわきまえている。

 事前に許可が取れなかったような廃屋にはいかないし、自分のアカウントにハイオクをぶっかけて火炎放射器で放火するようなことはしない。

 それくらいの分別はあるし、別に有名になったり誰かに知ってもらいたいとすら思わない。

 そもそも、知られたくないまである。

 だから、活動も心霊場所として噂される廃屋近くにある、旧道のトンネルくぐりが多い。

 トンネラーと言われても、私は言い返さないし、Nも喜ぶだろう。

 所詮、このサークルは私とNの小さな語らいの場所なのだから。

 意味はなく、騙らない、語らいを、嘯く…そうするためだけに、このサークルはあるのだから。

 私にとって、ここではN以外の他の存在というのは邪魔でしかない。

 窓の外を見れば、外の通りをブランドらしきを全身に着飾った同級生と並んで、田舎から出てきたばかりで品の良い落ち着いた服装をしたあどけない後輩が、チャラい先輩の男達に肩を組まれて歩いている。

 きっと合コンからの送り狼だろう。

 ああいうのも大学生としてあるべき姿やコミュニティなのだと思う。

 それに比べ、私達は”花の女学生達が”…と呆れるかもしれないが、”多様性が大事だ”と多様性を否定する人々も声高に言っている時代だ。

 それに真に配慮し、私たちは異性を排除し、他人を排除するという多様性に配慮した結果のサークルと嘯く。

 そう勝手に納得し、他を説得する材料等はない。

 排除することを認めるのもまた多様性である、というのは何という皮肉だろう。

 テニス部のイケメンキャプテンが、二股を3つ掛け持ちして八俣には届かないが、巷で”七俣の大蛇おろち〇”と騒がれていることも別に興味はない。

 柔道部のキャプテンが20歳になったのをきかっけに、幼稚園の頃からの同級生に対して結婚を前提で告白し見事成功したことも興味はない。

 帰宅部のオタク君が何故か、大金持ちの御令嬢から積極的なアプローチを受けていて、ある日遺書を書いて飛び降りようとした…ということはちょっと動機に興味はあるけれど、どうでもいい。

 何かのスポーツのプロに推薦された人がいる…とは聞いたけれど、何のスポーツだったのかすら覚えていない程度には興味はない。

 送り狼の犠牲者の子ヤギに選ばれた、田舎から出てきたばかりのあの大人しい子が…実は趣味が格闘技と相撲観戦で、空手有段者で、元自衛隊の祖父から自衛隊格闘術を仕込まれ、祖母からは弓道と剣道、薙刀道、合気道、琉球空手を叩きこまれたている上に、2人いる兄からはボクシングとムエタイとカポエイラとバーリートゥードを学び、おまけにとある中小企業の社長令嬢で、今年の主席入学者。

 また、父親が身長2メートルを超えるムキムキを超えた、とある100%弟みたいな体つきのムッキムッキマッチョマンで、スポーツマンを名乗る、軽トラックを一人で持ち上げようとする兵器みたいな人が親…というのは知っているが、どうでもいい。

 送り狼がライカンスロープを送ろうとしているのも見て見ぬふりだ。

 送り狼が向かっている先が、そんな彼女の兄が経営しているバーの系列店であることも見て見ぬふりだ。

 どうなっても自業自得だ。肩を組めば、彼女のほっそりした体に、脂肪の柔らかさが無いと分かると思うし、その拳に拳ダコの跡がしっかりと残っているのにも分かると思うのに。

 流れるのは酒か血か。それとも汗と涙か。

 そういった喧噪と隔絶した私達は、一番安いポテトのセットとナゲットのセットを頼み、サイドメニューであるポテトとナゲットを机の真ん中に置いてシェアしあう。

 飲み物は勿論コーヒーだ。

 紅茶派には悪いけれど、これを泥水と評するは遺憾だ。

 私達は少なくともこの泥水派だ。

 香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、程よくきいた塩味が絶品のポテト、付属のソースがやけに美味しいナゲットをつまんでいると、Nが…

「例えば、この世界が壺中の中に会って、それは一つの実験施設だったら?」

 と話を始めた。

 この言葉の前にも私とNは適当な話をしていたけれど、それは割愛する。

 近くで頻発している下着泥棒の犯人が同じ大学生の〇〇〇かもしれない、とか、今度行く予定を立てている廃墟の持ち主であるおじいさんをどうやって説得しようかというような話をしていた。

「夢がないね」と私が返すと、Nは小さく笑いコーヒーにいつもはいれないフレッシュを入れながら「あら?夢のような話じゃない?」と悪戯っぽく微笑む。

 彼女はコーヒーに足された白を混ぜ、泥水色により近くなった茶色のコーヒーに口を付ける。

 私の分もいる?と私がフレッシュを差し出すと、彼女を受け取り、封をペロリと開け。

「ふふ。マティーニでも作る?」と言いながら、さらに自身のコーヒーに白を足した。

「ジンとウォッカだっけ?」と先日、20歳になったばかりの浅い知識で返すと、Nはクスクスと笑い。

「それじゃ、腐っちゃうわ」

「お酒だから腐らないよ」と私は察しながらへらへらと笑って返す。

「じゃあきっと純愛ね」とNは小気味よく笑いコーヒーを混ぜ、さらに白には近づいたコーヒーに口を付ける。

 私はポテトに手を伸ばし、「この世界が壺の中だったとしても観測出来ないんじゃどうしようもないよ」とポテトを口に入れながら話題を戻す。

「まるで、神様ね」とNは満足そうにうなずき、それが私か、それとも壺を見る者のことを言っているのかは分からなかった。

 Nも私に倣うように、数が少ないナゲットの方に手を伸ばし、ソースを軽くつけて上品に口へと運ぶ。

 小さな口が何度か上下し、Nがナプキンで指について油を綺麗にふき取りながら。

「そうね。じゃあ、神様の話でもしようかしら?」

「お?オカルトだね」と私は喰いつくように話題に合いの手を入れる。

 中種別ではオカルト研究部である以上、活動実績がないとはいえ本題の話は歓迎すべきだ。

 Nは私の言葉に小さく笑い。口元に手を当てて笑う。

「そうね。けど、オカルトではなく本当に信じている人もいるから、悪魔を証明出来ないように神様も証明出来ないわ。つまり、神様は悪魔なのかもしれないわね」

「暴論にも程がある」と私が呆れると、Nは、暴論とも証明出来ないでしょ?と悪魔のように笑い、続けて。

「ある宗教では神でも、ある宗教では考え方が違うから悪魔に分類されるケースもあるでしょ?」

 その言葉に私は、あぁ、と小さく声を出す。

 例えばダーキニーや、ベルゼブブ、ルシファーもそれに当たるのもかもしれない。

 特に仏教に習合した神は、悪神から善神になることが多い。

 逆にキリスト教によって悪神や悪魔となる神は多い。

 そう考えると、日本の天照大神は知名度の所為か、それともフランク過ぎるエピソードの所為か悪神にも悪魔にもならないのは案外凄いことかもしれない。

 まぁ、お釈迦様がキリストと同一人物とかいう暴論で宗教勧誘してくる、キリスト教の人がいるくらいださしたることでもないのだろう。

 仏教の教えと、キリスト教の教えの違いがある以上、同一人物だと面倒なことになるのが分からないのだろうか?

「例えば?」と私がNにどういった神を思い浮かべているのかを聞くと、

「海苔とか?」とNはお茶目にウインクをしながら答える。

 ノリ…と聞いて、一瞬考えた。

 そんな神様がいたか…と考えたものの、頭に浮かんだのはあの黒い食物だ。海外は黒いものを食べない…とか聞くけれどコーヒーは海外の飲み物だ。

 そこまで考え、あぁ…と声が漏れる。

「アメリカさんが困ってるって聞いたことある。美味しいのに」と私が口を尖らせ、アメリカさん産の偉大なるポテトを口に運ぶ。

「日本人にとって海苔は神ね」とNが。

「紙かもしれないけどね」と私。

「髪にいいという、根拠のない話もあるわね」

「髪の代わりに貼り付けたら神だよ」

「また髪の話してる」とNが満足そうに言って、海苔の話題を切り、「で?神様がどうしたの?」と私が本題へと戻した。

 Nはコーヒーのふちを指先でなぞりながら、

「この世界に神が存在するか、それとも存在しないのか、存在し得ないのか」

 そう前置きをしてから、「スティーブを知ってるかしら?」と私に尋ねてくる。

 うちの大学は三流大学だ。

 海外からの留学生はいない。だからきっと、人の話ではないとは察せられた。

 ただ、考えてもどのスティーブか分からない。

「えっと…エッチな奴だと思ったら殴ってくる人?」と私が思いついた答えを言うと、Nは小さく吹き出し、その所為で彼女が触れていたコーヒーが大きく揺れた。

 幸い液体は出なかったものの、Nは少しだけ慌てた様子で、コーヒーを立て直した。

「あなた、そういうのに釣られるの?もしかして、同棲を解消した方がいいかしら?」

 Nが満足そうに私にそういってくる。

 ちなみに同棲している訳ではない。アパートが隣同士なので、時々…週に2、3回はお互いの部屋に泊まっているだけだ。

「ミームは偉大だよ」と私が答えると、Nも小さくうなずき。

「評価されぬ無形文化遺産ね」と浪漫溢れる表現をする。

「人類の叡智とはほど遠いけれど」と私もそれに肯定してから、Nに続きを促すように視線を送る。Nはこの不毛な会話を続けたそうにしていたものの、ナプキンの表面を掻き斜めの一本線を引いた。

「大気発光現象の一つよ」とそこまで言われて、ようやくピンと来た。

 まっすぐな虹のような白い光の筋…あれがスティーブだったのか、と感心すらした。

「あぁ。スプライトとかそういう奴ね」と私が大地から伸びる赤い発光現象の名前を出すと、Nも頷く。

 Nはポテトに手を伸ばし、口に入れ、そして指先を先ほど描いたナプキンのスティーブをなぞるような軌跡で拭く。

「そうそう。人間はそういうのが起こると、何故起こったのか調べるでしょ?」

「そうだね。知見にもなるしね」と私は肯定する。

 不思議なことが起これば調べるのは人間の性だし、そこから得られる物もある。

 それが人間の役に立つことも往々にしてある。実際、ニュートンのリンゴや、蜘蛛の糸なんかもそうだし、ゆくゆくはスプライト現象を模したや利用した発電方法だって見つかるかもしれない。

 Nは得意げな表情を浮かべながら、知見ねぇ、と軽く肩を竦ませてから。

「…でも、それは本質的には”科学的にどういう原理でなら同様のことが起こるか”や”どういう原理であれば同様の現象を起こせるか”ということなのよ」

 そうNは言い切った。

 現象を調べるのに、現象ではなく方法を調べていると彼女は言った。

「どういうこと?」と私は尋ねるとNはクスクスと笑い。

「模倣をするにはどうすればいいか、つまり人間が赤ちゃんの時から行っている勉強方法、”まねぶ”というものをただ大きくしているだけ。どうすれば、ほぼ同じような状況を起こせるかを調べているに過ぎないのよ」

 Nの言葉になんとなく魍魎とした漠然としない答えは生まれてはくるけれど、今一つ形にならない。

 私が考えているとNはゆっくりと、それでいて物鬱気な雰囲気で。

「実際…その時に起こった現象が本当にそうだったのか、というのは証明は不可能なのよ」

 そう切り出してからNは続けて、体を椅子の背もたれに預けながら。

「だって、現象は喋ってくれないんだもん。まぁ、喋ってくれたとしても、人間対人間ですら嘘を付くのだから、真実なんて知りようもないのだけどね」

 過去に起こった現象について、本当に科学で証明された事実で起こったのかどうかは調べようがない。

 確かにその通りかもしれない。

 原理や方法がが分かったところで、真に突き止めた原理や方法で起こったのか、までは証明が出来ない。

 この世に魔法や超能力が”ない”という証明が出来ないように、悪魔の証明さえ求めれば、何もかもが胡乱な状態の宙ぶらりんとして、存在するとは言い難いが、存在する可能性があると言えてしまう。

「じゃあ、過去のスプライトは神様が起こしているってこと?」

 私の問いかけ。ミソは”過去の”というところ。

 現代科学の力を以て、これから未来に起こるスプライトという現象は科学的に100%この原因で起こった、と証明出来る可能性があるから。

 Nは微笑みを絶やさずに、私の言葉に頷き。

「その可能性もある、という、捻くれた考え方も出来る、というだけよ」

 その言葉の裏には、なんでも”可能性”という言葉さえ付ければ、責任を転嫁可能…ということに憂いているようにも見えた。

 付き合いが長いからか、それとも、私がNにそういう人物であって欲しいという願いなのかは分からない。

 同じ土俵の人間であって欲しいという卑しい願いなのかもしれない。

「…でも、本当にそうかもしれないでしょ?神様がいないとは証明出来ないのだから」

 Nの言葉に「悪魔の証明だね」と私は呆れを交えて肩を竦める。

 この答えは少し間違っている…とは言ってから気付いた。

 気取り屋な所為で間違えた答えを当然のように言ってしまった。

 私の言葉にNはクスクスと笑う。それが嗤いではないとは思うものの、その心の内までは見えない。だから、それも私が信じているだけであり、Nに聞いたとしてもその答えがどちらであれ、それこそ悪魔の証明そのものになってしまう。

 人の心の真実は証明し得ない。だから、存在しない。故に証明のしようがない。

「神様ねぇ…」と私は話題を戻すようにつぶやく。

 Nは軽く息を吐いた。その意味は分からない。

 ただ彼女は続けて「壺中天をしっているかしら?」と、私に尋ねてくる。

 壺中天…と言われて思い浮かぶのは、詩だ。中学か高校で習ったものだ。ただ内容までは覚えていない。そこまで私は真面目な学生じゃなかった。学業でも、運動でも、生活でも。

「李白だっけ?」

 私の答えにNは頷きながら、「そうね。李白の詩の中でも出てくるわね」と優しい声色で答えを返し、不意に窓の外を眺めた。

 私も釣られて窓の外を見る。

 通りには人がまばらに歩いている。そこにモーセの奇跡のように急に人々が両端にはけムッキムッキマッチョマンが走っていった。

 彼が走り去ったあと、少しの間、モーセの奇跡をなぞらえた人々はその場所を移動せずにいたがすぐに元通りまばらな波となった。

「神仙伝とかに書いてあるのだけど…薬売りの翁が壺の中に飛び込んで、その中には別世界が広がっていた、という話ね。」

 ムッキムッキマッチョマンに気を取られていた私はNのその声によりようやく話に戻れた。

 Nの言葉を咀嚼するのには数秒を要した。私がようやく言葉を紡げるようになる頃には、Nは柔らかい笑顔を浮かべて私を見ていた。

 Nの横顔に窓からの光が辺り、彼女の只でさえ整った顔にくっきりとした明暗がつくと、それは一つの絵画のようだった。

「あぁ…。あれか。壺の中に楽園が広がっていたっていう」と、私はNの笑顔から目線だけを逸らして答える。

 Nは楽し気な声色で、「そうそう。まぁ、瓢箪らしいけどね」と付け足した。

 壺じゃないのか…と思いながらも「瓢箪の中に入るのは…ちょっと無理かな」と細い口を思い浮かべる。

 壺なら、甕長になら入れそうと思っていたのもある。

「もうちょっと瘦せないとね」とNは自分の頬に触れながら冗談を真面目な口調で言う。

「これ以上痩せたら、私は餓鬼だよ」

「あら?私はあと10時間で20歳だけど、ガキのつもりよ」

「親の脛を齧ってるから?」

「生き胆もね」とNは楽しそうに頬を緩めた。

 こういった何の意味もない話で笑ってくれるのなら、と私は無い頭を回転させる。

「なら、私は国の脛の齧り取ってるよ」

「奨学金は高くつくわよ」とN。

「これでも減額組だよ」と私がさらに続けると、「なら、齧り取れて無いわね」とNは楽しそうに声色を明るくした。

 楽しそうなNを見ていると、私の心がざわつくように嬉しくなる。

「で?壺中天がどうしたの?」

 私が声色を明るくNに話を求めると、Nは耽るように目を閉じ、右手を掲げ、人差し指を立てた。

「例えばね。この世界が一つの瓢箪…いえ、壺だったとするじゃない。」

 この世界を瓢箪…壺だとすると。

 そう突飛な話をされて、私は首を傾げる。

 Nは私の間抜けな表情を見てか楽しそうに口角をあげながら、掲げた右手を下ろし、私に手のひらを向ける。

「で、その壺を作った者が壺の中を覗いている。それが神様って考えも出来ないいかしら?」

 壺の中に私達が居て、それを観測している者が…神様?

 言われて想像してみたものの、あんまりしっくりこない。人間が何かをしているのを観察するのは楽しいのだろうか?

 何かに置き換えればと考え、私の小さな脳みそで精一杯捻り出せたのは、小さな頃の思い出だった。

「蟻の巣観察みたいな?」

「いいわね。その例え。」とNは私の例えが何故か気に入った様子で、蟻が人ねぇ…とニヤニヤと笑う。

 社会性を持っている昆虫と、社会性動物の人の例えの何が彼女の琴線に触れたのかは分からないが、お気に召したのならそれはそれで私にとっては嬉しい。

 Nが続けて「蟻さんの寿命は…何年くらい?」と尋ね来た。

 蟻さん、と彼女が呼称したのに、少し”可愛い”、と思ったものの、表情には出さないようにし、「1年…長くて2年くらいかな?」と私は答えを返す。

 Nは私の答えに、「そうね」と頷きニヤニヤと笑いながら教授が講義するように続けた。

「人間の寿命は?」とさらにNが続ける。

 その答えは簡単ともいえないけれど、人間は統計学で語る生き物だ。

 平均を出すのが好きだし、それと比べるのはもっと好きだ。

 ただ、勘違いして欲しくない。私は統計学が好きだ。

 その考え方も、意図も実に人間らしくて好きだ。

 絶対的な評価とか、相対評価を嫌う人がいるけれど、昔から色即是空、空即是色と言われているように人間の思考の本質は相対で、統計学に他ならないと思っている。

 ただ、質問にただ答えるのも芸が無い…とも思うわけだ。

 何か気の利いた答えを探し、見つけたのは…浪漫だ。

「ゆくゆくは無限?」

 私の答えにNは小さく微笑んだ。満足そうに笑いながら。

「浪漫じゃなくて、今の人の限界とか、現実的には?」

 と言葉だけだと冷たいものの、彼女の笑顔からも割と受けが良かったと私は安堵する。

 Nは時々、超次元的思考や、超暗黒的混沌思考を前面に出すことがある。それでも、その笑顔には裏表はない。

 腐れ縁で長く付き合っているからそれは分かる。

 私は考えるフリをしながら、先ほどの蟻の件も合わせて、話が続きやすいような答えを言うことにし、

「ん~。長くて100年くらいじゃないかな?」

 と統計学を信奉している身でありながら、適当で分かりやすく、比較の簡単な数字を出す。

 Nとの話の腰を折らないように、キリのいい数字にした。

 Nは私の答えにウインクをしながら「つまり、蟻と人間の寿命の違いは大体50倍ね。でも、蟻と人間の命の価値が50分の1ってことじゃないわ」と茶化すように答えた。

 蟻と人間の命の価値…

「50分の1は人間の方?」と私が聞き返すとNは楽し気に。

「あら?太く短く生きようが、長く細く生きようが、所詮は人間は人間。蟻も蟻よ」

 とこれはウケが悪かったみたいだった。

 Nにとっては、それらに差異はないのだろう。

 人間の価値も蟻の価値も等しく、命に差異がない…ということかもしれないし、同じく下等であるからその差はない、ということかもしれない。

「人間50年はノッブの時代だよ」と私が話題を変えると、Nは「戦国も今も人は変わらないわよ」と少し呆れていた。

 ばっどこみゅにけーしょん…

 私は頭の中でそう歌いながらも、呆れたNの表情も好きなので、私としてはほんわかする。

 Nは自分のコーヒーを覗き込みながら、

「私達人間より50倍、100倍生きる生命体が居て。私達を飼う壺を作り、を観察している…なんてどう思う?」

 どう思う?

 そう言われても、あんまりパッとしない。グッともしない。

 パッチなグッドでラック…という訳ではないけれど、「私達が観測者シアーなら、それは上位者オーバーシアーだね」と肩を竦めて時間を稼ぐことにした。

 Nは目を閉じ「そうねぇ」と自分でも話した内容が突拍子もないことと分かっているのか、何か適当な例考えている雰囲気だった。

 その思考は常に一瞬だ。彼女は思考しない。本能と知識がない交ぜになり、同一軸にあるように思考は数舜だ。考えるフリであれば彼女は熟考する。

「そうね。蟻さんじゃないけど、ユニバース25は分かる?」

 ユニバース…と頭の中で声が響いた。

 赤いサングラスが揺れ、赤髪のピエロに重ねる。今や昔と良き日々を思いながらも。

「ネズミを用いた社会実験だっけ?」と統計学好きな私にはすぐにそれが何であるか分かった。

 ネズミを用いた社会実験。

 天国を作り上げ、人類の滅亡を示唆する実験だ。

 楽園に生きる者達はいずれ滅ぶ。天により与えられた富を貪る者は死に絶え、地道な努力という地獄だけが人を活かす。

 飽食と娯楽の行きつく先が滅びであれば、人間を殺すのは天国であり、その道は間違いなく善意で舗装されている。

 地獄への道は善意で舗装されている、という言葉は本当に穿った考えだ。

 聖ベルナルドゥスがいかに賢人であったか…と、900年近く経っても畏れるばかりだ。

「そういった実験を、神様が人間を使って試行している、そう考えると面白くない?」

 Nはそういいながら、口角をあげた。

 邪悪な彼女の本来の笑顔だ。

 それはとても美しく、目を射止めら、視線を奪われる。

 彼女の本心。超次元暗黒を臨むかのような、彼女らしい笑顔。

 見惚れてた私は言葉を飲み、唾を吐き出しそうになり、慌てて脳に指令を間違えであると伝え、言葉を絞ろうとするが、喉にかかる声と唾が合わさり、むせてしまう。

 むせる…と私は一言、人間の笑顔を浮かべるNに断わってから。

「あ~そういうこと。観測者オーバーシアーがいて、自分たちより50分の1の寿命しか持たない下等で愚かな人間という生物を使って、自分たちの行く末の社会実験を行っているってこと?」

 私の言葉にNはニヤニヤと笑い、「そうそう」と教授のように続きを促すように頷くに止めた。

 コンサルティングをするような話しやすさ、というのはNの魅力だ。

 Nは私の感想を待っている。

 ただの人間で、凡人の私の答えを。

 …だから、今は背伸びしない。人間らしい、私らしい答えを出せばいい。

「夢がない話」

 私の答えに、Nは口元を押さえて、ケラケラと笑い始めた。

「夢しか無いでしょ?」と涙を浮かべながら彼女が笑顔で同意を求めてくる。

 私は、そうかなぁ?と疑義に満ちた目をNに向けたものの、Nは楽し気に。

「だって、そうなるとほら、異世界転生とかあるかもしれないって思えるじゃない」

 Nの言葉に私はフリーズした。

 試行が止まる。思考が止まる。

 その思考の停止は数秒だったと思うけれど、Nからの突飛な言葉に私は本当に戸惑ってしまった。

 中身のない言葉…でもない。それはNの表情や声色から分かる。

 それでも異世界転生ってどういうことだ?と言いたくなる。

 考えを続けた。

 宇宙から私達を臨む者がいて、それらがいくつもの実験棟を抱え試行している。

 …なら、私たちの壺の隣にも同じような壺があってもおかしくないのかな?

 アイデアが成功…と私の中で電球が光る。勿論、電球が本当に光った訳じゃない。ならば電流走る…と言えばいいのかもしれない。

「あぁ。蟻の巣…いや、ユニバースの方かな?」

 私がそう告げると、Nは大きく頷き。

「そうそう。色々な環境を設定して観測してこその実験。私達のいるこの世界では魔法とかそういう不可思議なモノは設定しなかった。だけど、すぐ隣には魔法があって不思議な…ドラゴンのような生物もいて、その結果どういう風な結末を迎えるのか、とね」

 成程と、ようやくNの言いたいことの全貌が見えた。

 彼女の全貌は全く見えなくても、これは簡単な話だったんだ、と自分を情けなく思う。

「じゃあ、あれだね。神様が悪戯で下等で愚かな実験動物を隣のユニバースに移したのが、異世界転移で、脳みその情報だけを抜き出して隣のユニバースの実験動物に植え付けるのが異世界転生ってこと?」

 私がそう聞き返すとNは頷き。

「そうそう。人間が考える平衡世界は実はただ隣のビーカーの中でした…なんて、浪漫があると思わない?」

 Nは楽しそうだ。

 つまり嘘じゃない。本気でそう思っている。

「浪漫ねぇ…夢はないけどね」と私が肩を竦めると、Nはキョトンとした表情をし、

「科学が進歩して奇跡を否定する…というのはもう何世紀も前からやっている。でも、それが本当に奇跡でなかったか…というのは誰も証明出来ないでしょ」

「無いものは証明出来ないからね」と私が付け足す。

「悪魔の証明ね」とNも私の言葉の先を続けた。

 そのまま、彼女は小さく笑う。

「そう。だから、これは浪漫。あくまで浪漫よ」

 Nはどうやら、浪漫にこだわっているようだ。その意味については私には皆目見当付かないけれど、彼女はそういった観測者がいることを臨んでいるように感じる。

 自分たちよりもさらに高次元の観測者がいると信じているように。

 人が空を見上げるように。星を臨むように。宇宙を…もっと先を、外宇宙のその先を…

その先の先を信じるように。

 …それはきっと…

 浪漫だ。

 幾多の星々。それが人とするなら、無数に宇宙が存在すればもっと多くの星々が存在する信じられる。

 多くの可能性を、統計学では起こりえないという答えの”バグ”の先の世界があると信じられる。

 トライ&エラー。

 例え、私達のこの世界が壊れても、私と同じであり、私じゃない誰かが成功すると信じられるかもしれない。だったら、その私に負けないように私も前のめりに行けるかもしれない。

 失敗すれば全て終わり―

 その踏み出す勇気の恐ろしさを少しは払拭出来るのかもしれない。

 私は目を閉じ、息を吐く。

 一歩を…と心の中で唱える。

「で?今日は何でこんな議題なのか…という私の推理を聞いてくれるかな?」

 私はNにそう告げる。

 Nはキョトンとした顔をしたものの、微笑みを浮かべ期待するように

「勿論よ。当てられたなら…そうね、スイーツを奢ってあげる」

 そう私を試してくれた。

 私を試行の一つにしてくれた。可能性を見るための実験材料の一つに。

 Nの言葉に「それはタダだよ。それなら、おにぎりの方がいいな」と切り返す。

「海苔があるから?」とN。

「神があるからね」と返す。

 この応酬に意味はない。ただのスラングの言い合いだ。

 だけど、Nは満足しているから、受けてくれた。

Nはニヤニヤと笑いながら「ふふ。じゃあ、探偵さん。答えをどうぞ」と、まるでシャーロキアン、いや、最もシャーロキアンであろうモリアーティのように私に応えを求めた。

 私は一息つき、Nを見据える。

「日付が代われば成人だし、お酒飲みにいきたい?」

 私の答えに、Nは「まぁ」と驚いた声をあげた。

 そして、店の奥に掛かる時計を眺め、小さく息を吐いた。

「えぇ。正解よ。シャーロック。いえ、シェリンフォードがいいかしら?」

 きっと、それは彼女の思考を読み解けた訳ではない。私の思考を読み解いた彼女の言葉だ。

 それでも彼女が満足する応えだったという実感は得た。

 Nはふわりとした笑顔を浮かべる。

 風もないのに彼女の銀の髪を風が遊ぶ。

 外からの光が、彼女の銀の髪に辺り、金に輝いたかと思えば、七色の光の筋を作る。

 窓の外には、そんな彼女とは似ても似つかない、筋肉ムッキムッキマッチョマンが怒鳴り声を上げながら「俺はスポーツマンだ!」と叫び、不埒な考えをしていたであろうチャラい男達を両腕に抱え走っていた。

 その不審者マッチョマンの後を、田舎から出てきたばかりで品の良い、あどけない後輩が「お父様!」と血相を変えながら走っていく。

 遠くから、「ダンクシュートでくたばりやがれぇッ!」とか、聞こえたけれど、関わらないでいいものなので聞こえないフリをした。

「ちなみにジンとウォッカなら、ルシアンが出来るわね」

 Nの声に私は現実に引き戻された。

 いや、現実に起こっていることなので、なんとも言えないものの、あのムッキムッキマッチョマンはどうしても印象に残ってしまう。

 Nの言葉に私は少し考え、思考をフル動員する。

 送り狼…その言葉で私はようやく、それに気付いた。

「おやぁ?レディ・キラーじゃないか。私は今日は貞操帯でも付けておこうかな?」

 私の答えにNは小さく笑いながら、冗談めかして「ふふ。”鍵”の場所は教えておいてね」と冗談を言う。

「ポストの中だよ」

 私の言葉にNは微笑みながら、「浪漫がないわね」と、そこにあるのは知ってる、とでも言いたげであった。

 実際、ポストの中に私の部屋の鍵は入れている。Nもそれを使って、私の不在時にも部屋に入ることもあるし、私もそれを容認している。

「じゃあ、なんて言えば浪漫なの?」と私が意地悪に返すと、Nは一瞬だけ間を置いた。

 そして、三日月に口元を歪める。それは彼女の笑顔だ。

ドリームランド

 彼女の言葉に「送り狼?」と首を傾げると、Nは満足そうに「食べちゃうわよ~」とニヤニヤと笑顔を浮かべる。

 夢の中の鍵…

「でも、素敵でしょ?」

 Nの声が響いた。

 その声に思考をかき消され、私はNの瞳に視線を奪われていた。

「いいや、詩的だね」

 そう私が返すと、Nは片手を差し出してくる。

 右手を甲を上に、まるでエスコートを求めるように。

 私はその手を下から受ける。

「さぁ、あと5時間。お結びしましょうか?」とN。

「5時間かぁ…手汗でべっとりしそう」と私。

「たまには俗世を忘れて、壺中の天地に囚われるのもいいじゃない?」

 Nの不思議な言い回しに私は首を傾げたものの、きっと答える必要もなく、答えのいらないものなのだと私は納得する。

 この世全てに意味があるとは限らないのかもしれないのだから。

 全てに正解があったとしても、全てを正解である必要もないのだから。

 時には間違っても、期待外れであってもきっといいんだ。

 Nは私に大して期待はしてない。それでも、一緒にいてくれる。だから、間違えを恐れる必要はない。

 Nと手を繋ぎ、店を出る。

 あと何時間でか、Nも真の意味で大人だ。

 お酒が飲める時まであと、何時間…最後の子供の時間くらい、子供らしく私達は歩く。

 価値も意味も特別でもない、青春の時間を。

 ひんやりとした、闇のような…Nの手を引いて、私は歩き出した。









 …失敗した世界が、あったのだとしても…

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