おっさんストリート・ストレート
ある町の通りが夜、立ちんぼで賑わっているとテレビのニュースで知ったおれは、週末の仕事終わりにちょっと様子を見に行ってみることにした。
別に積極的に女を買いに行こうというわけではない。今、付き合っている女はいないがいたことはある。つまり彼女などいつでも作ろうと思えば作れる。だから決して女に飢えてなどいないし、一応気持ち、財布の中身は多めにしておいたが関係ない。ただもし、そういう雰囲気になるというか目と目が合い、運命を感じたなら……と、なんだこれは……。
人、人、人。いや、オジ、オジ、オジ。おじさんばかりが道の端。左右に分かれ二列、ギチギチに並んでいるではないか。これではまるで……
「あ、そこの人」
「ん、え、おれですか?」
「うん、よかったら隣来る? ほら、一人分あいてるし」
「隣……?」
「うん、きょろきょろしてたからさ、ここ初めてでしょ?」
おれは見ず知らずの男に手招きをされ、一先ず二列目のその隣に並ぶことにした。
「私はね、八山って言うんだ。で、君もアレでしょ? ニュースを見てきたクチでしょ? ああ、いいのいいの取り繕わないでさ。
そんなことよりも、不思議に思ったんじゃない? 若い女の子が等間隔に並んでいるはずが、おじさんばかりがこんなにもってさぁ。つまりはね、そういうことなんだよ」
「そういうこと……?」
「売り手よりも買い手のほうが多くなっちゃったわけ。すると、どうなると思う? あ、来た!」
そういい、八山は口をキュッと結び、ピンと背伸びした。
鼻がぷっくりと膨らんでいる。鼻呼吸をしているからだけではない。興奮しているのが丸わかりだった。
おれは八山が見ているほうを向いた。あれは……
「……おい、そこのおっさんは? いくら?」
「ひゃ、はい! さ、三万でどうでしょ!?」
「チッ。鏡見ろや」
「あ、ありがとうございます!」
「え、いや、ちょっと八山さん」
「な、なんだい? また声かけられるかもしれないから話しかけないで欲しいんだけど」
「いや、なんなんですかこれ。他の人も同じように女の子から声をかけられて、で、値段? いや、でもまさか男側がお金を貰うわけが……あ」
「そう、気づいたかい? ふふっ、恋愛は女性側が有利というよね? ここでもそうなのさ。女の子を買いたい男が多すぎて、女の子側が有利に。まあ、そもそも生活に困窮しているというよりは服とかブランド、ホスト、遊ぶお金欲しさにって話らしいし、元々あまりに小汚い男は断られていたらしいけど、それが顕著になったんだね。今ではこうして道に立つのは男側。声をかけられたら速やかに金額を言うんだ。断られてもお礼は忘れないこと。話しかけられるだけで感謝感謝。ああ、それとへへへ、さっきは緊張して忘れちゃったけど、こうやって指で示しておくのが常識なんだよ」
そういい、八山はダブルピースをした。多分、四万円払うということだろう。女の子が練り歩くここはまるでランウェイ。男たち全員、腰を低くし媚へつらうような笑みを浮かべている。
「おい、おっさん。あんたは?」
「え? おっさんって……おれ?」
「チッ。いくらか聞いてんだよ。早く」
「え、あ、えっと、じゃあ、一万円とか」
「ふっ」
と、おれに話しかけてきた女の子は、そのまま振り返ることなく、また他の男に声をかけに行った。
「ぷっ、ふふ、君……ふふふふっ、一万円はないよ。ははははっ!」
「いや、あ、とっさにちょっと出て来なくて……」
「もっと自分の価値を見極めないとさぁ、ふふふふふ」
「いや、あんただってさっき断られて……」
「ああほら、どんどんおいでになったよ!」
と、八山は興奮し、おれの話など聞いちゃいなかった。続々と足を、肌を出した女の子たちが現れ、花を撒いたようにストリートに甘い匂いが広がっていく。
「おじさん、いくら?」
「えっと、二万……」
「いくら?」
「二万五千円!」
「ねーいくら?」
「三万円!」
徐々に金額を上げていくが、鼻で笑われ安いと吐き捨てられ、精神を削られていくのが自分でもわかった。
そもそも、金額は女側のルックスにも左右されるだろうに……と言いたいところだが、どの女の子もいわゆるメンヘラファッションというのか似たような服装に髪型と顔。(多分、化粧のせいだろう)レベルが高いため、文句は言えない。ただ正直、見分けがつかない。
「あー、わかるよぉ。年取るとさぁ、歌番組とかに出るアイドルの顔も見分けがつかなくなるよねぇ」
とダブルスリーピースを決める八山。どうやらおれの心の声は漏れていたらしい。しかし、鼻につく。それではまるでおれが――
「ああっと! ハイクラスが来たよ! ほら、あの子たち綺麗だろう? さあさあ、跪いて! ほら、早く早く!」
おれは八山に肩を押され、地面に膝をついた。おれの肩に触れた八打の手は左右とも指が四本立っていた。八万円も出す気らしい。
現れた女の子たちは確かに綺麗。特に足がもちもちすべすべしていそうで、おれは唾を飲んだ。
しかし、目の前に広がったその光景には唖然とせざるを得なかった。
「おい、おっさん! よろしくねじゃねーよ! よろしくおねがいしますだろ!」
「は、はい! よろしくおねがいしまぁぁす!」
「高く見積もり過ぎなんだよ! アンタみたいなデブなオヤジ、十万でも足りねーよ!」
「すみません!」
「おっさん! 抱きたきゃ土下座しろよ!」
「は、はぁぁい!」
「おっさん」「おっさん」「おっさん」「おっさん」「おっさん」「おっさん」彼女たちのその呼び方には先人に対する敬意など微塵も感じられなかった。
少ない髪を掴まれ、弛んだ腹を蹴られ、顔を殴られ鼻血を出しそれでも股間を膨らませ、へへへと笑う彼ら。抵抗しないのはその膨らみを静めたいためか。暴力をふるえば警察に逮捕されてしまうのはこちらだからか。おれは涙を禁じえなかった。
「おっさん。ほら、あんたはいくら出すんだ?」
「おれは……」
「早く言えよ!」
「おれは……まだ二十代だ」
「はぁ?」
「ああ、二十代でもアラサーなら、君らからすればおっさんか……。臭く、醜く。不潔で脂ぎっていて空気読めなくて無神経なことを言って独りよがりで性欲丸出しで気持ち悪くて……」
「ははっ! わかってんじゃん、で、いくら払うの?」
「おれは……おっさんだ」
「き、君……」
八山が目を見開き、おれの指を見つめる。おれが立てた指は一本。ただし……中指だ。
見る見るうちに、おれを見下ろす女の子に嫌悪と怒りの表情が浮かんでいく。
髪を掴まれ、そして立てた指を握られても、おれの心に後悔などなかった。
「へぇ、おもしろいじゃん。真っすぐでさ。ほら、放してあげなよ」
――えっ
そう言い、靴音鳴らし黒髪を靡かせ、おれのもとに歩いてきた彼女、その目を見た瞬間、おれは固まってしまった。感じてしまったのだ。運命ってやつを。
「一万円でいいよ。ホテルいこっか」
「え、え、お、おれと? あ、君なら一、一万円じゃなくとも、その……」
「ほら立って! 行くよっ」
「あ、う、うん!」
彼女の手を握り、おれは立ち上がった。
八山は両手を上げ万歳を、あるいは十万円を提示していたのかもしれないがわからない。もうここへは戻らないのだから。
が……今思うと八山は戻った方がいいと言っていたのかもしれない。
ホテルまでの近道だからと通った公園で突然の顔面ストレート。現れた女の子たちに殴る蹴るの暴行を加えられ、財布の中身を奪われた。
「秩序を乱す奴はこうだから。わかった? おっ・さ・ん」
唾を吐かれ、笑い声とともに彼女たちは去っていった。
子供の時以来だろうか、土の匂いが近く、しかし子供の時ほど空に星は見つけられない。
金を奪われ尊厳を踏みにじられ、あの頃はこんな大人になるとは思わなかった……なんて、おれに後悔はない。
彼女に手を引かれ、あのストリート。その真ん中を歩き、おっさんたちからの羨望の眼差しを浴びたあの瞬間は確かに輝かしい記憶として、おれの中に刻まれたのだから。
来週も行こう。