第276話 魔王へ与える災難はあの男(小田原智視点)
……どこだここは?
ただただ暗い。
この場所が暗いのか、目を瞑っているから暗いのか? それもわからない。
意識はあるのに身体のすべてに感覚がない。
不気味で気持ち悪い状態に置かれていた。
「気が付きましたか?」
誰かの声がした。
女だ。たぶん若い女と思われる声が少し離れた場所から聞こえた。
誰だ?
そう問おうとしても声が出ない。
そもそも今の自分に口は無いような気がした。
「わたしが誰か? それを知りたいのでしょう」
女は見透かしているようにそう言う。
「わたしは神です」
神だと?
ふざけるなと笑おうにも、今の自分にはそれすらできなかった。
「今のあなたは意識のみの状態です。命を失ったあなたは地獄へ落とされ、魂すら焼き尽くされて意識のみの存在となりました。このままならばあなたは永遠に、意識だけを彷徨わせる無として存在し続けることになるでしょう」
……女の言っていることが事実かどうかはわからない。
だが事実だとすれば、それほどの苦痛は無い。終わりの無い意識だけの無を永遠に続けるなど、まさに地獄であった。
「あなたを救えるのは神であるわたしのみ。わたしの言うことを聞いてくれるのならばあなたの魂を再生し、ふたたび生を与えてあげましょう」
事実であろうと嘘であろうとそれを拒否する理由は無い。
この状態から解放されるのならば、この女がなんであろうと縋りたかった。
「答えは決まっているようですね。では……」
女がそう言った瞬間、目に光が飛び込んで来る。
身体の感覚もある。目の前にいる女の姿も見えた。
「こ、ここは……」
会社近くにある繁華街の駅前。
しかし昼間だと言うのに誰もいない。いるのは自分。そして目の前で雲の上に座っている女のみだった。
「ここはあなたにとって馴染み深い場所。あなたが戻りたいと思っている場所が、映し出されています」
「俺が戻りたい場所……」
なんでもない日常。
会社に行って仕事しながら低学歴のカスに教育してやる日常。
ダンジョンで気に入らない奴をぶっ殺し、気に入った女を犯す日常。
そんな日常に戻りたかった。
「戻してあげますよ。わたしの望み通りのことをしてくれれば」
「はっ、お前が神なら、俺なんかに頼むようなことがあるのかよ?」
「あなただからいいのです。あなたはあの人に対して強い憎悪と敵対心がある。あの人を絶対に殺してやるという強い気持ちだけは誰にも負けていない」
「あの人? そのあの人ってのはもしかして……」
「白面」
その名を聞いた瞬間、今まで眠っていただろう憎悪の感情が一気に湧いて出てくる。
「あなたにはあの人にとって最悪最大の敵になってもらいたいのです」
「奴を殺せるならあんたが願う必要も無い。奴を殺せる機会をくれるってんなら、こっちから願いたいくらいだ」
仮面野郎をぶっ殺す。
日常へ戻ること以上に、それは悲願であった。
「ふふ、では頼みましたよ」
「ああ。けど今までも奴を倒そうとしたが、すべて失敗している」
レイカーズのときも、寺平を頼ったときも、魔人になったときも奴には手も足も出なかった。不愉快だが、奴には勝てる気がしなかった。
「あなたの魂にわたしの一部を含ませました。これによってあなたは神の力を行使することが可能になっています」
「神の力? なら俺は神になったってことか?」
「それは違います。神の力を借りて神法を行使するのが天使。神の一部を魂に加えて神そのものの力をわずかに行使できるのが神人です。あなたは神人という存在になっただけで、神ではないので妙な気は起こさないことですね」
「別にあんたに対して敵意を持つ気なんかねーよ」
あの野郎をぶっ殺せる力があればいい。
ただそれだけだ。
「賢明ですね。ではあなたを現世へと戻しましょう。戻ったらあなたは彼にとって最悪の敵にならなければなりません。どうすればいいかは教えるまでもありませんね」
「ああ」
ただ殺すだけじゃ足りない。
奴に絶望を味合わせ、それからなぶり殺しにしてやる。
「現在の彼について説明してくれる者を現世に置いておきます。彼や現世の状況を詳しく知りたければその者に聞きなさい」
「わかった」
そして自分の身体が光り輝く。
瞬間、この場から姿を消した。
「……こ、ここは?」
森の中だ。
周囲には木以外になにも無い。
「なんだよ。こんなところに送りやがって……」
しかしこんなことができるということは、恐らくあの女は本当に神なのだろう。そうでなければ犯してやりたいくらい良い女だったが……。
「ここはどこだ? 奴はどこにいるんだ?」
なにもわからない。
そういえばいろいろ説明してくれる奴を置いておくと言っていたが……。
「ひさしぶりねぇ」
「えっ?」
誰かの声。
声のしたほうへ振り向くと、そこには女……いや、男が立っていた。
「ひさしぶりだと? お前は……」
何者かはわからないが、声は聞いたことがあるような気も……。
「あらやだ忘れちゃったの? あたしよ。皇隆哉」
「皇……隆哉っ!?」
かつてレイカーズの先輩だった男。
その男がまるで女のような格好をしてそこに立っていた。




