第215話 小田原智と夢音(小田原智視点)
……ミーシャは行方不明になり、残る魔人の精鋭は自分とドルアンだけになった。
あとはドルアンだけだ。
あいつが死ねばデュカスのナンバー2は自分になる。そのときは近い。
それを肌で感じている智は、表情から笑いを消せなかった。
「良い眺めだ」
魔人による力での支配。裏からの支配を諦めたメルモダーガは、表から直接の支配に切り替え、支配者の居城として地下教会を空中に移動させた。
「仮面野郎はここへ来るだろうな」
来れば瞬殺だ。いや、少しいたぶってやるか。
奴にはだいぶ世話になった。
すぐにお別れじゃあつまらないだろう。
「早く来いよ。たっぷり礼をしてやる」
教会の屋上から街を見下ろしながら、智は白面が来るのを待ち望んだ。
「デュカスももう終わりかもしれないね」
背後から水を差すような声が聞こえて振り返ると、そこには夢音が立っていた。
「終わり? なに言ってやがる? これからだろ?」
「パパの計画は破綻した。破綻させたその張本人を倒せる方法が無いんだ。終わりだよ。デュカスは」
「けっ、仮面野郎なんざ俺のスキルで簡単に殺せるだろ?」
「どうだろうね……」
「なにをビビってやがる? 俺のスキルが最強なのは、常に俺の側にいたお前もよくわかっているはずだぜ?」
「ああ。あんたのスキルが最強なのは知っているよ。けど……なんだろうね。あの白面ってのはあんたのスキルでも殺せないような、そんな気がするんだよ」
「そうかよ」
根拠の無い不安だ。
「けっ、てめえは所詮、2本角から成長の無いできそこないの魔人だな」
「ああ、そうだね」
できそこないとなじられる夢音だが、しかし表情は笑っていた。
「あんたは魔人になってから何人の人間を殺した?」
「ああ? 覚えてねーよ。けど10000人以上は殺したかもな」
息をするように殺し回った。正確な数など覚えているはずはない。
「たいしたもんだ。罪悪感も無くそれだけ殺せるのは才能だよ」
「褒めてんのか?」
「魔人には誉め言葉だよ。あたしはダメだ。魔人になる前から殺しには抵抗があった。けど、やるしかなかったから……」
「やるしかなかった? てめえ昔はなにやってやがったんだ?」
そういえばこいつの昔は聞いたことがなかったか。
他の奴と同じで、どうせ禄でもないクズなことをやってきたのだとは思う。
「ちょっとした殺し屋だね」
「なんだそりゃ?」
「母親がホストにはまってさ、闇金に金を借りて借金が大量にあったんだ。それを返すためにヤクザに指示されて殺し屋をやってたの。政治家とか企業のおっさんをホテルに誘ってさ、眠ったところをね」
「よくムショに行かなかったな?」
「ヤクザの死体処理が優秀だったんだよ。おかげで何人もやらされたけどね」
そう言って肩をすくめた夢音は、自らを卑下するような笑みを見せる。
反社の殺し屋か。
想像していたクズとは少し違い、智は反応に困る。
「口封じのためにいつか殺されるかもしれない。そんなどん底なとき、デュカスにスカウトされて魔人になった。魔人になってすぐは、どん底から救ってくれたパパのために殺しまくったよ。けどあるときから殺せなくなった」
「どうしてだ?」
「いつだったかあたしのスキルで女の子が幼い弟を庇って怪我をしてね。それを見たらなんか……人殺しが怖くなったのさ」
「はっ、ガキが殺せねえなんてずいぶんやさしい魔人じゃねーか」
「いや、子供だからというより、あたしにも弟がいたんだ。幼いころに両親が離婚したからあの子は姉がいることも知らないだろうけどね」
「そのガキどもが自分と弟に見えたとか言うのか? くだらねえ」
「ああ。そうだね」
夢音は空を見上げながらポツリとそう呟く。
「あたしの父親は自分のために誰かを使って殺人をさせるような奴でね」
「殺人をやらせる?」
「表じゃ会社の役員をやっていて、裏じゃ平気で犯罪行為をやっていたクズだよ」
「へー」
まるで自分の父親みたいだと智は思う。
「母さんはあたしを連れてあいつから逃げた。本当はまだ4歳の弟も連れて行きたかったみたいだけど、自分の後継ぎになる弟だけは父親が離さなくてね。しかたなくあたしと母さんだけで逃げたのさ」
「奇遇だな。俺のおふくろも俺がガキの頃に親父から逃げたよ。女に逃げられるなんてダサい親父だぜ」
「……」
「なんだよ? 人の顔をジロジロ見やがって」
「……なんでも」
なんだか呆れたような、そんな顔で夢音はため息を吐く。
「あたしの父親はクズでも金はあった。母親が逃げたりしなければあたしはもっと良い人生を歩んでいたんじゃないかって考えると、神様は不平等だなって思ってさ」
「かもな」
「弟と一緒になって父親の悪事を手伝っていたかも」
「楽しそうな人生だ。それで、この話はまだ続くのか? てめえの身の上話なんかに俺は興味ねーんだけど?」
「……」
夢音の表情がやや曇ったような。そんな気がした。
「……なんで俺にそんな話をしやがった? 慰めてでもほしかったか?」
「そんなんじゃない。ただ、そうだね……あんたを弟みたいに思ってるからかもね」
「は?」
「あたしのほうが3つ年上だろ」
「てめえの弟だなんて寒気がするぜ」
「あたしもあんたみたいな馬鹿な弟はいらないね」
「ああ? 誰が馬鹿だ。俺はてめえよりずっと高学歴だぜ」
頭に血が上って睨むと、夢音は馬鹿にしたような表情で微笑む。
「そうかい。あんたはお利口なんだね」
「……ふん」
不愉快な女だ。
……しかしこいつとの会話はどこか落ち着く。
理由はわからず奇妙な心地だった。
「あんた逃げたほうがいいよ」
「なんだと?」
「逃げて身を隠せば殺されはしないからさ」
「ふざけんな。俺は最強だ。殺されるはずがねーだろ」
「あたしはドルアンのスキルを知ってるんだ。あいつのスキルは強いよ。なのに白面との1対1は避けた。あんたじゃたぶん勝てない」
「あの野郎がどんなスキルを持ってるかは知らねーけどよ、最強は俺だ。逃げるわけねーだろ」
「はあ……もういいよ。せいぜい殺されないことだね」
と、夢音は智へなにかを投げてよこす。
それはなんの変哲も無い小さくて短い白い棒だった。
「なんだこりゃ?」
「あんたからもらったんだよ」
「俺はこんなのお前に渡してねーよ」
「ずいぶん前だからね。忘れてんだろうね」
ため息を吐いた夢音は踵を返して去って行く。
「ずいぶん前って……会ってからそんなに経ってねーだろ。変な奴」
去って行く夢音の背中へ向けて智はそう吐き捨てた。




