第171話 データの破棄を行い、そして脱出(末松雪華視点)
火球は消え去り、焼失した魔人のいた場所を雪華はじっと見下ろす。
「気の毒な生い立ちとはいえ、多くの人間を食い殺したお前らの罪は死んでも許されん。……しかしもしも生まれ変わりがあるのならば、次はやさしい両親のもとに生まれてほしいものじゃの」
残虐非道。しかし生い立ちは憐れな魔人の兄弟。そんな2人を雪華は少しだけ気の毒に思った。
しばらくその場に立ち尽くした雪華はやがて振り返り、上一郎の前へと歩く。
「ゆ、雪華……」
「それを寄こすのじゃ」
「それとは……?」
「お前が持っているものはひとつしかないじゃろう。そのアタッシュケースに入っている人造人間開発の研究データじゃ」
「これをどうする気だ?」
「破棄する」
それを聞いた上一郎は目を見開く。
「そうか……。それが目的でお前は私たちを追って来たんだな」
「そうじゃ。わしのような生物兵器を使って、大国がなにをするかなどお察しじゃろう。わしの研究をそんなことに使わせるつもりはない」
「……ふっ、冬華の記憶を移植されたお前のセリフとは思えんな」
そう言って上一郎は雪華のほうへアタッシュケースを差し出す。
「と、父さんっ!」
それを背後で見ていた忠次が叫ぶ。
「それは俺たちがロシアへ亡命するのに必要なものだっ! それを渡すなんて……」
「この場の強者は雪華だ。素直に渡さなくても奪い取られるだけだろう」
「そ、それはそう……かもだけど」
忠次は雪華を見、それから肩を落として引き下がる。
「さあ受け取れ」
「うむ」
雪華はアタッシュケースを受け取って中を開き、入っていたフラッシュメモリも取り出す。
「ま、待てっ!」
それを破棄しようとしたとき、背後から声が上がる。
振り返ると、工作員の男がこちらへ銃を向けていた。
「それとそこの2人を本国へ持ち帰るのが我々の任務だ。破棄は許さん」
「……」
「待てよ」
見つめる雪華の先で銃を構える工作員の肩をもうひとりが叩く。
「嬢ちゃんがいなければ俺たちはさっきの連中に殺されてた。嬢ちゃんの好きにさせてやるのが筋ってもんだと思うぜ」
「お前……この任務は重要だ。失敗しましたじゃ済まないぞ」
「わかってる。けどいずれにしたって。そんなおもちゃじゃ嬢ちゃんからあれを奪えないぜ。さっきの戦いを見てたならわかるだろ?」
「……」
銃を構えてしばらく固まっていた工作員だが、やがてその手はゆっくりと降りた。
「うむ。では破棄しよう」
雪華はフラッシュメモリを上空へ放る。
そして火を噴き、跡形も無く焼失させた。
これで一件落着。
さてこのあとは……。
「ははは……これはもう、大変なことになってしまいましたなぁ」
不意にそう発言したのは、白衣のロシア人だった。
「この研究所は我が国の秘密施設だ。侵入者を生きて帰すわけにはいかない」
「ならばどうするのじゃ? わしと一戦交えるかの?」
「ご冗談を。怪物と戦って無駄死にする気はありませんよ」
と、男の手が手近な机にある、透明のケースを開く。
「む、まさか」
「この研究所とともに死んでもらいましょう」
ケースの中にあるボタンが押され、その瞬間、研究所内にけたたましい警報が鳴り響く。
「機密漏洩防止プログラムが発動されました。2分後に爆破システムが起動し、この施設は消滅を致します」
続いてそんな音声が流れ、雪華はため息を吐く。
「と、ととと父さんっ! このままじゃ俺たち……」
「落ち着けみっともない。……これも運命だ。諦めろ」
「と、父さん……」
「私だって死にたくはない。しかしなんだろうな。どこか安心している。もうこの人生は生きたくないという、そんな気持ちがどこかにあるんだ」
「そ、それは……父さんも」
「もしかしてお前もそうなのか?」
「……」
上一郎の言葉に忠次はなにも答えず、俯いて黙り込む。
あの2人の中にいる本来の上一郎と忠次が、今までのことに罪の意識を感じているのかもしれないと雪華は思う。
「せっかく化け物の腹から出れたってのに結局は死ぬか。仕事でいろんな国へ行ってきたが、まさかロシアで死ぬとはなぁ。神様へのお祈りはロシア語か?」
「任務を失敗した我々には当然の末路だ」
皆、すでに諦めて死を覚悟しているようだった。
「ふん。ここで死にたければ止めはせん。好きにしろ。わしはここから出るがの」
「うははははっ! なにを言っているっ! すでに爆破まで1分だ。ここから出られるわけはないっ! 貴様らは我が国の機密とともに消滅するのだっ!」
「悪いがそのつもりはない」
雪華は真上を向き、大きく口を開く。そして、
「カッ!!!」
口から広範囲のレーザーを撃ち出す。
そのレーザーは施設の天井へ巨大な穴を空けた。
そして雪華は背中へ翼を生やし、上一郎と忠次を両腕に抱える。
「ゆ、雪華?」
「お前たちのような人間でも、小太郎の父と兄だ。見殺しにはせん」
「……」
「お前たちもまだ生きたければわしに掴まれ」
工作員2人は顔を見合わせ、そしてすぐに雪華の足へとしがみついた。
「では行くぞ」
「ま、待てっ! 逃がすわけには……」
「じゃあの」
こちらへ駆けて来る白衣の男へ一瞥をくれた雪華は翼を羽ばたかせ超高速で飛び立つ。その速さはまるで銃弾のようで、グングンと上昇をしていく。
やがて上空に光が見え、
「外じゃ」
森の上に出た瞬間、穴の奥底で爆破による轟音が鳴り響く。
雪華に抱えられ、しがみついている4人はそれをゾッとしたような表情で見下ろしていた。