第167話 上一郎を狙う魔人(末松雪華視点)
工作員を飲み込んでうつ伏せに地面に落ちたその肥満体の男はゆっくりと立ち上がり、手に持っている葉巻を吸いながら上一郎たちのほうへ向く。
……魔人。角3本の姿から、あの男がそれなのは間違い無いと思った。
「あ、あれは……魔人、か?」
「そうじゃろう。しかしこれはまずいのう」
魔人がどれほど強いのかはよく知らない。
小太郎は今までに3体倒したそうだが、はたして自分にやれるかどうか……。
「おとうさん……おとうさん」
その太った魔人は上一郎を見つめながらおとうさんと呟く。
「おお、弟よ。よかったなぁ」
さらに上空からもうひとり魔人が地面へ降り立つ。
その魔人も角が3本あったが、対照的にげっそりと痩せていた。
「ポ、ポタニャコフ兄弟? 帰ったんじゃないのか?」
上一郎は驚いたような表情で2人を見ていた。
「ポタニャコフ兄弟? あいつ今、ポタニャコフ兄弟と言ったか?」
「間違いなくそう言ったが……なんじゃ? あの入れ墨だらけのヤクザどもを知っておるのか?」
振り返ると、焦り顔で魔人へ目を向ける工作員の顔があった。
「ああ。モスクワの食人兄弟と言われていた凶悪な犯罪者だ」
「食人兄弟? 連中2人とも人間を食うのか?」
「そうだが、少し違う。食うのは主に弟のほうだ。兄のほうは弟の食べ残しを食べていたと聞いた。兄が殺して弟が食う。そんな犯罪をわかっているだけでも500件は繰り返したらしい」
「怪物じゃな」
どんな環境で育ったらそんな人間が出来上がってしまうのか?
まったく想像ができなかった。
「あんたがよぉ、俺たちの親父に似てんだぁ。いや顔がとかじゃねぇよぉ。雰囲気だぁ。弟があんたを見て親父を思い出しちまってよぉ。追って来たんだぁ」
「そ、そうなのか」
困惑した様子の上一郎。
会話の内容から察するに、あの2人は本来ここにはいないはずだったようだが。
「まずいな。末松上一郎は奴らに殺されるかもしれない」
「なに? どういうことじゃ?」
ロシア側の味方として現れたと思ったが、それは違うということか?
「ポタニャコフ兄弟の被害者は全員が子供のいる家庭を持った中年以上の男か女なんだ。彼はその条件を満たしている」
「しかし奴らは上一郎と忠次を守るために現れたのだろう? それを殺すなんてありえんと思うがの」
「頭のイカれた殺人鬼どもだ。常識は通用しない」
それはそうかもしれないが……。
「よくわからないが助かった」
上一郎がポタニャコフ兄弟へ近づこうとする。
「ま、待ってよ父さん。こいつらは危険だ。あまり近づかないほうが……」
「私を助けた。今は味方だ。そうだろう?」
2人へ声をかけるも、返答は無い。
「お前は親父が大好きだよなぁ。俺たちにメシも碌に食わせてくれねーひでー親父だったけどよぉ。最後に腹いっぱい食わせてくれたもんなぁ」
「おとうさん……うん。おとうさん、おいしかった」
太った魔人がゆらりゆらりと上一郎へ近づく。
「な、なにを……うあっ!?」
瞬間、大口を開いて上一郎を飲み込もうとする魔人。
それを見た雪華はほとんど無意識に飛び出していた。
「むんっ!」
腕を巨大な魔物のものへ変えて鋭利な爪を太った魔人へ振り下ろす。
「んあ?」
「!?」
爪は容易に掴まれ、雪華はそのまま遠くへ投げられる。
「ぐっ……なんてパワーじゃ」
背中へ羽を生やし、空中で反転して上一郎の前に降り立つ。
「ゆ、雪華? お前生きていたのか? いや、それよりもどうしてここに……」
「話はあとじゃ。死にたくなければ下がっておれ」
思わず飛び出してしまった。
しかしこんな連中でもやはり小太郎の家族。見捨てるわけにはいかなかった。
「んー?」
太った魔人はきょとんとした表情で雪華を見下ろしてくる。
年齢は小太郎と同じくらいだろうか。
しかしその表情は不思議とあどけなく、どこか幼子のようであった。
「女の子……? なんで? 誰?」
「妙な奴じゃ」
凶悪な食人鬼だというのに、悪意はまったく感じない。
まったくもって不気味な男であった。
「おおっ! もしかしてそれが人造人間の完成品かっ!」
白衣の男が嬉しそうな声を上げて雪華へ駆け寄って来る。
「すごい……。普通の人間となにも変わらない。もっと詳しく研究を……」
「わしは……むっ!? どくのじゃっ!」
白衣の男を突き飛ばす。
目の前からはふたたび大口を開いた魔人が迫っていた。
雪華は上一郎を抱えて後方へ飛び退る。
「なんで邪魔する?」
「こんな奴でも身を案じる者がいるんじゃ。お前に食わせるわけにはいかん」
「……邪魔だ」
額へ青筋を立てた魔人が雪華を睨む。
敵は魔人2人。
こちらは自分ひとり。しかも2人を守って戦わなければならない。
明らかに不利。
逃げるのが得策だが、はたして奴らから逃げきれるか?
憤怒に表情を歪めた魔人がこちらへと迫る。が、
「待てぇ、弟よぉ」
痩せた魔人が太った魔人の肩を掴む。
「獲物を狩るのはにいちゃんの役目だろぉ。俺に任せなぁ」
「ああ……。わかったよにいちゃん」
太った魔人の前へ痩せた魔人が出てくる。
こいつは一体どんな戦い方をするのか?
見たところ、太ったほうよりパワーは無さそうだが。
「くっくっく……まずは獲物を逃がさねえようにしとくかぁ」
「なに? ぬっ……」
大きく口を開いた痩せた魔人の口から無数の羽虫が飛び出てくる。
「なんじゃ? 虫?」
「あ、あれは爆弾虫っ!」
「爆弾虫?」
忠次の叫びを聞いて、雪華は羽虫の正体にだいたいの予想がつく。
口から出た羽虫は部屋の出入り口を覆うように集まる。
「爆弾虫という名から察するに、あの羽虫は爆発するということかの」
「ご名答だぜぇ。もうお前らは逃げられねぇ。おとなしく食われやがれぇ!」
「っ!?」
大口から槍のように舌が伸びてくる。
雪華はその舌を爪で切り落とす。
「カメレオンのようなやつじゃ」
舌はあっさり再生し、ニヤつく痩せた魔人の口へと収まる。
「くけけぇ、なるほどぉ。変幻自在の人造人間かぁ。くっくっく……これは楽しい狩りになりそうだなぁ。が……ごぉ」
「な、なんじゃ?」
痩せた魔人の口から大きな物体がゴロンと地面へ次から次へと吐き出される。ゆっくりと立ち上がった3体のそれを見て、雪華は目を見開く。
「子供……?」
吐き出されて立ち上がったのは自分と同じほどの子供らだった。
子供らはゆらりと動き出し、
「な、なにっ?」
右腕を雪華と同じ魔物のものへと変えた。




